古事記
–目次
–
古事記 中つ卷
臣
安萬侶
二
言
さく、それ混元既に凝りしかども、氣象いまだ
敦
からざりしとき、名も無く
爲
も無く、誰かその形を知らむ
三。
然
ありて乾と坤と初めて分れて、參神造化の
首
と
作
り
四、陰と陽とここに開けて、二靈群品の祖となりたまひき
五。
所以
に幽と顯と
六に出で入りて、日と月と目を洗ふに
彰
れたまひ、
海水
に浮き沈みて、神と祇と身を滌ぐに
呈
れたまひき。
故
、太素は
杳冥
たれども、本つ教に因りて
土
を
孕
み島を産みたまひし時を
識
り、元始は
綿
たれども、先の聖に
頼
りて神を生み人を立てたまひし世を
察
にす。
寔
に知る、鏡を懸け珠を吐きたまひて、百の王相續き、劒を
喫
み
蛇
を切りたまひて、萬の神
蕃息
せしことを
七。
安
の
河
に
議
りて天の下を
平
け、
小濱
に
論
ひて國土を清めたまひき。ここを以ちて
番
の
仁岐
の命、初めて
高千
の
巓
に
降
り
八、
神倭
の
天皇
九、秋津島に經歴したまひき。化熊川より出でて、天の劒を高倉に獲、生尾
徑
を
遮
きりて、大き烏吉野に導きき。
を列ねて
賊
を
攘
ひ、歌を聞きて仇を伏しき。すなはち夢に
覺
りて神祇を
敬
ひたまひき、
所以
に賢后と
稱
す
一〇。烟を望みて黎元を撫でたまひき、今に聖帝と傳ふ
一一。境を定め邦を開きて、
近
つ
淡海
に制したまひ
一二、
姓
を正し氏を撰みて、
遠
つ
飛鳥
に
勒
したまひき
一三。歩と驟と、おのもおのも異に、文と質と同じからずといへども、古を
稽
へて
風猷
を既に
頽
れたるに
繩
したまひ、今を照して典教を絶えなむとするに補ひたまはずといふこと無かりき。
一 過ぎし時代のことを傳え、歴代の天皇これによつて徳教を正しくしたことを説く。
二 この序文は、天皇に奏上する文として書かれているので、この句をはじめすべてその詞づかいがなされる。安萬侶は、太の安麻呂、古事記の撰者、養老七年(七二三)歿。
三 混元以下、中國の宇宙創生説によつて書いている。萬物は形と氣とから成る。形は天地に分かれ、氣は陰陽に分かれる。
四 アメノミナカヌシの神、タカミムスビの神、カムムスビの神の三神が、物を造り出す最初の神となつた。
五 イザナギ、イザナミの二神が、萬物を生み出す親となつた。
六 幽と顯とに以下、イザナギ、イザナミ二神の事蹟。
七 鏡を懸け以下、天照らす大神とスサノヲの命との事蹟。
八 安の河に以下、ニニギの命の事蹟。
九 神武天皇。
一〇 崇神天皇。
一一 仁徳天皇。
一二 成務天皇。
一三 允恭天皇。
飛鳥
の
清原
の大宮に
太八洲
しらしめしし天皇
二の御世に
曁
びて、潛龍元を體し、
雷期に
應
へき。夢の歌を聞きて業を
纂
がむことをおもほし、夜の水に
投
りて基を承けむことを知らしたまひき。然れども天の時いまだ
臻
らざりしかば、南の山に蝉のごとく
蛻
け、人と
事
と共に
給
りて、東の國に虎のごとく歩みたまひき。皇輿たちまちに駕して、山川を凌ぎ度り、六師雷のごとく震ひ、三軍電のごとく逝きき。
杖矛
威を擧げて、猛士烟のごとく起り、
絳旗
兵を耀かして、凶徒瓦のごとく解けぬ。いまだ
浹辰
を移さずして、
氣※
[#「さんずい+珍のつくり」、U+6CB4、15-本文-17]おのづから清まりぬ。すなはち牛を放ち馬を
息
へ、
悌
して華夏に歸り、
旌
を卷き
戈
を
め、
詠
して都邑に停まりたまひき。
歳
は大糜に
次
り、月は夾鐘に
踵
り
三、清原の大宮にして、昇りて天位に
即
きたまひき。道は軒后に
軼
ぎ、徳は周王に
跨
えたまへり。乾符を
握
りて六合を
べ、天統を得て八荒を
包
ねたまひき。二氣の正しきに乘り、五行の
序
を
齊
へ、
神
しき理を
設
けて
俗
を
奬
め、
英
れたる
風
を敷きて國を弘めたまひき。
重加
智の海は浩汗として、
潭
く上古を探り、心の鏡は
煌として、あきらかに先の代を覩たまふ。ここに天皇詔したまひしく、「朕聞かくは、諸家の
※
[#「喪」の「畏-田」に代えて「冖/貝」、U+8CF7、16-本文-7]たる帝紀と本辭
四と既に正實に違ひ、多く虚僞を加ふといへり。今の時に當りて、その失を改めずは、いまだ
幾年
を經ずして、その旨滅びなむとす。こはすなはち邦家の經緯、王化の
鴻基
なり。
故
ここに帝紀を撰録し、
舊辭
を
討覈
して、僞を削り實を定め、
後葉
に
流
へむと
欲
ふ」と宣りたまひき。時に
舍人
あり、姓は
稗田
、名は
阿禮
五、年は二十八。人となり聰明にして、目に
度
れば口に
誦
み、耳に
拂
るれば心に
勒
す。すなはち阿禮に勅語して、帝皇の
日繼
と先代の舊辭とを誦み習はしめたまひき。然れども
運
移り世異にして、いまだその事を行ひたまはざりき。
一 天武天皇が帝紀と本辭とを正して稗田の阿禮に授けたことを説く。
二 天武天皇。
三 酉の年の二月に。
四 帝紀は歴代天皇の事を記した書、本辭は前の世の傳えごと。この二種が古事記の材料となつている。
五 アメノウズメの命の子孫。男子説と女子説とがある。
伏して
惟
ふに皇帝陛下
二、一を得て
光宅
し、三に通じて
亭育
したまふ。紫宸に
御
して徳は馬の
蹄
の極まるところに
被
り、
玄扈
に
坐
して化は船の
頭
の
逮
るところを照したまふ。日浮びて
暉
を重ね、雲散りて
烟
まず。
柯
を連ね穗を
并
はす
瑞
、
史
は
書
すことを絶たず、
烽
を列ね、
譯
を重ぬる
貢
、
府
に空しき月無し。名は文命よりも高く、徳は天乙に
冠
れりと謂ひつべし。ここに舊辭の誤り
忤
へるを惜しみ、先紀の
謬
り
錯
れるを正さまくして、和銅四年
三九月十八日を以ちて、臣安萬侶に詔して、稗田の阿禮が誦める勅語の舊辭を撰録して、獻上せよと宣りたまへば、謹みて詔の旨に隨ひ、子細に採り
ひぬ。然れども上古の時、言と意と
並
朴
にして、文を敷き句を構ふること、字にはすなはち難し。
已
に訓に因りて述ぶれば、詞は心に
逮
らず。全く音を以ちて連ぬれば、事の趣更に長し。ここを以ちて今或るは一句の中に、音と訓とを交へ用ゐ、或るは一事の内に、全く訓を以ちて
録
しぬ
四。すなはち辭理の見え
きは、注を以ちて明にし、意況の解き易きは更に
注
さず
五。また姓の
日下
に、
玖沙訶
と謂ひ、名の帶の字に
多羅斯
といふ。かくの如き類は、本に隨ひて改めず
六。大抵記す所は、天地の開闢よりして、
小治田
の御世
七に
訖
ふ。
故
天
の
御中主
の神より
以下
、
日子波限建鵜草葺不合
の
尊
より
前
を上つ卷とし、
神倭伊波禮毘古
の天皇より以下、
品陀
の御世より前
八を中つ卷とし、
大雀
の
皇帝
九より以下、小治田の大宮より前を下つ卷とし、并はせて三つの卷に
録
し、謹みて
獻上
る。臣安萬侶、
誠惶誠恐
、
頓首頓首
す。
和銅五年正月二十八日
正五位の上勳五等
太
の
朝臣
安萬侶
一 古事記成立の過程、文章の用意方針。内容の區分を説く。
二 元明天皇、女帝。奈良時代の最初の天皇。
三 七一一年。
四 漢字の表示する意義によつて書くのが、訓によるものであり、漢字の表示する音韻によつて書くのが、音によるものである。歌謠および特殊の詞句は音を用い、地名神名人名も音によるものが多い。外に漢字の訓を訓假字として使つたものが多少ある。
五 讀み方の注意、および内容に關して註が加えられている。
六 固有名詞の類に使用される特殊の文字は、もとのままで改めない。これは材料として文字になつていたものをも使つたことを語る。
七 推古天皇の時代(‐六二八)
八 神武天皇から應神天皇まで。
九 仁徳天皇。
天地
の
初發
の時、
高天
の
原
に成りませる神の
名
は、
天
の
御中主
の神
一。次に
高御産巣日
の神。次に
神産巣日
の神
二。この
三柱
の神は、みな
獨神
三に成りまして、
身
を隱したまひき
四。
次に國
稚
く、
浮
かべる
脂
の如くして
水母
なす
漂
へる時に、
葦牙
五のごと
萠
え
騰
る物に因りて成りませる神の名は、
宇摩志阿斯訶備比古遲
の神
六。次に
天
の
常立
の神
七。この
二柱
の神もみな
獨神
に成りまして、
身
を隱したまひき。
上の
件
、五柱の神は
別
天
つ
神
。
次に成りませる神の名は、國の
常立
の神。次に
豐雲野
の神
八。この二柱の神も、獨神に成りまして、身を隱したまひき。次に成りませる神の名は、
宇比地邇
の神。次に
妹須比智邇
の神。次に
角杙
の神。次に
妹活杙
の神二柱。次に
意富斗能地
の神。次に
妹大斗乃辨
の神。次に
於母陀琉
の神。次に
妹
阿夜訶志古泥
の神
九。次に
伊耶那岐
の神。次に
妹
伊耶那美
の神
一〇。
上の件、國の常立の神より
下
、
伊耶那美
の神より
前
を、并はせて
神世
七代
とまをす。(上の二柱は、獨神おのもおのも一代とまをす。次に雙びます十神はおのもおのも二神を合はせて一代とまをす。)
一 中心、中央の思想の神格表現。空間の表示であるから活動を傳えない。
二 以上二神、生成の思想の神格表現。事物の存在を「生む」ことによつて説明する日本神話にあつて原動力である。タカミは高大、カムは神祕神聖の意の形容語。この二神の活動は、多く傳えられる。
三 對立でない存在。
四 天地の間に溶合した。
五 葦の芽。十分に春になつたことを感じている。
六 葦牙の神格化。神名は男性である。
七 天の確立を意味する神名。
八 名義不明。以下神名によつて、土地の成立、動植物の出現、整備等を表現するらしい。
九 驚きを表現する神名。
一〇 以上二神、誘い出す意味の表現。
ここに天つ神
諸
の
命
以
ちて
一、
伊耶那岐
の命
伊耶那美
の命の二柱の神に
詔
りたまひて、この漂へる國を
修理
め固め成せと、
天
の
沼矛
を賜ひて、
言依
さしたまひき
二。かれ二柱の神、
天
の
浮橋
三に立たして、その
沼矛
を
指
し
下
して畫きたまひ、鹽こをろこをろに畫き
鳴
して
四、引き上げたまひし時に、その矛の
末
より
滴
る鹽の積りて成れる島は、
淤能碁呂
島
五なり。その島に
天降
りまして、
天
の
御柱
を見立て
六
八尋殿
を見立てたまひき。
ここにその妹
伊耶那美
の命に問ひたまひしく、「
汝
が身はいかに成れる」と問ひたまへば、答へたまはく、「
吾
が身は成り成りて、成り合はぬところ一處あり」とまをしたまひき。ここに
伊耶那岐
の命
詔
りたまひしく、「我が身は成り成りて、成り餘れるところ一處あり。
故
この吾が身の成り餘れる處を、汝が身の成り合はぬ處に刺し
塞
ぎて、
國土
生み成さむと思ほすはいかに」とのりたまへば、
伊耶那美
の命答へたまはく、「しか善けむ」とまをしたまひき。ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「然らば
吾
と
汝
と、この天の御柱を行き
りあひて、
美斗
の
麻具波比
せむ
七」とのりたまひき。かく
期
りて、すなはち詔りたまひしく、「汝は右より
り逢へ、
我
は左より
り逢はむ」とのりたまひて、
約
り
竟
へて
りたまふ時に、伊耶那美の命まづ「あなにやし、えをとこを
八」とのりたまひ、後に伊耶那岐の命「あなにやし、え
娘子
を」とのりたまひき。おのもおのものりたまひ
竟
へて後に、その妹に
告
りたまひしく、「
女人
先立
ち言へるはふさはず」とのりたまひき。然れども
隱處
に
興
して
子
水蛭子
を生みたまひき
九。この子は
葦船
に入れて流し
去
りつ
一〇。次に
淡島
一一を生みたまひき。こも子の數に入らず。
ここに二柱の神
議
りたまひて、「今、吾が生める子ふさはず。なほうべ天つ神の
御所
に
白
さな」とのりたまひて、すなはち共に
參
ゐ上りて、天つ神の
命
を請ひたまひき。ここに天つ神の
命
以ちて、
太卜
に
卜
へて
一二のりたまひしく、「
女
の先立ち言ひしに因りてふさはず、また還り
降
りて改め言へ」とのりたまひき。
かれここに降りまして、更にその天の御柱を往き
りたまふこと、先の如くなりき。ここに
伊耶那岐
の命、まづ「あなにやし、えをとめを」とのりたまひ、後に妹
伊耶那美
の命、「あなにやし、えをとこを」とのりたまひき。かくのりたまひ竟へて、
御合
ひまして、
子
淡道
の
穗
の
狹別
の島
一三を生みたまひき。次に
伊豫
の
二名
の島
一四を生みたまひき。この島は身一つにして
面
四つあり。面ごとに名あり。かれ伊豫の國を
愛比賣
といひ、
讚岐
の國を
飯依比古
といひ、
粟
の國を、
大宜都比賣
といひ、
土左
の國を
建依別
といふ。次に
隱岐
の
三子
の島を生みたまひき。またの名は
天
の
忍許呂別
。次に
筑紫
の島を生みたまひき。この島も身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。かれ筑紫の國
一五を
白日別
といひ、
豐
の
國
を
豐日別
といひ、
肥
の
國
を
建日向日豐久士比泥別
一六といひ、
熊曾
の國
一七を
建日別
といふ。次に
伊岐
の島を生みたまひき。またの名は
天比登都柱
といふ。次に
津島
一八を生みたまひき。またの名は
天
の
狹手依比賣
といふ。次に
佐渡
の島を生みたまひき。次に
大倭豐秋津
島
一九を生みたまひき。またの名は
天
つ
御虚空豐秋津根別
といふ。かれこの八島のまづ生まれしに因りて、
大八島
國といふ。
然ありて後還ります時に、
吉備
の
兒島
を生みたまひき。またの名は
建日方別
といふ。次に
小豆島
を生みたまひき。またの名は
大野手比賣
といふ。次に
大島
二〇を生みたまひき。またの名は
大多麻流別
といふ。次に
女島
二一を生みたまひき。またの名は
天一根
といふ。次に
知訶
の島
二二を生みたまひき。またの名は
天
の
忍男
といふ。次に
兩兒
の島
二三を生みたまひき。またの名は
天
の
兩屋
といふ。(吉備の兒島より天の兩屋の島まで并はせて六島。)
一 天神の命によつて若い神が降下するのは日本神話の基礎形式の一。祭典の思想に根據を有している。
二 りつぱな矛を賜わつて命を下した。
三 天からの通路である空中の階段。
四 海水をゴロゴロとかきまわして。
五 大阪灣内にある島。今の何島か不明。
六 家屋の中心となる神聖な柱を立てた。
七 結婚しよう。
八 アナニヤシ、感動の表示。エヲトコヲ、愛すべき男だ。ヲは感動の助詞。
九 ヒルのようなよくないものが、不合理な婚姻によつて生まれたとする。
一〇 蟲送りの行事。
一一 四國の阿波の方面の名。この部分は阿波方面に對してわるい感情を表示する。
一二 古代の占法は種々あるが、鹿の肩骨を燒いてヒビの入り方によつて占なうのを重んじ、これをフトマニといつた。これは後に龜の甲を燒くことに變わつた。
一三 淡路島の別名。ワケは若い者の義。
一四 四國の稱。伊豫の方面からいう。
一五 北九州。
一六 誤傳があるのだろう。肥の國(肥前肥後)の外に、日向の別名があげられているのだろうというが、日向を入れると五國になつて、面四つありというのに合わない。
一七 クマ(肥後南部)とソ(薩摩)とを合わせた名。
一八 對馬島。
一九 本州。
二〇 山口縣の屋代島だろう。
二一 大分縣の姫島だろう。
二二 長崎縣の五島。
二三 所在不明。
既に國を生み
竟
へて、更に神を生みたまひき。かれ生みたまふ神の名は、
大事忍男
の神。次に
石土毘古
の神を生みたまひ、次に
石巣比賣
の神を生みたまひ、次に
大戸日別
の神を生みたまひ、次に
天
の
吹男
の神を生みたまひ、次に
大屋毘古
の神を生みたまひ
一、次に
風木津別
の
忍男
の神
二を生みたまひ、次に
海
の神名は
大綿津見
の神を生みたまひ、次に
水戸
の神
三名は
速秋津日子
の神、次に妹
速秋津比賣
の神を生みたまひき。(大事忍男の神より秋津比賣の神まで并はせて十神。)
この
速秋津日子
、
速秋津比賣
の
二神
、河海によりて持ち別けて生みたまふ神の名
四は、
沫那藝
の神。次に
沫那美
の神。次に
頬那藝
の神。次に
頬那美
の神。次に
天
の
水分
の神。次に
國
の
水分
の神。次に
天
の
久比奢母智
の神、次に
國
の
久比奢母智
の神。(沫那藝の神より國の久比奢母智の神まで并はせて八神。)
次に風の神名は
志那都比古
の神
五を生みたまひ、次に木の神名は
久久能智
の神
六を生みたまひ、次に山の神名は
大山津見
の神を生みたまひ、次に野の神名は
鹿屋野比賣
の神を生みたまひき。またの名は
野椎
の神といふ。(志那都比古の神より野椎まで并はせて四神。)
この大山津見の神、野椎の神の
二神
、山野によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、天の
狹土
の神。次に國の狹土の神。次に天の
狹霧
の神。次に國の狹霧の神。次に天の
闇戸
の神。次に國の闇戸の神。次に
大戸或子
の神。次に
大戸或女
の神
七。(天の狹土の神より大戸或女の神まで并はせて八神。)
次に生みたまふ神の名は、鳥の
石楠船
の神
八、またの名は天の
鳥船
といふ。次に
大宜都比賣
の神
九を生みたまひ、次に
火
の
夜藝速男
の神を生みたまひき。またの名は
火
の
毘古
の神といひ、またの名は
火
の
迦具土
の神といふ。この子を生みたまひしによりて、
御陰
やかえて
病
み
臥
せり。たぐり
一〇に
生
りませる神の名は
金山毘古
の神。次に
金山毘賣
の神。次に
屎
に成りませる神の名は、
波邇夜須毘古
の神。次に
波邇夜須毘賣
の神
一一。次に
尿
に成りませる神の名は
彌都波能賣
の神
一二。次に
和久産巣日
の神
一三。この神の子は
豐宇氣毘賣
の神
一四といふ。かれ
伊耶那美
の神は、火の神を生みたまひしに因りて、遂に
神避
りたまひき。(天の鳥船より豐宇氣毘賣の神まで并はせて八神。)およそ
伊耶那岐
伊耶那美の二神、共に生みたまふ島
壹拾
四島
、神
參拾
五神
一五。(こは伊耶那美の神、いまだ神避りまさざりし前に生みたまひき。ただ意能碁呂島は生みたまへるにあらず、また蛭子と淡島とは子の例に入らず。)
一 以上の神の系列は、家屋の成立を語るものと解せられる。
二 風に對して堪えることを意味するらしい。
三 河口など、海に對する出入口の神。
四 海と河とで分擔して生んだ神。以下水に關する神。アワナギ、アワナミは、動く水の男女の神、ツラナギ、ツラナミは、靜水の男女の神。ミクマリは、水の配分。クヒザモチは水を汲む道具。
五 息の長い男の義。
六 木の間を潛る男の義。
七 山の神と野の神とが生んだ諸神の系列は、山野に霧がかかつて迷うことを表現する。
八 鳥の如く早く輕く行くところの、石のように堅いクスノキの船。
九 穀物の神。この神に關する神話が三五頁
[#「三五頁」は「須佐の男の神」の「穀物の種」]にある。
一〇 吐瀉物。以下排泄物によつて生まれた神は、火を防ぐ力のある神である。
一一 埴土の男女の神。
一二 水の神。
一三 若い生産力の神。
一四 これも穀物の神。以上の神の系列は、野を燒いて耕作する生活を語る。
一五 實數四十神だが、男女一對の神を一として數えれば三十五になる。
かれここに伊耶那岐の命の
詔
りたまはく、「
愛
しき
我
が
汝妹
の命を、子の
一木
に
易
へつるかも」とのりたまひて、
御枕方
に
匍匐
ひ
御足方
に匍匐ひて、
哭
きたまふ時に、御涙に成りませる神は、
香山
一の
畝尾
二の木のもとにます、名は
泣澤女
の神
三。かれその神避りたまひし伊耶那美の神は、出雲の國と
伯伎
の國との堺なる
比婆
の山
四に
葬
めまつりき。ここに伊耶那岐の命、
御佩
の
十拳
の劒
五を拔きて、その子
迦具土
の神の
頸
を斬りたまひき。ここにその
御刀
の
前
に著ける血、
湯津石村
六に
走
りつきて成りませる神の名は、
石拆
の神。次に
根拆
の神。次に
石筒
の
男
の神。次に御刀の本に著ける血も、湯津石村に走りつきて成りませる神の名は、
甕速日
の神。次に
樋速日
の神。次に
建御雷
の
男
の神。またの名は
建布都
の神、またの名は
豐布都
の神三神。次に御刀の
手上
に集まる血、
手俣
より
漏
き
出
て成りませる神の名は、
闇淤加美
の神。次に
闇御津羽
の神。(上の件、石拆の神より下、闇御津羽の神より前、并はせて八神は、御刀に因りて生りませる神なり。)
殺さえたまひし
迦具土
の神の頭に成りませる神の名は、
正鹿山津見
の神
七。次に胸に成りませる神の名は、
淤縢山津見
の神。次に腹に成りませる神の名は、
奧山津見
の神。次に
陰
に成りませる神の名は、
闇山津見
の神。次に左の手に成りませる神の名は、
志藝山津見
の神。次に右の手に成りませる神の名は、
羽山津美
の神。次に左の足に成りませる神の名は、
原山津見
の神。次に右の足に成りませる神の名は、
戸山津見
の神。(正鹿山津見の神より戸山津見の神まで并はせて八神。)かれ斬りたまへる刀の名は、天の
尾羽張
といひ
八、またの名は
伊都
の尾羽張といふ。
ここにその妹伊耶那美の命を相見まくおもほして、
黄泉國
九に追ひ
往
でましき。ここに
殿
の
縢
戸
一〇より出で向へたまふ時に、伊耶那岐の命語らひて詔りたまひしく、「
愛
しき
我
が
汝妹
の命、吾と汝と作れる國、いまだ作り
竟
へずあれば、還りまさね」と詔りたまひき。ここに伊耶那美の命の答へたまはく、「
悔
しかも、
速
く來まさず。吾は
黄泉戸喫
一一しつ。然れども愛しき我が
汝兄
の命、入り來ませること
恐
し。かれ還りなむを。しまらく
黄泉神
と
論
はむ。我をな視たまひそ」と、かく白して、その
殿内
に還り入りませるほど、いと久しくて待ちかねたまひき。かれ左の
御髻
に刺させる
湯津爪櫛
一二の男柱
一箇
取り
闕
きて、
一
つ
火
燭
して入り見たまふ時に、
蛆
たかれころろぎて
一三、頭には
大雷
居り、胸には
火
の雷居り、腹には黒雷居り、
陰
には
拆
雷居り、左の手には
若
雷居り、右の手には
土
雷居り、左の足には
鳴
雷居り、右の足には
伏
雷居り、并はせて八くさの雷神成り居りき。
ここに伊耶那岐の命、
見
畏
みて逃げ還りたまふ時に、その妹伊耶那美の命、「吾に
辱
見せつ」と言ひて、すなはち
黄泉醜女
一四を遣して追はしめき。ここに伊耶那岐の命、
黒御鬘
一五を投げ
棄
てたまひしかば、すなはち
蒲子
一六
生
りき。こを
ひ
食
む間に逃げ
行
でますを、なほ追ひしかば、またその右の御髻に刺させる湯津爪櫛を引き闕きて投げ
棄
てたまへば、すなはち
笋
一七
生
りき。こを拔き
食
む間に、逃げ行でましき。また後にはかの八くさの雷神に、
千五百
の
黄泉軍
を
副
へて追はしめき。ここに
御佩
の
十拳
の劒を拔きて、
後手
に
振
きつつ逃げ來ませるを、なほ追ひて
黄泉比良坂
一八の坂本に到る時に、その坂本なる
桃
の
子
三つをとりて持ち撃ちたまひしかば、悉に逃げ返りき。ここに伊耶那岐の命、
桃
の
子
に
告
りたまはく、「
汝
、吾を助けしがごと、葦原の中つ國にあらゆる
現
しき青人草
一九の、
苦
き瀬に落ちて、
患惚
まむ時に助けてよ」とのりたまひて、
意富加牟豆美
の命といふ名を賜ひき。
最後
にその妹伊耶那美の命、
身
みづから追ひ來ましき。ここに千引の
石
をその
黄泉比良坂
に引き
塞
へて、その石を中に置きて、おのもおのも
對
き立たして、
事戸
を
度
す時
二〇に、伊耶那美の命のりたまはく、「
愛
しき
我
が
汝兄
の命、かくしたまはば、
汝
の國の人草、
一日
に
千頭
絞
り殺さむ」とのりたまひき。ここに伊耶那岐の命、詔りたまはく、「愛しき我が
汝妹
の命、
汝
然したまはば、
吾
は一日に
千五百
の
産屋
を立てむ」とのりたまひき。ここを以ちて一日にかならず
千人
死に、一日にかならず千五百人なも生まるる。
かれその伊耶那美の命に
號
けて
黄泉津
大神といふ。またその追ひ
及
きしをもちて、
道敷
の大神
二一ともいへり。またその
黄泉
の坂に
塞
れる石は、
道反
の大神ともいひ、
塞
へます
黄泉戸
の大神ともいふ。かれそのいはゆる
黄泉比良坂
は、今、出雲の國の
伊賦夜
坂
二二といふ。
一 奈良縣磯城郡の天の香具山。神話に實在の地名が出る場合は、大抵その神話の傳えられている地方を語る。
二 うねりのある地形の高み。
三 香具山の麓にあつた埴安の池の水神。泣澤の森そのものを神體としている。
四 廣島縣比婆郡に傳説地がある。
五 十つかみある長い劒。
六 神聖な岩石。以下神の系列によつて鐵鑛を火力で處理して刀劒を得ることを語る。イハサクの神からイハヅツノヲの神まで岩石の神靈。ミカハヤビ、ヒハヤビは火力。タケミカヅチノヲは劒の威力。クラオカミ、クラミツハは水の神靈。クラは溪谷。御刀の手上は、劒のつか。タケミカヅチノヲは五六頁
[#「五六頁」は「天照らす大御神と大國主の神」の「國讓り」]、七四頁[#「七四頁」は「神武天皇」の「熊野より大和へ」]に神話がある。
七 以下各種の山の神。
八 幅の廣い劒の義。水の神と解せられ、五六頁
[#「五六頁」は「天照らす大御神と大國主の神」の「國讓り」]に神話がある。別名のイツは、威力の意。
九 地下にありとされる空想上の世界。黄泉の文字は漢文から來る。
一〇 宮殿の閉してある戸。殿の騰戸とする傳えもある。
一一 黄泉の國の火で作つた食物を食つたので黄泉の人となつてしまつた。同一の火による團結の思想である。
一二 髮を左右に分けて耳の邊で輪にする。それにさした神聖な櫛。櫛は竹で作り魔よけとして女がさしてくれる。
一三 蛆がわいてゴロゴロ鳴つて。トロロギテとする傳えがあるが誤り。
一四 黄泉の國の見にくいばけものの女。
一五 植物を輪にして魔よけとして髮の上にのせる。
一六 山葡萄。
一七 筍。
一八 黄泉の國の入口にある坂。黄泉の國に向つて下る。墳墓の構造から來ている。
一九 現實にある人間。
二〇 日本書紀には絶妻の誓とある。言葉で戸を立てる。別れの言葉をいう。
二一 道路を追いかける神。
二二 島根縣八束郡。
ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、「
吾
はいな
醜
め醜めき
穢
き國
一に到りてありけり。かれ吾は
御身
の
禊
せむ」とのりたまひて、
竺紫
の
日向
の橘の
小門
の
阿波岐
原
二に到りまして、
禊
ぎ
祓
へたまひき。かれ投げ
棄
つる御杖に成りませる神の名は、
衝
き
立
つ
船戸
の神
三。次に投げ棄つる御帶に成りませる神の名は、
道
の
長乳齒
の神
四。次に投げ棄つる
御嚢
に成りませる神の名は、
時量師
の神
五。次に投げ棄つる御
衣
に成りませる神の名は、
煩累
の
大人
の神
六。次に投げ棄つる御
褌
に成りませる神の名は、
道俣
の神
七。次に投げ棄つる
御冠
に成りませる神の名は、
飽咋
の
大人
の神
八。次に投げ棄つる左の御手の
手纏
に成りませる神の名は、
奧疎
の神
九。次に
奧津那藝佐毘古
の神。次に奧津
甲斐辨羅
の神。次に投げ棄つる右の御手の手纏に成りませる神の名は、
邊疎
の神。次に
邊津那藝佐毘古
の神。次に
邊津甲斐辨羅
の神。
右の
件
、
船戸
の神より下、邊津甲斐辨羅の神より前、
十二神
は、身に
著
けたる物を脱ぎうてたまひしに因りて、
生
りませる神なり。
ここに詔りたまはく、「
上
つ
瀬
は瀬速し、
下
つ瀬は弱し」と
詔
りたまひて、初めて
中
つ瀬に
降
り
潛
きて、滌ぎたまふ時に、成りませる神の名は、
八十禍津日
の神
一〇。次に
大禍津日
の神。この
二神
は、かの穢き
繁
き國に到りたまひし時の、
汚垢
によりて成りませる神なり。次にその
禍
を直さむとして成りませる神の名は、
神直毘
の神。次に
大直毘
の神
一一。次に
伊豆能賣
一二。次に
水底
に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、
底津綿津見
の神
一三。次に
底筒
の
男
の命。中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、
中津綿津見
の神。次に
中筒
の
男
の命。水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、
上津綿津見
の神。次に
上筒
の
男
の命。この三柱の綿津見の神は、
阿曇
の
連
等が
祖神
と
齋
く神なり。かれ阿曇の連等は、その綿津見の神の子
宇都志日金拆
の命の
子孫
なり。その底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命三柱の神は、
墨
の
江
の三前の大神
一四なり。
ここに左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、
天照
らす
大御神
。次に右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、
月讀
の命
一五。次に御鼻を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、
建速須佐
の
男
の命
一六。
右の件、
八十禍津日
の神より下、
速須佐
の
男
の命より前、十柱の神
一七は、御身を滌ぎたまひしに因りて
生
れませる神なり。
この時伊耶那岐の命
大
く歡ばして詔りたまひしく、「吾は子を生み生みて、生みの
終
に、三柱の
貴子
を得たり」と詔りたまひて、すなはちその
御頸珠
の玉の緒ももゆらに取りゆらかして
一八、天照らす大御神に賜ひて詔りたまはく、「汝が命は高天の原を知らせ」と、
言依
さして賜ひき。かれその御頸珠の名を、
御倉板擧
の神
一九といふ。次に月讀の命に詔りたまはく、「汝が命は
夜
の
食
國
二〇を知らせ」と、言依さしたまひき。次に
建速須佐
の
男
の命に詔りたまはく、「汝が命は海原を知らせ」と、言依さしたまひき。
かれおのもおのもよさし賜へる命のまにま知らしめす中に、速須佐の男の命、依さしたまへる國を知らさずて、
八拳須
心前
に至るまで、啼きいさちき
二一。その泣く
状
は、青山は枯山なす泣き枯らし
河海
は
悉
に泣き
乾
しき。ここを以ちて
惡
ぶる神の音なひ
二二、
狹蠅
なす皆
滿
ち、萬の物の
妖
悉に
發
りき。かれ伊耶那岐の大御神、速須佐の男の命に詔りたまはく、「何とかも
汝
は言依させる國を
治
らさずて、哭きいさちる」とのりたまへば、答へ白さく、「
僕
は
妣
の國
根
の
堅洲
國
二三に罷らむとおもふがからに哭く」とまをしたまひき。ここに伊耶那岐の大御神、
大
く忿らして詔りたまはく、「然らば汝はこの國にはな
住
まりそ」と詔りたまひて、すなはち
神逐
ひに
逐
ひたまひき
二四。かれその伊耶那岐の大神は、淡路の
多賀
二五にまします。
一 大變見にくいきたない世界。
二 九州の諸地方に傳説地があるが不明。アハギは樹名だろうが不明。日本書紀に檍原と書く。
三 道路に立つて惡魔の來るのを追い返す神。柱の形であるから杖によつて成つたという。
四 道路の長さの神。道路そのものに威力ありとする思想。
五 時置師の神とも傳える。時間のかかる意であろう。
六 疲勞の神靈。
七 二股になつている道路の神。
八 口をあけて食う神靈。魔物をである。
九 以下は禊をする土地の説明。
一〇 災禍の神靈。
一一 災禍を拂つてよくする思想の神格化。曲つたものをまつすぐにするという形で表現している。
一二 威力のある女。巫女である。
一三 以下六神、海の神。安曇系と住吉系と二種の神話の混合。
一四 住吉神社の祭神。西方の海岸にこの神の信仰がある。
一五 月の神、男神。日本書紀にはこの神が
保食
の神(穀物の神)を殺す神話がある。
一六 暴風の神であり出雲系の英雄でもある。
一七 實數十四神。イヅノメと海神の一組三神とを除けば十神になる。
一八 頸にかけた珠の緒もゆらゆらとゆり鳴らして。
一九 棚の上に安置してある神靈の義。
二〇 夜の領國。神話は傳わらない。
二一 長い髯が胸元までのびるまで泣きわめいた。以下暴風の性質にもとづく敍述。
二二 亂暴な神の物音。暴風のさわぎ。
二三 死んだ母の國。イザナミの神の行つている黄泉の國である地下の堅い土の世界。暴風がみずから地下へ行こうと言つたとする。
二四 神が追い拂つた。暴風を父の神が放逐したとする思想。
二五 眞福寺本には淡海の多賀とする。イザナギの命の信仰は、淡路方面にひろがつていた。
かれここに速須佐の男の命、
言
したまはく、「然らば天照らす大御神にまをして罷りなむ」と
言
して、天にまゐ上りたまふ時に、山川悉に
動
み國土皆
震
りき
一。ここに天照らす大御神聞き驚かして、詔りたまはく、「我が
汝兄
の命の上り來ます
由
は、かならず
善
しき心ならじ。我が國を奪はむとおもほさくのみ」と詔りたまひて、すなはち
御髮
を解きて、
御髻
に纏かして
二、左右の御髻にも、御
鬘
にも、左右の御手にも、みな
八尺
の
勾
の
五百津
の
御統
の珠
三を纏き持たして、
背
には
千入
の
靫
四を負ひ、
平
五には
五百入
の
靫
を附け、また
臂
には
稜威
の
高鞆
六を取り佩ばして、
弓腹
振り立てて、堅庭は
向股
に蹈みなづみ、沫雪なす
蹶
ゑ
散
して、稜威の
男建
七、蹈み
建
びて、待ち問ひたまひしく、「何とかも上り來ませる」と問ひたまひき。ここに速須佐の男の命答へ白したまはく、「
僕
は
邪
き心無し。ただ大御神の命もちて、僕が哭きいさちる事を問ひたまひければ、白しつらく、僕は
妣
の國に
往
なむとおもひて哭くとまをししかば、ここに大御神
汝
はこの國にな
住
まりそと詔りたまひて、
神逐
ひ逐ひ賜ふ。かれ罷りなむとする
状
をまをさむとおもひて參ゐ上りつらくのみ。
異
しき心無し」とまをしたまひき。ここに天照らす大御神詔りたまはく、「然らば
汝
の心の
清明
きはいかにして知らむ」とのりたまひしかば、ここに速須佐の男の命答へたまはく、「おのもおのも
誓
ひて子生まむ
八」とまをしたまひき。かれここにおのもおのも天の安の河
九を中に置きて
誓
ふ時に、天照らす大御神まづ建速須佐の男の命の
佩
かせる
十拳
の
劒
を乞ひ
度
して、
三段
に打ち折りて、ぬなとももゆらに
一〇、
天
の
眞名井
一一に振り滌ぎて、さ
齧
みに
齧
みて、吹き棄つる
氣吹
の
狹霧
に成りませる神の御名
一二は、
多紀理毘賣
の命、またの御名は
奧津島比賣
の命といふ。次に
市寸島比賣
の命、またの御名は
狹依毘賣
の命といふ。次に
多岐都比賣
の命
一三三柱。速須佐の男の命、天照らす大御神の左の
御髻
に
纏
かせる
八尺
の
勾珠
の
五百津
の
御統
の珠を乞ひ度して、ぬなとももゆらに、
天
の眞名井に振り滌ぎて、さ齧みに齧みて、吹き棄つる氣吹の狹霧に成りませる神の御名は、
正勝吾勝勝速日
天
の
忍穗耳
の命
一四。また右の御髻に纏かせる珠を乞ひ度して、さ齧みに齧みて、吹き棄つる氣吹の狹霧に成りませる神の御名は、天の
菩卑
の命
一五。また
御鬘
に纏かせる珠を乞ひ度して、さ齧みに齧みて、吹き棄つる氣吹の狹霧に成りませる神の御名は、
天津日子根
の命
一六。また左の御手に
纏
かせる珠を乞ひ度して、さ齧みに齧みて、吹き棄つる氣吹の狹霧に成りませる神の御名は、
活津日子根
の命。また右の御手に纏かせる珠を乞ひ度して、さ齧みに齧みて、吹き棄つる氣吹の狹霧に成りませる神の御名は、
熊野久須毘
の命
一七(并はせて五柱。)
ここに天照らす大御神、
速須佐
の男の命に
告
りたまはく、「この後に
生
れませる五柱の
男子
は、
物實
我が物に因りて成りませり。かれおのづから吾が子なり。先に生れませる三柱の
女子
は、物實
汝
の物に因りて成りませり。かれすなはち汝の子なり」と、かく
詔
り別けたまひき。
かれその先に生れませる神、
多紀理毘賣
の命は、
※形
[#「匈/(胃-田)」、U+80F7、32-本文-2]の
奧津
宮
一八にます。次に
市寸島比賣
の命は※[#「匈/(胃-田)」、U+80F7、32-本文-3]形の
中津
宮にます
一九。次に
田寸津比賣
の命は、※[#「匈/(胃-田)」、U+80F7、32-本文-3]形の
邊津
宮にます。この三柱の神は、※[#「匈/(胃-田)」、U+80F7、32-本文-4]形の君等がもち
齋
く
三前
の大神なり。
かれこの後に
生
れませる五柱の子の中に、天の
菩比
の命の子
建比良鳥
の命、こは出雲の國の
造
、
无耶志
の國の造、
上
つ
菟上
の國の造、
下
つ
菟上
の國の造、
伊自牟
の國の造、
津島
の
縣
の
直
、
遠江
の國の造等が
祖
なり。次に
天津日子根
の命は、
凡川内
の國の造、
額田部
の
湯坐
の
連
、
木
の國の造、
倭
の田中の
直
、
山代
の國の造、
馬來田
の國の造、
道
の
尻岐閇
の國の造、
周芳
の國の造、
倭
の
淹知
の
造
、
高市
の
縣主
、
蒲生
の
稻寸
、
三枝部
の造等が祖なり。
一 暴風の襲來する有樣で、歴史的には出雲族の襲來を語る。
二 男裝される。
三 大きな曲玉の澤山を緒に貫いたもの。曲玉は、玉の威力の發動の思想を表示する。
四 千本の矢を入れて背負う武具。
五 胸のたいらな所。
六 威勢のよい音のする鞆。トモは皮で球形に作り左の手にはめて弓を引いた時にそれに當つて音が立つようにする武具。
七 威勢のよい叫び。
八 神に誓つて神意を伺う儀式。種々の方法があり夢が多く使われる。ここは生まれた子の男女の別によつて神意を伺う。
九 高天の原にありとする川。滋賀縣の
野洲
川だともいう。明日香川の古名か。
一〇 玉の音もさやかに。
一一 神聖な水の井。
一二 以上の行爲は、身を清めるために行う。劒を振つて水を清めてその水を口に含んで吐く霧の中に神靈が出現するとする。以下は劒が玉に變つているだけ。
一三 以上の三女神は福岡縣の
宗像
神社の神。
一四 皇室の御祖先と傳える。
一五 出雲氏等の祖先。
一六 主として近畿地方に居住した諸氏の祖先。各種の系統の祖先が、この行事によつて出現したとするのは民族が同一祖から出たとする思想である。
一七 出雲の國の熊野神社の神。
一八 福岡縣の海上日本海の沖の島にある。
一九 福岡縣の海上大島にある。
ここに速須佐の男の命、天照らす大御神に白したまひしく、「我が心
清明
ければ我が生める子
手弱女
を得つ
一。これに因りて言はば、おのづから我勝ちぬ」といひて、勝さび
二に天照らす大御神の
營田
の
畔
離ち、その溝
埋
み、またその大
嘗
聞しめす殿に
屎
まり散らしき
三。かれ然すれども、天照らす大御神は咎めずて告りたまはく、「
屎
なすは
醉
ひて吐き散らすとこそ我が
汝兄
の命かくしつれ。また田の
畔
離ち溝
埋
むは、
地
を
惜
しとこそ我が
汝兄
の命かくしつれ」と詔り直したまへども、なほその
惡
ぶる
態
止まずてうたてあり。天照らす大御神の
忌服屋
四にましまして
神御衣
織らしめたまふ時に、その
服屋
の
頂
を穿ちて、天の
斑馬
を
逆剥
ぎに剥ぎて墮し入るる
五時に、天の
衣織女
見驚きて
梭
六に
陰上
を衝きて死にき。かれここに天照らす大御神
見
畏
みて、天の
