<p>いまボクには4歳と1歳の子供がいる。まったく自分では何も出来ない状態から、一人前の人間の知性が成熟するまでの全プロセスを観察してやろうと目論んでいる。だから、ボクは子供がやろうとしたことにブレーキをなるべく掛けたくない。先日も、ちょっと危なっかしい作業をやりたがったので、やらせてみた。やらせたら、できた。http://d.hatena.ne.jp/arakik10/20090222/p0</p>
<p>…「危ない」と言って止める事もできた。でも、ぼくは「やったら できた」という経験を与えられたことが嬉しかった。そして、やる前から自分の思い込みで萎縮するような人にはなって欲しくないと思っている…</p>
<p>さて、彼らが生まれて今に至るまでの行動をそれなりに観察して気がついたことは、人間の脳は「はじめから自分で物事を考えようとしている…いきあたりばったりだけど」ということだ。「脳」という言い方をするとAHAおじさんのM氏を連想しそうだけど、二足歩行制御から言語の利用まで、ありとあらゆる場面で脳は「はじめから自分で」考えている。そして成長するというプロセスが「行き当たりばったりの中から、秩序らしいものを自分で見つけ、出力していく」ということに他ならないことを、いま目の当たりにしている。そしてそのプロセスは学問のプロセスとも似た部分がある。</p>
<p>そして考えることは「習う」ことではないよ。少なくとも教師から学生へUSBメモリの中のWordファイルのように「伝達できるもの」ではない。考えるとは「学生」が自分の内側にある世界を作る能力を自分の力で再発見し、秩序化し、繰り返しデバッグするプロセスだ。その意味では「はじめからバグのないプログラム」はありえないし、「先生」はそのプロセスを経てより視界の広い地点に上がるための「デバッガ」に過ぎない。</p>
<p><br/>
だから「考える」というときに「模範解答」を条件反射的に連想して身構える態度は見ていてゾッとする。</p>
<p>そこには考えるプロセスと知的な冒険、あるいは失敗への忌避がある。</p> — <a href="http://d.hatena.ne.jp/arakik10/20090224/p1" target="_blank">いまどきの学部学生をクソだと思う一つの理由 - あらきけいすけの雑記帳</a> (via <a href="http://petapeta.tumblr.com/" target="_blank">petapeta</a>) (via <a href="http://kml.tumblr.com/" target="_blank">kml</a>) (via <a href="http://pinto.tumblr.com/" class="tumblr_blog" target="_blank">pinto</a>) (via <a href="http://gkojay.tumblr.com/" class="tumblr_blog" target="_blank">gkojay</a>)