<p>宮本は大正12年、15歳で故郷の山口県周防大島を離れ、大阪に働きに出ることになる。そのときに父・善十郎が「これだけは忘れぬようにせよ」といってとらせた10か条のメモがすごい。</p>
<p> 1.汽車に乗ったら窓から外をよく見よ。田や畑に何が植えられているか、育ちがよいか悪いか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草葺きか、そういうところをよく見よ。駅へ着いたら人の乗り降りに注意せよ。そしてどういう服装をしているかに気をつけよ。また駅の荷置き場にどういう荷が置かれているかをよく見よ。そういうことでその土地が富んでいるか貧しいか、よく働くところかそうでないところかよくわかる。</p>
<p> 2.村でも町でも新しく訪ねていったところは必ず高いところへ上って見よ。そして方向を知り、目立つものを見よ。峠の上で村を見おろすようなことがあったら、お宮の森やお寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ。そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへは必ず行ってみることだ。高いところでよく見ておいたら道にまようことはほとんどない。</p>
<p> 3.金があったら、その土地の名物や料理はたべておくのがよい。その土地の暮らしの高さがわかるものだ。</p>
<p> 4.時間のゆとりがあったら、できるだけ歩いてみることだ。いろいろのことを教えられる。</p>
<p> 5.金というものはもうけるのはそんなに難しくない。しかし使うのがむずかしい。それだけは忘れぬように。</p>
<p>宮本の父・善十郎は、高等教育を受けておらず、少年だった宮本は無学の父を恥じ、憎むところもあった。しかしこれだけの教訓を息子に垂れることのできる父だった。これは、父自身が旅で得たものであろうと思われる。宮本が育った島では、仕事を求め、また世間というものを知るために、島の外へ旅に出るのを常とする気風があったという。宮本は、まさに、フィールドワークの申し子として生まれてきたのかもしれない。</p>
<p>10か条の後半は、前半の“旅暮らしの知恵”とはおもむきを変えて続く。</p>
<p> 6.私はおまえを思うように勉強させてやることができない。だからおまえには何も注文しない。すきなようにやってくれ。しかし体は大切にせよ。30歳まではおまえを勘当したつもりでいる。しかし30過ぎたら親のあることを思い出せ。<br/>
7.ただし病気になったり、自分で解決のつかないようなことがあったら、郷里へ戻ってこい。親はいつでも待っている。<br/>
8.これからさきは子が親に孝行する時代ではない。親が子に孝行する時代だ。そうしないと世の中はよくならぬ。<br/>
9.自分でよいと思ったことはやってみよ。それで失敗したからといって、親は責めはしない。<br/>
10.人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分のえらんだ道をしっかり歩いていくことだ。</p>
<p>ここまで読んで、思わず泣けてしまった私だった。15歳の息子にこれだけのことを言って聞かせる父、それを15歳の胸に刻んで旅立ち、生涯忘れなかった息子。この部分だけでも、本書を買った“甲斐”のようなものはある気がする。</p> — <a href="http://emitemit.hatenablog.com/entry/20100622/1277188622" target="_blank">『宮本常一が見た日本』 佐野眞一 - moonshine</a> (via <a href="http://clione.tumblr.com/" class="tumblr_blog" target="_blank">clione</a>)