石屋戸
七を開きてさし
隱
りましき。ここに
高天
の原皆暗く、
葦原
の中つ國悉に闇し。これに因りて、
常夜
往く
八。ここに
萬
の神の
聲
は、さ
蠅
なす滿ち、萬の
妖
悉に
發
りき。ここを以ちて八百萬の神、天の安の河原に
神集
ひ
集
ひて、
高御産巣日
の神の子
思金
の神
九に思はしめて、
常世
の
長鳴
鳥
一〇を
集
へて鳴かしめて、天の安の河の河上の天の
堅石
を取り、天の
金山
の
鐵
を取りて、
鍛人
天津麻羅
を
求
ぎて、
伊斯許理度賣
の命に
科
せて、鏡を作らしめ、玉の
祖
の命に科せて八尺の
勾
の
五百津
の
御統
の珠を作らしめて天の
兒屋
の命
布刀玉
の命を
召
びて、天の
香山
の
眞男鹿
の肩を
内拔
きに拔きて
一一、天の香山の天の
波波迦
一二を取りて、
占合
まかなはしめて
一三、天の香山の五百津の
眞賢木
を
根掘
じにこじて
一四、
上枝
に八尺の勾
の五百津の御統の玉を取り
著
け、中つ枝に
八尺
の鏡を取り
繋
け、
下枝
に
白和幣
青和幣
を取り
垂
でて
一五、この
種種
の物は、布刀玉の命
太御幣
と取り持ちて、天の兒屋の命
太祝詞
言祷
ぎ白して、天の
手力男
の神
一六、戸の
掖
に隱り立ちて、天の
宇受賣
の命、天の香山の天の
日影
を
手次
に
繋
けて、天の
眞拆
を
鬘
として
一七、天の香山の
小竹葉
を
手草
に結ひて
一八、天の
石屋戸
に
覆槽
伏せて
一九蹈みとどろこし、
神懸
りして、
※乳
[#「匈/(胃-田)」、U+80F7、34-本文-3]を掛き出で、
裳
の
緒
を
陰
に押し垂りき。ここに高天の原
動
みて八百萬の神共に
咲
ひき。
ここに天照らす大御神
怪
しとおもほして、天の石屋戸を
細
に開きて内より
告
りたまはく、「
吾
が
隱
りますに因りて、天の原おのづから
闇
く、葦原の中つ國も皆闇けむと思ふを、
何
とかも天の
宇受賣
は
樂
し、また八百萬の神
諸
咲
ふ」とのりたまひき。ここに天の宇受賣白さく、「
汝命
に
勝
りて
貴
き神いますが故に、
歡喜
び
咲
ひ
樂
ぶ」と白しき。かく言ふ間に、天の兒屋の命、布刀玉の命、その鏡をさし出でて、天照らす大御神に見せまつる時に、天照らす大御神いよよ
奇
しと思ほして、やや戸より出でて臨みます時に、その
隱
り立てる手力男の神、その御手を取りて引き出だしまつりき。すなはち布刀玉の命、
尻久米
繩
二〇をその
御後方
に
控
き度して白さく、「ここより内にな還り入りたまひそ」とまをしき。かれ天照らす大御神の出でます時に、高天の原と葦原の中つ國とおのづから照り明りき。ここに八百萬の神共に
議
りて、速須佐の男の命に
千座
の
置戸
を負せ
二一、また
鬚
と手足の爪とを切り、祓へしめて、
神逐
ひ逐ひき。
一 自分が清らかだから女子を得たとする。日本書紀では反對に、男子が生まれたらスサノヲの命が潔白であるとしている。古事記の神話が女子によつて語られたとする證明になるところ。オシホミミの命の出現によつて勝つたとするのが原形だろう。
二 勝にまかせて。
三 田の畦を破り溝を埋め、また御食事をなされる宮殿に不淨の物をまき散らすので、皆暴風の災害である。
四 清淨な機おり場。
五 これも暴風の災害。
六 機おる時に横絲を卷いて縱絲の中をくぐらせる道具。
七 イハは堅固である意を現すためにつけていう。墳墓の入口の石の戸とする説もある。
八 永久の夜が續く。
九 思慮智惠の神格化。
一〇 鷄。常世は、恒久の世界の義で、空想上の世界から轉じて海外をいう。
一一 香具山の鹿の肩の骨をそつくり拔いて。
一二 樹名、カバノキ。これで鹿骨を燒く。
一三 占いをし適合させて。卜占によつて祭の實行方法を定める。
一四 香具山の繁つた木を根と共に掘つて。マサカキは繁つた常緑木で、今いうツバキ科の樹名サカキに限らない。神聖な清淨な木を引く意味で、山から採つてくる。
一五 サカキに玉と鏡と麻楮をつけるのは、神靈を招く意の行事で、他の例では劒をもつける。シラニギテはコウゾ、アヲニギテはアサ。
一六 力の神格。
一七 ヒカゲカズラを
手次
にかけ、マサキノカズラをカヅラにする。神がかりをするための用意。
一八 小竹の葉をつけて手で持つ。
一九 中のうつろの箱のようなものを伏せて。
二〇 シメ繩。出入禁止の意の表示。
二一 罪を犯した者に多くの物を出させる。
また
食物
を
大氣都比賣
の神に乞ひたまひき。ここに大氣都比賣、鼻口また尻より、種種の
味物
二を取り出でて、種種作り具へて
進
る時に、速須佐の男の命、その
態
を立ち伺ひて、
穢汚
くして奉るとおもほして、その
大宜津比賣
の神を殺したまひき。かれ殺さえましし神の身に
生
れる物は、頭に
蠶
生り、二つの目に
稻種
生り、二つの耳に粟生り、鼻に
小豆
生り、
陰
に麥生り、尻に
大豆
生りき。かれここに
神産巣日
御祖
の命、こを取らしめて、種と成したまひき。
一 この一節は插入神話である。文章が前の章からよく接續しないことに注意。オホゲツヒメは穀物の女神。既出。
二 うまい物。
かれ
避追
えて、出雲の國の肥の河上、名は
鳥髮
といふ
地
一に
降
りましき。この時に、箸その河ゆ流れ下りき。ここに須佐の男の命、その河上に人ありとおもほして、
求
ぎ上り往でまししかば、
老夫
と
老女
と二人ありて、
童女
を中に置きて泣く。ここに「汝たちは誰そ」と問ひたまひき。かれその老夫、答へて
言
さく「
僕
は國つ神
大山津見
の神の子なり。僕が名は
足名椎
といひ
妻
が名は
手名椎
といひ、
女
が名は
櫛名田比賣
二といふ」とまをしき。また「汝の哭く故は何ぞ」と問ひたまひしかば、答へ白さく「我が女はもとより八
稚女
ありき。ここに
高志
の
八俣
の
大蛇
三、年ごとに來て
喫
ふ。今その來べき時なれば泣く」とまをしき。ここに「その形はいかに」と問ひたまひしかば、「そが目は赤かがち
四の如くにして身一つに八つの
頭
八つの尾あり。またその身に
蘿
また
檜榲
生ひ、その
長
谷
八谷
峽
八
尾
を度り
五て、その腹を見れば、悉に常に
血
垂り
六
爛
れたり」とまをしき。(ここに赤かがちと云へるは、今の酸醤なり[#「酸醤なり」はママ]。)ここに速須佐の男の命、その老夫に詔りたまはく、「これ
汝
が女ならば、吾に奉らむや」と詔りたまひしかば、「恐けれど御名を知らず」と答へまをしき。ここに答へて詔りたまはく、「吾は天照らす大御神の
弟
なり。かれ今天より降りましつ」とのりたまひき。ここに
足名椎
手名椎
の神、「然まさば
恐
し、奉らむ」とまをしき。
ここに速須佐の男の命、その
童女
を
湯津爪櫛
に取らして、
御髻
に刺さして
七、その足名椎、手名椎の神に告りたまはく、「
汝等
、
八鹽折
の酒を
釀
み
八、また垣を作り
し、その垣に八つの門を作り、門ごとに八つの
假
を
結
ひ
九、その假
ごとに酒船
一〇を置きて、船ごとにその八鹽折の酒を盛りて待たさね」とのりたまひき。かれ告りたまへるまにまにして、かく
設
け備へて待つ時に、その
八俣
の
大蛇
、
信
に言ひしがごと來つ。すなはち船ごとに
己
が頭を乘り入れてその酒を飮みき。ここに飮み醉ひて留まり伏し寢たり。ここに速須佐の男の命、その
御佩
の
十拳
の劒を拔きて、その蛇を切り
散
りたまひしかば、
肥
の河血に
變
りて流れき。かれその中の尾を切りたまふ時に、
御刀
の刃
毀
けき。ここに怪しと思ほして、御刀の
前
もちて刺し割きて見そなはししかば、
都牟羽
の大刀
一一あり。かれこの大刀を取らして、
異
しき物ぞと思ほして、天照らす大御神に白し上げたまひき。こは
草薙
の大刀
一二なり。
かれここを以ちてその速須佐の男の命、宮造るべき
地
を出雲の國に
求
ぎたまひき。ここに
須賀
一三の地に到りまして詔りたまはく、「吾
此地
に來て、
我
が御心
清淨
し」と詔りたまひて、
其地
に宮作りてましましき。かれ
其地
をば今に須賀といふ。この大神、初め須賀の宮作らしし時に、
其地
より雲立ち騰りき。ここに御歌よみしたまひき。その歌、
や雲立つ 出雲八重垣。
妻隱
みに 八重垣作る。
その八重垣を
一四。 (歌謠番號一)
ここにその足名椎の神を
喚
して
告
りたまはく、「
汝
をば我が宮の
首
に
任
けむ」と告りたまひ、また名を
稻田
の
宮主
須賀
の
八耳
の神と負せたまひき。
一 島根縣仁多郡、斐伊川の上流船通山。
二 日本書紀に奇稻田姫とある。
三 強暴な者の譬喩。また出水としそれを處理して水田を得た意の神話ともする。コシは、島根縣内の地名説もあるが、北越地方の義とすべきである。
四 タンバホオズキ。
五 身長が、谷八つ、高み八つを越える。
六 血がしたたつて。
七 女が魂をこめた櫛を男のミヅラにさす。これは婚姻の風習で、その神祕な表現。
八 濃い酒を作つて。
九 サズキは物をのせる臺。古代は綱で材木を結んで作るから、結うという。
一〇 酒の入物。フネは箱状のもの。
一一 ツムハは語義不明。都牟刈とする傳えもある。
一二 後にヤマトタケルの命が野の草を薙いで火難を免れたから、クサナギの劒という。もと
叢雲
の劒という。三種の神器の一。
一三 島根縣大原郡。
一四 や雲立つは枕詞。多くの雲の立つ意。八重垣は、幾重もの壁や垣の意で宮殿をいう。最後のヲは、間投の助詞。
その
櫛名田比賣
を
隱處
に起して
一、生みませる神の名は、
八島士奴美
の神。また大山津見の神の
女
名は
神大市
比賣に
娶
ひて生みませる子、
大年
の神、次に
宇迦
の
御魂
二柱。
兄
八島士奴美の神、大山津見の神の女、名は
木
の
花
知流
比賣に
娶
ひて生みませる子、
布波能母遲久奴須奴
の神。この神
淤迦美
の神の女、名は
日河
比賣に娶ひて生みませる子、
深淵
の
水夜禮花
の神。この神天の
都度閇知泥
の神に娶ひて生みませる子、
淤美豆奴
の神
二。この神
布怒豆怒
の神の女、名は
布帝耳
の神に娶ひて生みませる子、天の
冬衣
の神、この神
刺國大
の神の女、名は刺國若比賣に娶ひて生みませる子、大國主の神
三。またの名は
大穴牟遲
の神といひ、またの名は
葦原色許男
の神といひ、またの名は
八千矛
の神といひ、またの名は
宇都志國玉
の神といひ、并はせて五つの名あり。
一 隱れた處に事を起して。婚姻して。以下スサノヲの命の子孫の系譜であるが大年の神とウカノミタマの神とは穀物の神で下の五二頁[#「五二頁」は「大國主の神」の「大年の神の系譜」]に出る系譜の準備になる。その條參照。
二 出雲國風土記に諸地方の土地を引いて來たという國引の神話を傳える八束水臣津野の命。
三 古代出雲の英雄で國土の神靈の意。代々オホクニヌシでありその一人が英雄であつたのだろう。以下の別名はそれぞれその名による神話がありすべてを同一神と解したものであろう。
かれこの大國主の神の
兄弟
八十
神
一ましき。然れどもみな國は大國主の神に
避
りまつりき。避りし
所以
は、その八十神おのもおのも
稻羽
の
八上
比賣
二を
婚
はむとする心ありて、共に稻羽に行きし時に、
大穴牟遲
の神に
を負せ、
從者
として
率
て往きき
三。ここに
氣多
の
前
四に到りし時に、
裸
なる
菟
伏せり。ここに八十神その菟に謂ひて云はく、「
汝
爲
まくは、この
海鹽
を浴み、風の吹くに當りて、高山の尾の上に伏せ」といひき。かれその菟、八十神の教のまにまにして伏しつ。ここにその鹽の乾くまにまに、その身の皮悉に風に吹き
拆
かえき。かれ痛みて泣き伏せれば、
最後
に來ましし大穴牟遲の神、その菟を見て、「何とかも汝が泣き伏せる」とのりたまひしに、菟答へて言さく「
僕
、
淤岐
の島
五にありて、この
地
に度らまくほりすれども、度らむ
因
なかりしかば、海の鰐
六を欺きて言はく、
吾
と
汝
と競ひて
族
の多き少きを計らむ。かれ汝はその族のありの
悉
率
て來て、この島より
氣多
の
前
まで、みな
列
み伏し度れ。ここに吾その上を蹈みて走りつつ讀み度らむ。ここに吾が族といづれか多きといふことを知らむと、かく言ひしかば、欺かえて
列
み伏せる時に、吾その上を蹈みて讀み度り來て、今
地
に下りむとする時に、吾、
汝
は我に欺かえつと言ひ
畢
れば、すなはち
最端
に伏せる鰐、
我
を捕へて、悉に我が
衣服
を剥ぎき。これに因りて泣き患へしかば、先だちて行でましし八十神の命もちて
誨
へたまはく、
海鹽
を浴みて、風に當りて伏せとのりたまひき。かれ教のごとせしかば、
我
が身悉に
傷
はえつ」とまをしき。ここに大穴牟遲の神、その菟に教へてのりたまはく、「今
急
くこの
水門
に往きて、水もちて汝が身を洗ひて、すなはちその水門の
蒲
の
黄
七を取りて、敷き散して、その上に
輾
い
轉
びなば、汝が身本の
膚
のごと、かならず
差
えなむ」とのりたまひき。かれ教のごとせしかば、その身本の如くになりき。こは
稻羽
の
素菟
といふものなり。今には菟神といふ。かれその菟、大穴牟遲の神に白さく、「この八十神は、かならず
八上
比賣を得じ。
を負ひたまへども、汝が命ぞ獲たまはむ」とまをしき。
ここに
八上
比賣、八十神に答へて言はく、「吾は汝たちの言を聞かじ、大穴牟遲の神に
嫁
はむ」といひき。
一 多くの神。神話にいう兄弟は、眞實の兄弟ではない。
二 鳥取縣八頭郡八上の地にいた姫。
三 七福神の大黒天を大國主の神と同神とする説のあるのは、大國と大黒と字音が同じなのと、ここに袋を背負つたことがあるからであるが、大黒天はもとインドの神で別である。
四 島根縣氣高郡末恒村の日本海に出た岬角。
五 日本海の隱岐の島。ただし氣多の前の海中にも傳説地がある。
六 フカの類。やがてその知識に、蛇、龜などの要素を取り入れて想像上の動物として發達した。フカの實際を知らない者が多かつたからである。
七 カマの花粉。
かれここに八十神
忿
りて、大穴牟遲の神を殺さむとあひ
議
りて、
伯伎
の國の
手間
の山本
一に至りて云はく、「この山に
赤猪
あり、かれ我どち追ひ下しなば、汝待ち取れ。もし待ち取らずは、かならず汝を殺さむ」といひて、火もちて猪に似たる大石を燒きて、
轉
し落しき。ここに追ひ下し取る時に、すなはちその石に燒き
著
かえて
死
せたまひき。ここにその
御祖
の命
二哭き患へて、天にまゐ
上
りて、
神産巣日
の命に
請
したまふ時に、
貝
比賣と
蛤貝
比賣とを遣りて、作り活かさしめたまひき。ここに
貝比賣きさげ集めて、蛤貝比賣待ち
承
けて、
母
の
乳汁
と塗りしかば
三、
麗
しき
壯夫
になりて出であるきき。
一 鳥取縣西伯郡天津村。
二 母の神。
三 赤貝の汁をしぼつて
蛤
の貝に受け入れて母の乳汁として塗つた。古代の火傷の療法である。
ここに八十神見てまた欺きて、山に
率
て入りて、大樹を切り伏せ、
茹矢
一をその木に打ち立て、その中に入らしめて、すなはちその
氷目矢
を打ち離ちて、
拷
ち殺しき。ここにまたその御祖、哭きつつ
求
ぎしかば、すなはち見得て、その木を
拆
きて、取り出で活して、その子に告りて言はく、「汝ここにあらば、遂に八十神に
滅
さえなむ」といひて、木の國
二の
大屋毘古
の神
三の
御所
に違へ遣りたまひき。ここに八十神
覓
ぎ追ひ
臻
りて、矢刺して乞ふ時に、木の
俣
より
漏
き逃れて
去
にき。御祖の命、子に告りていはく、「須佐の男の命のまします
根
の
堅州
國
四にまゐ向きてば、かならずその大神
議
りたまひなむ」とのりたまひき。かれ
詔命
のまにまにして須佐の男の命の
御所
に參ゐ到りしかば、その女
須勢理毘賣
出で見て、
目合
して
五
婚
ひまして、還り入りてその父に白して言さく、「いと麗しき神來ましつ」とまをしき。ここにその大神出で見て、「こは
葦原色許男
の命といふぞ」とのりたまひて、すなはち喚び入れて、その
蛇
の
室
六に寢しめたまひき。ここにその
妻
須勢理毘賣
の命、蛇のひれ
七をその夫に授けて、「その蛇
咋
はむとせば、このひれを三たび
擧
りて打ち
撥
ひたまへ」とまをしたまひき。かれ教のごとせしかば、蛇おのづから靜まりぬ。かれ
平
く寢て出でましき。また來る日の夜は、
呉公
と蜂との
室
に入れたまひしを、また
呉公
蜂のひれを授けて、先のごと教へしかば、
平
く出でたまひき。また
鳴鏑
八を大野の中に射入れて、その矢を採らしめたまひき。かれその野に入りましし時に、すなはち火もちてその野を燒き
らしつ。ここに出づる所を知らざる間に、鼠來ていはく、「内はほらほら、
外
はすぶすぶ
九」と、かく言ひければ、
其處
を踏みしかば、落ち隱り入りし間に、火は燒け過ぎき。ここにその鼠、その
鳴鏑
を
咋
ひて出で來て奉りき。その矢の羽は、その鼠の子どもみな喫ひたりき。
ここにその
妻
須世理毘賣
は、
喪
つ
具
一〇を持ちて哭きつつ來まし、その父の大神は、すでに
死
せぬと思ほして、その野に出でたたしき。ここにその矢を持ちて奉りし時に、家に率て入りて、
八田間
の大室
一一に喚び入れて、その
頭
の
虱
を取らしめたまひき。かれその頭を見れば、
呉公
多
にあり。ここにその妻、
椋
の木の實と
赤土
とを取りて、その夫に授けつ。かれその木の實を咋ひ破り、
赤土
を
含
みて
唾
き出だしたまへば、その大神、
呉公
を咋ひ破りて唾き出だすとおもほして、心に
愛
しとおもほして
寢
したまひき。ここにその神の髮を
握
りて、その室の
椽
ごとに結ひ著けて、
五百引
の
石
一二を、その室の戸に取り
塞
へて、その
妻
須世理毘賣を負ひて、すなはちその大神の
生大刀
と
生弓矢
一三またその天の
沼琴
一四を取り持ちて、逃げ出でます時に、その天の沼琴樹に
拂
れて地
動鳴
みき。かれその
寢
したまへりし大神、聞き驚かして、その室を引き
仆
したまひき。然れども椽に結へる髮を解かす間に遠く逃げたまひき。かれここに
黄泉比良坂
に追ひ至りまして、
遙
に
望
けて、
大穴牟遲
の神を呼ばひてのりたまはく、「その汝が持てる生大刀生弓矢もちて汝が
庶兄弟
をば、坂の御尾に追ひ伏せ、また河の瀬に追ひ
撥
ひて、おれ
一五大國主の神となり、また
宇都志國玉
の神
一六となりて、その我が女須世理毘賣を
嫡妻
として、
宇迦
の山
一七の山本に、
底津石根
に宮柱太しり、高天の原に
氷椽
高しりて
一八居れ。この
奴
」とのりたまひき。かれその大刀弓を持ちて、その八十神を追ひ
避
くる時に、坂の御尾ごとに追ひ伏せ、河の瀬ごとに追ひ撥ひて國作り始めたまひき
一九。
かれその八上比賣は先の
期
のごとみとあたはしつ
二〇。かれその八上比賣は、
率
て來ましつれども、その
嫡妻
須世理毘賣を
畏
みて、その生める子をば、木の
俣
に刺し挾みて返りましき。かれその子に名づけて木の俣の神といふ、またの名は
御井
の神といふ。
一 クサビ形の矢。氷目矢とあるも同じ。
二 紀伊の國(和歌山縣)
三 家屋の神。イザナギ、イザナミの生んだ子の中にあつた。ただしスサノヲの命の子とする説がある。
四 既出、地下の國。
五 互に見合うこと。
六 古代建築にはムロ型とス型とある。ムロは穴を掘つて屋根をかぶせた形のもので濕氣の多い地では蟲のつくことが多い。スは足をつけて高く作る。どちらも原住地での習俗を移したものだろうが、ムロ型は亡びた。
七 蛇を支配する力のあるヒレ。ヒレは、白い織物で女子が頸にかける。これを振ることによつて威力が發生する。次のヒレも同じ。
八 射ると鳴りひびくように作つた矢。
九 入口は狹いが内部は廣い。古墳のあとだろうという。
一〇 葬式の道具。
一一 柱間の數の多い大きな室。
一二 五百人で引くほどの巨石。
一三 生命の感じられる大刀弓矢。
一四 美しいりつぱな琴。
一五 親愛の第二人稱。
一六 現實にある國土の神靈。
一七 島根縣出雲市出雲大社の東北の御埼山。
一八 壯大な宮殿建築をする意の常用句。地底の石に柱をしつかと建て、空中に高く千木をあげて作る。ヒギ、チギともいう。屋上に交叉して突出している材。今では神社建築に見られる。
一九 國土經營をはじめた。
二〇 婚姻した。
この
八千矛
の神
一、
高志
の國の
沼河比賣
二を
婚
はむとして
幸
でます時に、その沼河比賣の家に到りて
三歌よみしたまひしく、
八千矛
の 神の命は、
八島國 妻
求
ぎかねて、
遠遠し
高志
の國に
賢
し
女
を ありと聞かして、
麗
し
女
を ありと
聞
こして、
さ
婚
ひに あり立たし
四
婚ひに あり通はせ、
大刀が緒も いまだ解かずて、
襲
をも いまだ解かね
五、
孃子
の
寢
すや
六板戸を
押
そぶらひ
七
吾
が立たせれば、
引こづらひ
吾
が立たせれば、
青山に
八は鳴きぬ。
さ
野
つ鳥
雉子
は
響
む。
庭つ鳥
鷄
は鳴く。
うれたくも
九 鳴くなる鳥か。
この鳥も うち
止
めこせね。
いしたふや
一〇
天馳使
一一、
事の 語りごとも こをば
一二。 (歌謠番號二)
ここにその
沼河日賣
、いまだ戸を
開
かずて内より歌よみしたまひしく、
八千矛
の 神の命。
ぬえくさの
一三
女
にしあれば、
吾
が心
浦渚
の鳥ぞ
一四。
今こそは
吾
鳥にあらめ。
後は
汝鳥
にあらむを、
命は な
死
せたまひそ
一五。
いしたふや 天馳使、
事の 語りごとも こをば。 (歌謠番號三)
青山に 日が隱らば、
ぬばたまの
一六 夜は出でなむ。
朝日の
咲
み榮え來て、
綱
の
一七 白き
腕
沫雪の
一八 わかやる胸を
そ
叩
き 叩きまながり
眞玉手 玉手差し
纏
き
股
長に
寢
は
宿
さむを。
あやに な戀ひきこし
一九。
八千矛の 神の命。
事の 語りごとも こをば。 (歌謠番號四)
かれその夜は合はさずて、
明日
の夜
御合
したまひき。
またその神の
嫡后
須勢理毘賣
の命、いたく
嫉妬
み
二〇したまひき。かれその
日子
ぢの神
二一
侘
びて、出雲より
倭
の國に上りまさむとして、
裝束
し立たす時に、片御手は
御馬
の鞍に
繋
け、片御足はその
御鐙
に蹈み入れて、歌よみしたまひしく、
ぬばたまの 黒き
御衣
を
まつぶさに 取り
裝
ひ
二二
奧
つ鳥
二三
胸
見る時、
羽
たたぎ
二四も これは
宜
はず、
邊
つ浪 そに脱き
棄
て、
鳥
の
二五 青き
御衣
を
まつぶさに 取り裝ひ
奧つ鳥 胸見る時、
羽たたぎも こも
宜
はず、
邊つ浪 そに脱き
棄
て、
山縣
二六に
蒔
きし あたねつき
二七
染
木が
汁
に
染衣
を
まつぶさに 取り裝ひ
奧つ鳥 胸見る時、
羽たたぎも
此
しよろし。
いとこやの
二八 妹の命
二九、
群
鳥の
三〇
吾
が群れ
往
なば、
引け鳥
三一の 吾が引け往なば、
泣かじとは
汝
は言ふとも、
山跡
の
一本
すすき
項
傾
し
三二 汝が泣かさまく
三三
朝雨の さ
三四霧に
立
たむぞ。
若草の
三五
嬬
の命。
事の 語りごとも こをば。 (歌謠番號五)
ここにその
后
大御
酒杯
を取らして、立ち依り
指擧
げて、歌よみしたまひしく、
八千矛の 神の命や、
吾
が大國主。
汝
こそは
男
にいませば、
うち
る
三六 島
三七の埼埼
かき
る 磯の埼おちず
三八、
若草の
嬬
持たせらめ
三九。
吾
はもよ
女
にしあれば、
汝
を
除
て
四〇
男
は無し。
汝
を除て
夫
は無し。
文垣
の ふはやが下に
四一、
蒸被
柔
が下に
四二、
被
さやぐが下に
四三、
沫雪
の わかやる胸を
綱
の 白き
臂
そ
叩
き 叩きまながり
四四
ま玉手 玉手差し
纏
き
股長
に
寢
をしなせ。
豐御酒
たてまつらせ
四五。 (歌謠番號六)
かく歌ひて、すなはち
盞
結
ひして
四六、
項懸
けりて
四七、今に至るまで鎭ります。こを
神語
四八といふ。
一 多くの武器のある神の義。大國主の神の別名。三八頁[#「三八頁」は「須佐の男の命」の「系譜」]參照。
二 北越の沼河の地の姫。ヌナカハは今の糸魚川町附近だという。
三 男子が夜間女子の家を訪れるのが古代の婚姻の風習である。
四 ヨバヒは、呼ぶ義で婚姻を申し入れる意。サは接頭語。アリタタシは、お立ちになつて。動詞の上につけるアリは在りつつの意。タタシは立つの敬語。
五 オスヒをもまだ解かないのに。オスヒは通例の服裝の上に著る衣服。禮裝、旅裝などに使用する。トカネは解かないのにの意。
六 ナスは寢るの敬語。ヤは感動の助詞で調子をつけるために使う。
七 押しゆすぶつて。
八 今トラツグミという鳥。夜間飛んで鳴く。
九 歎かわしいことに。
一〇 イ下フで、下方にいる意だろう。イは接頭語。ヤは感動の助詞。
一一 走り使いをする部族。アマは神聖なの意につける。この種の歌を語り傳える部族。
一二 この事をば。この通りです。
一三 譬喩による枕詞。なえた草のような。
一四 水鳥です。おちつかない譬喩。
一五 おなくなりなさるな。
一六 譬喩による枕詞。カラスオウギの實は黒いから夜に冠する。
一七 同前。楮で作つた綱は白い。
一八 同前。アワのような大きな雪。
一九 たいへんに戀をなさいますな。
二〇 第二の妻に對する憎み。
二一 夫の神。
二二 十分に著用して。
二三 譬喩による枕詞。水鳥のように胸をつき出して見る。
二四 奧つ鳥と言つたので、その縁でいう。身のこなし。
二五 譬喩による枕詞。カワセミ。青い鳥。
二六 山の料地。
二七 アタネは、アカネに同じというが不明。アカネはアカネ科の蔓草。根をついてアカネ色の染料をとる。
二八 イトコは親愛なる人。ヤは接尾語。
二九 女子の敬稱。
三〇 譬喩による枕詞。
三一 同前。空とおく引き去る鳥。
三二 首をかしげて。うなだれて。
三三 お泣きになることは。マクは、ムコトに相當する。
三四 眞福寺本、サに當る字が無い。
三五 譬喩による枕詞。
三六 このミルは、原文「微流」。微は、古代のミの音聲二種のうちの乙類に屬し、甲類の見るのミの音聲と違う。それで
る意であり、ここは
つているの意有坂博士で次の語を修飾する。
三七 シマは水面に臨んだ土地。はなれ島には限らない。
三八 磯の突端のどこでも。
三九 お持ちになつているでしよう。モタセ、持ツの敬語の命令形。ラ、助動詞の未然形。メ、助動詞ムの已然形で、上の係助詞コソを受けて結ぶ。
四〇 汝をおいては。
四一 織物のトバリのふわふわした下で。
四二 あたたかい寢具のやわらかい下で。
四三 楮の衾のざわざわする下で。
四四 叩いて抱きあい。
四五 めしあがれ。奉るの敬語の命令形。
四六 酒盃をとりかわして約束して。
四七 首に手をかけて。
四八 以上の歌の名稱で、以下この種の名稱が多く出る。これは歌曲として傳えられたのでその歌曲としての名である。この八千矛の神の贈答の歌曲は舞を伴なつていたらしい。
かれこの大國主の神、
※形
[#「匈/(胃-田)」、U+80F7、49-本文-6]の
奧津宮
にます神、多紀理毘賣の命
一に
娶
ひて生みませる子、
阿遲
高日子根
の神。次に妹
高比賣
の命
二。またの名は
下光
る
比賣
の命
三。この阿遲
高日子根の神は、今
迦毛
の大御神
四といふ神なり。
大國主の神、また
神屋楯
比賣の命
五に娶ひて生みませる子、
事代
主の神
六。また
八島牟遲
の神の女
鳥取
の神
七に娶ひて生みませる子、
鳥鳴海
の神。この神、
日名照額田毘道男伊許知邇
の神
八に娶ひて生みませる子、
國忍富
の神。この神、
葦那陀迦
の神またの名は
八河江比賣
に娶ひて生みませる子、
連甕
の
多氣佐波夜遲奴美
の神。この神、天の
甕主
の神の女
前玉比賣
に娶ひて生みませる子、
甕主日子
の神。この神、
淤加美
の神
九の女
比那良志
毘賣に娶ひて生みませる子、
多比理岐志麻美
の神。この神、
比比羅木
のその
花麻豆美
の神の女
活玉前玉
比賣の神に娶ひて生みませる子、
美呂浪
の神。この神、
敷山主
の神の女
青沼馬沼押
比賣に娶ひて生みませる子、
布忍富鳥鳴海
の神。この神、
若晝女
の神に娶ひて生みませる子、天の
日腹大科度美
の神。この神、天の
狹霧
の神の女
遠津待根
の神に娶ひて生みませる子、
遠津山岬多良斯
の神。
右の
件
、
八島士奴美
の神より下、遠津山岬
帶
の神より前、
十七世
の神といふ。
一 既出三〇頁[#「三〇頁」は「天照らす大神と須佐の男の命」の「誓約」]參照。
二 以上二神、五七頁
[#「五七頁」は「天照らす大御神と大國主の神」の「國讓り」]に神話がある。
三 光りかがやく姫の義。美しい姫。
四 奈良縣南葛城郡葛城村にある神社の神。
五 系統不明。
六 五七頁
[#「五七頁」は「天照らす大御神と大國主の神」の「國讓り」]に神話がある。その條參照。
七 鳥耳の神、鳥甘の神とする傳えもある。
八 誤りがあつて、もと何の神の女の何とあつたらしいが不明。
九 水の神。
かれ大國主の神、出雲の
御大
の
御前
一にいます時に、波の穗より
二、天の
羅摩
の船
三に乘りて、
鵝
の皮を
内剥
ぎに剥ぎて
四
衣服
にして、
歸
り來る神あり。ここにその名を問はせども答へず、また
所從
の神たちに問はせども、みな知らずと
白
しき。ここに
多邇具久
五白して
言
さく、「こは
久延毘古
六ぞかならず知りたらむ」と白ししかば、すなはち久延毘古を召して問ひたまふ時に答へて白さく、「こは
神産巣日
の神の御子
少名毘古那
の神なり」と白しき。かれここに神産巣日
御祖
の命に白し上げしかば、「こは
實
に我が子なり。子の中に、我が
手俣
より
漏
きし子なり。かれ
汝
葦原色許男
の命と
兄弟
となりて、その國作り堅めよ」とのりたまひき。かれそれより、大穴牟遲と少名毘古那と二柱の神相並びて、この國作り堅めたまひき。然ありて後には、その少名毘古那の神は、
常世
の國
七に度りましき。かれその少名毘古那の神を顯し白しし、いはゆる
久延毘古
は、今には山田の
曾富騰
八といふものなり。この神は、足はあるかねども、天の下の事を
盡
に知れる神なり。
一 島根縣八束郡美保の岬。
二 波の高みに乘つて。
三 カガミはガガイモ科の蔓草。ガガイモ。その果實は莢でありわれると白い毛のある果實が飛ぶ。それをもとにした神話。
四 蛾の皮をそつくり剥いで。
五 ひきがえる。谷潛りの義。
六 かがし。こわれた男の義。
七 海外の國。三三頁
[#「三三頁」は「天照らす大神と須佐の男の命」の「天の岩戸」]脚註參照。
八 かがしに同じ。
ここに大國主の神愁へて告りたまはく、「吾獨して、
如何
かもよくこの國をえ作らむ。いづれの神とともに、
吾
はよくこの國を
相作
らむ」とのりたまひき。この時に海を
光
らして依り來る神あり。その神の
言
りたまはく、「
我
が
前
をよく治めば
一、
吾
よくともどもに相作り成さむ。もし然あらずは、國成り
難
けむ」とのりたまひき。ここに大國主の神まをしたまはく、「然らば治めまつらむ
状
はいかに」とまをしたまひしかば答へてのりたまはく、「
吾
をば
倭
の
青垣
の東の山の
上
に
齋
きまつれ
二」とのりたまひき。こは
御諸
の山の上にます神
三なり。
一 わたしをよく祭つたなら。神が現れていう時のきまつた詞。
二 大和の國の東方の青い山の上に祭れ。
三 奈良縣磯城郡三輪山の
大神
神社の神。その神社の起原神話。
かれその大年の神
一、
神活須毘
の神の女
伊怒
比賣に娶ひて生みませる子、
大國御魂
の神。次に
韓
の神。次に
曾富理
の神。次に
白日
の神。次に
聖
の神
二五神。又
香用
比賣に娶ひて生みませる子、
大香山戸臣
の神。次に
御年
の神二柱。また
天知
る
迦流美豆
比賣に娶ひて生みませる子、
奧津日子
の神。次に
奧津比賣
の命、またの名は
大戸比賣
の神。こは諸人のもち
拜
く
竈
の神なり。次に
大山咋
の神。またの名は
末
の
大主
の神。この神は近つ
淡海
の國の
日枝
の山にます
三。また
葛野
の松の尾にます
四、
鳴鏑
を
用
ちたまふ神なり。次に
庭津日
の神。次に
阿須波
の神。次に
波比岐
の神
五。次に
香山戸臣
の神。次に
羽山戸
の神。次に
庭
の
高津日
の神。次に
大土
の神。またの名は
土
の
御祖
の神(九神)。
上の件、大年の神の子、大國御魂の神より下、大土の神より前、并せて
十六神
。
羽山戸の神、
大氣都比賣
の神に娶ひて生みませる子、
若山咋
の神。次に若年の神。次に妹
若沙那賣
の神。次に
彌豆麻岐
の神。次に夏の
高津日
の神。またの名は夏の
賣
の神。次に
秋毘賣
の神。次に
久久年
の神。次に
久久紀若室葛根
の神。
上の件、羽山戸の神の子、若山咋の神より下、若室葛根の神より前、并はせて八神。
一 穀物のみのりの神靈。三八頁[#「三八頁」は「須佐の男の命」の「系譜」]に出た。この神の系譜は、穀物の耕作の經過の表示。
二 これも穀物のみのりの神。
三 滋賀縣滋賀郡坂本の日枝神社。
四 京都市右京區にある松尾神社。
五 以上二神、家の敷地の神。祈年祭の祝詞に見える。
天照らす大御神の命もちて、「豐葦原の
千秋
の
長五百秋
の
水穗
の國
一は、我が御子
正勝吾勝勝速日
天の
忍穗耳
の命の知らさむ國」と、
言依
さしたまひて、
天降
したまひき。ここに天の忍穗耳の命、天の浮橋に立たして詔りたまひしく、「豐葦原の千秋の長五百秋の水穗の國は、いたくさやぎてありなり
二」と
告
りたまひて、更に還り上りて、天照らす大御神にまをしたまひき。ここに
高御産巣日
の神
三、天照らす大御神の命もちて、天の安の河の河原に八百萬の神を
神集
へに集へて、思金の神に思はしめて詔りたまひしく、「この葦原の中つ國
四は、我が御子の知らさむ國と、言依さしたまへる國なり。かれこの國にちはやぶる荒ぶる國つ神
五どもの
多
なると思ほすは、いづれの神を使はしてか
言趣
けなむ」とのりたまひき。ここに思金の神また八百萬の神
等
議りて白さく、「天の
菩比
の神
六、これ遣はすべし」とまをしき。かれ天の菩比の神を遣はししかば、大國主の神に媚びつきて、三年に至るまで
復奏
まをさざりき。
ここを以ちて高御産巣日の神、天照らす大御神、また諸の神たちに問ひたまはく、「葦原の中つ國に遣はせる天の菩比の神、久しく
復奏
まをさず、またいづれの神を使はしてば
吉
けむ」と告りたまひき。ここに思金の神答へて白さく、「
天津國玉
の神
七の子
天若日子
八を遣はすべし」とまをしき。かれここに
天
の
麻迦古弓
九天の
波波矢
一〇を天若日子に賜ひて遣はしき。ここに天若日子、その國に降り到りて、すなはち大國主の神の女
下照
る
比賣
に
娶
ひ、またその國を獲むと
慮
ひて、八年に至るまで
復奏
まをさざりき。
かれここに天照らす大御神、高御産巣日の神、また諸の
神
たちに問ひたまはく、「天若日子久しく
復奏
まをさず、またいづれの神を遣はして、天若日子が久しく留まれる
所由
を問はむ」とのりたまひき。ここに諸の神たちまた思金の神答へて白さく、「
雉子
名
鳴女
一一を遣はさむ」とまをす時に、詔りたまはく、「
汝
行きて天若日子に問はむ状は、汝を葦原の中つ國に遣はせる
所以
は、その國の荒ぶる神たちを
言趣
け
平
せとなり。何ぞ八年になるまで、復奏まをさざると問へ」とのりたまひき。
かれここに
鳴女
、天より
降
り到りて、天若日子が門なる
湯津桂
一二の上に居て、
委曲
に天つ神の
詔命
のごと言ひき。ここに
天
の
佐具賣
一三、この鳥の言ふことを聞きて、天若日子に語りて、「この鳥はその鳴く
音
いと惡し。かれみづから射たまへ」といひ進めければ、天若日子、天つ神の賜へる天の
波士弓
天の
加久矢
一四をもちて、その
雉子
を射殺しつ。ここにその矢雉子の胸より通りて
逆
に射上げて、天の安の河の河原にまします天照らす大御神
高木
の神
一五の
御所
に
逮
りき。この高木の神は、高御産巣日の神の
別
の
名
なり。かれ高木の神、その矢を取らして見そなはせば、その矢の羽に血著きたり。ここに高木の神告りたまはく、「この矢は天若日子に賜へる矢ぞ」と告りたまひて、諸の神たちに
示
せて詔りたまはく、「もし天若日子、
命
を
誤
へず、
惡
ぶる神を射つる矢の到れるならば、天若日子にな
中
りそ。もし
邪
き心あらば、天若日子この矢にまがれ
一六」とのりたまひて、その矢を取らして、その矢の穴より衝き返し下したまひしかば、天若日子が、朝床
一七に寢たる
高胸坂
に中りて死にき。(こは還矢の本なり。)またその
雉子
還らず。かれ今に諺に雉子の
頓使
一八といふ本これなり。
かれ天若日子が
妻
下照
る
比賣
の
哭
く聲、風のむた
一九響きて天に到りき。ここに天なる天若日子が父
天津國玉
の神、またその
妻子
二〇ども聞きて、降り來て哭き悲みて、其處に
喪屋
二一を作りて、河鴈を
岐佐理持
二二とし、
鷺
を
掃持
二三とし、
翠鳥
を
御食人
二四とし、雀を
碓女
二五とし、雉子を
哭女
とし、かく行ひ定めて、日
八日
夜
八夜
を遊びたりき
二六。
この時
阿遲志貴高日子根
の神
到
まして、天若日子が
喪
を弔ひたまふ時に、天より
降
り到れる天若日子が父、またその妻みな哭きて、「我が子は死なずてありけり」「我が君は死なずてましけり」といひて、手足に取り懸かりて、哭き悲みき。その
過
てる
所以
は、この二柱の神の
容姿
いと能く
似
れり。かれここを以ちて過てるなり。ここに阿遲志貴高日子根の神、いたく怒りていはく、「我は
愛
しき友なれ
二七こそ弔ひ來つらくのみ。何ぞは吾を、穢き
死
人に
比
ふる」といひて、
御佩
の十
掬
の劒を拔きて、その
喪屋
を切り伏せ、足もちて
蹶
ゑ離ち遣りき。こは美濃の國の
藍見
河
二八の河上なる
喪山
といふ山なり。その持ちて切れる大刀の名は
大量
といふ。またの名は
神度
の劒といふ。かれ阿治志貴高日子根の神は、
忿
りて飛び去りたまふ時に、その
同母妹
高比賣
の命、その御名を顯さむと思ほして歌ひたまひしく、
天なるや
二九
弟棚機
三〇の
うながせる 玉の
御統
三一、
御統に あな玉はや
三二。
み
谷
二
わたらす
三三
阿遲志貴高日子根
の神ぞ。 (歌謠番號七)
この歌は
夷振
三四なり。
一 日本國の美稱。ゆたかな葦原で永久に穀物のよく生育する國の義。
二 たいへん騷いでいる。アリナリは古い語法。ラ行變格動詞の終止形にナリが接續している。
三 この神が加わるのは思想的な意味からである。
四 日本國。葦原の中心である國。
五 暴威を振う亂暴な土地の神。
六 誓約の條に出現した神。出雲氏の祖先神で、出雲氏の方ではよく活躍したという。古事記日本書紀は中臣氏系統の傳來が主になつているのでわるくいう。
七 天の土地の神靈。
八 天から來た若い男。傳説上の人物として後世の物語にも出る。
九 鹿の靈威のついている弓。
一〇 大きな羽をつけた矢。
一一 キギシの鳥名はその鳴聲によつていう。よつて逆にその名を鳴く女の意にいう。
一二 神聖な桂樹。野鳥である雉子などが門口の樹に來て鳴くのを氣にして何かのしるしだろうとする。
一三 實相を探る女。巫女で鳥の鳴聲などを判斷する。
一四 前に出た弓矢。ハジ弓はハジの木の弓。カク矢は鹿兒矢で鹿の靈威のついている矢。
一五 タカミムスビの神の神靈の宿る所についていうのだろう。
一六 曲れで、災難あれの意になる。
一七
胡床
とする傳えもある。
一八 ひたすらの使、行つたきりの使。
一九 風と共に。
二〇 天における天若日子の妻子。
