考えてみれば、われわれはいつだって夢うつつのようなもの、誰かに会いたい、夜はおいしいものを食べたい、いつかお金を儲けたい。そう思っているときは、まさに夢うつつにいるだけなのだ。それが思想といったって芸術といったって、結局は夢うつつの行ったり来たりなのである。思想も芸術も経済も、最初からあったわけがない。どこかで誰かが夢うつつになったのだ。<br/>
ただ、このような漠然とした考え方や見方は、世間に通用しっこないと思われてきた。「夢うつつだなんて、いいですね」と人は言うものの、そこには侮蔑や軽視やおバカさんだねえという憐憫があらわれていた。そんなことじゃ世間に通用しないよと言われつづけたものなのだ。<br/>
ところが荘子は、ちょっと待ちなさい。その夢うつつにこそ通用があると言ってみせたのである。 — <a href="http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0726.html" target="_blank">松岡正剛の千夜千冊 『荘子』荘子</a> (via <a href="http://utubo.tumblr.com/" target="_blank">utubo</a>)