<p>働くことは生活の一部のはずですが、日本の場合、「働くことの中に生活がある」といった雰囲気があり、この肥大化した働くことのイデオロギーを払拭するために、「働くってなに」というよりも、「生活するってどういうこと」という問いにしていきたい。働く以外に生活する生き方があっていいとか、そういう人が存在するという認識を広げないといけないと考えています。</p>
<p> 社会保障の話になりますが、無業者が許容されるのは、「働けない」限り、という条件付きなんです。つまり、障害者や高齢者や子どもなどで、「この人たちは働けない人たちだから、働かないことによる生存を認めましょう」ということになる。しかし、働けるのに働いていない人に対する社会の許容度は恐ろしく狭く、自己責任論が急に跳ね上がる。ワーキングプアと呼ばれる、働いているけれど生きていけない人とか、引きこもりやニートの人は、そうなった途端に「なぜなのか」と過剰に意味を探られ、分析され続ける存在になってしまう。</p> — <a href="http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-10324546631.html" target="_blank"></a><a href="http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-10324546631.html" target="_blank"></a><a href="http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-10324546631.html" target="_blank"></a><a href="http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-10324546631.html" target="_blank">http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-10324546631.html</a> (via <a href="http://yksk.tumblr.com/" target="_blank">yksk</a>) (via <a href="http://takaakik.tumblr.com/" target="_blank">takaakik</a>) (via <a href="http://cokeraita.tumblr.com/" target="_blank">cokeraita</a>)