二一 葬式は別に家を作つて行う風習である。
二二 食物を入れた器を持つて行く者。
二三 ホウキで穢を拂う意である。
二四 食物を作る人。
二五 臼でつく女。
二六 葬式の時に連日連夜歌舞してけがれを拂う風習である。
二七 友だちだから。
二八 岐阜縣長良川の上流。
二九 ヤは間投の助詞。
三〇 若い機おり姫。機おりは女子の技藝として尊ばれていた。
三一 頸にかけている緒に貫いた玉。
三二 大きな珠。ハヤは感動を示す。
三三 谷を二つ同時に渡る。ミは美稱。
三四 歌曲の名。
ここに天照らす大御神の詔りたまはく、「またいづれの神を遣はして
吉
けむ」とのりたまひき。ここに思金の神また諸の神たち白さく、「天の安の河の河上の天の
石屋
にます、名は
伊都
の
尾羽張
の神
一、これ遣はすべし。もしまたこの神ならずは、その神の子
建御雷
の
男
の神、これ遣はすべし。またその天の尾羽張の神は、天の安の河の水を
逆
に
塞
きあげて、道を塞き居れば、
他
し神はえ行かじ。かれ
別
に天の
迦久
の神
二を遣はして問ふべし」とまをしき。
かれここに天の迦久の神を使はして、天の尾羽張の神に問ひたまふ時に答へ白さく、「
恐
し、仕へまつらむ。然れどもこの道には、
僕
が子建御雷の神
三を遣はすべし」とまをして、
貢進
りき。
ここに天の鳥船の神
四を建御雷の神に副へて遣はす。ここを以ちてこの
二神
、出雲の國の
伊耶佐
の
小濱
五に降り到りて、
十掬
の劒を拔きて浪の穗に逆に刺し立てて
六、その劒の
前
に
趺
み
坐
て、その大國主の神に問ひたまひしく、「天照らす大御神高木の神の命もちて問の使せり。
汝
が
領
ける葦原の中つ國に、
我
が御子の知らさむ國と言よさしたまへり。かれ汝が心いかに」と問ひたまひき。ここに答へ白さく、「
僕
はえ白さじ。我が子
八重言代主
の神
七これ白すべし。然れども鳥の
遊漁
八して、
御大
の
前
に往きて、いまだ還り來ず」とまをしき。かれここに天の鳥船の神を遣はして、八重事代主の神を
徴
し來て、問ひたまふ時に、その父の大神に語りて、「
恐
し。この國は天つ神の御子に
獻
りたまへ」といひて、その船を蹈み傾けて、天の
逆手
を
青柴垣
にうち成して、隱りたまひき
九。
かれここにその大國主の神に問ひたまはく、「今汝が子事代主の神かく白しぬ。また白すべき子ありや」ととひたまひき。ここにまた白さく、「また我が子
建御名方
の神
一〇あり。これを
除
きては無し」と、かく白したまふほどに、その建御名方の神、千引の石
一一を
手末
に
げて來て、「
誰
そ我が國に來て、
忍
び忍びかく物言ふ。然らば力競べせむ。かれ
我
まづその御手を取らむ
一二」といひき。かれその御手を取らしむれば、すなはち
立氷
に取り成し
一三、また
劒刃
に取り成しつ。かれここに
懼
りて
退
き居り。ここにその建御名方の神の手を取らむと乞ひ
歸
して取れば、若葦を取るがごと、
※
[#「てへん+縊のつくり」、U+6424、58-本文-5]み
批
ぎて、投げ離ちたまひしかば、すなはち逃げ
去
にき。かれ追ひ往きて、
科野
の國の
洲羽
の海
一四に
迫
め到りて、殺さむとしたまふ時に、建御名方の神白さく、「
恐
し、
我
をな殺したまひそ。この
地
を
除
きては、
他
し
處
に行かじ。また我が父大國主の神の命に違はじ。八重事代主の神の
言
に違はじ。この葦原の中つ國は、天つ神の御子の命のまにまに獻らむ」とまをしき。
かれ更にまた還り來て、その大國主の神に問ひたまひしく、「汝が子ども事代主の神、建御名方の神
二神
は、天つ神の御子の命のまにまに違はじと白しぬ。かれ
汝
が心いかに」と問ひたまひき。ここに答へ白さく、「
僕
が子ども二神の白せるまにまに、
僕
も違はじ。この葦原の中つ國は、命のまにまに既に獻りぬ。ただ僕が
住所
は、天つ神の御子の天つ日繼知らしめさむ、
富足
る天の
御巣
の如
一五、底つ石根に宮柱太しり、高天の原に
氷木
高しりて治めたまはば、
僕
は
百
足らず
一六
八十
手
に隱りて
侍
はむ
一七。また僕が子ども
百八十神
は八重事代主の神を御尾
前
一八として仕へまつらば、違ふ神はあらじ」と、かく白して出雲の國の
多藝志
の
小濱
一九に、天の
御舍
二〇を造りて、
水戸
の神の
孫
櫛八玉
の神
膳夫
二一となりて、天つ
御饗
二二獻る時に、
祷
ぎ白して、櫛八玉の神鵜に
化
りて、
海
の底に入りて、底の
埴
[#ルビの「はこ」はママ]を
咋
ひあがり出でて
二三、天の八十
平瓮
二四を作りて、
海布
の
柄
を
鎌
りて
燧臼
に作り、
海※
[#「くさかんむり/溥のつくり」、U+84AA、59-本文-4]の柄を
燧杵
に作りて、火を
鑽
り出でて
二五まをさく、「この我が
燧
れる火は、高天の原には、
神産巣日御祖
の命の
富足
る天の
新巣
の
凝烟
の
八拳
垂るまで
燒
き擧げ
二六、
地
の下は、底つ石根に燒き
凝
して、
繩
の千尋繩うち
延
へ
二七、釣する
海人
が、口大の
尾翼鱸
二八さわさわに
控
きよせ
騰
げて、
拆
竹のとををとををに
二九、天の
眞魚咋
三〇獻る」とまをしき。かれ建御雷の神返りまゐ上りて、葦原の中つ國を
言向
け
平
しし状をまをしき。
一 イザナギの命の劒の神靈。水神。二四頁[#「二四頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「黄泉の國」]參照。
二 鹿の神靈。
三 二四頁
[#「二四頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「黄泉の國」]參照。
四 二二頁
[#「二二頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「神々の生成」]參照。
五 島根縣出雲市附近の海岸。伊那佐の小濱とする傳えもある。日本書紀に
五十田狹之小汀
。
六 波の高みに劒先を上にして立てて。
七 言語に現れる神靈。大事を決するのに神意を伺い、その神意が言語によつて現れたことをこの神の言として傳える。八重は榮える意に冠する。
八 鳥を狩すること。
九 神意を述べ終つて、海を渡つて來た乘物を傾けて、逆手を打つて青い樹枝の垣に隱れた。逆手を打つは、手を下方に向けて打つことで呪術を行う時にする。青柴垣は神靈の座所。神靈が託宣をしてもとの神座に歸つたのである。
一〇 長野縣諏訪郡諏訪神社上社の祭神。この神に關することは日本書紀に無い。插入説話である。
一一 千人で引くような巨岩。
一二 手のつかみ合いをするのである。
一三 立つている氷のように感ずる。
一四 長野縣の諏訪湖。
一五 天皇がその位におつきになる尊い宮殿のように。神が宮殿造營を請求するのは託宣の定型の一である。
一六 枕詞。
一七 多くある物のすみに隱れておりましよう。
一八 指導者。
一九 島根縣出雲市の海岸。
二〇 宮殿。出雲大社のこと。その鎭座縁起。
二一 料理人。
二二 尊い御食事。
二三 海底の土を清淨としそれを取つて祭具を作る。
二四 多數の平たい皿。
二五 海藻の堅い部分を臼と杵とにして摩擦して火を作つて。
二六 富み榮える新築の家の煤のように長く垂れるほどに火をたき。
二七 楮の長い繩を延ばして。
二八 口の大きく、尾ひれの大きい鱸。
二九 魚のたわむ形容。さき竹のは枕詞。
三〇 尊い御馳走。
ここに天照らす大御神高木の神の命もちて、
太子
正勝吾勝勝速日
天の
忍穗耳
の命に
詔
りたまはく、「今葦原の中つ國を
平
け
訖
へぬと白す。かれ言よさし賜へるまにまに、降りまして知らしめせ」とのりたまひき。ここにその太子正勝吾勝勝速日天の忍穗耳の命答へ白さく、「
僕
は、降りなむ
裝束
せし
間
に、子
生
れましつ。名は
天邇岐志國邇岐志
天
つ
日高日子番
の
邇邇藝
の命、この子を降すべし」とまをしたまひき。この御子は、高木の神の女
萬幡豐秋津師比賣
の命に
娶
ひて生みませる子、天の
火明
の命、次に
日子番
の
邇邇藝
の命二柱にます。ここを以ちて白したまふまにまに、日子番の邇邇藝の命に
詔
科
せて、「この豐葦原の水穗の國は、
汝
の
知
らさむ國なりとことよさしたまふ。かれ命のまにまに
天降
りますべし」とのりたまひき。
ここに日子番の邇邇藝の命、
天降
りまさむとする時に、天の
八衢
一に居て、上は高天の原を
光
らし下は葦原の中つ國を光らす神ここにあり。かれここに天照らす大御神高木の神の命もちて、天の
宇受賣
の神に詔りたまはく、「
汝
は
手弱女人
なれども、い
向
ふ神と
面勝
つ神なり
二。かれもはら汝往きて問はまくは、
吾
が御子の
天降
りまさむとする道に、誰そかくて居ると問へ」とのりたまひき。かれ問ひたまふ時に、答へ白さく、「僕は國つ神、名は
猿田
毘古の神なり。出で居る
所以
は、天つ神の御子天降りますと聞きしかば、
御前
に仕へまつらむとして、まゐ向ひ
侍
ふ」とまをしき。
ここに
天
の
兒屋
の命、
布刀玉
の命、天の宇受賣の命、
伊斯許理度賣
の命、
玉
の
祖
の命、并せて
五伴
の
緒
三を
支
ち加へて、
天降
らしめたまひき。
ここにその
招
ぎし
四
八尺
の
勾
、鏡、また
草薙
の劒、また
常世
の思金の神、
手力男
の神、天の
石門別
の神
五を副へ賜ひて
詔
りたまはくは、「これの鏡は、もはら
我
が御魂として、吾が御前を
拜
くがごと、
齋
きまつれ。次に思金の神は、
前
の
事
を取り持ちて、
政
まをしたまへ
六」とのりたまひき。
この二柱の神は、拆く
釧
五十鈴
の宮
七に
拜
き祭る。次に
登由宇氣
の神、こは
外
つ宮の
度相
にます神
八なり。次に天の
石戸別
の神、またの名は
櫛石
の神といひ、またの名は
豐
石
の神
九といふ。この神は
御門
の神なり。次に手力男の神は、
佐那
の
縣
にませり。
かれその天の兒屋の命は、中臣の連等が祖。布刀玉の命は、忌部の
首等
が祖。天の宇受賣の命は
猿女
の君等が祖。伊斯許理度賣の命は、鏡作の連等が祖。玉の祖の命は、玉の祖の連等が祖なり。
かれここに天の日子番の邇邇藝の命、天の
石位
を離れ、天の
八重多那雲
を押し分けて、
稜威
の
道
別き道別きて
一〇、天の浮橋に、浮きじまり、そりたたして
一一、
竺紫
の
日向
の高千穗の
靈
じふる
峰
一二に
天降
りましき。
かれここに天の
忍日
の命
天
つ
久米
の命
二人
、天の
石靫
一三を取り負ひ、
頭椎
の大刀
一四を取り佩き、天の
波士弓
を取り持ち、天の
眞鹿兒矢
を
手挾
み、
御前
に立ちて仕へまつりき。かれその天の忍日の命、こは
大伴
の
連
等が祖。天つ久米の命、こは久米の直等が祖なり。
ここに詔りたまはく、「
此地
は韓國に向ひ
笠紗
の
御前
にま來通りて
一五、朝日の
直
刺
す國、夕日の
日照
る國なり。かれ
此地
ぞいと吉き
地
」と詔りたまひて、底つ石根に宮柱太しり、高天の原に
氷椽
高しりてましましき。
一 天上のわかれ道。
二 相對する神に顏で勝つ神だ。
三 五つの部族。トモノヲは人々の團體。この五神以下多くは皆天の岩戸の神話に出て、兩者の密接な關係にあることを示す。
四 岩戸の神話で天照らす大神を招いだ。
五 岩戸の神話における岩屋戸の神格。
六 天皇の御前にあつて政治をせよ。智惠思慮の神靈だからこのようにいう。
七 伊勢神宮の内宮。サククシロは、口のわれた腕輪の意で枕詞。
八 伊勢神宮の外宮。トユウケの神は豐受の神とも書き穀物の神。この神が從つて下つたともなく出たのは突然であるが豐葦原の水穗の神靈だから出したのである。外宮の鎭座は、雄略天皇の時代の事と傳える。
九 この二つの別名は、御門祭の祝詞に見える名で、門戸の神靈として尊んでいる。
一〇 天から御座を離れ雲をおし分け威勢よく道を別けて。
一一 天の階段から下に浮渚があつてそれにお立ちになつたと解されている。古語を語り傳えたもの。
一二 鹿兒島縣の霧島山の一峰、宮崎縣西臼杵郡など傳説地がある。思想的には大嘗祭の稻穗の上に下つたことである。
一三 堅固な靫。矢を入れて背負う。
一四 柄の頭がコブになつている大刀。實は石器だろう。
一五 外國に向つて笠紗の御前へ筋が通つて。カササの御前は、鹿兒島縣川邊郡の岬。高千穗の嶽の所在をその方面にありとする傳えから來たのであろう。
かれここに天の宇受賣の命に詔りたまはく、「この御前に立ちて仕へまつれる
猿田
毘古の大神は、もはら顯し申せる
汝
送りまつれ。またその神の御名は、
汝
負ひて仕へまつれ」とのりたまひき。ここを以ちて
猿女
の君等、その猿田毘古の男神の名を負ひて、
女
を猿女の君
一と呼ぶ事これなり。かれその猿田毘古の神、
阿耶訶
二に坐しし時に、
漁
して、
比良夫
貝
三にその手を咋ひ合はさえて
海水
に溺れたまひき。かれその底に沈み居たまふ時の名を、
底
どく
御魂
四といひ、その海水のつぶたつ時の名を、つぶ立つ
御魂
といひ、その
沫
咲く時の名を、あわ咲く
御魂
といふ。
ここに猿田毘古の神を送りて、還り到りて、すなはち悉に
鰭
の廣物鰭の
狹
物
五を追ひ聚めて問ひて曰はく、「
汝
は天つ神の御子に仕へまつらむや」と問ふ時に、諸の魚どもみな「仕へまつらむ」とまをす中に、
海鼠
白さず。ここに天の宇受賣の命、
海鼠
に謂ひて、「この口や答へせぬ口」といひて、
紐小刀
以ちてその口を
拆
きき。かれ今に海鼠の口
拆
けたり。ここを以ちて、
御世
、島の
速贄
六獻る時に、猿女の君等に給ふなり。
一 猿女の君は朝廷にあつて神事その他に奉仕した。
二 三重縣壹志郡。
三 不明。月日貝だともいう。
四 海底につく神靈。
五 大小の魚。
六 志摩の國から奉る海産のたてまつり物。
ここに
天
つ
日高日子番
の
邇邇藝
の命、
笠紗
の
御前
に、
麗
き
美人
に遇ひたまひき。ここに、「誰が女ぞ」と問ひたまへば、答へ白さく、「
大山津見
の神の女、名は
神阿多都
比賣
一。またの名は
木
の
花
の
佐久夜
毘賣とまをす」とまをしたまひき。また「汝が
兄弟
ありや」と問ひたまへば答へ白さく、「我が姉
石長
比賣あり」とまをしたまひき。ここに詔りたまはく、「吾、汝に
目合
せむと思ふはいかに」とのりたまへば答へ白さく、「
僕
はえ白さじ。僕が父大山津見の神ぞ白さむ」とまをしたまひき。かれその父大山津見の神に乞ひに遣はしし時に、いたく
歡喜
びて、その姉
石長
比賣を副へて、
百取
の
机代
の物
二を持たしめて奉り
出
しき。かれここにその姉は、いと
醜
きに因りて、見
畏
みて、返し送りたまひて、ただその
弟
木
の
花
の
佐久夜
賣毘を[#「木 の花 の佐久夜 賣毘を」はママ]留めて、
一宿
婚
しつ。ここに大山津見の神、
石長
比賣を返したまへるに因りて、いたく恥ぢて、白し送りて
言
さく、「
我
が女
二人
竝べたてまつれる
由
は、石長比賣を使はしては、天つ神の御子の
命
は、雪
零
り風吹くとも、恆に
石
の如く、
常磐
に
堅磐
に動きなくましまさむ。また
木
の
花
の
佐久夜
毘賣を使はしては、木の花の榮ゆるがごと榮えまさむと、
誓
ひて
貢進
りき。ここに今
石長
比賣を返さしめて、
木
の
花
の
佐久夜
毘賣をひとり留めたまひつれば、天つ神の御子の
御壽
は、木の花のあまひのみましまさむとす」とまをしき。かれここを以ちて今に至るまで、
天皇
たちの御命長くまさざるなり。
かれ後に
木
の
花
の
佐久夜
毘賣、まゐ出て白さく、「
妾
は
妊
みて、今
産
む時になりぬ。こは天つ神の御子、
私
に産みまつるべきにあらず。かれ
請
す」とまをしたまひき。ここに詔りたまはく、「佐久夜毘賣、
一宿
にや妊める。こは我が子にあらじ。かならず國つ神の子にあらむ」とのりたまひき。ここに答へ白さく、「吾が妊める子、もし國つ神の子ならば、
産
む時
幸
くあらじ。もし天つ神の御子にまさば、幸くあらむ」とまをして、すなはち戸無し八尋殿
三を作りて、その
殿内
に入りて、
土
もちて塗り
塞
ぎて、産む時にあたりて、その殿に火を著けて
四産みたまひき。かれその火の盛りに
燃
ゆる時に、
生
れませる子の名は、
火照
の命(こは隼人阿多の君の祖なり。)次に生れませる子の名は
火須勢理
の命
五、次に生れませる子の御名は
火遠理
の命
六、またの名は
天
つ
日高日子穗穗出見
の命三柱。
一 アタは地名。鹿兒島縣日置郡。
二 多數の机上に乘せる物。
三 戸の無い大きな家屋。分娩のために特に家を作りその中に入つて周圍を塗り塞ぐ。
四 出産後にその産屋を燒く風習のあるのを、このように表現している。
五 火の衰える意の名。
六 火の靜まる意の名。
かれ
火照
の命は、
海佐知
毘古
一として、
鰭
の廣物鰭の
狹
物を取り、
火遠理
の命は
山佐知
毘古として、毛の
物毛の
柔
物
二を取りたまひき。ここに
火遠理
の命、その
兄
火照
の命に、「おのもおのも幸
易
へて用ゐむ」と
謂
ひて、三度乞はししかども、許さざりき。然れども遂にわづかにえ易へたまひき。ここに
火遠理
の命、海幸
三をもちて
魚
釣らすに、ふつに一つの魚だに得ず、またその
鉤
をも海に失ひたまひき。ここにその
兄
火照の命その鉤を乞ひて、「山幸もおのが幸幸。海幸もおのが幸幸。今はおのもおのも幸返さむ」といふ時に、その
弟
火遠理の命答へて曰はく、「
汝
の鉤は、魚釣りしに一つの魚だに得ずて、遂に海に失ひつ」とまをしたまへども、その兄
強
に乞ひ
徴
りき。かれその弟、御佩しの十拳の劒を破りて、
五百鉤
を作りて、
償
ひたまへども、取らず、また一
千鉤
を作りて、償ひたまへども、受けずして、「なほその本の鉤を得む」といひき。
ここにその弟、泣き患へて
海邊
にいましし時に、
鹽椎
の神
四來て問ひて曰はく、「
何
にぞ
虚空津日高
五の泣き患へたまふ
所由
は」と問へば、答へたまはく、「我、兄と
鉤
を易へて、その鉤を失ひつ。ここにその鉤を乞へば、
多
の鉤を償へども、受けずて、なほその本の鉤を得むといふ。かれ泣き患ふ」とのりたまひき。ここに鹽椎の神、「我、汝が命のために、善き
議
せむ」といひて、すなはち
間
なし
勝間
の小船
六を造りて、その船に載せまつりて、教へてまをさく、「我、この船を押し流さば、やや
暫
いでまさば、
御路
あらむ。すなはちその道に乘りていでましなば、
魚鱗
のごと造れる
宮室
七、それ
綿津見
の神の宮なり。その神の御門に到りたまはば、傍の井の上に
湯津香木
八あらむ。かれその木の上にましまさば、その
海
の神の女、見て
議
らむものぞ」と教へまつりき。
かれ教へしまにまに、少し
行
でましけるに、つぶさにその言の如くなりき。すなはちその香木に登りてまします。ここに
海
の神の女
豐玉毘賣
の
從婢
、
玉
九を持ちて、水酌まむとする時に、井に
光
あり。仰ぎ見れば、
麗
しき
壯夫
あり。いと
奇
しとおもひき。ここに火遠理の命、その
婢
を見て、「水をたまへ」と乞ひたまふ。婢すなはち水を酌みて、玉
に入れて
貢進
る。ここに水をば飮まさずして、御頸の
を解かして、口に
含
みてその玉
に
唾
き
入
れたまひき。ここにその
、
器
に著きて
一〇、婢
をえ離たず、かれ著きながらにして豐玉毘賣の命に進りき。ここにその
を見て、婢に問ひて曰く、「もし
門
の
外
に人ありや」と問ひしかば、答へて曰はく、「我が井の上の香木の上に人います。いと麗しき壯夫なり。我が王にも益りていと貴し。かれその人水を乞はしつ。かれ水を奉りしかば、水を飮まさずて、この
を唾き入れつ。これえ離たざれば、入れしまにま
將
ち來て獻る」とまをしき。ここに豐玉毘賣の命、奇しと思ほして、出で見て
見感
でて、
目合
して、その父に、白して曰はく、「吾が門に麗しき人あり」とまをしたまひき。ここに
海
の神みづから出で見て、「この人は、天つ日高の御子、虚空つ日高なり」といひて、すなはち内に率て入れまつりて、
海驢
の皮の疊八重
一一を敷き、また
疊八重
一二をその上に敷きて、その上に
坐
せまつりて、百取の
机代
の物を具へて、
御饗
して、その女
豐玉
毘賣に
婚
はせまつりき。かれ三年
一三に至るまで、その國に住みたまひき。
ここに火遠理の命、その初めの事を思ほして、大きなる
歎
一つしたまひき。かれ
豐玉
毘賣の命、その歎を聞かして、その父に白して言はく、「三年住みたまへども、恆は歎かすことも無かりしに、
今夜
大きなる歎一つしたまひつるは、けだしいかなる由かあらむ」とまをしき。かれ、その父の大神、その聟の夫に問ひて曰はく、「
今旦
我が女の語るを聞けば、三年坐しませども、恆は歎かすことも無かりしに、今夜大きなる歎したまひつとまをす。けだし故ありや。また
此間
に來ませる由はいかに」と問ひまつりき。ここにその大神に語りて、つぶさにその兄の失せにし鉤を
徴
れる状の如語りたまひき。ここを以ちて海の神、悉に鰭の廣物鰭の狹物を召び集へて問ひて曰はく、「もしこの鉤を取れる魚ありや」と問ひき。かれ諸の魚ども白さく、「このごろ
赤海
魚
ぞ、
喉
に
一四ありて、物え食はずと愁へ言へる。かれかならずこれが取りつらむ」とまをしき。ここに赤海
魚の喉を探りしかば、鉤あり。すなはち取り出でて
清洗
ぎて、火遠理の命に奉る時に、その綿津見の大神
誨
へて曰さく、「この鉤をその兄に給ふ時に、のりたまはむ状は、この鉤は、
淤煩鉤
[#ルビの「おばち」はママ]、
須須鉤
、
貧鉤
、
宇流鉤
といひて
一五、
後手
一六に賜へ。然してその兄
高田
を作らば、汝が命は
下田
を
營
りたまへ。その兄下田を作らば、汝が命は高田を營りたまへ
一七。然したまはば、吾水を
掌
れば、三年の間にかならずその兄貧しくなりなむ。もしそれ然したまふ事を恨みて攻め戰はば、
鹽
盈
つ
珠
一八を出して溺らし、もしそれ愁へまをさば、
鹽
乾
る
珠
を出して
活
し、かく
惚苦
めたまへ」とまをして、鹽盈つ珠鹽乾る珠并せて
兩箇
を授けまつりて、すなはち悉に鰐どもをよび集へて、問ひて曰はく、「今天つ日高の御子虚空つ日高、
上
つ
國
一九に
幸
でまさむとす。誰は幾日に送りまつりて、
覆
奏
さむ」と問ひき。かれおのもおのもおのが身の
尋長
のまにまに、日を限りて白す中に、一尋鰐
二〇白さく、「
僕
は一日に送りまつりて、やがて還り來なむ」とまをしき。かれここにその一尋鰐に告りたまはく、「然らば汝送りまつれ。もし
海
中を渡る時に、な
惶畏
せまつりそ」とのりて、すなはちその鰐の頸に載せまつりて、送り出しまつりき。かれ
期
りしがごと一日の内に送りまつりき。その鰐返りなむとする時に、佩かせる紐小刀
二一を解かして、その頸に著けて返したまひき。かれその一尋鰐は、今に
佐比持
の神
二二といふ。
ここを以ちてつぶさに
海
の神の教へし言の如、その鉤を與へたまひき。かれそれより後、いよよ貧しくなりて、更に荒き心を起して迫め
來
。攻めむとする時は、鹽盈つ珠を出して溺らし、それ愁へまをせば、鹽乾る珠を出して救ひ、かく
惚苦
めたまひし時に、
稽首
白さく、「
僕
は今よ
以後
、汝が命の
晝夜
の
守護人
となりて仕へまつらむ」とまをしき。かれ今に至るまで、その溺れし時の種種の
態
、絶えず仕へまつるなり
二三。
一 海の幸のある男。サチは威力で、道具に宿つておりサチを有する者が獲物が多いのである。
二 獸類と鳥類。
三 海のサチの宿つている釣針。
四 海水の神靈。諸國の海岸にうち寄せるので物知りだとする。
五 日子穗穗出見の命。
六 すきまの無い籠の船。實際的には竹の類で編んで樹脂を塗つて作つた船であり、思想的には神の乘物である。
七 魚のうろこのように作つた宮殿。瓦ぶきの家で大陸の建築が想像されている。
八 井の傍の樹木に神が降るのは、信仰にもとづくきまつた型である。
九 美しい椀。
一〇 水を汲んだ椀に樹上にいた神の靈がついたのである。
一一 海獸アシカの皮の敷物を八重にかさねて。
一二 織つたままの絹の敷物八重をかさねて。
一三 この種の説話に出るきまつた年數。浦島も龍宮に三年いたという。
一四 のどにささつた骨があつて。
一五 鉤をわるく言つてサチを離れさせるのである。ぼんやり鉤、すさみ鉤、貧乏鉤、愁苦の鉤。
一六 手をうしろにしてあげなさい。呪術の意味である。
一七 毎年土地を選定して耕作するので、水の多い年には高田を作るに利あり、水の無い年はその反對である。
一八 海は潮が滿ち干するので、海の神は水のさしひきをつかさどるとし、それはその力を有する玉を持つているからと考えた。動詞乾るは古くは上二段活で、連體形はフル。
一九 人間の世界。上方にあると考えた。
二〇 人が左右に手をひろげた長さのワニ。ワニは三九頁
[#「三九頁」は「大國主の神」の「菟と鰐」]參照。
二一 紐のついている小刀。
二二 鋤を持つている神。サヒは鋤であり武器でもある。
二三 隼人が亂舞をして宮廷に仕えることの起原説明。隼人舞はその種族の獨自の舞であるのを溺れるさまのまねとして説明した。
ここに
海
の神の女
豐玉
毘賣の命、みづからまゐ出て白さく、「
妾
すでに妊めるを、今
産
む時になりぬ。こを念ふに、天つ神の御子、海原に生みまつるべきにあらず、かれまゐ出きつ」とまをしき。ここにすなはちその海邊の
波限
に、鵜の羽を
葺草
にして、
産殿
を造りき。ここにその
産殿
、いまだ葺き合へねば、御腹の
急
きに
忍
へざりければ、産殿に入りましき。ここに産みます時にあたりて、その
日子
一ぢに白して言はく、「およそ
他
し國の人は、
産
む時になりては、
本
つ國の形になりて生むなり。かれ、妾も今
本
の身になりて産まむとす。願はくは妾をな見たまひそ」とまをしたまひき
二。ここにその言を奇しと思ほして、そのまさに産みますを
伺見
たまへば、八尋鰐になりて、
匍匐
ひもこよひき
三。すなはち見驚き畏みて、遁げ
退
きたまひき。ここに
豐玉
毘賣の命、その
伺見
たまひし事を知りて、うら
恥
しとおもほして、その御子を生み置きて白さく、「
妾
、恆は
海道
を通して、通はむと思ひき。然れども吾が形を
伺見
たまひしが、いと
しきこと」とまをして、すなはち
海坂
を
塞
きて、返り入りたまひき。ここを以ちてその
産
みませる御子に名づけて、
天
つ
日高日子波限建鵜葺草葺合
へずの命とまをす。然れども後には、その
伺見
たまひし御心を恨みつつも、
戀
ふる心にえ
忍
へずして、その御子を
養
しまつる
縁
に因りて、その
弟
玉依毘賣に附けて、歌獻りたまひき。その歌、
赤玉は 緒さへ
光
れど、
白玉の 君が
裝
し
四
貴くありけり。 (歌謠番號八)
かれその
日子
答へ歌よみしたまひしく、
奧
つ鳥
五
鴨著
く島に
我が
率寢
し 妹は忘れじ。
世の
盡
に。 (歌謠番號九)
かれ日子穗穗出見の命は、高千穗の宮に
五百八拾歳
ましましき。御
陵
はその高千穗の山の西にあり。
一 ヒコホホデミの命。
二 この種の説話の要素の一である女子の命ずる禁止であり、男子がその禁を破ることによつて別離になる。イザナミの命の黄泉訪問の神話にもこれがあつた。
三 大きなワニになつて這いまわつた。
四 白玉のような君の容儀。下のシは強意の助詞。
五 説明による枕詞。
この天つ日高日子波限建鵜葺草葺合へずの命、その
姨
玉依毘賣の命に娶ひて、生みませる御子の名は、五瀬の命、次に
稻氷
の命、次に
御毛沼
の命、次に
若御毛沼
の命
一、またの名は
豐御毛沼
の命、またの名は
神倭伊波禮毘古
の命
二四柱。かれ御毛沼の命は、波の穗を
跳
みて、常世の國に渡りまし、稻氷の命は、
妣
の國
三として、海原に入りましき。
一 神武天皇。神武天皇の稱は漢風の諡號といい奈良時代に奉つたもの。
二 大和の國の磐余の地においでになつた御方の意。
三 亡き母豐玉毘賣の國。
古事記 上つ卷
神倭伊波禮毘古 の命、その同母兄 五瀬の命と二柱、高千穗の宮にましまして議 りたまはく、「いづれの地 にまさば、天の下の政を平けく聞 しめさむ。なほ東のかたに、行かむ」とのりたまひて、すなはち日向 一より發 たして、筑紫に幸 でましき。かれ豐國の宇沙 二に到りましし時に、その土人 名は宇沙都比古 、宇沙都比賣 二人、足一騰 の宮三を作りて、大御饗 獻りき。其地 より遷りまして、竺紫 の岡田の宮四に一年ましましき。またその國より上り幸でまして、阿岐 の國の多祁理 の宮五に七年ましましき。またその國より遷り上り幸でまして、吉備の高島の宮六に八年ましましき。
一 九州の東方。
二 大分縣宇佐。
三 柱が一本浮き上つた宮殿。
四 福岡縣遠賀郡遠賀川の河口の地。
五 廣島縣安藝郡。
六 岡山縣兒島郡。
かれその國より上り幸でます時に、龜の甲 に乘りて、釣しつつ打ち羽振り來る人一、速吸 の門 二に遇ひき。ここに喚びよせて、問ひたまはく、「汝 は誰ぞ」と問はしければ、答へて曰はく、「僕 は國つ神なり」とまをしき。また問ひたまはく「汝は海 つ道 を知れりや」と問はしければ、答へて曰はく、「能く知れり」とまをしき。また問ひたまはく「從 に仕へまつらむや」と問はしければ、答へて曰はく「仕へまつらむ」とまをしき。かれここに槁 を指し度 して、その御船に引き入れて、槁根津日子 といふ名を賜ひき。(こは倭の國の造等が祖なり。)
一 勢いよくくる人。
二 潮のさしひきの早い海峽。豐後水道。岡山縣を出て難波に向うのに豐後水道を通つたとするは地理上不合理であるが、元來この一節は別に遊離していたものが插入されたので、このような形になつた。日本書紀では日向から出て直に速吸の門にかかつている。
かれその國より上り
行
でます時に、
浪速
の
渡
一を經て、青雲
二の
白肩
の津
三に
泊
てたまひき。この時に、
登美
の
那賀須泥毘古
四、軍を興して、待ち向へて戰ふ。ここに、御船に入れたる楯を取りて、
下
り立ちたまひき。かれ
其地
に號けて
楯津
といふ。今には
日下
の
蓼津
といふ。ここに
登美
毘古と戰ひたまひし時に、
五瀬
の命、御手に登美毘古が
痛矢串
を負はしき。かれここに詔りたまはく、「吾は日の神の御子として、日に向ひて戰ふことふさはず。かれ
賤奴
が痛手を負ひつ。今よは行き
りて、日を背に負ひて撃たむ」と、
期
りたまひて、南の方より
り幸でます時に、
血沼
の海
五に到りて、その御手の血を洗ひたまひき。かれ血沼の海といふ。
其地
より
り幸でまして、
紀
の國の
男
の
水門
六に到りまして、詔りたまはく、「
賤奴
が手を負ひてや、命すぎなむ」と
男健
して
崩
りましき。かれその
水門
に名づけて
男
の水門といふ。
陵
は紀の國の
竈山
七にあり。
一 難波の渡。當時は大阪灣が更に深く灣入し、大和の國の水を集めた大和川は、河内の國に入つて北流して淀川に合流していた。それを溯上して河内に入つたのである。
二 枕詞。
三 大阪府中河内郡、生駒山の西麓。
四 生駒山の東登美にいた豪族の主長。
五 大阪府泉南郡の海岸。
六 和歌山縣、紀の川の河口。
七 和歌山縣海草郡。
かれ神倭伊波禮毘古の命、
其地
より
り幸でまして、
熊野
の村
一に到りましし時に、大きなる熊
二、
髣髴
に出で入りてすなはち失せぬ。ここに神倭伊波禮毘古の命
忽
にをえまし
三、また御軍も皆をえて伏しき。この時に熊野の
高倉下
、一
横刀
をもちて、天つ神の御子
四の
伏
せる
地
に到りて獻る時に、天つ神の御子、すなはち
寤
め起ちて、「
長寢
しつるかも」と詔りたまひき。かれその
横刀
を受け取りたまふ時に、その熊野の山の
荒
ぶる神おのづからみな切り
仆
さえき。ここにそのをえ伏せる御軍悉に寤め起ちき。かれ天つ神の御子、その
横刀
を獲つるゆゑを問ひたまひしかば、高倉
下
答へまをさく、「おのが夢に、天照らす大神高木の神二柱の神の命もちて、
建御雷
の神を
召
びて詔りたまはく、葦原の中つ國はいたく
騷
ぎてありなり。我が御子たち
不平
みますらし
五。その葦原の中つ國は、もはら
汝
が
言向
けつる國なり。かれ汝建御雷の神
降
らさね」とのりたまひき。ここに答へまをさく、「
僕
降らずとも、もはらその國を
平
けし横刀あれば、この
刀
を降さむ。(この刀の名は佐士布都の神といふ。またの名は甕布都の神といふ、またの名は布都の御魂。この刀は石上の神宮に坐す。)この刀を降さむ状は、高倉下が倉の
頂
を穿ちて、そこより墮し入れむとまをしたまひき
六。かれ朝目
吉
く汝取り持ちて天つ神の御子に獻れと、のりたまひき。かれ夢の教のまにま、
旦
におのが倉を見しかば、
信
に
横刀
ありき。かれこの横刀をもちて獻らくのみ」とまをしき。
ここにまた高木の大神の命もちて、
覺
し白したまはく、「天つ神の御子、こよ奧つ方にな入りたまひそ。荒ぶる神いと
多
にあり。今天より
八咫烏
七を
遣
はさむ。かれその八咫烏導きなむ。その立たむ
後
より幸でまさね」と、のりたまひき。かれその
御教
のまにまに、その八咫烏の後より
幸
でまししかば、
吉野
河の河尻
八に到りましき。時に
筌
九をうちて
魚
取る人あり。ここに天つ神の御子「
汝
は誰そ」と問はしければ、答へ白さく、「
僕
は國つ神名は
贄持
の子」とまをしき。(こは阿陀の鵜養の祖なり。)
其地
より幸でまししかば、尾ある人
一〇井より出で來。その井光れり。「汝は誰そ」と問はしければ、答へ白さく、「僕は國つ神名は
井氷鹿
」とまをしき。(こは吉野の首等が祖なり。)すなはちその山に入りまししかば、また尾ある人に遇へり。この人
巖
を押し分けて出で
來
。「汝は誰そ」と問はしければ、答へ白さく、「僕は國つ神名は
石押分
の子、今天つ神の御子
幸
でますと聞きつ。かれ、まゐ向へまつらくのみ」とまをしき。(こは吉野の國巣一一が祖なり。)
其地
より蹈み穿ち越えて、
宇陀
一二に幸でましき。かれ
宇陀
の
穿
といふ。
一 和歌山縣南方の海岸一帶。
二 荒ぶる神が熊になつて現れたのでその毒氣を受けたとする。
三 病み疲れたまい。
四 神武天皇のこと。天つ神の御子として降下したとする。
五 惱んで居られるらしい。
六 奈良縣山邊郡の石上神宮。フツは劒の威力。物を斬る音という。
七 大きな烏。頭八つの烏とするは誤。ヤタは寸法。ヤアタの鏡のヤアタに同じ。この烏は鴨の建角身の命という豪傑だという。
八 大和の國内での吉野川の下流。
九 竹で編んで河に漬けて魚を取る漁法。
一〇 後部に垂れたもののある服裝の人。
一一 一三三頁
[#「一三三頁」は「應神天皇」の「國主歌」]に説話がある。
一二 奈良縣宇陀郡。大和の國の東部。
かれここに宇陀に、
兄宇迦斯
弟宇迦斯
一と二人あり。かれまづ八咫烏を遣はして、二人に問はしめたまはく、「今、天つ神の御子
幸
でませり。
汝
たち仕へまつらむや」と問ひたまひき。ここに兄宇迦斯、
鳴鏑
もちて、その使を待ち射返しき。かれその鳴鏑の落ちし
地
を、
訶夫羅前
二といふ。「待ち撃たむ」といひて、
軍
を聚めしかども、軍をえ聚めざりしかば、仕へまつらむと
欺陽
りて、大殿を作りて、その
殿内
に
押機
を作りて待つ時に、
弟宇迦斯
まづまゐ向へて、
拜
みてまをさく、「僕が兄兄宇迦斯、天つ神の御子の使を射返し、待ち攻めむとして軍を聚むれども、え聚めざれば、殿を作り、その内に
押機
を張りて、待ち取らむとす、かれまゐ向へて顯はしまをす」とまをしき。ここに
大伴
の
連
等が祖
道
の
臣
の命、
久米
の
直
等が祖
大久米
の命二人、
兄宇迦斯
を
召
びて、
罵
りていはく、「
三が作り仕へまつれる
大殿内
には、おれ
四まづ入りて、その仕へまつらむとする状を明し白せ」といひて、
横刀
の
手上
握
り
五、
矛
ゆけ矢刺して
六、追ひ入るる時に、すなはちおのが作れる
押機
に打たれて死にき。ここに
控
き出して斬り
散
りき。かれ
其地
を宇陀の血原
七といふ。然してその
弟宇迦斯
が獻れる
大饗
をば、悉にその
御軍
に賜ひき。この時、御歌よみしたまひしく、
宇陀の
高城
八に
鴫羂
張る。
我
が待つや
九 鴫は
障
らず、
いすくはし
一〇
鷹
ら
障
る
一一。
前妻
一二が
菜
乞はさば、
立柧
一三の 實の
無
けくを
こきしひゑね
一四。
後妻
一五が 菜乞はさば、
實
一六の大けくを
こきだひゑね
一七 (歌謠番號一〇)
ええ、しやこしや。こはいのごふぞ
一八。ああ、しやこしや。こは
嘲咲
ふぞ。かれその弟宇迦斯、こは宇陀の
水取
等が祖なり。
其地
より幸でまして、
忍坂
一九の大室に到りたまふ時に、尾ある土雲
二〇
八十建
、その室にありて待ちいなる
二一。かれここに天つ神の御子の命もちて、
御饗
を
八十建
に賜ひき。ここに八十建に宛てて、八十
膳夫
を
設
けて、人ごとに
刀
佩けてその
膳夫
どもに、誨へたまはく、「歌を聞かば、
一時
に斬れ」とのりたまひき。かれその土雲を打たむとすることを
明
して歌よみしたまひしく、
忍坂
の 大室屋に
人
多
に
來
入り居り。
人多に 入り居りとも、
みつみつし
二二 久米の子が、
頭椎
い
二三
石椎
いもち
撃ちてしやまむ。
みつみつし 久米の子らが、
頭椎い 石椎いもち
今撃たば
善
らし。 (歌謠番號一一)
かく歌ひて、刀を拔きて、一時に打ち殺しつ。
然ありて後に、登美毘古を撃ちたまはむとする時、歌よみしたまひしく、
みつみつし 久米の子らが
粟生
には
臭韮
一
莖
二四、
そねが
莖
そね
芽
繋
ぎ
二五て
撃ちてしやまむ。 (歌謠番號一二)
また、歌よみしたまひしく、
みつみつし 久米の子らが
垣
下
に
植
ゑし
山椒
二六、
口ひひく
二七
吾
は忘れじ。
撃ちてしやまむ。 (歌謠番號一三)
また、歌よみしたまひしく、
神風
の
二八 伊勢の海の
大石
に はひもとほろふ
二九
細螺
三〇の、いはひもとほり
撃ちてしやまむ。 (歌謠番號一四)
また
兄師木
弟師木
三一を撃ちたまふ時に、御軍
暫
疲れたり。ここに歌よみしたまひしく、
楯並
めて
三二
伊那佐
の山
三三の
樹
の間よも い行きまもらひ
三四
戰へば
吾
はや
飢
ぬ
三五。
島つ鳥
三六
鵜養
が
徒
三七、
今
助
けに來ね。 (歌謠番號一五)
かれここに
邇藝速日
の命
三八まゐ
赴
きて、天つ神の御子にまをさく、「天つ神の御子
天降
りましぬと聞きしかば、追ひてまゐ降り來つ」とまをして、天つ
瑞
三九を獻りて仕へまつりき。かれ
邇藝速日
の命、登美毘古が妹
登美夜毘賣
に娶ひて生める子、
宇摩志麻遲
の命。(こは物部の連、穗積の臣、※[#「女+綵のつくり」、U+5A47、79-本文-17]臣が祖なり。)かれかくのごと、荒ぶる神どもを
言向
けやはし、
伏
はぬ人どもを
退
け
撥
ひて、
畝火
の
白檮原
の宮
四〇にましまして、天の下
治
らしめしき。
一 ウカチの地に居る人の義。兄弟とするのは首領と副首領の意。
二 所在不明。
三 二人稱の賤稱。
四 同前。既出。
五 大刀のつかをしかと握つて。
六 矛を向け矢をつがえて。
七 所在不明。
八 高い築造物。
九 ヤは間投の助詞。
一〇 枕詞。語義不明。
一一 朝鮮語に鷹をクチという。鯨とする説もある。この句まで譬喩。
一二 コナミは前に娶つた妻。古い妻である。
一三 ソバノ木、カナメモチ。
一四 語義不明の句。原文、「許紀志斐惠泥。」紀はキの乙類であるから、コキは動詞
扱
くとすれば上二段活になる。
一五 妻のある上に更に娶つた妻。
