労働は価値を創出する。だが、価値というものは単体では存在しない。価値というのは、それに感動したり、畏怖したり、羨望したりする他の人間が登場してはじめて「価値」として認定されるからである。<br/>
ガレージにこもって基板にはんだ付けいる青年がしていることが「労働」かどうかはその時点ではわからない(短期的スパンを取れば、消費するだけである)。だが、彼の作った電子ガジェットが爆発的に売れて、気がついたら大富豪になってしまったということになると、回顧的には「あのとき彼は労働していたのだ」ということになる。<br/>
どういう行為が「働く」ことであり、どういう行為がそうでないのかは、働き始める前にはわからない。働いて何かを創り出した後に、それを「欲望する」他者が登場してきてはじめてそれは労働であったことが遡及的にわかるのである。そういうふうに労働は時間の順逆が狂ったかたちで構造化されている。 — <a href="http://blog.tatsuru.com/2009/12/16_1005.php" target="_blank">人間はどうして労働するのか (内田樹の研究室)</a> (via <a href="http://footwork.tumblr.com/" class="tumblr_blog" target="_blank">footwork</a>)