1. 人間関係の円滑化をはかるためのアイテムとして買う必要がなくなった<br/><br/>
ぼくは特段カラオケが好きというわけではなかったが、仕事のつき合いでも、あるいはプライベートの合コンなどでも、カラオケに行く機会はよくあった。だから、そこで歌うための歌を仕込んでおく必要があった。そしてそれは、できれば流行りの歌が良かった。最新ヒットチャートを賑わしている歌を歌えば、周囲の評価が高かったからだ。だから、カラオケで歌うためのヒット曲のCDをよく買った。その頃に買ったのは、猿岩石の『白い雲のように』とか、Puffyの『アジアの純真』とかだった。しかしこれは、今はYouTubeなどの動画サイトでこと足りる。カラオケの練習のためにわざわざ1000円を払う必要がない。<br/><br/>
2. 音楽に最新情報としての価値がなくなった<br/><br/>
今気づいたのが、上記の2曲はどちらも歌詞が凄い。それは時代の空気を代弁していた。これを聞くことが、その時代を知ることだった。それは例えばこんな歌詞だ。「勝利も敗北もないまま孤独なレースは続いてく」「流れる景色を必ず毎晩見ている 家に帰ったらひたすら眠るだけだから」 しかし、今はそういう情報はネットに溢れている。まとめサイトやニコニコ動画を見ているだけで、最先端の流行は把握できてしまう。そうして音楽は、そういう流行の最先端感を味わわせてくれる文化でなくなった。<br/><br/>
3. CDを買うこと自体が格好悪い<br/><br/>
CDというのがダサ過ぎる。今時720メガの情報をこんなに大きな媒体に収めるなんて、ちょっと効率が悪すぎる。大きくて持ち運びに不便だし、何より肌触りが良くない。見た目も青魚みたいに変な色に光っていて、昔はきれいだと思った時期もあったけど、今はもう悪趣味にしか見えない。全てがダメだ。全てがダサい。CDという媒体である限り、もう音楽を消費することには宿命的に格好悪さがつきまとう。 — <a href="http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20120623/1340426744" target="_blank">音楽業界はなぜ縮小したか? - ハックルベリーに会いに行く</a> (via <a href="http://shibata616.tumblr.com/" class="tumblr_blog" target="_blank">shibata616</a>)