一六 ヒサカキ。
一七 語義不明の句。原文「許紀陀斐惠泥。」紀はキの乙類であるから、コキダは、許多の意のコキダクと同語では無いらしい。
一八 いばるのだ。靈異記に犬が威壓するのにイノゴフと訓している。イゴノフゾとする説は誤り。
一九 奈良縣磯城郡、泊瀬溪谷の入口。
二〇 穴居していた先住民。
二一 待ちうなる。
二二 敍述による枕詞。威勢のよい。
二三 既出の頭椎の大刀に同じ。イは語勢の助詞。イシツツイも同じ。石器である。
二四 くさいニラが一本。
二五 その根もとと芽とを一つにして。
二六 シヨウガは藥用植物で外來種であるからここはサンショウだろうという。
二七 口がひりひりする。
二八 枕詞。國つ神が大風を起して退去したからいうと傳える。
二九 這いまわつている。
三〇 ラセン形の貝殼の貝。肉は食料にする。
三一 磯城の地に居た豪族。
三二 枕詞。楯を並べて射るとイの音に續く。
三三 奈良縣宇陀郡伊那佐村。
三四 樹の間から行き見守つて。
三五 わたしは飢え疲れた。
三六 枕詞。
三七 前出の阿多の鵜養たち。鵜に助けに來いというのは魚を持つて來いの意である。
三八 系統不明。舊事本紀にはオシホミミの命の子とする。
三九 天から持つて來た寶物。
四〇 奈良縣畝傍山の東南の地。
かれ日向にましましし時に、
阿多
の
小椅
の君が妹、名は
阿比良
比賣に娶ひて、生みませる子、
多藝志美美
の命、次に
岐須美美
の命、二柱ませり。然れども更に、
大后
とせむ
美人
を
求
ぎたまふ時に、大久米の命まをさく、「ここに
媛女
あり。こを神の御子なりといふ。それ神の御子といふ
所以
は、三島の
湟咋
が女、名は
勢夜陀多良
比賣、それ
容姿麗
かりければ、美和の大物主の神
一、見
感
でて、その
美人
の
大便
まる時に、
丹塗
矢
二になりて、その大便まる溝より、流れ下りて、その美人の
富登
を突きき。ここにその美人驚きて、立ち走りいすすぎき
三。すなはちその矢を持ち來て、床の邊に置きしかば、忽に麗しき
壯夫
に成りぬ。すなはちその美人に娶ひて生める子、名は
富登多多良伊須須岐比賣
の命、またの名は
比賣多多良伊須氣余理比賣
といふ。(こはその富登といふ事を惡みて、後に改へつる名なり。)かれここを以ちて神の御子とはいふ」とまをしき。
ここに七
媛女
、
高佐士野
四に遊べるに、
伊須氣余理比賣
その中にありき。ここに大久米の命、その伊須氣余理比賣を見て、歌もちて天皇にまをさく、
倭
の 高佐士野を
七
行く
媛女
ども、
誰をしまかむ
五。 (歌謠番號一六)
ここに伊須氣余理比賣は、その媛女どもの
前
に立てり。すなはち天皇、その媛女どもを見て、御心に伊須氣余理比賣の
最前
に立てることを知らして、歌もちて答へたまひしく、
かつがつも
六 いや先立てる
愛
をしまかむ。 (歌謠番號一七)
ここに大久米の命、天皇の命を、その伊須氣余理比賣に
詔
る時に、その大久米の命の
黥
ける
利目
七を見て、
奇
しと思ひて、歌ひたまひしく、
天地
ちどりましとと
八 など
黥
ける
利目
。 (歌謠番號一八)
ここに大久米の命、答へ歌ひて曰ひしく、
媛女に
直
に逢はむと
九
吾
が黥ける
利目
。 (歌謠番號一九)
かれその
孃子
、「仕へまつらむ」とまをしき。ここにその伊須氣余理比賣の命の家は、
狹井
河
一〇の
上
にあり。天皇、その伊須氣余理比賣のもとに
幸
でまして、一夜
御寢
したまひき。(その河を佐韋河といふ由は、その河の邊に、山百合草多くあり。かれその山百合草の名を取りて、佐韋河と名づく。山百合草の本の名佐韋といひき。)
後にその
伊須氣余理比賣
、
宮内
にまゐりし時に、天皇、御歌よみしたまひしく、
葦原の しけしき
小屋
に
一一
菅疊
いや
清
敷きて
一二、
わが二人寢し。 (歌謠番號二〇)
然して
生
れませる御子の名は、
日子八井
の命、次に
神八井耳
の命、次に
神沼河耳
の命
一三三柱。
一 奈良縣磯城郡の三輪山の神。前に大國主の神の靈を祭るとしていた。大物主の神をも大國主の神の別名とするのだが、元來は別神だろう。
二 赤く塗つた矢。
三 立ち走り騷いだ。
四 香具山の附近。
五 マカムは纏かむで、手に卷こう。妻としよう。
六 わずかに。
七 目じりに入墨をして目を鋭く見せようとした。
八 語義不明。千人に勝れる人の義という。
九 直接に逢おうとして。
一〇 三輪山から出る川。
一一 きたない小舍に。
一二 菅で編んだ敷物をさつぱりと敷いて。
一三 綏靖天皇。
かれ天皇
崩
りまして後に、その
庶兄
當藝志美美
の命、その
嫡后
伊須氣余理比賣に
娶
へる時に、その三柱の
弟
たちを
殺
せむとして、謀るほどに、その
御祖
伊須氣余理比賣、
患苦
へまして、歌もちてその御子たちに知らしめむとして歌よみしたまひしく、
狹井河よ 雲起ちわたり
畝火山 木の葉さやぎぬ。
風吹かむとす。 (歌謠番號二一)
また歌よみしたまひしく、
畝火山 晝は雲とゐ
一、
夕されば 風吹かむとぞ
木の葉さやげる。 (歌謠番號二二)
ここにその御子たち聞き知りて、驚きて當藝志美美を
殺
せむとしたまふ時に、神沼河耳の命、その
兄
神八井耳の命にまをしたまはく、「なね
汝
が命、
兵
を持ちて
二入りて、當藝志美美を殺せたまへ」とまをしたまひき。かれ
兵
を持ちて、入りて
殺
せむとする時に、手足わななきてえ殺せたまはず。かれここにその
弟
神沼河耳の命、その兄の持てる
兵
を乞ひ取りて、入りて當藝志美美を
殺
せたまひき。かれまたその御名をたたへて、
建沼河耳
の命とまをす。
ここに神八井耳の命、弟建沼河耳の命に讓りてまをしたまはく、「
吾
は仇をえ殺せず、
汝
が命は既にえ殺せたまひぬ。かれ吾は兄なれども、
上
とあるべからず。ここを以ちて汝が命、上とまして、天の下
治
らしめせ。
僕
は汝が命を
扶
けて、
忌人
三となりて仕へまつらむ」とまをしたまひき。かれその日子八井の命は、
茨田
の連、手島の連が祖。神八井耳の命は、
意富
の臣
四、
小子部
の連、坂合部の連、火の君、
大分
の君、阿蘇の君、筑紫の
三家
の連、
雀部
の臣、雀部の造、
小長谷
の造、
都祁
の直、伊余の國の造、
科野
の國の造、道の奧の
石城
の國の造、
常道
の仲の國の造、長狹の國の造、伊勢の船木の直、尾張の
丹波
の臣、島田の臣等が祖なり。神沼河耳の命は天の下
治
らしめしき。
およそこの神倭伊波禮毘古の天皇、御年
一百三十七歳
、
御陵
は畝火山の北の方
白檮
の尾の上にあり。
一 トヰは、動搖する意の動詞。トヰナミ(萬葉集)のトヰと同語。
二 武器を持つて。
三 潔齋をして無事を祈る人。祭をおこなう人。
四 古事記の撰者太の安麻呂の系統。
神沼河耳の命
一、
葛城
の
高岡
の宮にましまして、天の下
治
らしめしき。この天皇、師木の縣主の祖、
河俣
毘賣に
娶
ひて、生みませる御子、
師木津日子玉手見
の命一柱。天皇、御年
四十五歳
、御陵は
衝田
の岡
二にあり。
一 綏靖天皇。以下八代は、多少の插入はあろうが、大體帝紀の形が殘つていると考えられる。
二 奈良縣高市郡。神武天皇陵の北にある。
師木津日子玉手見の命
一、
片鹽
の
浮穴
の宮
二にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、
河俣
毘賣の兄縣主
波延
が女、
阿久斗
比賣に
娶
ひて、生みませる御子、
常根津日子伊呂泥
の命、次に
大倭日子
友
の命、次に
師木津日子
の命。この天皇の御子
等
并せて、三柱の中、大倭日子
友の命は、天の下治らしめしき。次に師木津日子の命の御子二柱ます。一柱の子孫は、伊賀の須知の
稻置
、那婆理の稻置、三野の稻置が祖なり。一柱の御子
和知都美
の命は、
淡道
の
御井
の宮
三にましき。かれこの
王
、
女
二柱ましき。
兄
の名は
繩伊呂泥
、またの名は
意富夜麻登久邇阿禮
比賣の命、
弟
の名は
繩伊呂杼
なり
四。
天皇、御年
四拾九歳
、御陵は畝火山の
美富登
五にあり。
一 安寧天皇。
二 奈良縣北葛城郡。
三 兵庫縣三原郡。
四 この二女王は、孝靈天皇の妃。
五 畝火山の南のくぼみにある。
大倭日子
友
の命
一、
輕
の
境岡
の宮
二にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、師木の縣主の祖、
賦登麻和訶
比賣の命、またの名は
飯日
比賣の命に娶ひて、生みませる御子、
御眞津日子訶惠志泥
の命、次に
多藝志比古
の命二柱。かれ
御眞津日子訶惠志泥
の命は、天の下治らしめしき。次に當藝志比古の命は、血沼の別、多遲麻の竹の別、葦井の稻置が祖なり。
天皇、御年
四十五歳
、御陵は畝火山の
眞名子谷
の上
三にあり。
一 懿徳天皇。
二 奈良縣高市郡。
三 畝火山の南。
御眞津日子訶惠志泥
の命
一、葛城の
掖上
の宮
二にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、尾張の
連
の祖、
奧津余曾
が妹、名は
余曾多本毘賣
の命に娶ひて、生みませる御子、
天押帶日子
の命、次に
大倭帶日子國押人
の命二柱。かれ
弟
帶日子國押人
の命は、天の下治らしめしき。
兄
天押帶日子
の命は、春日の臣、大宅の臣、粟田の臣、小野の臣、柿本の臣、壹比韋の臣、大坂の臣、阿那の臣、多紀の臣、羽栗の臣、知多の臣、牟耶の臣、都怒山の臣、伊勢の飯高の君、壹師の君、近つ淡海の國の造が祖なり。
天皇、御年
九十三歳
、御陵は掖上の
博多
山の上
三にあり。
一 孝昭天皇。
二 奈良縣南葛城郡。
三 同前。
大倭帶日子國押人
の命
一、葛城の
室
の
秋津島
の宮
二にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、姪
忍鹿
比賣の命に娶ひて、生みませる御子、
大吉備
の
諸進
の命、次に
大倭根子日子賦斗邇
の命二柱。かれ
大倭根子日子賦斗邇
の命は、天の下治らしめしき。
天皇、御年
一百二十三歳
、御陵は
玉手
の岡の
上
三にあり。
一 孝安天皇。
二 奈良縣南葛城郡。
三 同前。
大倭根子日子賦斗邇
の命
一、
黒田
の
廬戸
の宮
二にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、
十市
の縣主の祖、
大目
が女、名は
細
比賣の命に娶ひて、生みませる御子、
大倭根子日子國玖琉
の命一柱。また
春日
の
千千速眞若
比賣に娶ひて、生みませる御子、
千千速
比賣の命一柱。また
意富夜麻登玖邇阿禮
比賣の命に娶ひて、生みませる御子、
夜麻登登母母曾毘賣
の命、次に
日子刺肩別
の命、次に
比古伊佐勢理毘古
の命、またの名は
大吉備津日子
の命、次に
倭飛羽矢若屋
比賣四柱。またその
阿禮
比賣の命の弟、
繩伊呂杼
に娶ひて、生みませる御子、
日子寤間
の命、次に
若日子建吉備津日子
の命二柱。この天皇の御子たち、并はせて八柱ませり。(男王五柱、女王三柱。)かれ
大倭根子日子國玖琉
の命は、天の下治らしめしき。
大吉備津日子
の命と
若建吉備津日子
の命とは、二柱相
副
はして、
針間
の
氷
の
河
の
前
三に
忌瓮
を
居
ゑて
四、針間を道の口として
五、吉備の國
六を
言向
け
和
したまひき。かれこの大吉備津日子の命は、吉備の上つ道の臣が祖なり。次に若日子建吉備津日子の命は、吉備の下つ道の臣、笠の臣が祖なり。次に
日子寤間
の命は、
針間
の牛鹿の臣が祖なり。次に
日子刺肩別
の命は、
高志
の
利波
の臣、豐國の國前の臣、五百原の君、
角鹿
の濟の直が祖なり。
天皇、御年
一百六歳
、御陵は片岡の
馬坂
の上
七にあり。
一 孝靈天皇。
二 奈良縣磯城郡。
三 兵庫縣加古郡。
四 清らかな酒瓶を置いて神を祭り行旅の無事を祈る。
五 播磨の國を道の入口として。
六 後の備前美作備中備後の四國の總稱。
七 奈良縣北葛城郡。
大倭根子日子國玖琉
の命
一、
輕
の
堺原
の宮
二にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、
穗積
の臣等が祖、
内色許男
の命が妹、
内色許賣
の命に娶ひて、生みませる御子、
大毘古
の命
三、次に
少名日子建猪心
の命、次に
若倭根子日子大毘毘
の命三柱。また
内色許男
の命が女、
伊迦賀色許賣
の命に娶ひて、生みませる御子、
比古布都押
の
信
の命一柱。また河内の
青玉
が女、名は
波邇夜須
毘賣に娶ひて、生みませる御子、
建波邇夜須毘古
の命一柱。この天皇の御子たち、并はせて五柱ませり。かれ
若倭根子日子大毘毘
の命は、天の下治らしめしき。その兄
大毘古
の命の子、
建沼河別
の命は、阿部の臣等が祖なり。次に
比古伊那許士別
の命、こは膳の臣が祖なり。
比古布都押
の
信
の命、
尾張
の
連
等が祖、
意富那毘
が妹、
葛城
の
高千那毘賣
に娶ひて、生みませる子、
味師内
の
宿禰
、こは山代の内の臣が祖なり。また
木
の
國
の
造
が祖、
宇豆比古
が妹、
山下影
日賣に娶ひて、生みませる子、
建内
の
宿禰
四。この建内の宿禰の子、并はせて
九人
(男七柱、女二柱。)波多の八代の宿禰は、波多の臣、林の臣、波美の臣、星川の臣、淡海の臣、長谷部の君が祖なり。次に
許勢
の
小柄
の宿禰は、許勢の臣、雀部の臣、輕部の臣が祖なり。次に
蘇賀
の
石河
の
宿禰
は、蘇我の臣、川邊の臣、田中の臣、高向の臣、小治田の臣、櫻井の臣、岸田の臣等が祖なり。次に
平群
の
都久
の宿禰は、平群の臣、佐和良の臣、馬の
御
の連等が祖なり。次に
木
の
角
の宿禰は、木の臣、都奴の臣、坂本の臣等が祖なり。次に
久米
の
摩伊刀
比賣、次に
怒
の
伊呂
比賣、次に
葛城
の
長江
の
曾都
毘古は、玉手の臣、的の臣、生江の臣、阿藝那の臣等が祖なり。また
若子
の宿禰は、江野の財の臣が祖なり。
この天皇、御年
五十七歳
、御陵は
劒
の
池
の
中
の
岡
の上
五にあり。
一 孝元天皇。
二 奈良縣高市郡。
三 九四頁
[#「九四頁」は「崇神天皇」の「將軍の派遣」]に事蹟がある。
四 一二〇頁
[#「一二〇頁」は「仲哀天皇」の「神功皇后」]以下に事蹟がある。この子孫は勢力を得たので、その子を詳記してあるが、帝紀としては加筆であろう。
五 奈良縣高市郡。
若倭根子日子大毘毘
の命
一、
春日
の
伊耶河
の宮
二にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、
旦波
の
大縣主
、名は
由碁理
が
女
、
竹野
比賣に娶ひて、生みませる御子、
比古由牟須美
の命一柱。また
庶母
伊迦賀色許賣
の命に娶ひて、生みませる御子、
御眞木入日子印惠
の命、次に
御眞津
比賣の命二柱。また
丸邇
の臣の祖、
日子國意祁都
の命が妹、
意祁都
比賣の命に娶ひて、生みませる御子、
日子坐
の王一柱。また
葛城
の
垂見
の宿禰が女、
比賣に娶ひて生みませる御子、
建豐波豆羅和氣
の王一柱。この天皇の御子たち、并はせて五柱(男王四柱、女王一柱。)かれ
御眞木入日子印惠
の命は、天の下治らしめしき。その
兄
比古由牟須美
の王の御子、
大筒木垂根
の王、次に
讚岐垂根
の王二柱。この二柱の王の女、五柱ましき。次に
日子坐
の王、
山代
の
荏名津
比賣、またの名は
苅幡戸辨
に娶ひて生みませる子、
大俣
の王、次に
小俣
の王、次に
志夫美
の
宿禰
の王三柱。また
春日
の
建國勝戸賣
が女、名は
沙本
の
大闇見戸賣
に娶ひて、生みませる子、
沙本毘古
の王、次に
袁耶本
の王、次に
沙本
毘賣の命、またの名は
佐波遲
比賣、(この沙本毘賣の命は伊久米三の天皇の后となりたまへり。)次に
室毘古
の王四柱。また
近
つ
淡海
の
御上
の
祝
がもちいつく
四、
天
の
御影
の神が女、
息長
の
水依
比賣に娶ひて、生みませる子、
丹波
の
比古多多須美知能宇斯
の王、次に
水穗
の
眞若
の王、次に
神大根
の王、またの名は
八瓜
の
入日子
の王、次に
水穗
の
五百依
比賣、次に
御井津
比賣五柱。またその母の弟
袁祁都
比賣の命に娶ひて、生みませる子、
山代
の
大筒木
の
眞若
の王、次に
比古意須
の王、次に
伊理泥
の王三柱。およそ
日子坐
の王の子、并はせて
十五王
。かれ
兄
大俣
の王の子、
曙立
の王
五、次に
菟上
の王二柱。この
曙立
の王は、伊勢の
品遲
部、伊勢の佐那の造が祖なり。
菟上
の王は、比賣陀の君が祖なり。次に
小俣
の王は當麻の勾の君が祖なり。次に
志夫美
の
宿禰
の王は佐佐の君が祖なり。次に
沙本毘古
の王は、日下部の連、甲斐の國の造が祖なり。次に
袁耶本
の王は、葛野の別、近つ淡海の蚊野の別が祖なり。次に
室毘古
の王は、若狹の耳の別が祖なり。その
美知能宇志
の王、
丹波
の河上の
摩須
の
郎女
に娶ひて、生みませる子、
比婆須
比賣の命
六、次に
眞砥野
比賣の命、次に
弟
比賣の命、次に
朝廷別
の王四柱。この
朝廷別
の王は、三川の穗の別が祖なり。この
美知能宇斯
の王の弟、
水穗
の
眞若
の王は、近つ淡海の安の直が祖なり。次に
神大根
の王は、三野の國の造、本巣の國の造、長幡部の連が祖なり。次に
山代
の
大筒木眞若
の王、
同母弟
伊理泥
の王が女、丹波の
阿治佐波
毘賣に娶ひて、生みませる子、
迦邇米雷
の王、この王、
丹波
の
遠津
の臣が女、名は
高材
比賣に娶ひて、生みませる子、
息長
の宿禰の王、この王、
葛城
の
高額
比賣に娶ひて、生みませる子、
息長帶
比賣の命、次に
虚空津
比賣の命、次に
息長日子
の王三柱。この王は吉備の品遲の君、針間の阿宗の君が祖なり。また
息長
の宿禰の王、
河俣
の
稻依
毘賣に娶ひて、生みませる子、
大多牟坂
の王、こは多遲摩の國の造が祖なり。
上
にいへる
建豐波豆羅和氣
の王は道守の臣、忍海部の造、御名部の造、稻羽の忍海部、丹波の竹野の別、依網の阿毘古等が祖なり。
天皇、御年
六十三歳
、御陵は
伊耶河
の坂の上
七にあり。
一 開化天皇。
二 奈良市。
三 垂仁天皇。九八頁
[#「九八頁」は「垂仁天皇」の「沙本毘古の叛亂」]にこの皇后の物語がある。
四 滋賀縣野洲郡の三上の神職が祭る。
五 一〇二頁
[#「一〇二頁」は「垂仁天皇」の「本牟智和氣の御子」]に物語がある。
六 以下の諸女王のこと、一〇四頁
[#「一〇四頁」は「垂仁天皇」の「丹波の四女王」]に物語があるが人數などに相違がある。
七 奈良市。
御眞木入日子印惠
の命
一、
師木
の
水垣
の宮
二にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、木の國の造、名は
荒河戸辨
が女、
遠津年魚目目微比賣
に娶ひて、生みませる御子、
豐木入日子
の命、次に
豐
入日賣
の命二柱。また
尾張
の連が祖
意富阿麻
比賣に娶ひて、生みませる御子、
大入杵
の命、次に
八坂
の
入日子
の命、次に
沼名木
の入日賣の命、次に
十市
の入日賣の命四柱。また
大毘古
の命が女、
御眞津
比賣の命に娶ひて、生みませる御子、
伊玖米入日子伊沙知
の命、次に
伊耶
の
眞若
の命、次に
國片
比賣の命、次に
千千都久和
比賣の命、次に
伊賀
比賣の命、次に
倭日子
の命六柱。この天皇の御子たち、并せて十二柱(男王七、女王五なり。)かれ
伊久米伊理毘古伊佐知
の命は、天の下治らしめしき。次に
豐木入日子
の命は、上つ毛野、下つ毛野の君等が祖なり。妹
豐
比賣の命は伊勢の大神の宮を
拜
き祭りたまひき。次に
大入杵
の命は、能登の臣が祖なり。次に
倭日子
の命は、この王の時に始めて陵に人垣を立てたり
三。
一 崇神天皇。
二 奈良縣磯城郡。
三 人を埋めて垣とするもの。
この天皇の御世に「
役病
多
に起り、
人民
盡きなむとしき。ここに天皇
愁歎
へたまひて、
神牀
一にましましける夜に、
大物主
の
大神
、御夢に顯はれてのりたまひしく、「こは
我
が御心なり。かれ
意富多多泥古
をもちて、我が御前に祭らしめたまはば、神の
氣
起らず
二、國も
安平
ならむ」とのりたまひき。ここを以ちて、
驛使
三を
四方
に
班
ちて、
意富多多泥古
といふ人を求むる時に、河内の
美努
の村
四にその人を見得て、
貢
りき。ここに天皇問ひたまはく、「
汝
は誰が子ぞ」と問ひたまひき。答へて白さく「
僕
は大物主の大神、
陶津耳
の命が女、
活玉依
毘賣に娶ひて生みませる子、名は
櫛御方
の命の子、
飯肩巣見
の命の子、
建甕槌
の命の子、
僕
意富多多泥古」とまをしき。
ここに天皇いたく歡びたまひて、詔りたまはく、「天の下平ぎ、
人民
榮えなむ」とのりたまひて、すなはち意富多多泥古の命を、
神主
五として、御諸山
六に、
意富美和
の大神の御前を
拜
き祭りたまひき。また
伊迦賀色許男
の命に仰せて、天の
八十平瓮
七を作り、天つ神
地
つ
祇
の社を定めまつりたまひき。また
宇陀
の
墨坂
八の神に、赤色の
楯矛
を祭り
九、また
大坂
の神
一〇に、墨色の楯矛を祭り、また
坂
の
御尾
の神、
河
の
瀬
の神までに、悉に
遺忘
ることなく
幣帛
まつりたまひき。これに因りて
役
の
氣
悉に
息
みて、
國家
安平
ぎき。
この意富多多泥古といふ人を、神の子と知れる
所以
は、上にいへる
活玉依
毘賣、それ顏好かりき。ここに
壯夫
ありて、その
形姿
威儀
時に
比
無きが、
夜半
の時にたちまち來たり。かれ
相感
でて
共婚
して、住めるほどに、いまだ
幾何
もあらねば、その
美人
姙
みぬ。
ここに父母、その
姙
める事を怪みて、その女に問ひて曰はく、「
汝
はおのづから
姙
めり。
夫
無きにいかにかも
姙
める」と問ひしかば、答へて曰はく、「
麗
しき
壯夫
の、その名も知らぬが、
夕
ごとに來りて住めるほどに、おのづからに
姙
みぬ」といひき。ここを以ちてその父母、その人を知らむと
欲
ひて、その女に
誨
へつらくは、「
赤土
を床の邊に散らし、
卷子紡麻
を針に
貫
きて、その衣の
襴
に刺せ」と
誨
へき
一一。かれ教へしが如して、
旦時
に見れば、針をつけたる
麻
は、戸の
鉤穴
より
控
き通りて出で、ただ
遺
れる
麻
一二は、
三勾
のみなりき。
ここにすなはち鉤穴より出でし状を知りて、絲のまにまに尋ね行きしかば、美和山に至りて、神の社に留まりき。かれその神の御子なりとは知りぬ。かれその
麻
の
三勾
遺
れるによりて、
其地
に名づけて
美和
といふなり。この意富多多泥古の命は、
神
の君、鴨の君が祖なり。
一 神に祈つて寢る床。夢に神意を得ようとする。
二 神のたたり。
三 馬に乘つて行く使。
四 大阪府中河内郡。日本書紀には茅渟の縣の陶の村としている。これは和泉の國である。
五 神のよりつく人。
六 奈良縣磯城郡の三輪山。
七 多くの平たい皿。既出の語。
八 奈良縣宇陀郡。大和の中央部から見て東方の通路の坂。
九 奉ることによつて祭をする。神に武器を奉つて魔物の入り來るを防ごうとする思想。
一〇 奈良縣北葛城郡二上山の北方を越える坂。大和の中央部から西方の坂。
一一 人間ならざる者の正體を見現すために行う。ヘソヲは絲卷にまいた麻。
一二 絲卷に殘つた麻。
またこの御世に、
大毘古
の命
一を
高志
の
道
に遣し、その子
建沼河別
の命を
東
の方
十二
道
二に遣して、その
服
はぬ人どもを言向け
和
さしめ、また
日子坐
の
王
をば、
旦波
の國
三に遣して、
玖賀耳
の
御笠
(こは人の名なり。)を
殺
らしめたまひき。
かれ
大毘古
の命、
高志
の國に罷り
往
でます時に、
腰裳
服
せる
少女
四、山代の
幣羅坂
五に立ちて、歌よみして曰ひしく、
御眞木入日子
六はや、
御眞木入日子はや、
おのが
命
を
竊
み
殺
せむと、
後
つ
戸
よ い行き
違
ひ
七
前
つ戸よ い行き違ひ
窺はく 知らにと
八、
御眞木入日子はや。 (歌謠番號二三)
と歌ひき。ここに
大毘古
の命、怪しと思ひて、馬を返して、その少女に問ひて曰はく、「
汝
がいへる言は、いかに言ふぞ」と問ひしかば、少女答へて曰はく、「
吾
は言ふこともなし。ただ歌よみしつらくのみ」といひて、その行く
方
も見えずして忽に失せぬ
九。かれ大毘古の命、更に還りまゐ上りて、天皇にまをす時に、天皇答へて詔りたまはく、「こは山代の國なる我が
庶兄
、
建波邇安
の王の、
邪
き心を起せる
表
ならむ。伯父、軍を興して、行かさね」とのりたまひて、
丸邇
の
臣
の祖、
日子國夫玖
の命を副へて、遣す時に、すなはち
丸邇坂
に
忌瓮
を
居
ゑて、罷り
往
でましき。
ここに山代の
和訶羅
河
一〇に到れる時に、その建波邇安の王、軍を興して、待ち遮り、おのもおのも河を中にはさみて、
對
き立ちて相
挑
みき。かれ
其地
に名づけて、
伊杼美
といふ。(今は伊豆美といふ。)ここに
日子國夫玖
の命、「
其方
の人まづ
忌矢
を放て」と乞ひいひき。ここにその建波邇安の王射つれどもえ中てず。ここに
國夫玖
の命の放つ矢は、建波邇安の王を射て
死
しき。かれその軍、悉に破れて逃げ
散
けぬ。ここにその逃ぐる軍を追ひ
迫
めて、
久須婆
の
渡
一一に到りし時に、みな迫めらえ
窘
みて、
屎
出でて、
褌
に懸かりき。かれ
其地
に名づけて
屎褌
といふ。(今は久須婆といふ。)またその逃ぐる軍を遮りて斬りしかば、鵜のごと河に浮きき。かれその河に名づけて、鵜河といふ。またその
軍士
を斬り
屠
りき。かれ、其地に名づけて
波布理曾能
一二といふ。かく
平
け訖へて、まゐ上りて
覆
奏
しき。
かれ
大毘古
の命は、先の命のまにまに、
高志
の國に罷り
行
でましき。ここに東の方より遣しし
建沼河別
、その父
大毘古
と共に、
相津
一三に往き遇ひき。かれ
其地
を
相津
といふ。ここを以ちておのもおのも遣さえし國の政を
和
し言向けて、
覆
奏
しき。
ここに天の下平ぎ、
人民
富み榮えき。ここに初めて
男
の
弓端
の
調
一四、
女
の
手末
の調
一五を
貢
らしめたまひき。かれその御世を
稱
へて、
初
國知らしし
一六、
御眞木
の天皇とまをす。またこの御世に、
依網
の池
一七を作り、また
輕
の
酒折
の池
一八を作りき。
天皇、御歳
一百六十八歳
、(戊寅の年の十二月に崩りたまひき。)御陵は、
山
の
邊
の
道
の
勾
の
岡
の
上
一九にあり。
一 孝元天皇の御子。
二 十二國に同じ。伊勢(志摩を含む)、尾張、參河、遠江、駿河、甲斐、伊豆、相模、武藏、總(上總、下總、安房)、常陸、陸奧の十二國であるという。
三 京都府の北部。
四 腰に裳をつけた少女。裳は女子の腰部にまとう衣服。
五 大和の國から山城の國に越えた所の坂。
六 崇神天皇。
七 後方の戸から人目をはずして。
八 窺うことを知らずにと、ニは打消の助動詞ヌの連用形。
九 神が少女に化して教えた意になる。
一〇 木津川の別名。
一一 大阪府北河内郡淀川の渡り場。
一二 京都府相樂郡。
一三 福島縣の會津。
一四 男子が弓によつて得た物の貢物。獸皮の類をいう。
一五 女子の手藝によつて得た物の貢物。織物、絲の類。
一六 新しい土地を領有した。
一七 大阪市東成區。
一八 奈良縣高市郡。
一九 奈良縣磯城郡。
伊久米伊理毘古伊佐知
の命
一、
師木
の
玉垣
の宮
二にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、
沙本毘古
の命が妹、
佐波遲
比賣の命
三に娶ひて、生みませる御子、
品牟都和氣
の命一柱。また
旦波
の
比古多多須美知能宇斯
の王が女、
氷羽州
比賣の命
四に娶ひて、生みませる御子、
印色
の
入日子
の命、次に
大帶日子淤斯呂和氣
の命、次に
大中津日子
の命、次に
倭
比賣の命、次に
若木
の
入日子
の命五柱。またその
氷羽州
比賣の命が弟、
沼羽田
の
入
毘賣の命に娶ひて、生みませる御子、
沼帶別
の命、次に
伊賀帶日子
の命二柱。またその
沼羽田
の
入
日賣の命が弟、
阿耶美
の
伊理
毘賣の命に娶ひて、生みませる御子、
伊許婆夜和氣
の命、次に、
阿耶美都
比賣の命二柱。また
大筒木垂根
の王が女、
迦具夜
比賣の命に娶ひて、生みませる御子、
袁那辨
の王一柱。また山代の
大國
の
淵
が女、
苅羽田刀辨
に娶ひて、生みませる御子、
落別
の王、次に
五十日帶日子
の王、次に
伊登志別
の王三柱。またその
大國
の
淵
が女、
弟苅羽田刀辨
に娶ひて、生みませる御子、
石衝別
の王、次に
石衝
毘賣の命、またの名は
布多遲
の
伊理
毘賣の命二柱。およそこの天皇の御子等、
十六王
ませり。(男王十三柱、女王三柱。)
かれ
大帶日子淤斯呂和氣
の命は、天の下治らしめしき。(御身のたけ一丈二寸、御脛の長さ四尺一寸ましき。)次に
印色
の
入日子
の命は、
血沼
の池
五を作り、また
狹山
の池を作り、また
日下
の
高津
の池
六を作りたまひき。また
鳥取
の河上の宮
七にましまして、
横刀
壹
仟口
を作らしめたまひき。こを
石
の
上
の神宮
八に納めまつる。すなはちその宮にましまして、河上部を定めたまひき
九。次に
大中津日子
の命は、山邊の別、三枝の別、稻木の別、阿太の別、尾張の國の三野の別、吉備の石
旡
の別、許呂母の別、高巣鹿の別、飛鳥の君、牟禮の別等が祖なり。次に
倭
比賣の命は、伊勢の大神の宮を
拜
き祭りたまひき。次に
伊許婆夜和氣
の王は、沙本の
穴本
部の別が祖なり。次に
阿耶美都
比賣の命は、稻瀬毘古の王に
嫁
ひましき。次に
落別
の王は、小目の山の君、三川の衣の君が祖なり。次に
五
十
日帶日子
の王は、春日の山の君、高志の池の君、春日部の君が祖なり。次に
伊登志和氣
の王は、子なきに因りて、子代として、伊登志部を定めき。次に
石衝別
の王は、
羽咋
の君、三尾の君が祖なり。次に
布多遲
の
伊理
毘賣の命は、倭建の命の后となりたまひき。
一 垂仁天皇。
二 奈良縣磯城郡。
三 沙本毘賣に同じ。開化天皇の皇女。
四 以下の三后妃は、開化天皇の卷に見え、また下に見える。その條參照。
五 大阪府泉南郡。
六 大阪府南河内郡。
七 大阪府泉南郡。
八 奈良縣山邊郡の石上の神宮。
九 人民の集團に縁故のある名をつけて記念とし、またこれを支配する。以下、何部を定めたという記事が多い。
この天皇、
沙本
毘賣を后としたまひし時に、
沙本
毘賣の命の
兄
、
沙本毘古
の王、その
同母妹
に問ひて曰はく、「
夫
と
兄
とはいづれか
愛
しき」と問ひしかば、答へて曰はく「兄を愛しとおもふ」と答へたまひき。ここに
沙本毘古
の王、謀りて曰はく、「
汝
まことに
我
を愛しと思ほさば、吾と汝と天の下治らさむとす」といひて、すなはち
八鹽折
の
紐小刀
一を作りて、その
妹
に授けて曰はく、「この小刀もちて、天皇の
寢
したまふを刺し
殺
せまつれ」といふ。かれ天皇、その謀を
知
らしめさずて、その后の御膝を
枕
きて、御寢したまひき。ここにその后、紐小刀もちて、その天皇の
御頸
を刺しまつらむとして、三度
擧
りたまひしかども、
哀
しとおもふ情にえ
忍
へずして、御頸をえ刺しまつらずて、泣く涙、
御面
に落ち
溢
れき。天皇驚き起ちたまひて、その后に問ひてのりたまはく、「
吾
は
異
しき
夢
を見つ。
沙本
二の
方
より、
暴雨
の
零
り來て、
急
に吾が面を
沾
しつ。また錦色の
小蛇
、我が頸に
纏
はりつ。かかる夢は、こは何の
表
にあらむ」とのりたまひき。ここにその后、爭ふべくもあらじとおもほして、すなはち天皇に白して言さく、「妾が兄
沙本毘古
の王、妾に、夫と兄とはいづれか
愛
しきと問ひき。ここにえ面勝たずて、かれ妾、兄を愛しとおもふと答へ曰へば、ここに妾に
誂
へて曰はく、吾と汝と天の下を治らさむ。かれ天皇を
殺
せまつれといひて、
八鹽折
の紐小刀を作りて妾に授けつ。ここを以ちて御頸を刺しまつらむとして、三度
擧
りしかども、哀しとおもふ情忽に起りて、頸をえ刺しまつらずて、泣く涙の落ちて、御面を沾らしつ。かならずこの
表
にあらむ」とまをしたまひき。
ここに天皇詔りたまはく、「吾はほとほとに欺かえつるかも
三」とのりたまひて、軍を興して、
沙本毘古
の王を
撃
ちたまふ時に、その王
稻城
四を作りて、待ち戰ひき。この時
沙本毘賣
の命、その兄にえ
忍
へずして、
後
つ門より逃れ出でて、その
稻城
に
納
りましき。
この時にその后
姙
みましき。ここに天皇、その后の、懷姙みませるに忍へず、また
愛重
みたまへることも、三年になりにければ、その軍を
して
急
けくも攻めたまはざりき。かく
逗留
る間に、その
姙
める御子既に
産
れましぬ。かれその御子を出して、
稻城
の外に置きまつりて、天皇に白さしめたまはく、「もしこの御子を、天皇の御子と思ほしめさば、治めたまふべし」とまをしたまひき。ここに天皇
詔
りたまはく、「その兄を
怨
ひたまへども、なほその后を愛しとおもふにえ忍へず」とのりたまひて、后を得むとおもふ心ましき。ここを以ちて
軍士
の中に
力士
の
輕捷
きを選り
聚
へて、宣りたまはくは、「その御子を取らむ時に、その
母王
をも
掠
ひ取れ
五。御髮にもあれ、御手にもあれ、取り獲むまにまに、
掬
みて
控
き出でよ」とのりたまひき。ここにその后、あらかじめその御心を知りたまひて、悉にその髮を剃りて、その髮もちてその頭を覆ひ、また玉の緒を
腐
して、御手に三重
纏
かし、また酒もちて
御衣
を腐して、全き
衣
のごと
服
せり。かく設け備へて、その御子を
抱
きて、城の外にさし出でたまひき。ここにその
力士
ども、その御子を取りまつりて、すなはちその
御祖
を
握
りまつらむとす。ここにその御髮を
握
れば、御髮おのづから落ち、その御手を
握
れば、玉の緒また絶え、その
御衣
を
握
れば、御衣すなはち破れつ。ここを以ちてその御子を取り獲て、その御
祖
をばえとりまつらざりき。かれその軍士ども、還り來て、
奏
して言さく、「御髮おのづから落ち、御衣破れ易く、御手に
纏
かせる玉の緒もすなはち絶えぬ。かれ御祖を獲まつらず、御子を取り得まつりき」とまをす。ここに天皇悔い恨みたまひて、玉作りし人どもを
惡
まして、その
地
をみな
奪
りたまひき。かれ
諺
に、
地
得ぬ玉作り
六といふなり。
また天皇、その后に
命詔
したまはく、「およそ子の名は、かならず母の名づくるを、この子の御名を、何とかいはむ」と詔りたまひき。ここに答へて白さく、「今火の
稻城
を燒く時に、
火
中に
生
れましつ。かれその御名は、
本牟智和氣
七の
御子
とまをすべし」とまをしたまひき。また命詔したまはく「いかにして
日足
しまつらむ
八」とのりたまへば、答へて白さく、「
御母
を取り、
大湯坐
、
若湯坐
九を定めて、日足しまつるべし」とまをしたまひき。かれその后のまをしたまひしまにまに、
日足
しまつりき。またその后に問ひたまはく、「
汝
の堅めし
瑞
の
小佩
一〇は、誰かも解かむ」とのりたまひしかば、答へて白さく、「
旦波
の
比古多多須美智能宇斯
の
王
が女、名は
兄比賣
弟比賣
、この二柱の
女王
、淨き
公民
にませば、使ひたまふべし」とまをしたまひき。然ありて遂にその
沙本比古
の王を
殺
りたまへるに、その
同母妹
も從ひたまひき。
一 色濃く染めた紐のついている小刀。この紐、下の錦色の小蛇というのに關係がある。
二 奈良市佐保。佐本毘古の王の居所。
三 あぶなくだまされる所だつた。ホトホトニは、ほとんど。
四 稻を積んだ城。俵を積んだのだろう。
五 かすめ取れ。
六 玉作りは、土地を持たないという諺のもとだという。
七 ホが火を意味し、ムチは尊稱、ワケは若い御方の義の名。
八 日を足して成育させる。
九 赤子の湯を使う人。そのおもな役と若い方の役。
一〇 妻が男の衣の紐を結ぶ風習による。ミヅは美稱。生氣のある意。
かれその御子を
率
て遊ぶ
状
は、尾張の相津
一なる
二俣榲
を
二俣小舟
に作りて、持ち上り來て、
倭
の
市師
の池
二
輕
の池
三に浮けて、その御子を
率
て遊びき。然るにこの御子、八
拳鬚心前
に至るまでにま
言
とはず。かれ今、高往く
鵠
が音を聞かして、始めてあぎとひ
四たまひき。ここに
山邊
の
大
(こは人の名なり。)を遣して、その鳥を取らしめき。かれこの人、その鵠を追ひ尋ねて、
木
の國より
針間
の國に到り、また追ひて
稻羽
の國に越え、すなはち
旦波
の國
多遲麻
の國に到り、東の方に追ひ
りて、
近
つ
淡海
の國に到り、
三野
の國に越え、
尾張
の國より傳ひて
科野
の國に追ひ、遂に
高志
の國に追ひ到りて、
和那美
の
水門
五に網を張り、その鳥を取りて、持ち上りて獻りき。かれその水門に名づけて
和那美
の
水門
といふなり。またその鳥を見たまへば、物言はむと思ほして、思ほすがごと言ひたまふ事なかりき。
ここに天皇患へたまひて、
御寢
ませる時に、御夢に
覺
してのりたまはく、「我が宮を、
天皇
の
御舍
のごと
修理
めたまはば、御子かならずま
言
とはむ」とかく覺したまふ時に、
太卜
に
占
へて
六、「いづれの神の御心ぞ」と求むるに、ここに
祟
りたまふは、
出雲
の大神
七の御心なり。かれその御子を、その大神の宮を
拜
ましめに遣したまはむとする時に、誰を
副
へしめば
吉
けむとうらなふに、ここに
曙立
八の王
卜
に
食
へり
九。かれ
曙立
の王に
科
せて、うけひ白さしむらく
一〇、「この大神を拜むによりて、
誠
に
驗
あらば、この
鷺
の
巣
の池
一一の樹に住める鷺を、うけひ落ちよ」と、かく詔りたまふ時に、うけひてその鷺
地
に墮ちて死にき。また「うけひ活け」と詔りたまひき。ここにうけひしかば、更に活きぬ。また
甜白檮
の
前
一二なる
葉廣熊白檮
一三をうけひ枯らし、またうけひ生かしめき。ここにその
曙立
の王に、
倭
は
師木
の
登美
の
豐朝倉
の
曙立
の王といふ名を賜ひき。すなはち
曙立
の王
菟上
の王
二王
を、その御子に副へて遣しし時に、
那良戸
一四よりは
跛
、
盲
遇はむ。大阪戸
一五よりも
跛
、
盲
遇はむ。ただ木戸
一六ぞ
掖戸
の吉き戸
一七と卜へて、いでましし時に、到ります
地
ごとに
品遲部
を定めたまひき。
かれ
出雲
に到りまして、
大神
を拜み
訖
へて、還り上ります時に、
肥
の河
一八の中に
黒樔
の橋
一九を作り、假宮を仕へ
奉
りて、
坐
さしめき。ここに
出雲
の
國
の
造
の祖、名は
岐比佐都美
、青葉の山を
餝
りて、その河下に立てて、
大御食
獻らむとする時に、その御子詔りたまはく、「この河下に青葉の山なせるは、山と見えて山にあらず。もし
出雲
の
石※
[#「石+炯のつくり」、U+2544E、103-本文-11]の
曾
の宮
二〇にます、
葦原色許男
の大神
二一をもち
齋
く
祝
が大
庭
二二か」と問ひたまひき。ここに御供に遣さえたる
王
たち、聞き歡び見喜びて、御子は
檳榔
の
長穗
の宮
二三にませまつりて、
驛使
をたてまつりき。
ここにその御子、
肥長
比賣に
一宿
婚ひたまひき。かれその
美人
を
竊伺
みたまへば、
蛇
