志鎌猛という写真家は日本ではあまり知られていないが、私にとっては非常に気になる写真家だ。彼は50歳を過ぎるまで写真家ではなかった。それまで何をしていたかというと、八ヶ岳と富士山と甲斐駒ヶ岳と茅ヶ岳が十字に交わる場所に偶然見つけた土地に、15年以上かけてコツコツと家を建てていた。簡便な作りの小屋ではなく立派な日本建築を、日曜大工をやっとことすらない男が、何かに憑かれたように作ろうとしていたのだ。敷地内に茂る30本を超える松の巨木を切り倒すところから始めて。木を切るたびに、削るたびに、彼は樹液まみれになり、森の精を目一杯吸い込みながら家を作り続けた。そうして、見事な家が出来上がった時、彼は、周辺の森の中を散歩していた。その時、樹木が伐採されて中途半端に空間ができた場所があり、彼はそれが気になって家にあったカメラで写真を一枚撮った。その時から彼は、森の写真家として新たに生き始めることになる。自らの意思というより、森に呼ばれたのだ。独学で写真を学び、家の中に暗室を作り、古典的技法であるプラチナプリントを習得した彼は、大型カメラで、ひたすら森の写真を撮り続ける。彼の撮った写真は、日本人の多くが好む癒しの写真ではない。だから日本のギャラリーやメディアでは、あまり注目されなかった。しかし、日本を通り越して、直接、欧米に持ち込んだところ、高い評価を受け、次々と展覧会の依頼が舞い込み、美術館でも買い上げられている。
日本の中でブームになったり、注目されたりするものは、メディア受けしやすいものが多く、メディアの背後には、コマーシャリズムがある。とりわけ写真に関して言うと、日本ほどメディア媒体に対してカメラメーカーの力が強い国はなく、カメラメーカーにとって都合がいい写真かそうでないかは、メディアに取り上げられやすいかどうかの大きな境目になっている。モノクロでプラチナプリントということになると、デジタルカメラを売りたいカメラメーカーには無関係の写真であり、おそらく、カメラメーカーがスポンサーになっている賞をとることもないだろう。
しかしもはや、現在の日本で受けるかどうかなんて些事だ。木を植える人は、自分が死んだ後のことを考えて仕事をしている。本物の表現者もまた、きっと同じなのだ。
この写真は、風の旅人の第41号で掲載。