<p>「確かに、資本主義のお陰で、僕たちの生活は豊かになった。だが、実のところ、もはや十分に豊かになったと言えるのではないだろうか。僕たちの生活を豊かにする技術は飽和したと言っていいのではないだろうか。だとすると、僕たちは一体、何のために労働するんだろう?<br/>
ものが溢れ、生活必需品を自動的に生産できるシステムすら作り出せるはずの智慧を持った人類は、なぜ毎日、「お金がない」と言い続けながら、人生を労働に費やし続けているのだろう。僕たちは、働くために生まれてきたのだろうか。</p>
<p> そもそも、最初は、自分たちの生活を豊かにするために、資本主義経済を作り出したはずなのに、いつのまにか、そのシステムを維持するためだけに、過剰な労働を強いられている。それは主従関係がいつの間にか逆転した状況だと言えるだろう。</p>
<p> そして、インターネットが普及し、ネット上で安価に娯楽を得ることができるようになった今、はっきり言ってそれほどお金を稼ぐ必要もなくなりつつある。<br/>
「大きな家に住んで、いい服を着て、いい車に乗って、街に繰り出して遊んだり、遠くに旅行に行くこと」、それがかつての贅沢の仕方であり、出掛けるたびにお金がかかる(消費する)から、頑張って稼ぐ必要があった。だが、いまや家でパソコンの前で、インターネットをしたり、ネットゲームで遊んだりするだけで」いくらでも時間が潰せる時代なのだ。テレビ、ネット、ゲーム、動画サイト、匿名掲示板…、それらはとても安価な娯楽である。田舎の小さな部屋にパソコンとネット回線さえあればいい。月に何日かバイトするだけで、十分に娯楽を楽しむことが出来るだろう。</p>
<p> さぁ、そうなったら、誰が、一生懸命働くのだろうか。ますます、一生懸命働く意義などなくなってくる。だが、みんなが一生懸命働いて成長し続けていかないと、資本主義は崩壊してしまうのだ。</p>
<p> かつては、地位のない庶民でも「盛り上がれる」「贅沢できる」という欲望が資本主義を維持する原動力となっていた。だが、今の世の中は、そんなに苦労してまで欲しいものなどどこにもない。もはや、経済的成功に対する欲望は薄れてしまったのだ。</p>
<p>(中略)</p>
<p>そんな時代に生きる僕たちは、労働の価値を見直すという歴史の転換期にきているのである。</p> — (飲茶『史上最強の哲学入門』P162) (via <a href="http://drhaniwa.tumblr.com/" class="tumblr_blog" target="_blank">drhaniwa</a>)