なり。すなはち見畏みて遁げたまひき。ここにその
肥長
比賣
患
へて、海原を
光
らして船より追ひ
來
。かれ、ますます見畏みて山のたわより御船を引き越して、逃げ上りいでましつ。ここに
覆奏
まをさく、「大神を拜みたまへるに因りて、
大御子
物
詔
りたまひつ。かれまゐ上り來つ」とまをしき。かれ天皇歡ばして、すなはち
菟上
の王を返して、神宮を造らしめたまひき。ここに天皇、その御子に因りて
鳥取部
、
鳥甘
、
品遲部
、
大湯坐
、
若湯坐
を定めたまひき。
一 所在不明。
二 奈良縣磯城郡。
三 同高市郡。
四 アギと言つた。あぶあぶ言つた。
五 新潟縣西蒲原郡、また北魚澤郡
[#「北魚澤郡」はママ]に傳説地がある。ワナミは羂網の義。
六 二〇頁
[#「二〇頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「島々の生成」]參照。
七 出雲大社の祭神。大國主の神。
八 開化天皇の子孫。
九 占いにかなつた。
一〇 神に誓つて神意を窺わしめることは。
一一 奈良縣高市郡。
一二 同郡飛鳥村にある。
一三 葉の廣いりつぱなカシの木。クマはウマに同じ。美稱。
一四 奈良縣の北部の奈良山を越える道。不具者に逢うことを嫌つた。
一五 二上山を越えて行く道。
一六 紀伊の國へ出る道。吉野川の右岸について行く。
一七 迂
してゆく道でよい道。
一八 斐伊の川。
一九 皮つきの木を組んで作つた橋。
二〇 出雲大社の別名。
二一 大國主の神の別名。
二二 お祭する神職の齋場か。
二三 ビロウの木の葉を長く垂れて葺いた宮。
またその后の白したまひしまにまに、
美知能宇斯
の王の女たち
一、
比婆須
比賣の命、次に
弟
比賣の命、次に
歌凝
比賣の命、次に
圓野
比賣の命、并はせて四柱を
喚上
げたまひき。然れども
比婆須
比賣の命、
弟比賣
の命、二柱を留めて、その
弟王
二柱は、いと醜きに因りて
本
つ
土
に返し送りたまひき。ここに
圓野
比賣
慚
みて「
同兄弟
の中に、姿
醜
きによりて、還さゆる事、
隣里
に聞えむは、いと
慚
しきこと」といひて、山代の國の
相樂
二に到りし時に、樹の枝に取り
懸
りて、死なむとしき。かれ
其地
に名づけて、
懸木
といひしを、今は
相樂
といふ。また
弟國
三に到りし時に、遂に
峻
き淵に墮ちて、死にき。かれ
其地
に名づけて、
墮國
といひしを、今は弟國といふなり。
一 九〇頁[#「九〇頁」は「綏靖天皇以後八代」の「開化天皇」]の后妃皇子女に關する條參照。王女の數などが違うのは別の資料によるものであろう。
二 京都府相樂郡。
三 同乙訓郡。
また天皇、
三宅
の
連
等が祖、名は
多遲摩毛理
一を、
常世
の國
二に遣して、時じくの
香
の
木
の
實
三を求めしめたまひき。かれ
多遲摩毛理
、遂にその國に到りて、その木の實を採りて、
縵八縵矛八矛
四を、
將
ち來つる間に、天皇既に
崩
りましき。ここに
多遲摩毛理
、
縵四縵矛四矛
を分けて、大后に獻り、
縵四縵矛四矛
を、天皇の御陵の戸に獻り置きて、その木の實を
げて、叫び
哭
びて白さく、「常世の國の時じくの
香
の
木
の
實
を持ちまゐ上りて
侍
ふ」とまをして遂に
哭
び死にき。その時じくの
香
の木の實は今の橘なり。
この天皇、御年
一百五十三歳
、御陵は
菅原
の
御立野
五の中にあり。
またその
大后
比婆須
比賣の命の時、
石祝作
六を定め、また
土師部
を定めたまひき。この后は
狹木
の
寺間
の陵
七に
葬
めまつりき。
一 天の日矛の子孫。系譜は一三九頁[#「一三九頁」は「應神天皇」の「天の日矛」]にある。
二 海外の國。大陸における橘の原産地まで行つたのだろう。
三 その時節でなく熟する香のよい木の實。
四 カゲは蔓のように輪にしたもの。矛は、直線的なもの。どちらも苗木。
五 奈良縣生駒郡。
六 石棺を作る部族。
七 奈良縣生駒郡。
大帶日子淤斯呂和氣
の天皇
一、
纏向
の
日代
の宮
二にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、
吉備
の臣等の祖、
若建吉備津日子
が女、名は
針間
の
伊那毘
の
大郎女
に娶ひて、生みませる御子、
櫛角別
の王、次に
大碓
の命、次に
小碓
の命
三、またの名は
倭男具那
の命、次に
倭根子
の命、次に
神櫛
の王五柱。また
八尺
の
入日子
の命が女、
八坂
の
入日賣
の命に娶ひて、生みませる御子、
若帶日子
の命
四、次に
五百木
の
入日子
の命、次に
押別
の命、次に
五百木
の
入
日賣の命、またの
妾
の御子、
豐戸別
の王、次に
沼代
の
郎女
、またの
妾
の御子、
沼名木
の
郎女
、次に
香余理
比賣の命、次に
若木
の
入日子
の王、次に吉備の
兄日子
の王、次に高木比賣の命、次に
弟比賣
の命。また
日向
の
美波迦斯毘賣
に娶ひて、生みませる御子、
豐國別
の王。また
伊那毘
の
大郎女
の弟、伊那毘の
若郎女
に娶ひて、生みませる御子、
眞若
の王、次に
日子人
の
大兄
の王。また
倭建
の命の
曾孫
五名は
須賣伊呂大中
つ
日子
の王が女、
訶具漏
比賣に娶ひて生みませる御子、
大枝
の王。およそこの
大帶日子
の天皇の御子たち、
録
せるは
廿一王
、記さざる
五十九王
、并はせて八十
王
います中に、若帶日子の命と
倭建
の命、また
五百木
の
入日子
の命と、この
三王
は
太子
六の名を負はし、それより
餘
七十七王
は、悉に國國の國の造、また
別
、
稻置
、
縣主
七に別け賜ひき。かれ
若帶日子
の命は、天の下治らしめしき。
小碓
の命は、東西の荒ぶる神、また
伏
はぬ人どもを
平
けたまひき。次に
櫛角別
の王は、茨田の下の連等が祖なり。次に
大碓
の命は守の君、太田の君、島田の君が祖なり。次に
神櫛
の王は、木の國の酒部の阿比古、宇陀の酒部が祖なり。次に
豐國別
の王は、日向の國の造が祖なり。
ここに天皇、
三野
の國の造の祖、
大根
の王
八が女、名は
兄比賣
弟比賣
二孃子
、それ
容姿麗美
しときこしめし定めて、その御子
大碓
の命を遣して、
喚
し上げたまひき。かれその遣さえたる大碓の命、召し上げずて、すなはちおのれみづからその二孃子に婚ひて、更に
他
し
女
を
求
ぎて、その孃子と詐り名づけて
貢上
りき。ここに天皇それ
他
し
女
なることを知らしめして、恆に長眼を經しめ
九、また
婚
ひもせずて、
惚
めたまひき。かれその
大碓
の命、
兄比賣
に娶ひて生みませる子、
押黒
の兄日子の王。こは三野の宇泥須和氣が祖なり。また弟比賣に娶ひて生みませる子、押黒の弟日子の王。こは牟宜都の君等が祖なり。この御世に
田部
を定め、また
東
の
淡
の
水門
一〇を定め、また
膳
の
大伴部
を定め、また
倭
の
屯家
一一を定めたまひ、また
坂手
の池
一二を作りて、すなはちその堤に竹を植ゑしめたまひき。
一 景行天皇。
二 奈良縣磯城郡。
三 ヤマトタケルの命。日本書紀に、父の天皇が皇子の誕生に當つて、石臼の上で躍つて喜んだから大碓の命、小碓の命というとある。
四 成務天皇。
五 皇子の曾孫の子だから、天皇の孫の孫の子に當りそれを妃としたというのは時間的に不可能である。ある氏の傳えをそのまま取り入れたものだろう。
六 後世のように皇太子を立てることは無かつたが、有力な后妃の生んだ皇子が次に帝位に昇るべき方として豫想されたのである。ヒツギのミコは、繼嗣の皇子の義。
七 いずれも古代の地方官で世襲である。
八 開化天皇の孫。
九 長く見て居させる。待ちぼうけさせる。
一〇 神奈川縣から千葉縣安房郡に渡る水路。
一一 大和の國の租税收納所。
一二 奈良縣磯城郡。
天皇、
小碓
の命に詔りたまはく、「何とかも
汝
の
兄
、
朝
夕
の
大御食
にまゐ
出來
ざる。もはら
汝
ねぎ
一教へ覺せ」と詔りたまひき。かく詔りたまひて後、五日に至るまでに、なほまゐ出でず。ここに天皇、小碓の命に問ひたまはく、「何ぞ汝の兄久しくまゐ出來ざる。もしいまだ
誨
へずありや」と問ひたまひしかば、答へて白さく、「既にねぎつ」とまをしたまひき。また「いかにかねぎつる
二」と詔りたまひしかば、答へて白さく、「
朝署
三に厠に入りし時、待ち捕へ
※
[#「てへん+縊のつくり」、U+6424、108-本文-1]み
批
ぎて、その枝
四を引き
闕
きて、
薦
につつみて投げ
棄
てつ」とまをしたまひき。
ここに天皇、その御子の建く荒き情を
惶
みて、詔りたまひしく、「西の方に
熊曾建
二人
五あり。これ
伏
はず、
禮旡
き人どもなり。かれその人どもを取れ」とのりたまひて、遣したまひき。この時に當りて、その
御髮
を
額
に結はせり
六。ここに
小碓
の命、その
姨
倭比賣
の命
七の
御衣
御裳
を給はり、
劒
を
御懷
に
納
れていでましき。かれ
熊曾建
が家に到りて見たまへば、その家の邊に、
軍
三重に圍み、室を作りて居たり。ここに
御室樂
八せむと言ひ
動
みて、
食
物を
設
け備へたり。かれその
傍
を
遊行
きて、その
樂
する日を待ちたまひき。ここにその樂の日になりて、
童女
の髮のごとその結はせる髮を
梳
り垂れ、その
姨
の
御衣
御裳
を
服
して、既に童女の姿になりて、
女人
の中に交り立ちて、その
室内
に入ります。ここに
熊曾建
兄弟二人、その孃子を見
感
でて、おのが中に
坐
せて、盛に
樂
げつ。かれその
酣
なる時になりて、御懷より劒を出だし、
熊曾
が衣の
矜
[#「矜」はママ]
九を取りて、劒もちてその胸より刺し通したまふ時に、その
弟
建
見畏みて逃げ出でき。すなはちその室の
椅
一〇の本に追ひ至りて、背の皮を取り劒を尻より刺し通したまひき。ここにその熊曾建白して曰さく、「その刀をな動かしたまひそ。
僕
白すべきことあり」とまをす。ここに
暫
許して押し伏せつ。ここに白して言さく、「
汝
が命は誰そ」と白ししかば、「
吾
は
纏向
の
日代
の宮にましまして、
大八島國
知
らしめす、
大帶日子淤斯呂和氣
の天皇の御子、名は
倭男具那
の王なり。おれ熊曾建二人、
伏
はず、
禮
なしと聞こしめして、おれを取り
殺
れと詔りたまひて、遣せり」とのりたまひき。ここにその熊曾建白さく、「信に
然
らむ。西の方に吾二人を
除
きては、
建
く
強
き人無し。然れども
大倭
の國に、吾二人にまして
建
き男は
坐
しけり。ここを以ちて吾、御名を獻らむ。今よ後
一一、
倭建
の御子
一二と稱へまをさむ」とまをしき。この事
白
し訖へつれば、すなはち
熟
のごと
一三、振り
拆
きて殺したまひき。かれその時より御名を稱へて、
倭建
の命とまをす。然ありて還り上ります時に、山の神河の神また
穴戸
の神
一四をみな言向け
和
一五してまゐ上りたまひき。
一 なだめ乞う。
二 どんなふうになだめ乞うたのか。
三 朝早く。
四 手足。
五 クマソは地名で、クマの地(熊本縣)とソの地(鹿兒島縣)とを合わせ稱する。タケルは勇者の義。物語では兄弟二人となつている。
六 男子少年の風俗。
七 父の妹に當る。
八 新築を祝う酒宴。
九 衣服の襟。
一〇 庭上におりる階段。
一一 今から後。ヨは助詞。ユ、ヨリに同じ。
一二 日本書紀には、日本武の尊と書く。
一三 熟した瓜のように。
一四 海峽の神。
一五 平定しおだやかにして。
すなはち出雲の國に入りまして
一、その
出雲
の國の
建
を
殺
らむとおもほして、到りまして、すなはち
結交
したまひき。かれ竊に
赤檮
もちて、
詐刀
二を作りて、御
佩
しとして、共に肥の河に
沐
しき。ここに
倭建
の命、河よりまづ
上
りまして、
出雲建
が解き置ける
横刀
を取り佩かして、「
易刀
せむ」と詔りたまひき。かれ後に出雲建河より上りて、倭建の命の
詐刀
を佩きき。ここに倭建の命「いざ
刀合
はせむ」と
誂
へたまふ。かれおのもおのもその刀を拔く時に、出雲建、
詐刀
をえ拔かず、すなはち倭建の命、その刀を拔きて、出雲建を打ち殺したまひき。ここに御歌よみしたまひしく、
やつめさす
三
出雲建
が 佩ける
刀
、
黒葛
多
纏
き
四 さ
身
無しにあはれ
五。 (歌謠番號二四)
かれかく
撥
ひ治めて、まゐ上りて、
覆奏
まをしたまひき。
一 この物語は日本書紀には出雲振根がその弟飯入根を殺した話になつている。
二 にせの刀。木刀。
三 枕詞。八雲立つの轉訛。日本書紀にはヤクモタツになつている。
四 柄や鞘に植物の蔓を澤山卷いてある。
五 刀身が無いことだ。アハレは感動を表示している。
ここに天皇、また
頻
きて
倭建
の命に、「東の方
十二道
一の荒ぶる神、また
伏
はぬ人どもを、言向け
和
せ」と詔りたまひて、
吉備
の
臣
等が祖、名は
御
友耳建日子
を副へて遣す時に、
比比羅木
の
八尋矛
二を給ひき。かれ命を受けたまはりて、罷り
行
でます時に、伊勢の大御神の宮に參りて、神の
朝廷
三を拜みたまひき。すなはちその
姨
倭
比賣の命に白したまひしくは、「天皇既に吾を死ねと思ほせか、何ぞ、西の方の
惡
ぶる
人
どもを
撃
りに遣して、返りまゐ上り來し
間
、
幾時
もあらねば、
軍衆
をも賜はずて、今更に東の方の十二道の惡ぶる人どもを
平
けに遣す。これに因りて思へばなほ吾を既に死ねと思ほしめすなり」とまをして、患へ泣きて罷りたまふ時に、倭比賣の命、
草薙
の
劒
を賜ひ、また
御嚢
を賜ひて、「もし
急
の事あらば、この
嚢
の口を解きたまへ」と詔りたまひき。
かれ尾張の國に到りまして、尾張の國の造が祖、
美夜受
比賣の家に入りたまひき。すなはち
婚
はむと思ほししかども、また還り上りなむ時に婚はむと思ほして、
期
り定めて、東の國に幸でまして、山河の荒ぶる神又は伏はぬ人どもを、悉に
平
け
和
したまひき。かれここに
相武
の國
四に到ります時に、その國の造、
詐
りて白さく、「この野の中に大きなる沼あり。この沼の中に住める神、いとちはやぶる神
五なり」とまをしき。ここにその神を看そなはしに、その野に入りましき。ここにその國の造、その野に火著けたり。かれ欺かえぬと知らしめして、その
姨
倭比賣の命の給へる
嚢
の口を解き開けて見たまへば、その
裏
に火打あり。ここにまづその
御刀
もちて、草を苅り
撥
ひ、その火打もちて火を打ち出で、
向火
を著けて
六燒き
退
けて、還り出でまして、その國の造どもを皆切り滅し、すなはち火著けて、燒きたまひき。かれ今に
燒遣
七といふ。
そこより入り
幸
でまして、
走水
の海
八を渡ります時に、その渡の神、浪を
興
てて、御船を
して、え進み渡りまさざりき。ここにその后名は
弟橘
比賣の命
九の白したまはく、「妾、御子に
易
りて海に入らむ。御子は遣さえし政遂げて、
覆奏
まをしたまはね」とまをして、海に入らむとする時に、
菅疊
八重
、
皮疊
八重
、
疊
八重
を波の上に敷きて
一〇、その上に下りましき
一一。ここにその
暴
き浪おのづから
伏
ぎて、御船え進みき。ここにその后の歌よみしたまひしく、
さねさし
一二
相摸
の
小野
に
燃ゆる火の
火
中に立ちて、
問ひし君はも。 (歌謠番號二五)
かれ
七日
の後に、その后の
御櫛
海邊
に依りき。すなはちその櫛を取りて、
御陵
を作りて治め置きき
一三。
そこより入り
幸
でまして、悉に荒ぶる
蝦夷
ども
一四を言向け、また山河の荒ぶる神どもを平け和して、還り上りいでます時に、
足柄
の坂
下
に到りまして、御
粮
聞
し
食
す處に、その坂の神、白き
鹿
になりて來立ちき。ここにすなはちその
咋
し
遺
りの
蒜
の片端もちて、待ち打ちたまへば、その目に
中
りて、打ち殺しつ。かれその坂に登り立ちて、三たび歎かして詔りたまひしく、「
吾嬬
はや」と詔りたまひき。かれその國に名づけて
阿豆麻
といふなり。
すなはちその國より越えて、甲斐に出でて、
酒折
一五の宮にまします時に歌よみしたまひしく、
新治
筑波
一六を過ぎて、幾夜か
宿
つる。 (歌謠番號二六)
ここにその
御火燒
の
老人
、御歌に續ぎて歌よみして曰ひしく、
かがなべて
一七 夜には
九夜
日には十日を。 (歌謠番號二七)
と歌ひき。ここを以ちてその老人を譽めて、すなはち
東
の
國
の
造
一八を給ひき。
その國より
科野
の國
一九に越えまして、科野の坂
二〇の神を言向けて、尾張の國に還り來まして、先の日に
期
りおかしし
美夜受
比賣のもとに入りましき。ここに
大御食
獻る時に、その
美夜受
比賣、大御
酒盞
を捧げて獻りき。ここに
美夜受
比賣、その
襲
二一の
襴
に
月經
著きたり。かれその月經を見そなはして、御歌よみしたまひしく、
ひさかたの
二二
天
の
香山
利鎌
二三に さ渡る
鵠
二四、
弱細
二五
手弱
腕
を
枕
かむとは
吾
はすれど、
さ
寢
むとは
吾
は
思
へど、
汝
が
著
せる
襲
の
襴
に
月立ちにけり。 (歌謠番號二八)
ここに
美夜受
比賣、御歌に答へて歌よみして曰ひしく、
高光る 日の御子
やすみしし
吾
が大君
二六、
あら玉の
二七 年が
來經
れば、
あら玉の 月は
來經往
く。
うべなうべな
二八 君待ちがたに
二九、
吾
が
著
せる
襲
の
裾
に
月立たなむよ
三十。 (歌謠番號二九)
かれここに御合ひしたまひて、その
御刀
の草薙の
劒
を、その
美夜受
比賣のもとに置きて、
伊服岐
の山
三一の神を取りに幸でましき。
一 九四頁[#「九四頁」は「崇神天皇」の「將軍の派遣」]脚註參照。
二 ヒイラギの木の柄の長い桙。ヒイラギは葉の縁にトゲがあり魔物に對して威力があるとされる。
三 神が諸事を執り行われる所の意。
四 相模の國に同じ。神奈川縣の一部。
五 暴威を振う神。
六 こちらから火をつけて向うへ燒く。野火に逢つた時には手元からも火をつけて先に野を燒いてしまつて難を免れる方法である。
七 燒津とする傳えもある。靜岡縣の燒津町がその傳説地であるが、相武の國の事としているので問題が殘る。
八 浦賀水道から千葉縣に渡ろうとした。
九 日本書紀に穗積氏の女とする。
一〇 波の上に多くの敷物を敷いて。
一一 海上で風波の難にあうのは、その海の神が船中の人または物の類を欲するからで、その神の欲するものを海に入れれば風波がしずまるとする思想がある。そこで姫が皇子に代つて海に入つて風波をしずめたのである。
一二 枕詞。嶺が立つている義だろうとする。嶺は靜岡縣とすれば富士山、神奈川縣とすれば大山である。
一三 所在不明。浦賀市走水に走水神社があつて、倭建の命と弟橘姫とを祭る。
一四 アイヌ族をいう。
一五 山梨縣西山梨郡。
一六 共に茨城縣の地名。
一七 日を並べて。
一八 東方の國の長官。實際上はそのような廣大な土地の國の造を置かない。
一九 信濃の國。今の長野縣。
二〇 長野縣の伊那から岐阜縣の惠那に通ずる山路。木曾路は奈良時代になつて開通された。
二一 四四頁
[#「四四頁」は「大國主の神」の「八千矛の神の歌物語」]脚註參照。
二二 枕詞。語義不明。日のさす方か。
二三 鵠の渡る線の形容か。
二四 クビは、クグヒに同じ。コヒ、コフともいう。白鳥。但し杙の義とする説もある。以上、たわや腕の譬喩。
二五 よわよわとして細い。修飾句。
二六 以上、天皇または皇子をたたえる。光りかがやく太陽のような御子、天下を知ろしめすわが大君。ヤスミシシ、語義不明。
二七 枕詞。みがかない玉の意。ト(磨ぐ)に冠する。月に冠するのは轉用。
二八 ほんとにとうなずく意の語。底本にウベナウベナウベナとする。
二九 カタニは、不能の意の助動詞。萬葉集に多くカテニの形を取り、ここはその原形。
三十 當然そうなるだろうの語意と見られる。この語形は、普通願望の意を表示するに使用されるのに、ここに願望になつていないのは特例とされる。ヨは間投の助詞。
三一 滋賀縣と岐阜縣との堺にある高山。
ここに詔りたまひしく、「この山の神は
徒手
に
直
に取りてむ
一」とのりたまひて、その山に
騰
りたまふ時に、山の邊に白猪逢へり。その大きさ牛の如くなり。ここに言擧して
二詔りたまひしく、「この白猪になれるは、その神の
使者
にあらむ。今
殺
らずとも、還らむ時に
殺
りて還りなむ」とのりたまひて騰りたまひき。ここに
大氷雨
を
零
らして、倭建の命を打ち惑はしまつりき。(この白猪に化れるは、その神の使者にはあらずて、その神の正身なりしを、言擧したまへるによりて、惑はさえつるなり。)かれ還り下りまして、
玉倉部
の
清泉
三に到りて、息ひます時に、御心やや
寤
めたまひき。かれその
清泉
に名づけて
居寤
の
清泉
といふ。
其處
より
發
たして、
當藝
の
野
四の上に到ります時に、詔りたまはくは、「吾が心、恆は
虚
よ
翔
り行かむと念ひつるを
五、今吾が足え歩かず、たぎたぎしく
六なりぬ」とのりたまひき。かれ
其地
に名づけて
當藝
といふ。
其地
よりややすこし幸でますに、いたく疲れませるに因りて、御杖を
衝
かして、ややに歩みたまひき。かれ
其地
に名づけて
杖衝坂
七といふ。尾津の
前
八の一つ松のもとに到りまししに、先に、
御食
せし時、
其地
に忘らしたりし
御刀
、
失
せずてなほありけり。ここに御歌よみしたまひしく、
尾張に
直
に向へる
九
尾津の埼なる 一つ松、
吾兄
を
一〇。
一つ松 人にありせば、
大刀
佩
けましを
衣
着せましを。
一つ松、吾兄を。 (歌謠番號三〇)
其地より幸でまして、三重の村
一一に到ります時に、また詔りたまはく、「吾が足三重の
勾
一二なして、いたく疲れたり」とのりたまひき。かれ其地に名づけて三重といふ。
そこより幸でまして、
能煩野
一三に到ります時に、國
思
はして歌よみしたまひしく、
倭
は 國のまほろば
一四、
たたなづく 青垣
一五、
山
隱
れる 倭し
美
し。 (歌謠番號三一)
また、歌よみしたまひしく、
命の
全
けむ人は、
疊薦
一六
平群
の山
一七の
熊白檮
が葉を
髻華
に插せ
一八。その子。 (歌謠番號三二)
この歌は
思國歌
一九なり。また歌よみしたまひしく、
はしけやし
二〇
吾家
の方よ
二一 雲居起ち來も。 (歌謠番號三三)
こは片歌
二二なり。この時御病いと
急
になりぬ。ここに御歌よみしたまひしく、
孃子
の 床の
邊
に
吾
が置きし つるぎの大刀
二三、
その大刀はや。 (歌謠番號三四)
と歌ひ
竟
へて、すなはち
崩
りたまひき。ここに
驛使
を
上
りき。
一 退治しよう。
二 言い立てをして。
三 滋賀縣坂田郡の醒が井はその傳説地。
四 岐阜縣養老郡。
五 空中を飛んで行こうと思つたが。
六 びつこを引く形容。高かつたり低かつたりするさま。
七 三重縣三重郡。
八 三重縣桑名郡。サキは、海上陸上に限らず突出した地形をいう。ここは陸上。
九 じかに對している。
一〇 「あなたよ」という意の語で、歌詞を歌う時のはやしである。日本書紀には、アハレになつている。
一一 三重縣三重郡。
一二 餅米をこねて、ねじまげて作つた餅。
一三 三重縣鈴鹿郡。
一四 もつともすぐれたところ。マは接頭語。ロバは接尾語。日本書紀にマホラマ。
一五 重なり合つている青い垣。山のこと。
一六 枕詞。敷物にしたコモ(草の名)。ヘ(隔)に冠する。
一七 奈良縣生駒郡。
一八 美しい白檮の木の葉を頭髮にさせ。ウズは髮にさす飾。もと魔よけの信仰のためにさすもの。
一九 歌曲としての名。
二〇 愛すべき。愛しきに、助詞ヤシの接續したもの。ハシキヨシ、ハシキヤシともいう。
二一 わが家の方から。
二二 五音七音七音の三句の歌の稱。以上三首、日本書紀に景行天皇の御歌とする。
二三 普通ツルギは兩刃、タチは片刃の武器をいうが、嚴密な區別ではない。
ここに
倭
にます后たち、また御子たちもろもろ下りきまして、御陵
一を作りき。すなはち
其地
のなづき田
二に
匍匐
ひ
りて、
哭
しつつ歌よみしたまひしく、
なづきの 田の
稻幹
に、
稻幹
に
蔓
ひもとほろふ
葛
三。 (歌謠番號三五)
ここに八尋
白智鳥
四になりて、
天翔
りて、濱に向きて飛びいでます。ここにその后たち御子たち、その
小竹
の
苅杙
五に、足切り破るれども、その痛みをも忘れて、哭きつつ追ひいでましき。この時、歌よみしたまひしく、
淺小竹原
腰
なづむ
六。
虚空
は行かず、足よ行くな
七。 (歌謠番號三六)
またその
海水
に入りて、なづみ
行
でます時、歌よみしたまひしく、
海が行けば 腰なづむ。
大河原の
植草
、
海がは いさよふ
八。 (歌謠番號三七)
また飛びてその磯に居たまふ時、歌よみしたまひしく、
濱つ千鳥 濱よ行かず
九 磯傳ふ。 (歌謠番號三八)
この四歌は、みなその
御葬
に歌ひき。かれ今に至るまで、その歌は天皇の
大御葬
に歌ふなり。かれその國より飛び翔り行でまして、河内の國の
志幾
一〇に留まりたまひき。かれ
其地
に御陵を作りて、鎭まりまさしめき。すなはちその御陵に名づけて白鳥の御陵といふ。然れどもまた其地より更に天翔りて飛び行でましき。およそこの倭建の命、國
平
けに
り
行
でましし時、
久米
の
直
が祖、名は七
拳脛
、
恆
に
膳夫
として御伴仕へまつりき。
一 能褒野の御陵。
二 御陵の周圍の田。
三 山の芋科の蔓草の蔓。譬喩で這いまつわる状を描く。
四 大きな白鳥。倭建の命の神靈が化したものとする。
五 小竹の刈つたあと。
六 腰が難澁する。
七 徒歩で行くよ。ナは感動の助詞。
八 ためらう。
九 濱からは行かないで。
一〇 大阪府南河内郡。
この倭建の命、
伊玖米
の天皇
一が女、
布多遲
の
伊理毘賣
の命に娶ひて生みませる
御子
帶中津日子
の命
二一柱。またその海に入りましし
弟橘
比賣の命
三に娶ひて生みませる御子、
若建
の王一柱。また
近
つ
淡海
の
安
の國の造の祖、
意富多牟和氣
が女、
布多遲
比賣に娶ひて、生みませる御子、
稻依別
の王一柱。また
吉備
の臣
建日子
が妹、
大吉備
の
建
比賣に娶ひて、生みませる御子、
建貝兒
の王一柱。また山代の
玖玖麻毛理
比賣に娶ひて生みませる御子、
足鏡別
の王一柱。またある
妾
の
子
、
息長田別
の王。およそこの倭建の命の御子たち、并はせて六柱。かれ
帶中津日子
の命は、天の下治らしめしき。次に稻依別の王は、犬上の君、建部の君等が祖なり。次に建貝兒の王は、讚岐の綾の君、伊勢の別、登袁の別、麻佐の首、宮の首の別等が祖なり。足鏡別の王は鎌倉の別、小津の石代の別、
漁田
の別が祖なり。次に
息長田別
の王の
子
、
杙俣長日子
の王。この王の子、
飯野
の
眞黒
比賣の命、次に
息長眞若中
つ比賣、次に
弟比賣
三柱。かれ上にいへる若建の王、飯野の眞黒比賣に娶ひて生みませる子、
須賣伊呂大中
つ
日子
の王。この王、
淡海
の
柴野入杵
が女、柴野比賣に娶ひて生みませる子、
迦具漏
比賣の命。かれ
大帶日子
の天皇、この迦具漏比賣の命に娶ひて生みませる子、
大江
の王一柱。この王、
庶妹
銀
の王に娶ひて生みませる子、
大名方
の王、次に
大中
つ比賣の命二柱。かれこの
大中
つ比賣の命は、
香坂
の王、
忍熊
の王の御祖なり。
この
大帶日子
の天皇の御年、
一百三十七歳
、御陵は山の邊の道の上
四にあり。
一 垂仁天皇。
二 仲哀天皇。
三 この事、一一一頁
[#「一一一頁」は「景行天皇・成務天皇」の「倭建の命の東征」]に出ている。
四 奈良縣磯城郡。
若帶日子
の天皇
一、近つ
淡海
の
志賀
の高穴
穗
の宮
二にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、
穗積
の臣等の祖、
建忍山垂根
が女、名は
弟財
の
郎女
に娶ひて、生みませる御子
和訶奴氣
の王。かれ建内の宿禰を
大臣
三として、大國小國
四の國の造を定めたまひ、また國國の堺、また大縣小縣
五の縣主を定めたまひき。
天皇、御年
九十五歳
(乙卯の年三月十五日崩りたまひき。)御陵は、
沙紀
の
多他那美
六にあり。
一 成務天皇。
二 滋賀縣滋賀郡。
三 宮廷の臣中の最高の位置。この後、建内の宿禰の子孫がこれに任ぜられた。
四 諸國の意。
五 クニよりはアガタの方が小さい。
六 奈良縣生駒郡。
帶中
つ
日子
の天皇
一、
穴門
の
豐浦
の宮
二また
筑紫
の
訶志比
の宮
三にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、
大江
の王が女、
大中津
比賣の命に娶ひて、生みませる御子、
香坂
の王、
忍熊
の王二柱。また
息長帶
比賣の命
四に娶ひたまひき。この太后の生みませる御子、
品夜和氣
の命、次に
大鞆和氣
の命、またの名は
品陀和氣
の命二柱。この
太子
の御名、
大鞆和氣
の命と負はせる
所以
は、初め生れましし時に、鞆
五なす
宍
、
御腕
に生ひき。かれその御名に著けまつりき。ここを以ちて腹
中
にましまして國知らしめしき。この御世に、
淡道
の
屯家
を定めたまひき。
一 仲哀天皇。
二 山口縣豐浦郡。
三 福岡縣糟屋郡香椎町。
四 神功皇后。開化天皇の系統。九〇頁
[#「九〇頁」は「綏靖天皇以後八代」の「開化天皇」]參照。母系の系譜は一三九頁[#「一三九頁」は「應神天皇」の「天の日矛」]にある。
五 獸皮で球形に作り左の手につける。
その太后息長帶日賣の命は、
當時
神
歸
せ
一したまひき。かれ天皇筑紫の
訶志比
の宮にましまして熊曾の國を撃たむとしたまふ時に、天皇御琴を
控
かして、建内の宿禰の大臣
沙庭
二に居て、神の命を請ひまつりき。ここに太后、神
歸
せして、言教へ
覺
し詔りたまひつらくは、「西の方に國あり。
金
銀
をはじめて、
目耀
く
種種
の
珍寶
その國に
多
なるを、
吾
今その國を
歸
せたまはむ」と詔りたまひつ。ここに天皇、答へ白したまはく、「高き
地
に登りて西の方を見れば、國は見えず、ただ大海のみあり」と白して、
詐
りせす神と思ほして、御琴を押し
退
けて、控きたまはず、
默
いましき。ここにその神いたく忿りて、詔りたまはく、「およそこの天の下は、汝の知らすべき國にあらず、汝は一道に向ひたまへ
三」と詔りたまひき。ここに建内の宿禰の大臣白さく、「
恐
し、我が
天皇
。なほその大御琴あそばせ」とまをす。ここにややにその御琴を取り依せて、なまなまに控きいます。かれ、
幾時
もあらずて、御琴の音聞えずなりぬ。すなはち火を擧げて見まつれば、既に
崩
りたまひつ。
ここに驚き
懼
みて、
殯
の宮
四にませまつりて、更に國の
大幣
を取りて
五、
生剥
、
逆剥
、
阿離
、
溝埋
、
屎戸
、
上通下通婚
、
馬婚
、
牛婚
、
鷄婚
、
犬婚
の罪の類を
種種
求
六ぎて、國の大
祓
七して、また建内の宿禰
沙庭
に居て、神の
命
を請ひまつりき。ここに教へ覺したまふ状、つぶさに
先
の日の如くありて、「およそこの國は、
汝命
の御腹にます御子の知らさむ國なり」とのりたまひき。
ここに建内の宿禰白さく、「恐し、我が大神、その神の御腹にます御子は何の御子ぞも」とまをせば、答へて詔りたまはく、「
男子
なり」と詔りたまひき。ここにつぶさに請ひまつらく、「今かく言教へたまふ大神は、その御名を知らまくほし」とまをししかば、答へ詔りたまはく、「こは天照らす大神の御心なり。また
底筒
の
男
、
中筒
の
男
、
上筒
の
男
三柱の大神
八なり。(この時にその三柱の大神の御名は顯したまへり。)今まことにその國を求めむと思ほさば、
天
つ
神
地
つ
祇
、また山の神海河の神たちまでに悉に
幣帛
奉り、我が御魂を御船の上にませて、
眞木
の灰を
瓠
に納
九れ、また箸と
葉盤
一〇とを
多
に作りて、皆皆大海に散らし浮けて、
度
りますべし」とのりたまひき。
かれつぶさに教へ覺したまへる如くに、
軍
を整へ、船
雙
めて、度りいでます時に、海原の魚ども、大きも小きも、悉に御船を負ひて渡りき。ここに
順風
いたく起り、御船浪のまにまにゆきつ。かれその御船の波、
新羅
の國
一一に押し
騰
りて、既に國
半
まで到りき。ここにその
國主
一二、
畏
ぢ
惶
みて
奏
して
言
さく、「今よ後、
天皇
の命のまにまに、
御馬甘
として、年の
毎
に船
雙
めて船腹
乾
さず、
※
[#「木+施のつくり」、U+67C2、122-本文-8]乾さず、天地のむた、
退
きなく仕へまつらむ」とまをしき。かれここを以ちて、
新羅
の國をば、
御馬甘
と定めたまひ、
百濟
の國
一三をば、
渡
の
屯家
一四と定めたまひき。ここにその御杖を
新羅
の
國主
の
門
に衝き立てたまひ、すなはち
墨江
の大神の
荒御魂
一五を、國守ります神と祭り鎭めて還り渡りたまひき。
一 神靈をよせて教を受けること。
二 祭の場。
三 ひたすらに一つの方向に進め。
四 葬らない前に祭をおこなう宮殿。
五 穢が出來たので、それを淨めるために、その料として筑紫の一國から品物を取り立てる。その産物などである。
六 穢を生じたのは、種々の罪が犯されたからであるからまずその罪の類を求め出す。屎戸までは、岩戸の物語(三二頁
[#「三二頁」は「天照らす大神と須佐の男の命」の「天の岩戸」])に出た。生剥逆剥は、馬の皮をむく罪。屎戸は、きたないものを清淨なるべき所に散らす罪。上通下通婚以下は、不倫の婚姻行爲。
七 一國をあげての罪穢を拂う行事をして。
八 住吉神社の祭神。二七頁
[#「二七頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「身禊」]參照。
九 木を燒いて作つた灰をヒサゴ(蔓草の實、ユウガオ、ヒョウタンの類)に入れて。これは魔よけのためと解せられる。
一〇 木の葉の皿。これは食物を與える意。
一一 當時朝鮮半島の東部を占めていた國。
一二 朝鮮語で王または貴人をいう。コニキシともコキシともいう。
一三 當時朝鮮半島の南部を占めていた國。
一四 渡海の役所。
一五 神靈の荒い方面。
かれその政いまだ竟へざる
間
に、
妊
ませるが、
産
れまさむとしつ。すなはち御腹を
鎭
ひたまはむとして、石を取らして、
御裳
の腰に纏かして、
筑紫
の國に渡りましてぞ、その御子は
生
れましつる。かれその御子の生れましし地に名づけて、宇美
一といふ。またその御裳に
纏
かしし石は、筑紫の國の
伊斗
の村
二にあり。
また筑紫の
末羅縣
の玉島の里
三に到りまして、その河の邊に御
食
したまふ時に、
四月
の
上旬
なりしを、ここにその河中の磯にいまして、御裳の絲を拔き取り、
飯粒
を餌にして、その河の
年魚
を釣りたまひき。(その河の名を小河といふ。またその磯の名を勝門比賣といふ。)かれ四月の上旬の時、女ども裳の絲を拔き、飯粒を餌にして、
年魚
釣ること今に至るまで絶えず。
一 福岡縣糟屋郡。
二 同糸島郡。萬葉集卷の五にこの石を詠んだ歌がある。
三 佐賀縣東松浦郡の玉島川。
ここに息長帶日賣の命、
倭
に還り上ります時に人の心
疑
はしきに因りて、喪船を一つ具へて、御子をその喪船に載せまつりて、まづ「御子は既に崩りましぬ」と言ひ漏らさしめたまひき。かくして上りいでましし時に、
香坂
の王
忍熊
の王聞きて、待ち取らむと思ほして、
斗賀野
一に進み出でて、
祈狩
二したまひき。ここに
香坂
の王、
歴木
に騰りいまして見たまふに、大きなる怒り猪出でて、その
歴木
を掘りて、すなはちその
香坂
の王を
咋
ひ
食
みつ。その弟忍熊の王、その
態
を
畏
まずして、軍を興し、待ち向ふる時に、喪船に
赴
ひて
空
し
船
を攻めたまはむとす。ここにその喪船より軍を下して戰ひき。
その時
忍熊
の王は、
難波
の
吉師部
が祖、
伊佐比
の宿禰を
將軍
とし、
太子
の御方には、
丸邇
の臣が祖、
難波根子建振熊
の命を、將軍としたまひき。かれ追ひ
退
けて山代
三に到りし時に、還り立ちておのもおのも退かずて相戰ひき。ここに建振熊の命
權
りて、「息長帶日賣の命は、既に崩りましぬ。かれ、更に戰ふべくもあらず」といはしめて、すなはち
弓絃
を絶ちて、
欺
りて
歸服
ひぬ。ここにその將軍既に詐りを
信
けて、弓を
弭
し、
兵
を藏めつ。ここに
頂髮
四の中より
設
けの
弦
五を
採
り出で更に張りて追ひ撃つ。かれ
逢坂
六に逃げ退きて、
對
き立ちてまた戰ふ。ここに追ひ
迫
め敗りて、
沙沙那美
七に出でて、悉にその軍を斬りつ。ここにその忍熊の王、
伊佐比
の宿禰と共に追ひ迫めらえて、船に乘り、海
八に浮きて、歌よみして曰ひしく、
いざ
吾君
九、
振熊
が 痛手負はずは、
鳰鳥
一〇の 淡海の海
一一に
潛
きせなわ
一二。 (歌謠番號三九)
と歌ひて、すなはち海に入りて共に
死
にき。
一 兵庫縣武庫郡。
二 神に誓つて狩をして、これによつて神意を窺う。ここでは凶兆であつた。
三 山城に同じ。
四 頭上にてつかねた髮。
五 用意の弓弦。
六 京都府と滋賀縣との堺の山。
七 琵琶湖の南方の地。
八 琵琶湖。
九 さああなた。
一〇 カイツブリ。水鳥。敍述による枕詞。
一一 琵琶湖。
一二 水にもぐりましよう。ナは自分の希望を現す助詞。ワは感動の助詞。
かれ建内の宿禰の命、その
太子
を
率
まつりて、
御禊
一せむとして、淡海また若狹の國を
經歴
りたまふ時に、
高志
の
前
の
角鹿
二に、假宮を造りてませまつりき。ここに
其地
にます
伊奢沙和氣
の大神の命
三、夜の
夢
に見えて、「吾が名を御子の御名に易へまくほし」とのりたまひき。ここに
言祷
ぎて白さく、「恐し、命のまにまに、易へまつらむ」とまをす。またその神詔りたまはく、「
明日
の
旦
濱にいでますべし。
易名
の
幣
四獻らむ」とのりたまふ。かれその旦濱にいでます時に、鼻
毀
れたる
入鹿魚
、既に一浦に依れり。ここに御子、神に白さしめたまはく、「我に
御食
の
魚
給へり」とまをしたまひき。かれまたその御名をたたへて
御食津
大神とまをす。かれ今に
氣比
の大神とまをす。またその
入鹿魚
の鼻の血
臭
かりき。かれその浦に名づけて血浦といふ。今は
都奴賀
といふなり。
一 水によつて穢を拂う行事。既出。
二 越前の國の敦賀市。
三 同市氣比神宮の祭神。
四 名をとりかえたしるしの贈り物。
ここに還り上ります時に、その
御祖
息長帶日賣の命、待酒
一を釀みて獻りき。ここにその御祖、御歌よみしたまひしく、
この
御酒
は わが御酒ならず。
酒
の
長
二
常世
三にいます
石
立
たす
四
少名
御神
五の、
神壽
き 壽き
狂
ほし
豐壽
き 壽きもとほし
六
獻
り
來
し
御酒
ぞ
乾
さずをせ
七。ささ
八。 (歌謠番號四〇)
かく歌ひたまひて、大御酒獻りき。ここに建内の宿禰の命、御子のために答へて歌ひして曰ひしく、
この御酒を
釀
みけむ人は、
その
鼓
九 臼に立てて
一〇
歌ひつつ
釀
みけれかも
一一、
舞ひつつ
釀
みけれかも、
この御酒の 御酒の
あやに うた
樂
し
一二。ささ。 (歌謠番號四一)
こは
酒樂
一三の歌なり。
およそこの
帶中津日子
の天皇の御年
五十二歳
。(壬戌の年六月十一日崩りたまひき。)御陵は河内の
惠賀
の
長江
一四にあり。皇后は御年一百歳にして崩りましき。
狹城
の
楯列
の陵
一五に葬めまつりき。
一 人を待つて飮む酒。
二 酒をつかさどる長官。原文「久志能加美」美はミの甲類の字であり、神のミは乙類であるから、酒の神とする説は誤。
三 永久の世界。また海外。スクナビコナは海外へ渡つたという。
四 石のように立つておいでになる。
五 スクナビコナに同じ。
六 祝い言をさまざまにして。
七 盃がかわかないようにつづけてめしあがれ。
八 はやし詞。
九 後世のツヅミの大きいもの。太鼓。
一〇 酒をかもす入れものとして。
一一 酒を作つたからか。疑問の已然條件法。
一二 大變にたのしい。
一三 歌曲の名。この二首、琴歌譜にもある。
一四 大阪府南河内郡。
一五 奈良縣生駒郡。
品陀和氣
の命
一、輕島の
明
の宮
二にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、品陀の
眞若
の王
三が女、三柱の
女王
に娶ひたまひき。一柱の御名は、高木の入日賣の命、次に中日賣の命、次に弟日賣の命。この女王たちの父、品陀の眞若の王は、五百木の入日子の命の、尾張の連の祖、建伊那陀の宿禰が女、志理都紀斗賣に娶ひて、生める子なり。
かれ高木の入日賣の御子、
額田
の
大中
つ
日子
の命、次に
大山守
の命、次に
伊奢
の眞若の命、次に
妹
大原の
郎女
、次に
高目
の郎女五柱。中日賣の命の御子、
木
の荒田の郎女、次に
大雀
の命
四、次に
根鳥
の命三柱。弟日賣の命の御子、阿部の郎女、次に
阿貝知
の
三腹
の郎女、次に木の
菟野
の郎女、次に
三野
の郎女五柱。また
丸邇
の
比布禮
の
意富美
が女、名は
宮主矢河枝
比賣に娶ひて生みませる御子、
宇遲
の
和紀郎子
、次に妹
八田
の若郎女、次に
女鳥
の王三柱。またその矢河枝比賣が弟、
袁那辨
の郎女に娶ひて生みませる御子、
宇遲
の
若
郎女一柱。また
咋俣長日子
の王が女、
息長眞若中
つ比賣に娶ひて、生みませる御子、
若沼毛二俣
の王一柱。また
櫻井
の
田部
の
連
の祖、
島垂根
が女、
糸井
比賣に娶ひて、生みませる御子、
速總別
の命一柱。また
日向
の
泉
の
長
比賣に娶ひて、生みませる御子、大
羽江
の
王
、次に
小羽江
の王、次に
檣日
の
若
郎女三柱。また
迦具漏
比賣に娶ひて生みませる御子、
川原田
の郎女、次に玉の郎女、次に
忍坂
の
大中
つ比賣、次に
登富志
の郎女、次に
迦多遲
の王五柱。また
葛城
の野の
伊呂賣
に娶ひて、生みませる御子、
伊奢
の
麻和迦
の王一柱。この天皇の御子たち、并はせて
二十六王
(男王十一、女王十五。)この中に大雀の命は、天の下治らしめしき。
一 應神天皇。
二 奈良縣高市郡。
三 景行天皇の皇子。
四 仁徳天皇。
ここに天皇、大山守の命と大雀の命とに問ひて詔りたまはく、「
汝等
は、兄なる子と弟なる子と、いづれか
愛
しき」と問はしたまひき。(天皇のこの問を發したまへる故は、宇遲の和紀郎子に天の下治らしめむ御心ましければなり。)ここに大山守の命白さく、「兄なる子を
愛
しとおもふ」と白したまひき。次に大雀の命は、天皇の問はしたまふ大御心を知らして、白さく、「兄なる子は、既に人となりて、こは
悒
きこと無きを、弟なる子は、いまだ人とならねば、こを愛しとおもふ」とまをしたまひき。ここに天皇詔りたまはく、「
雀
、
吾君
の
言
ぞ、我が思ほすが如くなる」とのりたまひき。すなはち詔り別けたまひしくは、「大山守の命は、
山海
の政をまをしたまへ
一。大雀の命は、
食國
の政執りもちて白したまへ
二。
宇遲
の
和紀
郎子は、天つ日繼知らせ
三」と詔り別けたまひき。かれ大雀の命は、大君の
命
に
違
ひまつらざりき。
一 海山に關する事をつかさどりたまえ。ここは海はつけていうだけで、山林についてである。この大山守の命の物語は、山林の事を支配する部族が、そのおこりを語るのである。
二 天下の政治をおこないたまえ。
三 天皇の位につきたまえ。
或る時天皇、近つ
淡海
の國
一に越え幸でましし時、
宇遲野
二の上に
御立
して、
葛野
三を
望
けまして、歌よみしたまひしく、
千葉の
四
葛野
を見れば、
百千足
る
家庭
も見ゆ
五。
國の
秀
も
六見ゆ。 (歌謠番號四二)
と歌ひたまひき。
一 滋賀縣。
二 京都府宇治郡。
三 京都市。今の桂川の平野。
四 枕詞。葉の多い意で、葛に冠する。
五 澤山充實している村邑も見える。ヤニハは、家屋のある平地。
六 國土のすぐれている所も見える。クニノホは、「國のまほろば」の接頭語接尾語の無い形。
かれ
木幡
の村
一に到ります時に、その
道衢
に、顏
美
き孃子遇へり。ここに天皇、その孃子に問ひたまはく、「
汝
は誰が子ぞ」と問はしければ、答へて白さく、「
丸邇
の
比布禮
の
意富美
二が女、名は
宮主矢河枝
比賣」とまをしき。天皇すなはちその孃子に詔りたまはく、「吾
明日
還りまさむ時、
汝
の家に入りまさむ」と詔りたまひき。かれ矢河枝比賣、
委曲
にその父に語りき。ここに父答へて曰はく、「こは大君にますなり。
恐
し、
我
が子仕へまつれ」といひて、その家を
嚴飾
りて、
候
ひ待ちしかば、
明日
入りましき。かれ大
御饗
獻
る時に、その女
矢河枝
比賣の命に大御酒盞を取らしめて獻る。ここに天皇、その大御酒盞を取らしつつ、御歌よみしたまひしく、
この
蟹
や
三
何處
の蟹。
百傳ふ
四
角鹿
の蟹。
横
さらふ
五 何處に到る。
伊知遲
島
美
島
六に
著
き、
鳰鳥
の
七
潛
き息衝き、
しなだゆふ
八
佐佐那美道
を
すくすくと
吾
が
行
ませばや、
木幡
の道に 遇はしし
孃子
、
後方
は
小楯
ろかも
九。
齒並
は
椎菱
なす
一〇。
櫟井
の
一一
丸邇坂
の
土
を、
初土
は
一二 膚赤らけみ
底土
は に黒き故、
三栗
の
一三 その中つ
土
を
頭著
く
一四 眞火には當てず
眉畫
き
濃
に書き垂れ
遇はしし
女
。
かもがと
一五
吾
が見し兒ら
かくもがと
吾
が見し兒に
うたたけだに
一六 向ひ
居
るかも
い
副
ひ居るかも。 (歌謠番號四三)
かくて
御合
まして、生みませる御子、
宇遲
の
和紀郎子
なり。
一 京都府乙訓郡。
二 丸邇氏は、奈良の春日に居住して富み榮え、しばしばその女を皇室に納れている。古事記の歌物語の多くが、この氏と關係がある。後に春日氏となつた。柿本氏もこの別れである。丸邇氏の歌物語については、角川源義君にその研究がある。
三 ヤは提示の助詞。蟹は鹿と共に古代食膳の常用とされ親しまれていたので、これらに扮裝して舞い歌われた。その歌は、そのものの立場において、歌うのでこれもその一つをもととしている。
四 枕詞。多くの土地を傳い行く意という。
五 横あるきをして。
六 いずれも所在不明。
七 枕詞。ニホドリノに同じ。
八 枕詞。段になつて撓んでいる意という。
九 うしろ姿は楯のようだ。ロは接尾語。
一〇 椎のみや菱のようだ。諸説がある。
一一 イチヒの木の立つ井のある。
一二 上の方の土。
一三 枕詞。
一四 頭にあたる。
一五 かようにありたいと。現に今あるようにと。次のかくもがとも同じ。
一六 語義不明。ウタタ(轉)を含むとすれば、その副詞形で、轉じて、今は變わつての意になる。
天皇、日向の國の
諸縣
の君が女、名は
髮長
比賣それ
顏容麗美
しと聞こしめして、使はむとして、
喚
し上げたまふ時に、その
太子
大雀の命、その
孃子
の難波津に
泊
てたるを見て、その
姿容
の
端正
に
感
でたまひて、すなはち
建内
の
宿禰
の大臣に
誂
へてのりたまはく、「この日向より
喚
し上げたまへる
髮長
比賣は、天皇の大
御所
に請ひ白して、
吾
に賜はしめよ」とのりたまひき。ここに建内の宿禰の大臣、
大命
を請ひしかば、天皇すなはち
髮長
比賣をその御子に賜ひき。賜ふ状は、天皇の
豐
の
明
聞こしめしける日
一に、髮長比賣に大御酒の
柏
を取
二らしめて、その太子に賜ひき。ここに御歌よみしたまひしく、
いざ子ども
三
野蒜
摘みに、
蒜
摘みに わが行く道の
香ぐはし
花橘
は、
上枝
は 鳥居
枯
らし、
下枝
は 人取り
枯
らし、
三栗の 中つ枝の
ほつもり
四 赤ら孃子を、
いざささば
五
好
らしな。 (歌謠番號四四)
また、御歌よみしたまひしく、
水
渟
る
六
依網
の池
七の
堰杙
打ち
八が 刺しける知らに
九、
※
[#「くさかんむり/溥のつくり」、U+84AA、132-本文-8]
繰
り
延
へけく
一〇知らに、
吾が心しぞ いやをこにして 今ぞ悔しき。 (歌謠番號四五)
と、かく歌ひて賜ひき。かれその孃子を賜はりて後に、
太子
の歌よみしたまひしく、
道の
後
一一
古波陀孃子
一二を、
雷
のごと 聞えしかども
相枕
纏
く。 (歌謠番號四六)
また、歌よみしたまひしく、
道の後 古波陀孃子は、
爭はず 寢しくをしぞも
一三、
愛
しみ
思
ふ。 (歌謠番號四七)
と歌ひたまひき。
一 酒宴をなされた日。
二 廣い葉に酒を盛つた。
三 さあ皆の者。子どもは目下の者をいう。
四 語義不明。秀つ守りで、高く守つている意か。目立つてよい意に赤ら孃子を修飾するのだろう。日本書紀にはフホゴモリとある。
五 さあなされたら。ササは、動詞爲の敬語の未然形だろう。動詞
寢
の敬語をナスという類。
六 敍述による枕詞。
七 大阪市東成區。
八 その池の水をたたえるヰのクヒをうつてあるのが。
九 ニは打消の助動詞ヌの連用形。
一〇 のびていること。ケは時の助動詞キの古い活用形だろうとされる。以上譬喩で、太子の思いがなされていたことをえがく。
一一 遠い土地の。
一二 コハダは日向の國の地名だろう。
一三 寢たことを。上のシは時の助動詞。クはコトの意の助詞。ヲシゾモ、助詞。
また、
吉野
の
國主
一ども、大雀の命の
佩
かせる御刀を見て、歌ひて曰ひしく、
品陀
の 日の御子
二、
大雀
大雀。
佩かせる大刀、
本劍
末
ふゆ
三。
冬木の すからが
下
木の
四 さやさや
五。 (歌謠番號四八)
また、吉野の
白檮
の
生
六に
横臼
七を作りて、その横臼に
大御酒
を
釀
みて、その大御酒を獻る時に、
口鼓
を撃ち
八、
伎
をなして
九、歌ひて曰ひしく、
白檮
の
生
に
横臼
を作り、
横臼に
釀
みし大御酒、
うまらに 聞こしもちをせ
一〇。
まろが
父
一一。 (歌謠番號四九)
この歌は、
國主
ども大
贄
獻る時時、恆に今に至るまで歌ふ歌なり。
一 吉野山中の住民。七六頁[#「七六頁」は「神武天皇」の「熊野より大和へ」]に國巣とある。
二 應神天皇の皇子樣。
三 劒の刃先が威力を現している。
四 冬の木の枯れている木の下の。この二句、種々の説がある。
五 劒の清明であるのをたたえた語。
六 白檮の生えているところ。
七 たけの低い臼。その臼で材料をついて酒をかもす。
八 太鼓のような聲を出して。
九 手ぶり物まねなどして。
一〇 うまそうに召しあがれ。ヲセは、食すの命令形。
一一 われらが父よ。
この御世に、
海部
、
山部
、
山守部
、
伊勢部
一を定めたまひき。また劒の池
二を作りき。また
新羅人
まゐ渡り來つ。ここを以ちて建内の宿禰の命、引き
率
て、堤の池に渡りて
三、
百濟
の池
四を作りき。
また百濟の
國主
照古
王
五、
牡馬
壹疋
、
牝馬
壹疋を、
阿知吉師
六に付けて
貢
りき。この阿知吉師は
阿直
の史等が祖なり。また大刀と大鏡とを貢りき。また百濟の國に仰せたまひて、「もし
賢
し人あらば貢れ」とのりたまひき。かれ命を受けて貢れる人、名は
和邇吉師
、すなはち論語
十卷
、千字文
七一卷、并はせて
十一卷
を、この人に付けて貢りき。この和爾吉師は文の首等が祖なり。また手人
韓鍛
八名は
卓素
、また
呉服
西素
九二人を貢りき。また
秦
の
造
の祖、
漢
の
直
の祖、また
酒
を
釀
むことを知れる人、名は
仁番
、またの名は
須須許理
等、まゐ渡り來つ。かれこの須須許理、大御酒を
釀
みて獻りき。ここに天皇、この獻れる大御酒にうらげて
一〇、御歌よみしたまひしく、
須須許理が
釀
みし御酒に われ醉ひにけり。
事
無酒咲酒
一一に、われ醉ひにけり。 (歌謠番號五〇)
かく歌ひつつ幸でましし時に、御杖もちて、大坂
一二の道中なる大石を打ちたまひしかば、その石走り
避
りき。かれ諺に
堅石
も
醉人
を
避
るといふなり。
一 以上、大山守の命に命じたことをいう。但し物語とは別の資料によつたのだろう。
二 奈良縣高市郡。既出。別傳か、修理か。
三 不明瞭で諸説がある。
四 奈良縣北葛城郡。
五 百濟の第十三代の近肖古王。
六 キシは尊稱。下同じ。日本書紀に
阿直支
。
七 廣く行われている周興嗣次韵の千字文はまだ出來ていなかつた。
八 工人である朝鮮の鍛冶人。
九 大陸風の織物工の西素という人。
一〇 浮かれ立つて。
一一 事の無い愉快な酒。クシは酒。
一二 二上山を越える道。
かれ天皇
崩
りましし後に、大雀の命は、天皇の命のまにまに、天の下を宇遲の和紀郎子に讓りたまひき。ここに大山守の命は、天皇の命に違ひて、なほ天の下を獲むとして、その
弟皇子
を殺さむとする心ありて、
竊
に
兵
を
設
けて攻めむとしたまひき。ここに大雀の命、その兄の軍を備へたまふことを聞かして、すなはち使を遣して、宇遲の和紀郎子に告げしめたまひき。かれ聞き驚かして、兵を河の
邊
に隱し、またその山の上に、
垣
一を張り、
帷幕
二を立てて、詐りて、
舍人
を王になして、
露
に
呉床
にませて、
百官
、
敬
ひかよふ状、既に王子のいまし所の如くして、更にその兄王の河を渡りまさむ時のために、船
を具へ飾り、また
佐那葛
三の根を
臼搗
き、その汁の
滑
を取りて、その船の中の
簀椅
に塗りて、蹈みて仆るべく
設
けて、その王子は、
布
の
衣褌
を
服
て、既に
賤人
の形になりて、
を取りて立ちましき。ここにその兄王、
兵士
を隱し伏せ、鎧を衣の中に
服
せて、河の邊に到りて、船に乘らむとする時に、その
嚴飾
れる處を
望
けて、弟王その
呉床
にいますと思ほして、ふつに
を取りて船に立ちませることを知らず、すなはちその
執れる者に問ひたまはく、「この山に怒れる大猪ありと
傳
に聞けり。吾その猪を取らむと思ふを、もしその猪を獲むや」と問ひたまへば、
執れる者答へて曰はく、「得たまはじ」といひき。また問ひたまはく、「何とかも」と問ひたまへば、答へたまはく「
時時
往往
にして、取らむとすれども得ず。ここを以ちて得たまはじと白すなり」といひき。渡りて河中に到りし時に、その船を
傾
けしめて、水の中に墮し入れき。ここに浮き出でて、水のまにまに流れ下りき。すなはち流れつつ歌よみしたまひしく
四、
ちはやぶる
五 宇治の渡に、
棹取りに
速
けむ人し わが
伴
に
來
む
六。 (歌謠番號五一)
と歌ひき。ここに河の邊に伏し隱れたる兵、
彼廂此廂
、
一時
に興りて、矢刺して流しき。かれ
訶和羅
の
前
七に到りて沈み入りたまふ。かれ
鉤
を以ちて、その沈みし處を探りしかば、その衣の中なる
甲
に
繋
かりて、かわらと鳴りき。かれ
其所
に名づけて訶和羅の前といふなり。ここにその
骨
を掛き出だす時に、弟王、御歌よみしたまひしく、
ちはや人
八 宇治の渡に、
渡瀬
に立てる
梓弓
檀
九。
いきらむと
一〇 心は
思
へど、
い取らむと 心は
思
へど、
本方
一一は 君を思ひ
出
、
末方
一二は 妹を思ひ
出
、
いらなけく
一三 そこに思ひ
出
、
愛
しけく ここに思ひ
出
、
いきらずぞ
來
る。梓弓檀。 (歌謠番號五二)
かれその大山守の命の骨は、
那良
山に
葬
めき。この大山守の命は
土形
の君、
幣岐
の君、
榛原
の君等が祖なり。
ここに大雀の命と宇遲の和紀郎子と二柱、おのもおのも天の下を讓りたまふほどに、
海人
大
贄
を貢りつ。ここに兄は
辭
びて、弟に貢らしめたまひ、弟はまた兄に貢らしめて、相讓りたまふあひだに既に
許多
の日を經つ。かく相讓りたまふこと一度二度にあらざりければ、
海人
は既に
往還
に疲れて泣けり。かれ諺に、「
海人
なれや、おのが物から
音
泣く
一四」といふ。然れども宇遲の和紀郎子は早く
崩
りましき。かれ大雀の命、天の下治らしめしき。
一 荒い絹の幕。
二 あげて張つた幕。天幕。
三 ビナンカズラ。
四 流れながら歌つたというのは、山守部のともがらの演出だからである。現在の昔話に、猿聟入りの話があり、聟の猿が川に落ちて流れながら歌うことがある。
五 枕詞。威力をふるう。ここは宇治川が急流なのでいう。
六 自分のなかまに來てくれ。
七 所在不明。
八 枕詞。つよい人。地名のウヂが、元來威力を意味する語なのであろう。
九 梓弓と檀弓。アヅサはアカメガシハ。マユミはヤマニシキギ。共に弓材になる樹。
一〇 イ切ルで、イは接頭語。切ろうと。
一一 弓の下の方。
一二 弓の上の方。
一三 心のいらいらする形容。
一四 海人だからか、自分の物ゆえに泣く。魚が腐り易いからだという。
また昔
新羅
の
國主
の子、名は
天
の
日矛
といふあり
一。この人まゐ渡り來つ。まゐ渡り來つる故は、新羅の國に一つの沼あり、名を
阿具沼
といふ。この沼の邊に、ある賤の女晝寢したり。ここに日の
耀
虹
のごと、その
陰上
に指したるを、またある賤の男、その状を
異
しと思ひて、恆にその
女人
の行を伺ひき。かれこの女人、その晝寢したりし時より、姙みて、赤玉を生みぬ
二。ここにその伺へる賤の男、その玉を乞ひ取りて、恆に
裹
みて腰に著けたり。この人、
山谷
の間に田を作りければ、
耕人
どもの
飮食
を牛に負せて、
山谷
の中に入るに、その
國主
の子
天
の
日矛
に遇ひき。ここにその人に問ひて曰はく、「
何
ぞ
汝
飮食を牛に負せて
山谷
の中に入る。
汝
かならずこの牛を殺して食ふならむ」といひて、すなはちその人を捕へて、
獄内
に入れむとしければ、その人答へて曰はく、「吾、牛を殺さむとにはあらず、ただ田人の食を送りつらくのみ」といふ。然れどもなほ赦さざりければ、ここにその腰なる玉を解きて、その
國主
の子に
幣
しつ。かれその賤の夫を赦して、その玉を持ち來て、床の
邊
に置きしかば、すなはち顏美き孃子になりぬ。
仍
りて
婚
して
嫡妻
とす。ここにその孃子、常に種種の
珍
つ
味
を設けて、恆にその
夫
に食はしめき。かれその
國主
の子心奢りて、
妻
を
詈
りしかば、その女人の言はく、「およそ吾は、
汝
の
妻
になるべき女にあらず。吾が
祖
の國に行かむ」といひて、すなはち
竊
びて
小
船に乘りて、逃れ渡り來て、難波に留まりぬ。(こは難波の比賣碁曾の社三にます阿加流比賣といふ神なり。)
ここに天の日矛、その
妻
の遁れしことを聞きて、すなはち追ひ渡り來て、難波に到らむとする
間
に、その渡の神
塞
へて入れざりき。かれ更に還りて、
多遲摩
の國
四に
泊
てつ。すなはちその國に留まりて、多遲摩の
俣尾
が女、名は
前津見
に
娶
ひて生める子、多遲摩
母呂須玖
。これが子多遲摩
斐泥
。これが子多遲摩
比那良岐
。これが子多遲摩
毛理
五、次に多遲摩
比多訶
、次に
清日子
三柱。この清日子、
當摩
の
斐
に娶ひて生める子、
酢鹿
の
諸男
、次に妹
菅竈由良度美
、かれ上にいへる多遲摩比多訶、その姪由良度美に娶ひて生める子、
葛城
の
高額
比賣の命。(こは息長帶比賣六の命の御祖なり。)
かれその天の日矛の持ち渡り來つる物は、
玉
つ
寶
といひて、珠二
貫
七、また
浪
振
る
比禮
、
浪
切
る比禮、風振る比禮、風切る比禮
八、また
奧
つ鏡、
邊
つ鏡
九、并はせて八種なり。(こは伊豆志の八前の大神一〇なり。)
一 日本書紀に垂仁天皇の卷に見え、播磨國風土記に、葦原シコヲの命との交渉を記している。
二 卵生説話の一。その玉が孃子に化したとする。この點からいえば神婚説話であつて、外來の形を傳えていると見られるのが注意される。
三 大阪市東成區。
四 兵庫縣の北部。
五 垂仁天皇の御代に常世の國に行つて橘を持つて來た人。一〇四頁
[#「一〇四頁」は「垂仁天皇」の「時じくの香の木の實」]參照。
六 神功皇后。
七 珠を緒に貫いたもの二つ。
八 以上四種のヒレは、風や波を起しまたしずめる力のあるもの。浪振るは浪を起す。浪切るは浪をしずめる。風も同樣。ヒレについては四二頁
[#「四二頁」は「大國主の神」の「根の堅州國」]脚註參照。
九 二種の鏡は、海上の平安を守る鏡。オキツは海上遠く、ヘツは海邊。
一〇 兵庫縣出石郡の出石神社。
かれここに神の女
一、名は
伊豆志袁登賣
の神
二います。かれ八十神、この伊豆志袁登賣を得むとすれども、みなえ
婚
はず。ここに二柱の神あり。兄の名を秋山の
下氷壯夫
三、弟の名は春山の
霞壯夫
なり。かれその兄、その弟に謂ひて、「吾、伊豆志袁登賣を乞へども、え婚はず。
汝
この孃子を得むや」といひしかば答へて曰はく、「易く得む」といひき。ここにその兄の曰はく、「もし汝、この孃子を得ることあらば、上下の
衣服
を
避
四り、身の
高
を量りて
甕
に酒を
釀
み
五、また山河の物を悉に備へ設けて、うれづく
六をせむ」といふ。ここにその弟、兄のいへる如、つぶさにその母に白ししかば、すなはちその母、ふぢ
葛
七を取りて、一夜の
間
に、
衣
、
褌
、また
襪
八、
沓
を織り縫ひ、また弓矢を作りて、その衣褌等を服しめ、その弓矢を取らしめて、その孃子の家に遣りしかば、その衣服も弓矢も悉に藤の花になりき。ここにその春山の霞壯夫、その弓矢を孃子の厠に繋けたるを、ここに伊豆志袁登賣、その花を
異
しと思ひて、持ち來る時に、その孃子の後に立ちて、その屋に入りて、すなはち
婚
しつ
九。かれ一人の子を生みき。
ここにその兄に白して曰はく、「
吾
は伊豆志袁登賣を得つ」といふ。ここにその兄、弟の婚ひつることを
慨
みて、そのうれづくの物を償はざりき。ここにその母に愁へ白す時に、御祖の答へて曰はく、「我が御世の事、能くこそ神習はめ
一〇。またうつしき青人草習へや、その物償はぬ
一一」といひて、その兄なる子を恨みて、すなはちその
伊豆志河
の河島の一
節竹
一二を取りて、
八
つ
目
の
荒籠
一三を作り、その河の石を取り、鹽に合へて
一四、その竹の葉に裹み、
詛言
はしめしく
一五、「この
竹葉
の青むがごと、この竹葉の
萎
ゆるがごと、青み萎えよ。またこの鹽の
盈
ち
乾
るがごと、盈ち
乾
よ。またこの石の沈むがごと、沈み臥せ」とかく
詛
ひて、
竈
の上に置かしめき。ここを以ちてその兄八年の間に
干
き萎え病み枯れき。かれその兄患へ泣きて、その御祖に請ひしかば、すなはちその
詛戸
一六を返さしめき。ここにその身本の如くに
安平
ぎき。(こは神うれづくといふ言の本なり。)
一 出石の神が通つて生んだ女子。
二 イヅシは地名、前項參照。
三 シタビは、赤く色づくこと。「秋山の下べる妹」(萬葉集)。秋の美を名とした男。春山の霞壯夫と對立する。
四 上下の衣服をぬいで讓り。
五 身長と同じ高さの瓶に酒をかもして。
六 賭事。ウレは、ウラナフ(占う)、ウラ(心)などのウラ、ウレタシ(心痛し)のウレと同語。ヅクは、カケヅク(賭づく)などのヅクで、それに就く意。占いごとで、成るか成らぬかを賭けたのである。
七 藤の蔓。
八 沓の中にはくもの。クツシタ。
九 藤の花が男子に化して婚姻した形になり神婚説話になる。
一〇 われわれの世界では、よく神の行爲に習うべきである。
一一 現實の人間にならつてか、負けたのに賭の物をよこさない。人間の世界は不信で、そのまねをしている。
一二 一節の長さの竹。ヨは竹の節と節との中間をいう。
一三 多くの目のあるあらい籠。
一四 海水の滿干を現すために鹽にまぜる。
一五 その子をして呪い言をさせて。
一六 呪咀の置物。
またこの
品陀
の天皇の御子、
若野毛二俣
の王、その母の弟
二、
百師木伊呂辨
、またの名は
弟日賣眞若
比賣の命に娶ひて生みませる子、
大郎子
、またの名は
意富富杼
の王
三、次に
忍坂
の
大中津
比賣の命、次に
田井
の中比賣、次に
田宮
の中比賣、次に藤原の
琴節
の
郎女
、次に
取賣
の王、次に
沙禰
の王七柱。かれ意富富杼の王は三國の君、波多の君、息長の君、筑紫の米多の君、長坂の君、酒人の君、山道の君、布勢の君等が祖なり。また根鳥の王
四、
庶妹
三腹
の郎女に娶ひて生みませる子、
中日子
の王、次に
伊和島
の王二柱。また
堅石
の王
五の子は、
久奴
の王なり。
およそこの品陀の天皇。御年
一百三十歳
。甲午の年九月九日に崩りたまひき。御陵は、
川内
の
惠賀
の
裳伏
の岡
六にあり。
一 この系譜は、もとはじめの系譜に續いていたのを、中間に物語が插入されたので、中斷されたのであろう。
二 母の妹。
三 繼體天皇は、この王の子孫である。
四 應神天皇の皇子。
五 前に出ない。系統不明。
六 大阪府南河内郡。
古事記 中つ卷
大雀
の命
一、難波の高津の宮
二にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、
葛城
の
曾都毘古
三が女、
石
の
日賣
の命大后に
娶
ひて、生みませる御子、大江の
伊耶本和氣
の命、次に
墨江
の
中
つ
王
、次に
蝮
の
水齒別
の命、次に
男淺津間若子
の宿禰の命四柱。また上にいへる
日向
の
諸縣
の君
牛諸
が女、
髮長比賣
に
娶
ひて、生みませる御子、
波多毘
の大郎子、またの名は大
日下
の王、次に波多毘の
若郎女
、またの名は
長目
比賣の命、またの名は若日下部の命二柱。また
庶妹
八田
の若郎女に娶ひ、また庶妹宇遲の若郎女に娶ひたまひき。(この二柱は、御子まさざりき。)およそこの大雀の天皇の御子たち并はせて六柱。(男王五柱、女王一柱。)かれ伊耶本和氣の命は、天の下治らしめしき。次に蝮の水齒別の命も天の下治らしめしき。次に男淺津間若子の宿禰の命も天の下治らしめしき。
一 仁徳天皇。
二 大阪市東區。今の大阪城の邊。
三 建内の宿禰の子。
この天皇の御世に、大后
石
の比賣の命の
御名代
として、
葛城部
を定めたまひ、また
太子
伊耶本和氣の命の御名代として、
壬生部
を定めたまひ、また水齒別の命の御名代として、
蝮部
を定めたまひ、また大日下の王の御名代として、大日下部を定めたまひ、若日下部の王の御名代として、若日下部を定めたまひき。
また
秦
人
一を
役
てて、
茨田
の堤
二と茨田の
三宅
とを作り、また
丸邇
の池
三、
依網
の池
四を作り、また難波の堀江
五を掘りて、海に通はし、また
小椅
の江
六を掘り、また墨江の津
七を定めたまひき。
ここに天皇、高山に登りて、
四方
の國を見たまひて、
詔
りたまひしく、「
國中
に烟たたず
八、國みな貧し。かれ今より三年に至るまで、悉に
人民
の
課役
九を
除
せ」とのりたまひき。ここを以ちて大殿
破
れ
壞
れて、悉に雨漏れども、かつて
修理
めたまはず、
一〇をもちてその漏る雨を受けて、漏らざる處に遷り
避
りましき。後に
國中
を見たまへば、國に烟滿ちたり。かれ人民富めりとおもほして、今はと課役
科
せたまひき。ここを以ちて、
百姓
榮えて
役使
に苦まざりき。かれその御世を稱へて
聖帝
の御世
一一とまをす。
一 中國の秦の國人。
二 大阪府北河内郡。
三 大阪府南河内郡。
四 大阪市東成區。前に造つたことが出ている。改修か。
五 淀川の水を通じるために掘つたもので、今の天滿川である。
六 大阪市東成區。
七 大阪市住吉區。
八 食物を作ることが少いので烟が立たない。
九 ミツキはたてまつり物。エダチは勞役。
一〇 水を流す樋。
一一 ヒジリは、知識者の意から貴人をいうようになつたが、漢字の聖にこの語をあて、天皇の世をこのようにいうのは、漢文の影響を受けている。
その大后
石
の日賣の命、いたく
嫉妬
みしたまひき。かれ天皇の使はせる
妾
たちは、宮の中をもえ
臨
かず、言立てば、足も
足掻
かに
一妬みたまひき。ここに天皇、
吉備
の
海部
の
直
が女、名は
黒日賣
それ
容姿端正
しと聞こしめして、
喚上
げて使ひたまひき。然れどもその大后の嫉みますを
畏
みて、本つ國に逃げ下りき。天皇、高
臺
にいまして、その黒日賣の船出するを望み見て歌よみしたまひしく、
沖
方
には 小舟つららく
二。
くろざや
三の まさづこ
四
吾妹
、
國へ下らす。 (歌謠番號五三)
かれ大后この御歌を聞かして、いたく忿りまして、大浦に人を遣して、追ひ下して、
歩
より
追
ひたまひき。
ここに天皇、その黒日賣に戀ひたまひて、大后を欺かして、のりたまはく、「
淡道島
見たまはむとす」とのりたまひて、
幸
でます時に、淡道島にいまして、
遙
に
望
けまして、歌よみしたまひしく、
おしてるや
五、難波の埼よ
六
出で立ちて わが國見れば、
粟島
七
淤能碁呂島
八、
檳榔
の 島
九も見ゆ。
佐氣都
島
一〇見ゆ。 (歌謠番號五四)
すなはちその島より傳ひて、
吉備
の國に幸でましき。ここに黒日賣、その國の
山縣
の
地
一一におほましまさしめて、大
御飯
獻りき。ここに
大御羮
一二を煮むとして、
其地
の
菘菜
を
採
む時に、天皇その孃子の
菘
採む處に到りまして、歌よみしたまひしく、
山
縣
に 蒔ける
菘
も、
吉備人と 共にし摘めば、
樂
しくもあるか。 (歌謠番號五五)
天皇上り
幸
でます時に、黒日賣、御歌、獻りて曰ひしく、
倭
方
に
西風
吹き
上
げて、
雲
離
れ そき
居
りとも
一三、
吾
忘れめや。 (歌謠番號五六)
また歌ひて曰ひしく、
倭
方
に 往くは誰が
夫
。
隱津
の 下よ
延
へつつ
一四
往くは誰が夫。 (歌謠番號五七)
一 足をばたばたさせて。
二 小船が連なつている。
三 語義不明。枕詞だろう。
四 黒日賣の本名であろう。
五 枕詞。海の照り輝く意。
六 ※
[#「土へん+竒」、144-脚注-6]から。
七 阿波の方面から見た四國。
八 所在不明。一九頁
[#「一九頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「島々の生成」]脚註參照。
九 所在不明。アヂマサは、檳榔樹。
一〇 同前。
一一 山の料地。
一二 お吸物。
一三 雲が離れるように退いていても。「大和べに風吹きあげて雲ばなれ
退
き居りともよ吾を忘らすな」(丹後國風土記、浦島の物語の神女)
一四 地下水のように下を流れて。
これより後、大后
豐
の
樂
一したまはむとして、
御綱栢
二を採りに、木の國に幸でましし間に、天皇、
八田
の
若郎女
に
婚
ひましき。ここに大后は、御綱栢を御船に積み
盈
てて還りいでます時に、
水取
の司に使はゆる、吉備の國の兒島の郡の
仕丁
三、これおのが國に
退
るに、難波の大渡に、後れたる
倉人女
四の船に遇ひき。すなはち語りて曰はく、「天皇は、このごろ八田の若郎女に娶ひまして
晝夜
戲れますを。もし大后はこの事聞こしめさねかも
五、しづかに遊びいでます」と語りき。ここにその倉人女、この語る言を聞きて、すなはち御船に追ひ近づきて、その
仕丁
が言ひつるごと、
状
をまをしき。ここに大后いたく恨み怒りまして、その御船に載せたる御綱栢は、悉に海に投げ
棄
てたまひき。かれ
其地
に名づけて
御津
の
前
といふ。すなはち宮に入りまさずて、その御船を引き
避
きて、堀江に
泝
らして、河のまにまに
六、
山代
に上りいでましき。この時に歌よみしたまひしく、
つぎねふや
七
山代
河を
川のぼり 吾がのぼれば、
河の
邊
に 生ひ立てる
烏草樹
八を。
烏草樹
の樹、
其
が下に 生ひ立てる
葉廣 ゆつ
眞椿
九、
其
が花の 照りいまし
其
が葉の
廣
りいますは、
大君ろかも。 (歌謠番號五八)
すなはち山代より
りて、那良の山口
一〇に到りまして、歌よみしたまひしく、
つぎねふや 山代河を
宮上り 吾がのぼれば、
あをによし
一一 那良を過ぎ、
小楯
一二
倭
一三を過ぎ、
吾
が 見が欲し國
一四は、
葛城
高宮
一五
吾家
のあたり。 (歌謠番號五九)
かく歌ひて還らして、しまし
筒木
の
韓
人
一六、名は
奴理能美
が家に入りましき。
天皇、その大后は山代より上り幸でましぬと聞こしめして、舍人名は鳥山といふ人を使はして御歌を送りたまひしく、
山代に いしけ鳥山
一七、
いしけいしけ
吾
が
愛
し
妻
に いしき遇はむかも
一八。 (歌謠番號六〇)
また續ぎて
丸邇
の臣
口子
を遣して歌よみしたまひしく、
御諸
一九の その
高城
なる
大猪子
が原
二〇。
大猪子が 腹にある
二一、
肝向ふ
二二 心をだにか
相
思
はずあらむ。 (歌謠番號六一)
また歌よみしたまひしく、
つぎねふ 山代女の
木钁
持ち 打ちし大根
二三、
根白の
白腕
、
纏
かずけばこそ
二四 知らずとも言はめ。 (歌謠番號六二)
かれこの
口子
の
臣
、この御歌を白す時に、大雨降りき。ここにその雨をも
避
らず、前つ
殿戸
にまゐ伏せば、
後
つ戸に違ひ出でたまひ、後つ殿戸にまゐ伏せば、前つ戸に違ひ出でたまひき。かれ
匍匐
進起
ひて、庭中に跪ける時に、
水潦
二五腰に至りき。その臣、
紅
き
紐
著けたる
青摺
の
衣
二六を
服
たりければ、水潦紅き紐に觸りて、青みな
紅
になりぬ。ここに口子の臣が妹
口比賣
、大后に仕へまつれり。かれその
口比賣
歌ひて曰ひしく、
山代の 筒木の宮に
物申す
吾
が
兄
の君は、
涙ぐましも。 (歌謠番號六三)
ここに大后、その故を問ひたまふ時に答へて曰さく、「僕が兄口子の臣なり」とまをしき。
ここに口子の臣、またその妹口比賣、また
奴理能美
、三人
議
りて、天皇に
奏
さしめて曰さく、「大后の幸でませる故は、奴理能美が
養
へる蟲、一度は
匐
ふ蟲になり、一度は
殼
になり、一度は飛ぶ鳥になりて、三
色
に
變
る
奇
しき蟲
二七あり。この蟲を看そなはしに、入りませるのみ。更に
異
しき心まさず」とかく奏す時に、天皇、「然らば
吾
も奇しと思へば、見に行かな」と詔りたまひて、大宮より上り幸でまして、奴理能美が家に入ります時に、その奴理能美、おのが養へる三種の蟲を、大后に獻りき。ここに天皇、その大后のませる殿戸に
御立
したまひて、歌よみしたまひしく、
つぎねふ 山代女の
木钁
持
ち 打ちし大根、
さわさわに
二八
汝
が言へせこそ
二九、
うち渡す
三〇 やがは
枝
三一なす
來
入り參ゐ來れ。 (歌謠番號六四)
この天皇と大后と歌よみしたまへる六歌は、
志都
歌の歌ひ返し
三二なり。
一 酒宴。
二 御角柏とも書く。葉先が三つになつている樹葉。これに食物を盛る。ウコギ科の常緑喬木、カクレミノ。
三 岡山縣兒島郡から出た壯丁。
四 物の出し入れを扱う女。
五 御承知にならないからか。疑問の已然條件法。
六 淀川をさかのぼつて。
七 枕詞。語義不明。次々に嶺が現れる意かという。
八 シャクナゲ科の常緑喬木。シャシャンボ。
九 神聖な椿。神靈の存在を感じている。
一〇 淀川から上り、木津川を上つて奈良山の山口に來た。
一一 枕詞。語義不明。
一二 枕詞。山の姿の形容か。
一三 大和の國の平野の東方。山手の地。ヤマトの名は、もとこの邊の稱から起つた。
一四 わたしの見たい國は。その國は、奈良や倭を過ぎて行く葛城の地であるの意。
一五 葛城の高地にある宮。皇后の父君、葛城の襲津彦、母君葛城の高額姫、共にこの地に住まれた。
一六 京都府綴喜郡にいる朝鮮の人。
一七 追いつけよ、鳥山よ。
一八 追いついて遇いましよう。
一九 ミモロは、神座をいい、ひいて神社のある所をいふ。ここは葛城の三諸。
二〇 原の名。オホヰコは猪のこと。
二一 上の大猪子が原から引き出している。肝は腹にあるので次の句を修飾する。
二二 枕詞。腹の中には肝が向いあい、そこに心があるとした。
二三 打つて掘り出した大根。
二四 ケは、時の助動詞キの古い活用形で未然形。
二五 雨が降つて急に出る水。
二六 美裝で、雄略天皇の卷にも見える。アヲズリは、青い染料をすりつけて染めること。
二七 蠶である。蠶のはじめは三五頁
[#「三五頁」は「須佐の男の命」の「穀物の種」]の神話に見えているが、それは神話のことで、大陸や朝鮮との交通によつて養蠶がおこなわれるようになつたのである。
二八 さわぎ立てる形容。
二九 語法上問題がある。セは敬語の助動詞スの已然形とすれば、動詞言うの未然形に接續するはずであるのに、イヘセとなつているのは、言うが下二段活か。とにかく已然條件法であろう。
三〇 見渡したところの。
三一 茂つた木の枝のように。人々をつれて來入ることの形容。
三二 歌曲の名。志都歌があつて、それに附隨して歌い返す歌の意であろう。
天皇、
八田
の
若郎女
に戀ひたまひて、御歌を遣したまひき。その御歌、
八田の
一本菅
は、
子持たず 立ちか荒れなむ。
あたら
菅原
一。[#「あたら菅原 一。」は底本では「あたら菅原 三三。」]
言
をこそ
菅原
と言はめ。
あたら
清
し
女
。 (歌謠番號六五)
ここに八田の若郎女、答へ歌よみしたまひしく、
八田の 一本菅は 獨居りとも。
天皇
し よしと聞こさば 獨居りとも。 (歌謠番號六六)
かれ八田の若郎女の御名代として、
八田部
を定めたまひき。
一[#「一」は底本では「三三」] 惜しい菅原だ。
また天皇、その弟速總別の王
一を
媒
として、
庶妹
女鳥
の王を乞ひたまひき。ここに女鳥の王、速總別の王に語りて曰はく、「大后の
強
き
二に因りて、八田の若郎女を治めたまはず
三。かれ仕へまつらじと思ふ。
吾
は汝が命の
妻
にならむ」といひて、すなはち
婚
ひましつ。ここを以ちて速總別の王
復奏
さざりき。ここに天皇、
直
に女鳥の王のいます所にいでまして、その殿戸の
閾
の上にいましき。ここに女鳥の王
機
にまして、
服
織りたまふ。ここに天皇、歌よみしたまひしく、
女鳥の 吾が
王
の
織
ろす
機
四、
誰
が
料
ろかも
五。 (歌謠番號六七)
女鳥の王、答へ歌ひたまひしく、
高行くや
六 速總別の みおすひがね
七。 (歌謠番號六八)
かれ天皇、その心を知らして、宮に還り入りましき。
この時、その
夫
速總別の王の來れる時に、その
妻
女鳥の王の歌ひたまひしく、
雲雀
は
天
に
翔
る
八。
高行くや 速總別、
鷦鷯
取らさね。 (歌謠番號六九)
天皇この歌を聞かして、軍を興して、
殺
りたまはむとす。ここに速總別の王、女鳥の王、共に逃れ退きて、
倉椅山
九に
騰
りましき。ここに速總別の王歌ひたまひしく、
梯立ての
一〇 倉椅山を
嶮
しみと
岩かきかねて
一一
吾
が手取らすも。 (歌謠番號七〇)
また歌ひたまひしく、
梯立ての 倉椅山は 嶮しけど、
妹と登れば 嶮しくもあらず。 (歌謠番號七一)
かれそこより逃れて、
宇陀
の
蘇邇
一二に到りましし時に、御軍追ひ到りて、
殺
せまつりき。
その
將軍
山部
の
大楯
の
連
、その女鳥の王の、御手に
纏
かせる
玉釧
一三を取りて、おのが
妻
に與へき。この時の後、豐の
樂
したまはむとする時に、氏氏の女どもみな
朝參
りす
一四。ここに大楯の連が妻、その王の玉釧を、おのが手に
纏
きてまゐ
赴
けり。ここに大后
石
の日賣の命、みづから大御酒の
栢
を取
一五らして、
諸
氏氏の女どもに賜ひき。ここに大后、その玉釧を見知りたまひて、御酒の栢を賜はずて、すなはち引き
退
けて、その夫大楯の連を召し出でて、詔りたまはく、「その王たち
一六、
禮
なきに因りて退けたまへる、こは
異
しき事無きのみ。それの奴や、おのが君の御手に纏かせる玉釧を、膚も
けきに剥ぎ持ち來て、おのが妻に與へつること」と詔りたまひて、
死刑
に行ひたまひき。
一 猛禽のハヤブサを名としている王。ハヤブサとサザキ(ミソサザイ)とが女鳥を爭つたという鳥類物語が原形だろう。
二 嫉妬づよく、もてあましている。
三 思うようになされない。
四 織らす機に同じ。お織りになつている機おり物。
五 ロは接尾語。
六 敍述による枕詞。
七 御おすいの材料。オスヒは既出。
八 高行くの譬喩。
九 奈良縣磯城郡の東方の山。
一〇 敍述による枕詞。階段を立てる意で倉を修飾する。
一一 岩に手をかけ得ないで。「霰ふる
杵島
が
嶽
をさかしみと草とりかねて妹が手を取る」(肥前國風土記)。
一二 奈良縣宇陀郡。
一三 美しい腕輪。
一四 諸家の女たちが宮廷に出た。
一五 御酒を盛つた御綱栢。
一六 ハヤブサワケと女鳥の王。
またある時、天皇豐の
樂
したまはむとして、
日女
島
一に幸でましし時に、その島に
雁
卵
生みたり。ここに建内の宿禰の命を召して、歌もちて、雁の卵生める状を問はしたまひき。その御歌、
たまきはる
二 内の
朝臣
三、
汝
こそは 世の
長人
四、
そらみつ
五
日本
の國に
雁
子
産
と 聞くや。 (歌謠番號七二)
ここに建内の宿禰、歌もちて語りて白さく、
高光る 日の御子、
諾
しこそ
六 問ひたまへ。
まこそに
七 問ひたまへ。
吾
こそは 世の長人、
そらみつ 日本の國に
雁
子
産
と いまだ聞かず。 (歌謠番號七三)
かく白して、御琴を賜はりて、歌ひて曰ひしく、
汝
が
王
や 終に知らむと、
雁は子産らし。 (歌謠番號七四)
と歌ひき。こは
壽歌
八の片歌なり。
一 大阪府三島郡。
二 枕詞。語義不明。
三 宮廷に仕える臣下。建内の宿禰のこと。
四 世の中に長くいる人。
五 枕詞。ニギハヤヒの命が天から降下する時に、大和の國を空中から見たことからはじまるとする傳えがある。
六 もつともなことに。シは強意の助詞。
七 マは眞實。
八 歌曲の名。
この御世に、
兔寸
河
一の西の方に、
高樹
あり。その樹の影、朝日に當れば、
淡道
島におよび、夕日に當れば、高安山
二を越えき。かれこの樹を切りて、船に作れるに、いと
捷
く行く船なりけり。時にその船に名づけて
枯野
といふ。かれこの船を以ちて、
旦夕
に淡道島の
寒泉
を酌みて、大御
水
獻る。この船の
壞
れたるもちて、鹽を燒き、その燒け
遺
りの木を取りて、琴に作るに、その音
七里
に聞ゆ。ここに歌よみて曰ひしく、
枯野
を 鹽に燒き、
其
が
餘
琴に造り、
掻き彈くや
三
由良
の
門
四の
門中
の
海石
五に
振れ立つ
浸漬
の木の
六、さやさや
七。 (歌謠番號七五)
こは志都歌の歌ひ返しなり。
この天皇の御年
八十三歳
。(丁卯の年八月十五日崩りたまひき。)御陵は
毛受
八の
耳原
にあり。
一 所在不明。物語によれば大阪平野のうちである。
二 大阪府中河内郡。信貴山。
三 ヤは間投の助詞。
四 大阪灣口の由良海峽。(紀淡海峽)。
五 海中の石、暗礁。
六 海水に浸つている木のように。
七 音のさやかであること。
八 大阪府泉南郡。この御陵は、天皇生前に工事をした。その時に鹿の耳の中からモズが飛び出したから地名とするという。
子
伊耶本和氣
の王
一、
伊波禮
の
若櫻
の宮
二にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、
葛城
の
曾都毘古
の子、
葦田
の宿禰が女、名は
黒比賣
の命に娶ひて、生みませる御子、
市
の
邊
の
忍齒
の王
三、次に
御馬
の王、次に妹
青海
の郎女、またの名は
飯豐
の郎女三柱。
もと難波の宮にましましし時に、
大嘗
にいまして
四、豐の
明
したまふ時に、大御酒にうらげて
五、
大御寢
ましき。ここにその弟
墨江
の中つ王、天皇を取りまつらむとして、大殿に火を著けたり。ここに
倭
の
漢
の
直
の祖、
阿知
の直、盜み出でて、御馬に乘せまつりて、
倭
にいでまさしめき。かれ
多遲比野
六に到りて、寤めまして詔りたまはく、「
此處
は
何處
ぞ」と詔りたまひき。ここに阿知の直白さく、「墨江の中つ王、大殿に火を著けたまへり。かれ
率
まつりて、倭に
逃
るるなり」とまをしき。ここに天皇歌よみしたまひしく、
丹比野
に 寢むと知りせば、
防壁
七も 持ちて來ましもの
八。
寢むと知りせば。 (歌謠番號七六)
波邇賦
坂
九に到りまして、難波の宮を見
放
けたまひしかば、その火なほ
炳
えたり。ここにまた歌よみしたまひしく、
波邇布
坂 吾が立ち見れば、
かぎろひの
一〇 燃ゆる家
群
、
妻
が
家
のあたり。 (歌謠番號七七)
かれ大坂の山口に到りましし時に、
女人
遇へり。その女人の白さく、「
兵
を持てる人ども、
多
にこの山を
塞
へたれば、
當岐麻道
一一より
りて、越え幸でますべし」とまをしき。ここに天皇歌よみしたまひしく、
大坂に 遇ふや
孃子
を。
道問へば
直
には
告
らず
一二、
當岐麻路
を告る。 (歌謠番號七八)
かれ上り幸でまして、
石
の
上
の宮
一三にましましき。
ここにその
同母弟
水齒別
の命
一四、まゐ
赴
きてまをさしめたまひき。ここに天皇詔りたまはく、「吾、汝が命の、もし
墨江
の
中
つ王と
同
じ心ならむかと疑ふ。かれ語らはじ」とのりたまひしかば、答へて曰さく、「僕は
穢
き心なし。墨江の中つ王と
同
じくはあらず」と、答へ白したまひき。また詔らしめたまはく、「然らば、今還り下りて、墨江の中つ王を殺して、
上
り來ませ。その時に、
吾
かならず語らはむ」とのりたまひき。かれすなはち難波に還り下りまして、墨江の中つ王に近く
事
へまつる
隼人
一五、名は
曾婆加里
を欺きてのりたまはく、「もし汝、吾が言ふことに從はば、吾天皇となり、汝を
大臣
になして、天の下治らさむとおもふは如何に」とのりたまひき。曾婆訶里答へて白さく「命のまにま」と白しき。ここにその隼人に物
多
に賜ひてのりたまはく、「然らば汝の王を
殺
りまつれ」とのりたまひき。ここに曾婆訶里、己が王の厠に入りませるを伺ひて、
矛
もちて刺して
殺
せまつりき。かれ曾婆訶里を
率
て、
倭
に上り幸でます時に、大坂の山口に到りて、思ほさく、曾婆訶里、吾がために大き
功
あれども、既におのが君を殺せまつれるは、
不義
なり。然れどもその功に報いずは、
信
無しといふべし。既にその信を行はば、かへりてその心を
恐
しとおもふ。かれその功に報ゆとも、その
正身
一六を滅しなむと思ほしき。ここをもちて曾婆訶里に詔りたまはく、「今日は
此處
に留まりて、まづ大臣の位を賜ひて、明日上りまさむ」とのりたまひて、その山口に留まりて、すなはち
假
宮を造りて、俄に豐の
樂
して、その隼人に大臣の位を賜ひて、
百官
をして
拜
ましめたまふに、隼人歡びて、志遂げぬと思ひき。ここにその隼人に詔りたまはく、「今日大臣と
同
じ
盞
の酒を飮まむとす」と詔りたまひて、共に飮む時に、
面
を隱す大
鋺
一七にその
進
れる酒を盛りき。ここに
王子
まづ飮みたまひて、隼人後に飮む。かれその隼人の飮む時に、大鋺、面を覆ひたり。ここに
席
の下に置ける
劒
を取り出でて、その隼人が首を斬りたまひき。すなはち
明日
、上り幸でましき。かれ
其地
に名づけて
近
つ
飛鳥
一八といふ。
倭
に上り到りまして詔りたまはく、「今日は此處に留まりて、
祓禊
一九して、明日まゐ出でて、
神宮
二〇を拜まむ」とのりたまひき。かれ
其地
に名づけて遠つ飛鳥
二一といふ。かれ
石
の
上
の神宮にまゐでて、天皇に「政既に
平
け訖へてまゐ上り
侍
ふ」とまをさしめたまひき。ここに召し入れて語らひたまひき。
天皇、ここに阿知の直を、始めて
藏
の
官
二二に
任
けたまひ、また
粮地
二三を賜ひき。またこの御世に、
若櫻部
の臣等に、若櫻部といふ名を賜ひ、また
比賣陀
の君等に、比賣陀の君といふ
姓
を賜ひき。また
伊波禮部
を定めたまひき。
天皇の御年
六十四歳
(壬申の年正月三日崩りたまひき。)御陵は
毛受
にあり。
一 履中天皇。
二 奈良縣磯城郡。
三 一六八頁
[#「一六八頁」は「安康天皇」の「市の邊の押齒の王」]・一八二頁[#「一八二頁」は「清寧天皇・顯宗天皇・仁賢天皇」の「志自牟の新室樂」]・一八五頁[#「一八五頁」は「清寧天皇・顯宗天皇・仁賢天皇」の「顯宗天皇」]に物語がある。
四 大嘗祭をなすつて。
五 浮かれて。
六 大阪府南河内郡。
七 コモを編んで風の防ぎとする屏風。
八 持つて來たろうに。假設の語法。
九 大阪府南河内郡から大和に越える坂。
一〇 譬喩による枕詞。カギロヒは陽炎。
一一 奈良縣北葛城郡の
當麻
(古名タギマ)へ越える道で、二上山の南を通る。大坂は二上山の北を越える。
一二 まつすぐにとは言わないで。
一三 奈良縣山邊郡の石上の神宮。
一四 反正天皇。
一五 九州南方の住民。勇敢なので召し出して宮廷の護衞としている。
一六 その本身を。
一七 顏をかくすような大きな椀。
一八 大和の飛鳥に對していう。
一九 隼人を殺して穢を生じたので、それを拂う行事をして。
二〇 石上の神宮。天皇の御座所。
二一 奈良縣高市郡の飛鳥。
二二 物の出納をつかさどる役。
二三 領地。
弟
水齒別
一の命、
多治比
の
柴垣
の宮
二にましまして、天の下治らしめしき。天皇、
御身
の
長
九尺二寸半
。御齒の長さ一
寸
、廣さ二
分
。上下等しく
齊
ひて、既に珠を
貫
けるが如く
三なりき。天皇、
丸邇
の
許碁登
の臣が女、
都怒
の郎女に娶ひて、生みませる御子、
甲斐
の郎女、次に
都夫良
の郎女二柱。また
同
じ臣が女、弟比賣に娶ひて、生みませる御子、
財
の王、次に
多訶辨
の郎女、并はせて四柱ましき。天皇御年
六十歳
。(丁丑の年七月に崩りたまひき。)御陵は
毛受野
にありと言へり。
一 反正天皇。
二 大阪府南河内郡。
三 珠を緒にさしたようだ。
弟
男淺津間
の
若子
の宿禰
一の王、遠つ
飛鳥
の宮にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、
意富本杼
の王が妹、
忍坂
の
大中津
比賣の命に娶ひて、生みませる御子、
木梨
の
輕
の王、次に長田の
大郎女
、次に
境
の黒日子の王、次に
穴穗
の命、次に輕の大郎女、またの御名は
衣通
の郎女、(御名は衣通の王と負はせる所以は、その御身の光衣より出づればなり。)次に
八瓜
の白日子の王、次に大
長谷
の命、次に
橘
の大郎女、次に
酒見
の郎女九柱。およそ天皇の御子たち、九柱。(男王五柱、女王四柱。)この九柱の中に、穴穗の命は、天の下治らしめしき。次に大長谷の命も、天の下治らしめしき。
一 允恭天皇。
天皇初め天つ日繼知らしめさむとせし時に、
辭
びまして、詔りたまひしく「我は長き病しあれば、日繼をえ知らさじ」と詔りたまひき。然れども大后
一より始めて、
諸卿
たち堅く奏すに因りて、天の下治らしめしき。この時、
新羅
の
國主
、
御調物
八十一艘
獻りき。ここに御調の大使、名は
金波鎭漢紀武
二といふ。この人藥の
方
を深く知れり。かれ天皇が御病を治めまつりき。
ここに天皇、天の下の氏氏名名の人どもの、氏
姓
が
忤
ひ
過
て
三ることを愁へまして、
味白檮
の
言八十禍津日
の
前
四に、
玖訶瓮
五を据ゑて、天の下の
八十伴
の
緒
六の氏姓を定めたまひき。また
木梨
の
輕
の
太子
の御名代として、
輕部
を定め、大后の御名代として、
刑部
を定め、大后の弟
田井
の
中
比賣の御名代として、
河部
を定めたまひき。
天皇御年
七十八歳
。(甲午の年正月十五日崩りたまひき。)御陵は
河内
の
惠賀
の
長枝
七にあり。
一 忍坂の大中津比賣。
二 金が姓、武が名。波鎭漢紀は、位置階級の稱。
三 ウヂは家の稱號、カバネは家の階級であつて朝廷から賜わるものである。家系を尊重した當時にあつては、これを社會組織の根本とした。しかるに長い間には、自然に誤るものもあり、故意に僞るものも出た。
四 飛鳥の地で、マガツヒの神を祭つてある所。この神の威力により僞れる者に禍を與えようとする。マガツヒの神は二七頁
[#「二七頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「身禊」]參照。
五 湯を涌かしてその中の物を探らせる鍋。
六 多くの人々。
七 大阪府南河内郡。
天皇崩りまして後、木梨の輕の太子、日繼知らしめすに定まりて
一、いまだ位に
即
きたまはざりしほどに、その
同母妹
輕の大郎女に
け
二て、歌よみしたまひしく、
あしひきの
三 山田をつくり
山
高
み 下
樋
をわしせ
四、
下
※
[#「娉」の「由」に代えて「叟-又」、161-本文-1]ひに
吾
が
※
[#「娉」の「由」に代えて「叟-又」、161-本文-1]ふ妹を
五、
下泣きに 吾が泣く妻を
六、
昨夜
七こそは
安
く肌觸れ。 (歌謠番號七九)
こは
志良宜
歌
八なり。また歌よみしたまひしく、
笹葉
に うつや霰の
九、
たしだしに
一〇
率寢
てむ
後
は
人は
離
ゆとも
一一。 (歌謠番號八〇)
うるはしと
一二 さ
寢
しさ寢てば
刈
薦
の
一三 亂れば亂れ。
さ寢しさ寢てば。 (歌謠番號八一)
こは
夷振
の
上歌
一四なり。
ここを以ちて
百
の
官
また、天の下の人ども、みな輕の太子に背きて、穴
穗
の
御子
一五に
歸
りぬ。ここに輕の太子畏みて、
大前
小前
の宿禰
一六の
大臣
の家に逃れ入りて、
兵
を備へ作りたまひき。(その時に作れる矢は、その箭の同一七を銅にしたり。かれその矢を輕箭といふ。)
穴穗
の御子も
兵
を作りたまひき。(その王子の作れる矢は、今時の矢なり。そを穴穗箭といふ。)穴穗の
御子
軍を興して、大前小前の宿禰の家を
圍
みたまひき。ここにその
門
一八に到りましし時に
大氷雨
降りき。かれ歌よみしたまひしく、
大前小前宿禰が
かな
門陰
かく
寄
り
來
ね。
雨立ち
止
めむ。 (歌謠番號八二)
ここにその大前小前の宿禰、手を擧げ、膝を打ち、舞ひかなで
一九、歌ひまゐ
來
。その歌、
宮人の
足結
の
小鈴
二〇。
落ちにきと 宮人とよむ
二一。
里人もゆめ
二二。 (歌謠番號八三)
この歌は
宮人曲
二三なり。かく歌ひまゐ來て、白さく、「
我
が
天皇
の御子
二四、
同母兄
の御子をな
殺
せたまひそ。もし殺せたまはば、かならず人
咲
はむ。
僕
捕へて獻らむ」とまをしき。ここに軍を
罷
めて
退
きましき。かれ大前小前の宿禰、その輕の太子を捕へて、
率
てまゐ出て獻りき。その太子、捕はれて歌よみしたまひしく、
天
飛
む
二五 輕の孃子、
いた泣かば 人知りぬべし。
波佐
の山
二六の 鳩の
二七、
下泣きに泣く。 (歌謠番號八四)
また歌よみしたまひしく、
天飛
む
輕孃子
、
したたにも
二八 倚り
寢
てとほれ
二九。
輕孃子ども。 (歌謠番號八五)
かれその輕の太子をば、
伊余
の
湯
三〇に放ちまつりき。また放たえたまはむとせし時に、歌よみしたまひしく、
天飛
ぶ 鳥も使ぞ。
鶴
が
音
の 聞えむ時は、
吾
が名問はさね。 (歌謠番號八六)
この三歌は、
天田振
三一なり。また歌よみしたまひしく、
大君を 島に
放
らば、
船
餘り
三二 い
歸
りこむぞ。
吾
が疊ゆめ
三三。
言をこそ 疊と言はめ。
吾が妻はゆめ
三四。 (歌謠番號八七)
この歌は、
夷振
の
片下
三五なり。その
衣通
の王
三六、歌獻りき。その歌、
夏草の
三七 あひねの濱
三八の
蠣貝
に 足踏ますな。
明
してとほれ
三九。 (歌謠番號八八)
かれ後にまた
戀慕
に堪へかねて、追ひいでましし時、歌ひたまひしく、
君が行き け長くなりぬ
四〇。
山たづの
四一
迎
へを行かむ
四二。
待つには待たじ。
(ここに山たづといへるは、今の造木なり) (歌謠番號八九)
かれ追ひ到りましし時に、待ち
懷
ひて、歌ひたまひしく、
隱國
の
四三
泊瀬
の山
四四の
大尾
四五には
幡
張
り立て、
さ
小尾
四六には 幡張り立て、
大尾
四七よし ながさだめる
四八
思ひ妻あはれ。
槻
弓の
四九
伏
る伏りも
五〇、
梓弓
五一 立てり立てりも、
後も取り見る
五二 思ひ妻あはれ。 (歌謠番號九〇)
また歌ひたまひしく、
隱國
の
泊瀬
の川の
上
つ
瀬
に
齋杙
五三を打ち、
下
つ瀬に ま
杙
を打ち、
齋杙
には 鏡を掛け、
ま杙には ま玉を掛け
五四、
ま玉なす
吾
が
思
ふ妹、
鏡なす
吾
が
思
ふ妻、
ありと いはばこそよ、
家にも行かめ。國をも
偲
はめ。 (歌謠番號九一)
かく歌ひて、すなはち共にみづから死せたまひき。かれこの二歌は讀歌
五五なり。
一 帝位につくべきにきまつて。
二 異母の兄弟の婚姻はさしつかえないが、同母の場合は不倫とされる。
三 枕詞。語義不明。
四 地下に木で水の流れる道を作つて。以上譬喩による序。
五 人に知らせないでひそかに問いよる妻。
六 心の中でわが泣いている妻。
七 この夜。今過ぎて行く夜。
八 歌曲の名。しり上げ歌の意という。
九 以上、譬喩による序。ヤは感動の助詞。
一〇 たしかに、しかと。
一一 あの子は別れてもしかたがない。
一二 愛する人と。
一三 枕詞。
一四 歌曲の名。夷振は五六頁
[#「五六頁」は「天照らす大御神と大國主の神」の「天若日子」]に出た。
一五 安康天皇。
一六 物部氏。大前と小前との二人である。
一七 胴に同じ。矢の柄。但し異説がある。
一八 堅固な門。
一九 舞い躍つて。
二〇 袴を結ぶ紐につけた鈴。
二一 宮廷の人が立ちさわぐ。
二二 里の人もさわぐな。宮人がさわいでいるが、そんなに騷ぎを大きくするな。
二三 歌曲の名。
二四 天皇である皇子樣。
二五 枕詞。天飛ぶ雁の意に、カルの音に冠する。
二六 所在不明。
二七 鳩のように。
二八 したたかに。しつかりと。
二九 倚り寢て行き去れ。
三〇 愛媛縣の松山市の
泉地。道後
泉。
三一 歌曲の名。歌詞によつて名づける。
三二 その船の餘地で。
三三 わたしの座所をそのままにしておけ。タタミは敷物。人の去つた跡を動かすと、その人が歸つて來ないとする思想がある。
三四 わたしの妻に手をつけるな。
三五 歌曲の名。
三六 輕の大郎女。
三七 敍述による枕詞。
三八 所在不明。
三九 夜があけてからいらつしやい。
四〇 時久しくなつた。
四一 枕詞。次に説明があるが、それでもあきらかでない。ヤマタヅは、樹名今のニワトコで、葉が對生しているから、ムカヘに冠するという。「君が行きけ長くなりぬ山たづね迎へか行かむ待ちにか待たむ」(萬葉集)。
四二 ヲは間投の助詞。
四三 枕詞。山につつまれている處の意。
四四 奈良縣磯城郡。
四五 ヲは高い土地。
四六 サは接頭語。大尾と共にあちこちの高みのところに。以上、次の句の序。
四七 語義不明。上の大尾にと同語を繰り返してオヨソの意を現すか、または別の副詞か。
四八 あなたの妻ときめた。動詞定むが四段活になつている。
四九 枕詞。槻の木の弓。
五〇 伏しても。ころがる意の動詞コユが再活して、伏しまろぶ意にコヤルと言つている。
五一 枕詞。
五二 後も近く見る。
五三 清淨の杙。祭を行うために杙をうつ。
五四 以上序で、次の玉と鏡の二つの枕詞を引き出す。川中に柱を立てて玉や鏡を懸けるのは、これによつて神を招いて穢を拂うのである。「こもりくの泊瀬の川の、上つ瀬に齋杙をうち、下つ瀬にま杙をうち、齋杙には鏡をかけ、ま杙にはま玉をかけ、ま玉なすわが念ふ妹も、鏡なすわが念ふ妹も、ありと言はばこそ、國にも家にも行かめ、誰が故か行かむ」(萬葉集)。
五五 歌曲の名。
御子
穴穗
の御子
一、
石
の
上
の穴穗の宮
二にましまして天の下治らしめしき。
天皇、
同母弟
大
長谷
の王子
三のために、
坂本
の
臣
等が
祖
根
の臣を、
大日下
の王
四のもとに遣して、詔らしめたまひしくは、「汝が命の妹
若日下
の王を、大長谷の王子に合はせむとす。かれ獻るべし」とのりたまひき。ここに大日下の王四たび拜みて白さく、「けだしかかる
大命
もあらむと思ひて、かれ、
外
にも出さずて置きつ。こは恐し。大命のまにまに獻らむ」とまをしたまひき。然れども
言
もちて白す事は、それ
禮
なしと思ひて、すなはちその妹の
禮物
五として、押木の
玉縵
六を持たしめて、獻りき。根の臣すなはちその
禮物
の
玉縵
を盜み取りて、大日下の王を
讒
しまつりて曰さく、「大日下の王は大命を受けたまはずて、おのが妹や、
等
し
族
の
下席
にならむ
七といひて、大刀の
手上
取
り
八て、怒りましつ」とまをしき。かれ天皇いたく怒りまして、大日下の王を殺して、その王の
嫡妻
長田
の大郎女
九を取り持ち來て、
皇后
としたまひき。
これより後に、天皇
神牀
一〇にましまして、晝
寢
したまひき。ここにその后に語らひて、「
汝
思ほすことありや」とのりたまひければ、答へて曰さく「
天皇
の敦き
澤
を
被
りて、何か思ふことあらむ」とまをしたまひき。ここにその大后の
先
の子
目弱
の王
一一、これ年七歳になりしが、この王、その時に當りて、その殿の下に遊べり。ここに天皇、その
少
き
王
の殿の下に遊べることを知らしめさずて、大后に詔りたまはく、「吾は恆に思ほすことあり。
何
ぞといへば、
汝
の子目弱の王、人となりたらむ時、吾がその父王を殺せしことを知らば、還りて
邪
き心
一二あらむか」とのりたまひき。ここにその殿の下に遊べる目弱の王、この
言
を聞き取りて、すなはち竊に天皇の
御寢
ませるを伺ひて、その
傍
なる大刀を取りて、その天皇の頸をうち斬りまつりて、
都夫良意富美
一三が家に逃れ入りましき。天皇、御年
五十六歳
。御陵は
菅原
の
伏見
の
岡
一四にあり。
ここに大長谷の王、その
時
童男
にましけるが、すなはちこの事を聞かして、
慨
み怒りまして、その
兄
黒日子のもとに到りて、「人ありて天皇を取りまつれり。いかにかもせむ」とまをしたまひき。然れどもその黒日子の王、驚かずて、
怠緩
におもほせり。ここに大長谷の王、その兄を
詈
りて、「一つには天皇にまし、一つには
兄弟
にますを、何ぞは恃もしき心もなく、その兄を
殺
りまつれることを聞きつつ、驚きもせずて、
怠
に坐せる」といひて、その衣
矜
を取りて
控
き出でて、
刀
を拔きてうち殺したまひき。またその兄
白日子
の王に到りまして、
状
を告げまをしたまひしに、前のごと
緩
に思ほししかば、黒日子の王のごと、すなはちその衣衿を取りて、引き
率
て、
小治田
一五に
來到
りて、穴を掘りて、立ちながらに埋みしかば、腰を埋む時に到りて、二つの目、走り拔けて
死
せたまひき。
また軍を興して、
都夫良意美
一六が家を
圍
みたまひき。ここに軍を興して待ち戰ひて、射出づる矢
葦
の如く來散りき。ここに大長谷の王、矛を杖として、その内を臨みて詔りたまはく、「我が語らへる孃子
一七は、もしこの家にありや」とのりたまひき。ここに都夫良意美、この
詔命
を聞きて、みづからまゐ
出
て、佩ける
兵
を解きて、八度
拜
みて、白しつらくは、「先に問ひたまへる
女子
訶良
比賣は、
侍
は
一八む。また五處の
屯倉
一九を副へて獻らむ(いはゆる五處の屯倉は、今の葛城の五村の苑人なり。)然れどもその
正身
まゐ向かざる故は、
古
より今に至るまで、臣連
二〇の、王の宮に
隱
ることは聞けど、
王子
の
臣
の家に隱りませることはいまだ聞かず。ここを以ちて思ふに、
賤奴
意富美は、力をつくして戰ふとも、更にえ勝つましじ。然れどもおのれを恃みて、
陋
しき家に入りませる王子は、
命
死ぬとも棄てまつらじ」とかく白して、またその兵を取りて、還り入りて戰ひき。
ここに窮まり、矢も盡きしかば、その王子に白さく、「僕は痛手負ひぬ。矢も盡きぬ。今はえ戰はじ。如何にせむ」とまをししかば、その王子答へて詔りたまはく、「然らば更にせむ
術
なし。今は吾を
殺
せよ」とのりたまひき。かれ刀もちてその王子を刺し殺せまつりて、すなはちおのが頸を切りて死にき。
一 安康天皇。
二 奈良縣山邊郡。
三 雄略天皇。
四 仁徳天皇の皇子。
五 禮儀を現す贈物。
六 大きい木で作つた縵。玉は美稱。カヅラは、植物を輪にして頭上にのせる。二五頁
[#「二五頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「黄泉の國」]參照。この縵、日本書紀に別名として、立縵、
磐木縵
の名をあげ、また後に根の臣がこれを附けて若日下部の王に見顯されて罪せられる話がある。
七 わしの妹が、同じ仲間の使い女になろうか。ならないの意。
八 刀の柄をしかとにぎつて。
九 允恭天皇の皇女で安康天皇の同母妹に當るから、何か誤傳があるのだろうという。日本書紀には
中蒂姫
とある。
一〇 九二頁
[#「九二頁」は「崇神天皇」の「美和の大物主」]脚註參照。
一一 先の夫大日下の王の子。
一二 わるい心。自分を憎む心。
一三 日本書紀に葛城の圓の大臣。オホミは大臣で尊稱。
一四 奈良縣生駒郡。
一五 奈良縣高市郡。
一六 ツブラオホミに同じ。オミはオホミの約言。
一七 ツブラオミの女カラヒメ。
一八 前にお尋ねになつた女はさしあげます。
一九 註にあるように葛城の五村の倉庫。
二〇 臣や連が。共に朝廷の臣下。
これより後、淡海の
佐佐紀
の
山
の君が
祖
一、名は
韓
白さく、「淡海の
久多綿
の
蚊屋野
二に、
猪鹿
多
にあり。その立てる足は、
荻
原の如く、
指擧
げたる
角
は、
枯松
の如し」とまをしき。この時市の
邊
の
忍齒
の王
三を
相率
ひて、淡海にいでまして、その野に到りまししかば、おのもおのも
異
に假宮を作りて、宿りましき。
ここに明くる旦、いまだ日も出でぬ時に、忍齒の王、
平
の御心もちて、
御馬
に乘りながら、大長谷の王の假宮の傍に到りまして、その大長谷の王子の
御伴人
に詔りたまはく、「いまだも寤めまさぬか。早く白すべし。夜は既に
曙
けぬ。
獵庭
にいでますべし」とのりたまひて馬を進めて出で行きぬ。ここに大長谷の王の
御許
に侍ふ人ども、「うたて物いふ御子なれば、御心したまへ
四。また御身をも堅めたまふべし」とまをしき。すなはち
衣
の中に
甲
を
服
し、弓矢を
佩
ばして、馬に乘りて出で行きて、忽の間に馬より往き
雙
びて
五、矢を拔きて、その忍齒の王を射落して、またその
身
を切りて、馬
※
[#「木+宿」、U+6A0E、169-本文-8]
六に入れて、土と等しく埋みき
七。
ここに市の邊の王の王子たち、
意祁
の王、
袁祁
の王
八二柱。この亂を聞かして、逃げ去りましき。かれ
山代
の
苅羽井
九に到りまして、御
粮
きこしめす時に、
面
黥
ける老人來てその御
粮
を
奪
りき。ここにその二柱の王、「粮は惜まず。然れども
汝
は誰そ」とのりたまへば、答へて曰さく、「
我
は山代の
豕甘
一〇なり」とまをしき。かれ
玖須婆
の河
一一を逃れ渡りて、
針間
の國
一二に至りまし、その國人名は
志自牟
が家
一三に入りまして、身を隱して、
馬甘
牛甘
に
役
はえたまひき
一四。
一 佐佐紀の山の君の祖先。山の君はカバネ。
二 滋賀縣愛知郡。
三 履中天皇の皇子。
四 變つたものをいう皇子だから注意しなさい。
五 馬上で進んで並んで。
六 馬の食物を入れる箱。
七 土と共に埋めた。
八 後の仁賢天皇と顯宗天皇。
九 京都府相樂郡。
一〇 豚を飼う者。
一一 淀川。
一二 兵庫縣の南部。
一三 兵庫縣
美嚢
郡
志染
村。
一四 馬や牛を飼う者として使われた。なおこの物語は一八二頁
[#「一八二頁」は「清寧天皇・顯宗天皇・仁賢天皇」の「志自牟の新室樂」]に續く。
大長谷の
若建
の命
一、
長谷
の
朝倉
の宮
二にましまして、天の下治らしめしき。天皇、大日下の王が妹、若日下部の王に
娶
ひましき。(子ましまさず。)また都夫良意富美が女、
韓比賣
に
娶
ひて、生みませる御子、
白髮
の命、次に
妹
若帶
比賣の命二柱。かれ白髮の
太子
の
御名代
として、
白髮部
を定め、また
長谷部
の
舍人
を定め、また河瀬の舍人を定めたまひき。この時に
呉人
三まゐ渡り來つ。その呉人を
呉原
四に置きたまひき。かれ
其地
に名づけて呉原といふ。
一 雄略天皇。
二 奈良縣磯城郡。
三 中國南方の人。
四 奈良縣高市郡。
初め大后、日下
一にいましける時、日下の
直越
の道
二より、河内に
出
でましき。ここに山の上に登りまして、國内を見
放
けたまひしかば、
堅魚
を上げて
舍屋
を作れる家
三あり。天皇その家を問はしめたまひしく、「その
堅魚
を上げて作れる舍は、誰が家ぞ」と問ひたまひしかば、答へて曰さく、「
志幾
の
大縣主
が家なり」と白しき。ここに天皇詔りたまはく、「奴や、おのが家を、
天皇
の
御舍
に似せて造れり」とのりたまひて、すなはち人を遣して、その家を燒かしめたまふ時に、その大縣主、
懼
ぢ
畏
みて、
稽首
白さく、「奴にあれば、奴ながら
覺
らずて、過ち作れるが、いと畏きこと」とまをしき。かれ
稽首
の
御幣物
四を獻る。白き犬に布を
※
[#「執/糸」、U+7E36、171-本文-4]けて、鈴を著けて、おのが
族
、名は
腰佩
といふ人に、犬の
繩
を取らしめて獻上りき。かれその火著くることを止めたまひき。すなはちその若日下部の王の
御許
にいでまして、その犬を賜ひ入れて、詔らしめたまはく、「この物は、今日道に得つる
奇
しき物なり。かれ
妻問
の物
五」といひて、賜ひ入れき。ここに若日下部の王、天皇に
奏
さしめたまはく、「日に
背
きていでますこと、いと恐し。かれおのれ
直
にまゐ上りて仕へまつらむ」とまをさしめたまひき。ここを以ちて宮に還り上ります時に、その山の坂の上に行き立たして、歌よみしたまひしく、
日下部の
此方
の山
六と
疊薦
七
平群
の山
八の、
此方此方
の
九 山の
峽
に
立ち
榮
ゆる
葉廣
熊白檮
、
本には いくみ
竹
一〇生ひ、
末
へは たしみ竹
一一生ひ、
いくみ竹 いくみは寢ず
一二、
たしみ竹 たしには
率宿
ず
一三、
後もくみ寢む その思妻、あはれ。 (歌謠番號九二)
すなはちこの歌を持たしめして、返し使はしき。
一 大阪府北河内郡生駒山の西麓。
二 生駒山のくらがり峠を越える道。大和から直線的に越えるので直越という。
三 屋根の上に堅魚のような形の木を載せて作つた家。大きな屋根の家。カツヲは、堅魚木の意。屋根の頂上に何本も横に載せて、葺草を押える材。
四 敬意を表するための贈物。
五 妻を求むる贈物。
六 今立つている山、生駒山。
七 枕詞。既出。
八 奈良縣生駒郡の山。既出。
九 あちこちの。
一〇 茂つた竹。
一一 しつかりした竹。
一二 密接しては寢ず。
一三 しかとは共に寢ず。
またある時天皇いでまして、
美和河
一に到ります時に、河の邊に
衣
洗ふ
童女
あり。それ顏いと好かりき。天皇その童女に、「
汝
は誰が子ぞ」と問はしければ、答へて白さく「おのが名は
引田部
の
赤猪子
とまをす」と白しき。ここに詔らしめたまひしくは「
汝
、
嫁
がずてあれ。今召さむぞ」とのりたまひて、宮に還りましつ。かれその赤猪子、天皇の命を仰ぎ待ちて、既に
八十歳
を經たり。ここに赤猪子「
命
を仰ぎ待ちつる間に、已に
多
の年を經て、
姿體
痩
み
萎
けてあれば、更に恃むところなし。然れども待ちつる心を顯はしまをさずては、
悒
きに
忍
へじ
二」と思ひて、
百取
の
机代
三の物を持たしめて、まゐ出で獻りき。然れども天皇、先に詔りたまひし事をば、既に忘らして、その赤猪子に問ひてのりたまはく、「
汝
は誰しの
老女
ぞ。何とかもまゐ來つる」と問はしければ、ここに赤猪子答へて白さく、「それの年のそれの月に、天皇が命を
被
りて、大命を仰ぎ待ちて、今日に至るまで
八十歳
を經たり。今は容姿既に老いて、更に恃むところなし。然れども、おのが志を顯はし白さむとして、まゐ出でつらくのみ」とまをしき。ここに天皇、いたく驚かして、「吾は既に先の事を忘れたり。然れども
汝
志を守り命を待ちて、徒に盛の年を過ぐししこと、これいと
愛悲
し」とのりたまひて、御心のうちに召さむと
欲
ほせども、そのいたく老いぬるを悼みたまひて、え召さずて、御歌を賜ひき。その御歌、
御諸
の
嚴白檮
がもと
四、
白檮
がもと ゆゆしきかも
五。
白檮原
孃子
六 (歌謠番號九三)
また歌よみしたまひしく、
引田
七の 若
栗栖原
八、
若くへに
九
率寢
てましもの。
老いにけるかも。 (歌謠番號九四)
ここに赤猪子が泣く涙、その
服
せる
丹摺
の袖
一〇を
悉
に濕らしつ。その大御歌に答へて曰ひしく、
御諸に
築
くや
玉垣
一一、
築
きあまし
一二
誰
にかも依らむ
一三。
神の宮人。 (歌謠番號九五)
また歌ひて曰ひしく、
日下江
一四の 入江の
蓮
、
花蓮
一五 身の盛人、
ともしきろかも。 (歌謠番號九六)
ここにその
老女
に物
多
に給ひて、返し遣りたまひき。かれこの四歌は志都歌
一六なり。
一 泊瀬川の、三輪山に接して流れる所。
二 心がはれないのに堪えない。
三 多くの進物。
四 神社の嚴然たる白檮の木の下。
五 憚るべきである。
六 白檮原に住む孃子。引田部の赤猪子を、その住所によつていう。
七 三輪山近くの地名。
八 若い栗の木の原。
九 若い時代に。
一〇 赤い染料ですりつけて染めた衣服の袖。
一一 ヤは感動の助詞。神社で作る垣。
一二 作り殘して。作ることが出來ないで。
一三 誰にたよりましようか。この歌、琴歌譜に載せ、垂仁天皇がお妃と共に三輪山にお登りになつた時の歌とする別傳を載せている。
一四 大和川が作つている江。
一五 以上譬喩。
一六 歌曲の名。
天皇
吉野
の宮にいでましし時、吉野川の邊に、
童女
あり、それ
形姿美麗
かりき。かれこの童女を召して、宮に還りましき。後に更に
吉野
にいでましし時に、その童女の遇ひし所に留まりまして、
其處
に大御
呉床
を立てて、その御呉床にましまして、御琴を彈かして、その童女に
はしめたまひき。ここにその童女の好く
へるに因りて、御歌よみしたまひき。その御歌、
呉床座
の 神の御手もち
一
彈く琴に
する
女
、
常世
にもがも
二。 (歌謠番號九七)
すなはち
阿岐豆野
三にいでまして、御獵したまふ時に、天皇、御呉床にましましき。ここに、
虻
、
御腕
を
咋
ひけるを、すなはち
蜻蛉
來て、その
虻
を
咋
ひて、
飛
びき。ここに御歌よみしたまへる、その御歌、
み
吉野
の
袁牟漏
が
嶽
四に
猪鹿
伏すと、
誰
ぞ 大前
五に申す。
やすみしし
吾
が大君の
猪鹿
待つと
呉床
にいまし、
白栲
の
袖
著具
ふ
六
手腓
七に
虻
掻き著き、
その虻を
蜻蛉
早
咋
ひ、
かくのごと 名に負はむと、
そらみつ
倭
の國を
蜻蛉島
とふ。 (歌謠番號九八)
かれその時より、その野に名づけて
阿岐豆野
といふ。
一 天皇の御手で。作者自身の事に敬語を使うのは、例が多く、これも後の歌曲として歌われたものだからである。
二 永久にありたい。常世は永久の世界。
三 吉野山中にある。藤原の宮時代の吉野の宮の所在地。
四 吉野山中の一峰だろうが、所在不明。
五 天皇の御前。
六 白い織物の衣服の袖を著用している。
七 腕の肉の高いところ。
またある時、天皇
葛城
の山の上に登り幸でましき。ここに大きなる猪出でたり。すなはち天皇
鳴鏑
をもちてその猪を射たまふ時に、その猪怒りて、うたき依り來
一。かれ天皇、そのうたきを畏みて、
榛
の木の上に登りましき。ここに御歌よみしたまひしく、
やすみしし
吾
が大君の
遊ばしし
二 猪の、
病猪
の うたき畏み、
わが 逃げ登りし、
あり
岡
の
三
榛
の木の枝。 (歌謠番號九九)
またある時、天皇葛城山に登りいでます時に、
百官
の人ども、
悉
に
紅
き
紐
著けたる青摺の
衣
を給はりて
著
たり。その時にその向ひの山の尾
四より、山の上に登る人あり。既に天皇の
鹵簿
に等しく
五、またその
束裝
のさま、また人どもも、相似て別れず。ここに天皇見
放
けたまひて、問はしめたまはく、「この
倭
の國に、
吾
を
除
きてまた君は無きを。今誰人かかくて行く」と問はしめたまひしかば、すなはち答へまをせるさまも、天皇の
命
の如くなりき。ここに天皇いたく
忿
りて、矢刺したまひ、百官の人どもも、悉に矢刺しければ、ここにその人どももみな矢刺せり。かれ天皇また問ひたまはく、「その名を
告
らさね。ここに名を告りて、矢放たむ」とのりたまふ。ここに答へてのりたまはく、「
吾
まづ問はえたれば、吾まづ名告りせむ。
吾
は
惡
事も一言、
善事
も一言、
言離
の神、
葛城
の
一言主
の大神
六なり」とのりたまひき。天皇ここに畏みて白したまはく、「恐し、我が大神、
現
しおみまさむとは、
覺
らざりき
七」と白して、大御刀また弓矢を始めて、百官の人どもの
服
せる
衣服
を脱がしめて、拜み獻りき。ここにその一言主の大神、手打ちてその
捧物
を受けたまひき。かれ天皇の還りいでます時、その大神、山の
末
にいはみて
八、長谷の山口
九に送りまつりき。かれこの一言主の大神は、その時に顯れたまへるなり。
一 口をあけて近づいてくる。
二 射とめたの敬語法。
三 そこにある岡の。
四 ヲは山の稜線。
五 天皇の行列と同樣に。
六 わしは凶事も一言、吉事も一言で、きめてしまう神の、葛城の一言主の神だ。この神の一言で、吉凶が定まるとする思想。これは託宣に現れる神であるが、この時に現實に出たとするのである。
七 現實のお姿があろうとは思いませんでした。ウツシは現實にある意の形容詞。オミは相手の敬稱。この語、原文「宇都志意美」。從來、現し御身の義とされたが、美はミの甲類の音で、身の音と違う。
八 山のはしに集まつて。
九 天皇の皇居である。
また天皇、
丸邇
の
佐都紀
の臣が女、
袁杼
比賣を
婚
ひに、春日
一にいでましし時、
媛女
、道に逢ひて、すなはち
幸行
を見て、
岡邊
に逃げ隱りき。かれ御歌よみしたまへる、その御歌、
孃子
の い
隱
る岡を
金
も
五百箇
もがも
二。
き
撥
ぬるもの。 (歌謠番號一〇〇)
かれその岡に名づけて、
金
の岡といふ。
また天皇、長谷の
百枝槻
三の下にましまして、豐の
樂
きこしめしし時に、伊勢の國の三重の
※
[#「女+綵のつくり」、U+5A47、177-本文-14]
四、
大御盞
を捧げて獻りき。ここにその百枝槻の葉落ちて、大御盞に浮びき。その※[#「女+綵のつくり」、U+5A47、177-本文-15]、落葉の
御盞
に浮べるを知らずて、なほ大御酒獻りけるに、天皇、その御盞に浮べる葉を看そなはして、その※[#「女+綵のつくり」、U+5A47、177-本文-16]を打ち伏せ、御
佩刀
をその頸に刺し當てて、斬らむとしたまふ時に、その※[#「女+綵のつくり」、U+5A47、177-本文-17]、天皇に白して曰さく、「吾が身をな殺したまひそ。白すべき事あり」とまをして、すなはち歌ひて曰ひしく、
纏向
の
日代
の宮
五は、
朝日の 日
照
る宮。
夕日の 日
陰
る宮。
竹の根の
根足
る宮
六。
木
の
根
の
根蔓
ふ宮。
八百土
よし
七 い
杵築
の宮
八。
ま
木
さく 日の御門、
新嘗屋
九に 生ひ
立
てる
百
足
る
一〇
槻
が
枝
は、
上
つ
枝
は 天を
負
へり。
中つ枝は
東
を負へり
一一。
下枝
は
鄙
を負へり。
上
つ
枝
の
枝
の
末葉
は
中つ枝に 落ち觸らばへ
一二、
中つ枝の 枝の末葉は
下
つ枝に 落ち觸らばへ、
下
枝の 枝の末葉は
あり
衣
の
一三 三重の子が
捧
がせる
瑞玉盃
一四に
浮きし
脂
落ちなづさひ
一五、
水
こをろこをろに
一六、
こしも あやにかしこし。
高光る 日の御子。
事の 語りごとも こをば
一七。 (歌謠番號一〇一)
かれこの歌を獻りしかば、その罪を赦したまひき。ここに大后
一八の歌よみしたまへる、その御歌、
倭
の この
高市
一九に
小高
る
市
の
高處
二〇、
新嘗屋
に 生ひ
立
てる
葉廣
ゆつま
椿
、
そが葉の 廣りいまし、
その花の 照りいます
高光る 日の御子に、
豐御酒
獻らせ
二一。
事の 語りごとも こをば。 (歌謠番號一〇二)
すなはち天皇歌よみしたまひしく、
ももしきの
大宮人
は、
鶉鳥
二二
領布
二三取り掛けて
鶺鴒
二四 尾行き合へ
庭雀
二五、うずすまり居て
今日もかも
酒
みづくらし
二六。
高光る 日の宮人。
事の 語りごとも こをば。 (歌謠番號一〇三)
この三歌は、
天語
歌
二七なり。かれ
豐
の
樂
に、その三重の※[#「女+綵のつくり」、U+5A47、180-本文-10]を譽めて、物
多
に給ひき。
この豐の樂の日、また春日の
袁杼比賣
が大御酒獻りし時に、天皇の歌ひたまひしく、
水灌
く
二八
臣
の
孃子
、
秀
取らすも
二九。
秀
取り 堅く取らせ。
下堅
く
彌堅
く取らせ。
秀
取らす子。 (歌謠番號一〇四)
こは
宇岐
歌
三〇なり。ここに袁杼比賣、歌獻りき。その歌、
やすみしし 吾が大君の
朝戸
三一には い倚り
立
たし、
夕戸には い倚り
立
たす
脇几
三二が 下の
板にもが。
吾兄
三三を。 (歌謠番號一〇五)
こは
志都
歌
三四なり。
天皇、御年、
一百二十四歳
。(己巳の年八月九日崩りたまひき。)御陵は
河内
の
多治比
の
高
三五にあり。
一 和邇氏の居住地で、奈良市の東部。
二 金屬の鋤もたくさんほしい。
三 枝のしげつた槻の木。
四 伊勢の國の三重の地から出た采女。ウネメは、地方の豪族の女子を召し出して宮廷に奉仕させる。後に法制化される。
五 景行天皇の皇居。長谷の朝倉の宮とは、離れている。この歌は歌曲の歌で、その物語を雄略天皇の事として取り上げたものだろう。
六 根の張つている宮。
七 枕詞。たくさんの土。
八 杵でつき堅めた宮。
九 新穀で祭をする家屋。
一〇 枝が茂つて充實している。
一一 東方をせおつている。
一二 續いて觸れている。
一三 枕詞。そこにある衣の三重と修飾する。
一四 ミヅは生氣のある。美しい盃。
一五 浮いた脂のように落ち漂つて。ナヅサヒは、水を分ける。
一六 水がごろごろして。この數句、天地の初發の神話に見える句で、その神話の傳え手との關係を思わせるものがある。
一七 四五頁
[#「四五頁」は「大國主の神」の「八千矛の神の歌物語」]參照。
一八 皇后。
一九 高いところ。
二〇 市の高み。
二一 奉るの敬語の命令形。
二二 譬喩による枕詞。鶉は頭から胸にかけて白い斑があるので、領布をかけるに冠する。
二三 四二頁
[#「四二頁」は「大國主の神」の「根の堅州國」]參照。
二四 譬喩。セキレイ。
二五 譬喩による枕詞。
二六 酒宴をするらしい。
二七 歌曲の名。
二八 枕詞。オミ(大きい水、海)に冠する。
二九 たけの高い酒瓶をお取りになる。
三〇 歌曲の名。酒盃の歌の意。
三一 朝の御座。
三二 よりかかる机、脇息。
三三 はやし詞。
三四 歌曲の名。
三五 大阪府南河内郡。
御子、
白髮
の
大倭根子
の命
一、
伊波禮
の
甕栗
の宮
二にましまして、天の下治らしめしき。
この天皇、皇后ましまさず、御子もましまさざりき。かれ御名代として、
白髮部
を定めたまひき。かれ天皇
崩
りまして後、天の下治らすべき御子ましまさず。ここに日繼知らしめさむ御子を問ひて、市の邊の
忍齒別
の王の妹、
忍海
の郎女、またの名は
飯豐
の王、葛城の忍海の高木の
角刺
の宮
三にましましき。
一 清寧天皇。
二 奈良縣磯城郡。
三 奈良縣南葛城郡。
ここに
山部
の
連
小楯
、
針間
の國の
宰
一に
任
さされし時に、その國の
人民
名は
志自牟
が新室に到りて
樂
しき。ここに
盛
に
樂
げて酒
酣
なるに、
次第
をもちてみな
ひき。かれ火
燒
の
小子
二人、
竈
の
傍
に居たる、その小子どもに
はしむ。ここにその一人の小子、「
汝兄
まづ
ひたまへ」といへば、その兄も、「
汝弟
まづ
ひたまへ」といひき。かく相讓る時に、その
會
へる人ども、その讓れる
状
を
咲
ひき。ここに遂に兄
ひ訖りて、次に弟
はむとする時に、
詠
したまひつらく、
物
の
部
二の、わが
夫子
が、取り
佩
ける、大刀の
手上
に、
丹書
き著け
三、その緒には、
赤幡
を裁ち
四、赤幡たちて見れば、い隱る、山の御尾の、竹を掻き苅り、末押し靡かすなす
五、
八絃
の琴を
調
べたるごと
六、天の下
治
らし
給
びし、
伊耶本和氣
の天皇
七の御子、市の邊の押齒の
王
の、
奴
、
御末
八。
とのりたまひつ。ここにすなはち小楯の連聞き驚きて、
床
より墮ち
轉
びて、その室の人どもを追ひ出して、その二柱の御子を、
左右
の膝の
上
に
坐
せまつりて、泣き悲みて、人民どもを集へて、假宮を作りて、その假宮に
坐
せまつり置きて、
驛使
上りき。ここにその御
姨
飯豐
の王、聞き歡ばして、宮に
上
らしめたまひき。
一 播磨の國の長官。この物語は、一六八頁[#「一六八頁」は「安康天皇」の「市の邊の押齒の王」]の市の邊の忍齒の王の殺された物語の續きになる。
二 朝廷に仕える部族。古くは武士には限らない。
三 大刀の柄に赤い畫をかき。
四 赤い織物を切つて。
五 竹の末をおし伏せるように。勢いのよい形容。
六 絃の多い琴をひくように。さかんにの形容。
七 履中天皇。
八 われらはその子孫である。
かれ天の下治らしめさむとせしほどに、
平群
の臣が
祖
、名は
志毘
の臣、
歌垣
に立ちて
一、その
袁祁
の命の
婚
はむとする
美人
の手を取りつ。その孃子は、
菟田
の
首
等が女、名は
大魚
といへり、ここに袁祁の命も歌垣に立たしき。ここに志毘の臣歌ひて曰ひしく、
大宮の をとつ
端手
二
隅
傾
けり。 (歌謠番號一〇六)
かく歌ひて、その歌の末を乞ふ時に、袁祁の命歌ひたまひしく、
大匠
拙劣
みこそ
三 隅傾けれ。 (歌謠番號一〇七)
ここに志毘の臣、また歌ひて曰ひしく、
大君の 心をゆらみ
四、
臣の子の 八重の柴垣
入り立たずあり。 (歌謠番號一〇八)
ここに王子また歌ひたまひしく、
潮瀬
の
波折
を見れば
五、
遊び來る
鮪
が
端手
に
妻立てり見ゆ。 (歌謠番號一〇九)
ここに志毘の臣、いよよ忿りて歌ひて曰ひしく、
大君の
王
の柴垣、
八節結
り
結
りもとほし
六
截
れむ柴垣。燒けむ柴垣。 (歌謠番號一一〇)
ここに王子また歌ひたまひしく、
大魚
よし
七
鮪
衝
く
八
海人
よ、
其
があれば うら
戀
しけむ
九。
鮪衝く鮪
一〇。 (歌謠番號一一一)
かく歌ひて、
鬪
ひ明して
一一、おのもおのも
散
けましつ。明くる
旦時
、
意祁
の命、
袁祁
の命二柱
議
りたまはく、「およそ
朝廷
の人どもは、
旦
には朝廷に參り、晝は志毘が
門
に
集
ふ。また今は志毘かならず寢ねたらむ。その門に人も無けむ。かれ今ならずは、謀り難けむ」とはかりて、すなはち軍を興して、志毘の臣が家を
圍
みて、
殺
りたまひき。
ここに二柱の御子たち、おのもおのも天の下を讓りたまひき。
意富祁
の命
一二、その弟袁祁の命に讓りてのりたまはく、「
針間
の
志自牟
が家に住みし時に、
汝
が命名を顯はさざらませば
一三、更に天の下知らさむ君とはならざらまし。これ既に
汝
が命の
功
なり。かれ吾、兄にはあれども、なほ汝が命まづ天の下を治らしめせ」とのりたまひて、堅く讓りたまひき。かれえ
辭
みたまはずて、袁祁の命、まづ天の下治らしめしき。
一 男女あつまつて互に歌をかけあう行事に出て。
二 あちらの出ている所。
三 大工が下手だから。
四 心がゆるいので。
五 海水の瀬にうちかかる波を見れば。ナヲリは、波がよせてくずれるもの。
六 多くの小間で結んで、結び
らしてあるが。
七 枕詞。大きい魚よ。
八 シビは、マグロの大きいもの。ここは志毘の臣をいう。モリで突くから、シビツクという。
九 志毘があるので、姫が心中戀しく思われるだろう。
一〇 その鮪を突く、鮪を。この歌、宣長は、別の時の王子の歌といい、橘守部は、志毘の臣の歌だという。
一一 歌をかけ合つて夜を明かして。
一二 オケの命に同じ。仁賢天皇。元來、この兄弟は、オホ(大)、ヲ(小)を冠する御名になつているので、オケのオも大の意である。
一三 あなたが名を顯さなかつたとしたら。
伊弉本別
の王の御子、市の邊の忍齒の王の御子、
袁祁
の
石巣別
の命
一、近つ飛鳥の宮
二にましまして、
八歳
天の下治らしめしき。この天皇、
石木
の王の女難波の王に娶ひしかども、御子ましまさざりき。
この天皇、その父王市の邊の王の
御骨
を
求
ぎたまふ時に、
淡海
の國なる賤しき
老媼
まゐ出て白さく、「王子の御骨を埋みし所は、もはら吾よく知れり。またその御齒もちて知るべし」とまをしき。(御齒は三枝なす三押齒に坐しき。)ここに民を
起
てて、土を掘りて、その御骨を求ぎて、すなはちその御骨を獲て、その蚊屋野の
東
の山に、御陵作りて
葬
めまつりて、
韓
四が子どもに、その御陵を守らしめたまひき。然ありて後に、その御骨を持ち
上
りたまひき。かれ還り上りまして、その老媼を召して、その見失はず、さだかにその地を知れりしことを譽めて、
置目
の
老媼
五といふ名を賜ひき。よりて宮の内に召し入れて、
敦
く廣く惠みたまふ。かれその老媼の住む屋をば、宮の
邊
近く作りて、日ごとにかならず召す。かれ大殿の戸に
鐸
六を掛けて、その老媼を召したまふ時は、かならずその
鐸
を引き鳴らしたまひき。ここに御歌よみしたまへる、その歌、
淺茅原
小谷
を過ぎて
七、
百傳ふ
八
鐸
搖
くも。
置目
來
らしも。 (歌謠番號一一二)
ここに置目の老媼、「僕いたく老いにたれば、本つ國に
退
らむとおもふ」とまをしき。かれ白せるまにまに、
退
りし時に天皇見送りて歌よみしたまひしく、
置目もや
九 淡海の置目、
明日よりは み山
隱
りて
見えずかもあらむ。 (歌謠番號一一三)
初め天皇、
難
に逢ひて、逃げましし時に、その御
粮
を
奪
りし
猪甘
の
老人
を
求
ぎたまひき。ここに求ぎ得て、喚び上げて、飛鳥河の河原に斬りて、みなその
族
どもの膝の筋を斷ちたまひき。ここを以ちて今に至るまで、その
子孫
倭に上る日、かならずおのづから
跛
くなり。かれその老の
所在
を能く見しめき。かれ
其處
を
志米須
一〇といふ。
天皇、その父王を殺したまひし
大長谷
の天皇
一一を深く怨みまつりて、その御靈
一二に報いむと思ほしき。かれその大長谷の天皇の御陵を
毀
らむと思ほして、人を遣す時に、その
同母兄
意祁
の命奏して
言
さく、「この御陵を壞らむには、
他
し人を遣すべからず。もはら僕みづから行きて、大君の御心のごと
壞
りてまゐ出む」とまをしたまひき。ここに天皇、「然らば命のまにまにいでませ」と詔りたまひき。ここを以ちて
意祁
の命、みづから下りいでまして、その御陵の
傍
を少し掘りて還り上らして、
復奏
して
言
さく、「既に掘り壞りぬ」とまをしたまひき。ここに天皇、その早く還り上りませることを怪みまして、「
如何
に壞りたまひつる」と詔りたまへば、答へて白さく、「その御陵の傍の土を少し掘りつ」とまをしたまひき。天皇詔りたまはく、「
父王
の仇を報いまつらむと思へば、かならずその御陵を
悉
に壞りなむを。何とかも少しく掘りたまひつる」と詔りたまひしかば、答へて曰さく、「然しつる故は、父王の仇を、その御靈に報いむと思ほすは、誠に
理
なり。然れどもその大長谷の天皇は、父の仇にはあれども、還りては
一三我が
從父
一四にまし、また天の下治らしめしし天皇にますを、今
單
に父の仇といふ志を取りて、天の下治らしめしし天皇の御陵を悉に壞りなば、後の人かならず
誹
りまつらむ。ただ、父王の仇は、報いずはあるべからず。かれその御陵の邊を少しく掘りつ。既にかく恥かしめまつれば、後の世に示すにも足りなむ」と、かくまをしたまひしかば、天皇、答へ詔りたまはく、「こもいと理なり。
命
の如くて
可
し」と詔りたまひき。かれ天皇崩りまして、すなはち
意富祁
の命、天つ日繼知らしめき。
天皇、御年
三十八歳
、
八歳
天の下治らしめしき。御陵は片岡の
石坏
の岡
一五の上にあり。
一 顯宗天皇。
二 大阪府南河内郡。
三 先が三つに別れた大きい齒であつた。
四 一六八頁
[#「一六八頁」は「安康天皇」の「市の邊の押齒の王」]に出た佐佐紀の山の君の祖。
五 見ておいたお婆さん。
六 大形の鈴。
七 淺茅の原や谷を過ぎて。さまざまの地形を通つて。
八 方々傳つて。
九 置目と呼びかける語法。モヤは感動の助詞。この句、日本書紀に「置目もよ」。
一〇 所在不明。
一一 雄略天皇。
一二 既に崩ぜられたのでかくいう。
一三 また考えれば。
一四 雄略天皇と押齒の王とは仁徳天皇の孫で從兄弟であり、仁賢顯宗の兩天皇からは、雄略天皇は、父のいとこに當る。
一五 奈良縣北葛城郡。
袁祁の王の兄、
意富祁
の王
一、
石
の
上
の廣高の宮
二にましまして、天の下治らしめしき。天皇、大長谷の
若建
の天皇の御子、春日の大郎女に娶ひて、生みませる御子、高木の郎女、次に
財
の郎女、次に
久須毘
の郎女、次に
手白髮
の郎女、次に
小長谷
の
若雀
の命、次に
眞若
の王。また
丸邇
の
日爪
の臣が女、
糠
の
若子
の郎女に娶ひて、生みませる御子、春日の
小田
の郎女。この天皇の御子たち、并せて、七柱。この中、小長谷の若雀の命は天の下治らしめしき。
一 仁賢天皇。この天皇の記事には御陵の事がない。これから以下は、物語の部分が無く、帝紀の原形に近いようである。
二 奈良縣山邊郡。
小長谷の若雀の命
一、長谷の
列木
の宮
二にましまして、八歳天の下治らしめしき。この天皇、
太子
ましまさず。かれ御子代として、
小長谷部
を定めたまひき。御陵は片岡の
石坏
の岡
三にあり。天皇既に崩りまして、日續知らしめすべき王ましまさず。かれ
品太
の天皇
四
五世
の
孫
五、
袁本杼
の命を近つ淡海の國より上りまさしめて、
手白髮
の命に合はせて、天の下を授けまつりき。
一 武烈天皇。
二 奈良縣磯城郡。
三 奈良縣北葛城郡。
四 應神天皇。
五 オホホドの王の系統であるが、古事記日本書紀にはその系譜は記されない。ただ釋日本紀に引いた上宮記という今日亡んだ書にだけその系譜が見える。應神天皇―若野毛二俣の王―意富富杼の王―宇非の王―彦大人の王―袁本杼の王。
品太
の王の五世の孫
袁本杼
の命
一、
伊波禮
の
玉穗
の宮
二にましまして、天の下治らしめしき。天皇
三尾
の君等が祖、名は若比賣に娶ひて、生みませる御子、
大郎子
、次に出雲の郎女二柱。また尾張の連等が祖、
凡
の連が妹、目子の郎女に娶ひて、生みませる御子、
廣國押建金日
の命、次に
建小
廣國押楯の命二柱。また
意富祁
の天皇の御子、手白髮の命(こは大后にます。)に娶ひて、生みませる御子、
天國押波流岐廣庭
の命一柱。また
息長
の
眞手
の王が女、
麻組
の郎女に娶ひて、生みませる御子、
佐佐宜
の郎女一柱。また坂田の
大俣
の王が女、黒比賣に娶ひて、生みませる御子、
神前
の郎女、次に
茨田
の郎女、次に
白坂
の
活目
子の郎女、次に
小野
の郎女、またの名は
長目
比賣四柱
三。また
三尾
の君
加多夫
が妹、
倭
比賣に娶ひて、生みませる御子、大郎女、次に
丸高
の王、次に
耳
の王、次に赤比賣の郎女四柱。また阿部の
波延
比賣に娶ひて、生みませる御子、
若屋
の郎女、次に
都夫良
の郎女、次に
阿豆
の王三柱。この天皇の御子たち、并せて
十九王
。(男王七柱、女王十二柱。)この中、天國押波流岐廣庭の命は、天の下治らしめしき。次に廣國押建金日の命も天の下治らしめしき。次に建小廣國押楯の命も天の下治らしめしき。次に佐佐宜の王は、伊勢の神宮をいつきまつりたまひき。この御世に、
竺紫
の君
石井
四、天皇の命に從はずして
禮
無きこと多かりき。かれ
物部
の
荒甲
の
大連
、
大伴
の
金村
の連二人を遣はして、石井を殺らしめたまひき。
天皇、御年
四十三歳
。(丁未の年四月九日崩りたまひき。)御陵は三島の藍の陵
五なり。
一 繼體天皇。
二 奈良縣磯城郡。
三 次に茨田の郎女以下、底本に「次田郎女次田郎女次白坂沽日子郎女次野郎女亦名長目比賣、二柱」とあり、古事記傳に「次茨田郎女次馬來田郎女三柱、又娶茨田連小望之女關比賣生御子茨田大郎女次白坂活日子郎女次小野郎女亦名長目比賣三柱」とする。
四 福岡縣久留米市の附近に居た豪族。
五 大阪府三島郡。
御子
廣國押建金日
の王
一、
勾
の
金箸
の宮
二にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、御子ましまさざりき。(乙卯の年三月十三日崩りたまひき。)御陵は河内の
古市
の高屋の村
三にあり。
一 安閑天皇。
二 奈良縣高市郡。
三 大阪府南河内郡。
弟
建小廣國押楯
の命
一、
檜
の
廬入野
の宮
二にましまして、天の下治らしめしき。天皇、
意祁
の天皇の御子、橘の中比賣の命に娶ひて、生みませる御子、
石比賣
の命、次に小石比賣の命、次に倉の若江の王、また
河内
の
若子
比賣に娶ひて、生みませる御子、
火
の
穗
の王、次に
惠波
の王。この天皇の御子たち并せて
五王
。(男王三柱、女王二柱。)かれ火の穗の王は、志比陀の君が祖なり
三。惠波の王は、韋那の君、多治比の君が祖なり。
一 宣化天皇。この天皇の記事にも御陵の事がない。
二 奈良縣高市郡。
三 欽明天皇。この天皇の記事にも御陵の事がない。
弟
天國押波流岐廣庭
の天皇、
師木島
の大宮
一にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、
檜
の天皇
二の御子、石比賣の命に娶ひて、生みませる御子、
八田
の王、次に
沼名倉太玉敷
の命、次に
笠縫
の王三柱。またその弟小石比賣の命に娶ひて、生みませる御子、
上
の王一柱。また春日の
日爪
の臣が女、
糠子
の郎女に娶ひて、生みませる御子、春日の山田の郎女、次に
麻呂古
の王、次に
宗賀
の倉の王三柱。また宗賀の
稻目
の宿禰の大臣が女、
岐多斯
比賣に娶ひて、生みませる御子、橘の豐日の命、次に妹
石
の王、次に
足取
の王、次に
豐御氣炊屋
比賣の命、次にまた麻呂古の王、次に
大宅
の王、次に
伊美賀古
の王、次に山代の王、次に妹
大伴
の王、次に櫻井の
玄
の王、次に
麻怒
の王、次に橘の本の
若子
の王、次に
泥杼
の王(十三柱。)また岐多志比賣の命が
姨
、
小兄
比賣に娶ひて、生みませる御子、
馬木
の王、次に葛城の王、次に
間人
の
穴太部
の王、次に
三枝部
の穴太部の王、またの名は
須賣伊呂杼
、次に
長谷部
の
若雀
の命五柱。およそこの天皇の御子たち并はせて
二十五王
、この中、沼名倉太玉敷の命は、天の下治らしめしき。次に橘の豐日の命も、天の下治らしめしき。次に豐御氣炊屋比賣の命も、天の下治らしめしき。次に長谷部の若雀の命も、天の下治らしめしき。并せて
四王
天の下治らしめしき。
一 奈良縣磯城郡。この皇居の地名から、しき島の大和というようになつた。
二 宣化天皇。
御子
沼名倉太玉敷
の命
一、
他
田の宮
二にましまして、
一十四歳
、天の下治らしめしき。この天皇、
庶妹
豐御食炊屋
比賣の命に娶ひて、生みませる御子、
靜貝
の王、またの名は
貝鮹
の王、次に竹田の王、またの名は
小貝
の王、次に
小治田
の王、次に葛城の王、次に
宇毛理
の王、次に
小張
の王、次に
多米
の王、次に櫻井の
玄
の王八柱。また伊勢の
大鹿
の
首
が女、
小熊
子の郎女に娶ひて、生みませる御子、
布斗
比賣の命、次に寶の王、またの名は
糠代
比賣の王二柱。また
息長眞手
の王が女、
比呂
比賣の命に娶ひて、生みませる御子、
忍坂
の
日子人
の
太子
、またの名は麻呂古の王、次に坂
騰
の王、次に
宇遲
の王三柱。また春日の
中
つ
若子
が女、
老女子
の郎女に娶ひて、生みませる御子、難波の王、次に桑田の王、次に春日の王、次に
大俣
の王四柱。この天皇の御子たち并せて
十七王
の中に、日子人の太子、
庶妹
田村の王、またの名は
糠代
比賣の命に娶ひて、生みませる御子、岡本の宮にましまして、天の下治らしめしし天皇
三、次に中つ王、次に
多良
の王三柱。また
漢
の王が妹、大俣の王に娶ひて、生みませる御子、
智奴
の王、次に妹桑田の王二柱。また庶妹
玄
の王に娶ひて、生みませる御子、
山代
の王、次に笠縫の王二柱。并はせて
七王
。(甲辰の年四月六日崩りたまひき。)御陵は川内の
科長
四にあり。
一 敏達天皇。
二 奈良縣磯城郡。
三 舒明天皇。この即位の事は、古事記の記事中もつとも新しい事實である。
四 大阪府南河内郡。
弟橘の
豐日
の命
一、池の邊の宮
二にましまして、三歳天の下治らしめしき。この天皇、
稻目
の大臣が女、
意富藝多志
比賣に娶ひて、生みませる御子、
多米
の王一柱。また庶妹間人の
穴太部
の王に娶ひて、生みませる御子、
上
の宮の
厩戸
の
豐聰耳
の命
三、次に
久米
の王、次に
植栗
の王、次に
茨田
の王四柱。また
當麻
の
倉首比呂
が女、
飯
の子に娶ひて、生みませる御子、當麻の王、次に
妹
須賀志呂古
の郎女二柱。
この天皇
(丁未の年四月十五日崩りたまひき。)御陵は
石寸
の池の上
四にありしを、後に科長の中の陵に遷しまつりき。
一 用明天皇。
二 奈良縣磯城郡。
三 聖徳太子。
四 奈良縣磯城郡。
弟
長谷部
の
若雀
の天皇
一、
倉椅
の
柴垣
の宮
二にましまして、
四歳
天の下治らしめしき。(壬子の年十一月十三日崩りたまひき。)御陵は
倉椅
の岡の上
三にあり。
一 崇峻天皇。
二 奈良縣磯城郡。
三 同前。
妹
豐御食炊屋
比賣
一の命、
小治田
の宮
二にましまして、
三十七歳
天の下治らしめしき。(戊子の年三月十五日癸丑の日崩りたまひき。)御陵は大野の岡の上
三にありしを、後に
科長
の大陵
四に遷しまつりき。
一 推古天皇。
二 奈良縣高市郡。
三 奈良縣宇陀郡。
四 大阪府南河内郡。
古事記 下つ卷
二 この序文は、天皇に奏上する文として書かれているので、この句をはじめすべてその詞づかいがなされる。安萬侶は、太の安麻呂、古事記の撰者、養老七年(七二三)歿。
三 混元以下、中國の宇宙創生説によつて書いている。萬物は形と氣とから成る。形は天地に分かれ、氣は陰陽に分かれる。
四 アメノミナカヌシの神、タカミムスビの神、カムムスビの神の三神が、物を造り出す最初の神となつた。
五 イザナギ、イザナミの二神が、萬物を生み出す親となつた。
六 幽と顯とに以下、イザナギ、イザナミ二神の事蹟。
七 鏡を懸け以下、天照らす大神とスサノヲの命との事蹟。
八 安の河に以下、ニニギの命の事蹟。
九 神武天皇。
一〇 崇神天皇。
一一 仁徳天皇。
一二 成務天皇。
一三 允恭天皇。
二 天武天皇。
三 酉の年の二月に。
四 帝紀は歴代天皇の事を記した書、本辭は前の世の傳えごと。この二種が古事記の材料となつている。
五 アメノウズメの命の子孫。男子説と女子説とがある。
正五位の上勳五等
太
の
朝臣
安萬侶
二 元明天皇、女帝。奈良時代の最初の天皇。
三 七一一年。
四 漢字の表示する意義によつて書くのが、訓によるものであり、漢字の表示する音韻によつて書くのが、音によるものである。歌謠および特殊の詞句は音を用い、地名神名人名も音によるものが多い。外に漢字の訓を訓假字として使つたものが多少ある。
五 讀み方の注意、および内容に關して註が加えられている。
六 固有名詞の類に使用される特殊の文字は、もとのままで改めない。これは材料として文字になつていたものをも使つたことを語る。
七 推古天皇の時代(‐六二八)
八 神武天皇から應神天皇まで。
九 仁徳天皇。
二 以上二神、生成の思想の神格表現。事物の存在を「生む」ことによつて説明する日本神話にあつて原動力である。タカミは高大、カムは神祕神聖の意の形容語。この二神の活動は、多く傳えられる。
三 對立でない存在。
四 天地の間に溶合した。
五 葦の芽。十分に春になつたことを感じている。
六 葦牙の神格化。神名は男性である。
七 天の確立を意味する神名。
八 名義不明。以下神名によつて、土地の成立、動植物の出現、整備等を表現するらしい。
九 驚きを表現する神名。
一〇 以上二神、誘い出す意味の表現。
二 りつぱな矛を賜わつて命を下した。
三 天からの通路である空中の階段。
四 海水をゴロゴロとかきまわして。
五 大阪灣内にある島。今の何島か不明。
六 家屋の中心となる神聖な柱を立てた。
七 結婚しよう。
八 アナニヤシ、感動の表示。エヲトコヲ、愛すべき男だ。ヲは感動の助詞。
九 ヒルのようなよくないものが、不合理な婚姻によつて生まれたとする。
一〇 蟲送りの行事。
一一 四國の阿波の方面の名。この部分は阿波方面に對してわるい感情を表示する。
一二 古代の占法は種々あるが、鹿の肩骨を燒いてヒビの入り方によつて占なうのを重んじ、これをフトマニといつた。これは後に龜の甲を燒くことに變わつた。
一三 淡路島の別名。ワケは若い者の義。
一四 四國の稱。伊豫の方面からいう。
一五 北九州。
一六 誤傳があるのだろう。肥の國(肥前肥後)の外に、日向の別名があげられているのだろうというが、日向を入れると五國になつて、面四つありというのに合わない。
一七 クマ(肥後南部)とソ(薩摩)とを合わせた名。
一八 對馬島。
一九 本州。
二〇 山口縣の屋代島だろう。
二一 大分縣の姫島だろう。
二二 長崎縣の五島。
二三 所在不明。
二 風に對して堪えることを意味するらしい。
三 河口など、海に對する出入口の神。
四 海と河とで分擔して生んだ神。以下水に關する神。アワナギ、アワナミは、動く水の男女の神、ツラナギ、ツラナミは、靜水の男女の神。ミクマリは、水の配分。クヒザモチは水を汲む道具。
五 息の長い男の義。
六 木の間を潛る男の義。
七 山の神と野の神とが生んだ諸神の系列は、山野に霧がかかつて迷うことを表現する。
八 鳥の如く早く輕く行くところの、石のように堅いクスノキの船。
九 穀物の神。この神に關する神話が三五頁 [#「三五頁」は「須佐の男の神」の「穀物の種」]にある。
一〇 吐瀉物。以下排泄物によつて生まれた神は、火を防ぐ力のある神である。
一一 埴土の男女の神。
一二 水の神。
一三 若い生産力の神。
一四 これも穀物の神。以上の神の系列は、野を燒いて耕作する生活を語る。
一五 實數四十神だが、男女一對の神を一として數えれば三十五になる。
二 うねりのある地形の高み。
三 香具山の麓にあつた埴安の池の水神。泣澤の森そのものを神體としている。
四 廣島縣比婆郡に傳説地がある。
五 十つかみある長い劒。
六 神聖な岩石。以下神の系列によつて鐵鑛を火力で處理して刀劒を得ることを語る。イハサクの神からイハヅツノヲの神まで岩石の神靈。ミカハヤビ、ヒハヤビは火力。タケミカヅチノヲは劒の威力。クラオカミ、クラミツハは水の神靈。クラは溪谷。御刀の手上は、劒のつか。タケミカヅチノヲは五六頁 [#「五六頁」は「天照らす大御神と大國主の神」の「國讓り」]、七四頁[#「七四頁」は「神武天皇」の「熊野より大和へ」]に神話がある。
七 以下各種の山の神。
八 幅の廣い劒の義。水の神と解せられ、五六頁 [#「五六頁」は「天照らす大御神と大國主の神」の「國讓り」]に神話がある。別名のイツは、威力の意。
九 地下にありとされる空想上の世界。黄泉の文字は漢文から來る。
一〇 宮殿の閉してある戸。殿の騰戸とする傳えもある。
一一 黄泉の國の火で作つた食物を食つたので黄泉の人となつてしまつた。同一の火による團結の思想である。
一二 髮を左右に分けて耳の邊で輪にする。それにさした神聖な櫛。櫛は竹で作り魔よけとして女がさしてくれる。
一三 蛆がわいてゴロゴロ鳴つて。トロロギテとする傳えがあるが誤り。
一四 黄泉の國の見にくいばけものの女。
一五 植物を輪にして魔よけとして髮の上にのせる。
一六 山葡萄。
一七 筍。
一八 黄泉の國の入口にある坂。黄泉の國に向つて下る。墳墓の構造から來ている。
一九 現實にある人間。
二〇 日本書紀には絶妻の誓とある。言葉で戸を立てる。別れの言葉をいう。
二一 道路を追いかける神。
二二 島根縣八束郡。
二 九州の諸地方に傳説地があるが不明。アハギは樹名だろうが不明。日本書紀に檍原と書く。
三 道路に立つて惡魔の來るのを追い返す神。柱の形であるから杖によつて成つたという。
四 道路の長さの神。道路そのものに威力ありとする思想。
五 時置師の神とも傳える。時間のかかる意であろう。
六 疲勞の神靈。
七 二股になつている道路の神。
八 口をあけて食う神靈。魔物をである。
九 以下は禊をする土地の説明。
一〇 災禍の神靈。
一一 災禍を拂つてよくする思想の神格化。曲つたものをまつすぐにするという形で表現している。
一二 威力のある女。巫女である。
一三 以下六神、海の神。安曇系と住吉系と二種の神話の混合。
一四 住吉神社の祭神。西方の海岸にこの神の信仰がある。
一五 月の神、男神。日本書紀にはこの神が
一六 暴風の神であり出雲系の英雄でもある。
一七 實數十四神。イヅノメと海神の一組三神とを除けば十神になる。
一八 頸にかけた珠の緒もゆらゆらとゆり鳴らして。
一九 棚の上に安置してある神靈の義。
二〇 夜の領國。神話は傳わらない。
二一 長い髯が胸元までのびるまで泣きわめいた。以下暴風の性質にもとづく敍述。
二二 亂暴な神の物音。暴風のさわぎ。
二三 死んだ母の國。イザナミの神の行つている黄泉の國である地下の堅い土の世界。暴風がみずから地下へ行こうと言つたとする。
二四 神が追い拂つた。暴風を父の神が放逐したとする思想。
二五 眞福寺本には淡海の多賀とする。イザナギの命の信仰は、淡路方面にひろがつていた。
二 男裝される。
三 大きな曲玉の澤山を緒に貫いたもの。曲玉は、玉の威力の發動の思想を表示する。
四 千本の矢を入れて背負う武具。
五 胸のたいらな所。
六 威勢のよい音のする鞆。トモは皮で球形に作り左の手にはめて弓を引いた時にそれに當つて音が立つようにする武具。
七 威勢のよい叫び。
八 神に誓つて神意を伺う儀式。種々の方法があり夢が多く使われる。ここは生まれた子の男女の別によつて神意を伺う。
九 高天の原にありとする川。滋賀縣の
一〇 玉の音もさやかに。
一一 神聖な水の井。
一二 以上の行爲は、身を清めるために行う。劒を振つて水を清めてその水を口に含んで吐く霧の中に神靈が出現するとする。以下は劒が玉に變つているだけ。
一三 以上の三女神は福岡縣の
一四 皇室の御祖先と傳える。
一五 出雲氏等の祖先。
一六 主として近畿地方に居住した諸氏の祖先。各種の系統の祖先が、この行事によつて出現したとするのは民族が同一祖から出たとする思想である。
一七 出雲の國の熊野神社の神。
一八 福岡縣の海上日本海の沖の島にある。
一九 福岡縣の海上大島にある。
二 勝にまかせて。
三 田の畦を破り溝を埋め、また御食事をなされる宮殿に不淨の物をまき散らすので、皆暴風の災害である。
四 清淨な機おり場。
五 これも暴風の災害。
六 機おる時に横絲を卷いて縱絲の中をくぐらせる道具。
七 イハは堅固である意を現すためにつけていう。墳墓の入口の石の戸とする説もある。
八 永久の夜が續く。
九 思慮智惠の神格化。
一〇 鷄。常世は、恒久の世界の義で、空想上の世界から轉じて海外をいう。
一一 香具山の鹿の肩の骨をそつくり拔いて。
一二 樹名、カバノキ。これで鹿骨を燒く。
一三 占いをし適合させて。卜占によつて祭の實行方法を定める。
一四 香具山の繁つた木を根と共に掘つて。マサカキは繁つた常緑木で、今いうツバキ科の樹名サカキに限らない。神聖な清淨な木を引く意味で、山から採つてくる。
一五 サカキに玉と鏡と麻楮をつけるのは、神靈を招く意の行事で、他の例では劒をもつける。シラニギテはコウゾ、アヲニギテはアサ。
一六 力の神格。
一七 ヒカゲカズラを
一八 小竹の葉をつけて手で持つ。
一九 中のうつろの箱のようなものを伏せて。
二〇 シメ繩。出入禁止の意の表示。
二一 罪を犯した者に多くの物を出させる。
二 うまい物。
その八重垣を 一四。 (歌謠番號一)
二 日本書紀に奇稻田姫とある。
三 強暴な者の譬喩。また出水としそれを處理して水田を得た意の神話ともする。コシは、島根縣内の地名説もあるが、北越地方の義とすべきである。
四 タンバホオズキ。
五 身長が、谷八つ、高み八つを越える。
六 血がしたたつて。
七 女が魂をこめた櫛を男のミヅラにさす。これは婚姻の風習で、その神祕な表現。
八 濃い酒を作つて。
九 サズキは物をのせる臺。古代は綱で材木を結んで作るから、結うという。
一〇 酒の入物。フネは箱状のもの。
一一 ツムハは語義不明。都牟刈とする傳えもある。
一二 後にヤマトタケルの命が野の草を薙いで火難を免れたから、クサナギの劒という。もと
一三 島根縣大原郡。
一四 や雲立つは枕詞。多くの雲の立つ意。八重垣は、幾重もの壁や垣の意で宮殿をいう。最後のヲは、間投の助詞。
二 出雲國風土記に諸地方の土地を引いて來たという國引の神話を傳える八束水臣津野の命。
三 古代出雲の英雄で國土の神靈の意。代々オホクニヌシでありその一人が英雄であつたのだろう。以下の別名はそれぞれその名による神話がありすべてを同一神と解したものであろう。
二 鳥取縣八頭郡八上の地にいた姫。
三 七福神の大黒天を大國主の神と同神とする説のあるのは、大國と大黒と字音が同じなのと、ここに袋を背負つたことがあるからであるが、大黒天はもとインドの神で別である。
四 島根縣氣高郡末恒村の日本海に出た岬角。
五 日本海の隱岐の島。ただし氣多の前の海中にも傳説地がある。
六 フカの類。やがてその知識に、蛇、龜などの要素を取り入れて想像上の動物として發達した。フカの實際を知らない者が多かつたからである。
七 カマの花粉。
二 母の神。
三 赤貝の汁をしぼつて
二 紀伊の國(和歌山縣)
三 家屋の神。イザナギ、イザナミの生んだ子の中にあつた。ただしスサノヲの命の子とする説がある。
四 既出、地下の國。
五 互に見合うこと。
六 古代建築にはムロ型とス型とある。ムロは穴を掘つて屋根をかぶせた形のもので濕氣の多い地では蟲のつくことが多い。スは足をつけて高く作る。どちらも原住地での習俗を移したものだろうが、ムロ型は亡びた。
七 蛇を支配する力のあるヒレ。ヒレは、白い織物で女子が頸にかける。これを振ることによつて威力が發生する。次のヒレも同じ。
八 射ると鳴りひびくように作つた矢。
九 入口は狹いが内部は廣い。古墳のあとだろうという。
一〇 葬式の道具。
一一 柱間の數の多い大きな室。
一二 五百人で引くほどの巨石。
一三 生命の感じられる大刀弓矢。
一四 美しいりつぱな琴。
一五 親愛の第二人稱。
一六 現實にある國土の神靈。
一七 島根縣出雲市出雲大社の東北の御埼山。
一八 壯大な宮殿建築をする意の常用句。地底の石に柱をしつかと建て、空中に高く千木をあげて作る。ヒギ、チギともいう。屋上に交叉して突出している材。今では神社建築に見られる。
一九 國土經營をはじめた。
二〇 婚姻した。
八島國 妻
遠遠し
さ
婚ひに あり通はせ、
大刀が緒も いまだ解かずて、
引こづらひ
青山に
さ
庭つ鳥
うれたくも 九 鳴くなる鳥か。
この鳥も うち
いしたふや 一〇
事の 語りごとも こをば 一二。 (歌謠番號二)
ぬえくさの 一三
今こそは
後は
命は な
いしたふや 天馳使、
事の 語りごとも こをば。 (歌謠番號三)
青山に 日が隱らば、
ぬばたまの 一六 夜は出でなむ。
朝日の
沫雪の 一八 わかやる胸を
そ
眞玉手 玉手差し
あやに な戀ひきこし 一九。
八千矛の 神の命。
事の 語りごとも こをば。 (歌謠番號四)
まつぶさに 取り
まつぶさに 取り裝ひ
奧つ鳥 胸見る時、
羽たたぎも こも
邊つ浪 そに脱き
山縣 二六に
まつぶさに 取り裝ひ
奧つ鳥 胸見る時、
羽たたぎも
いとこやの 二八 妹の命 二九、
引け鳥 三一の 吾が引け往なば、
泣かじとは
朝雨の さ 三四霧に
若草の 三五
事の 語りごとも こをば。 (歌謠番號五)
うち
かき
若草の
そ
ま玉手 玉手差し
二 北越の沼河の地の姫。ヌナカハは今の糸魚川町附近だという。
三 男子が夜間女子の家を訪れるのが古代の婚姻の風習である。
四 ヨバヒは、呼ぶ義で婚姻を申し入れる意。サは接頭語。アリタタシは、お立ちになつて。動詞の上につけるアリは在りつつの意。タタシは立つの敬語。
五 オスヒをもまだ解かないのに。オスヒは通例の服裝の上に著る衣服。禮裝、旅裝などに使用する。トカネは解かないのにの意。
六 ナスは寢るの敬語。ヤは感動の助詞で調子をつけるために使う。
七 押しゆすぶつて。
八 今トラツグミという鳥。夜間飛んで鳴く。
九 歎かわしいことに。
一〇 イ下フで、下方にいる意だろう。イは接頭語。ヤは感動の助詞。
一一 走り使いをする部族。アマは神聖なの意につける。この種の歌を語り傳える部族。
一二 この事をば。この通りです。
一三 譬喩による枕詞。なえた草のような。
一四 水鳥です。おちつかない譬喩。
一五 おなくなりなさるな。
一六 譬喩による枕詞。カラスオウギの實は黒いから夜に冠する。
一七 同前。楮で作つた綱は白い。
一八 同前。アワのような大きな雪。
一九 たいへんに戀をなさいますな。
二〇 第二の妻に對する憎み。
二一 夫の神。
二二 十分に著用して。
二三 譬喩による枕詞。水鳥のように胸をつき出して見る。
二四 奧つ鳥と言つたので、その縁でいう。身のこなし。
二五 譬喩による枕詞。カワセミ。青い鳥。
二六 山の料地。
二七 アタネは、アカネに同じというが不明。アカネはアカネ科の蔓草。根をついてアカネ色の染料をとる。
二八 イトコは親愛なる人。ヤは接尾語。
二九 女子の敬稱。
三〇 譬喩による枕詞。
三一 同前。空とおく引き去る鳥。
三二 首をかしげて。うなだれて。
三三 お泣きになることは。マクは、ムコトに相當する。
三四 眞福寺本、サに當る字が無い。
三五 譬喩による枕詞。
三六 このミルは、原文「微流」。微は、古代のミの音聲二種のうちの乙類に屬し、甲類の見るのミの音聲と違う。それで る意であり、ここは つているの意有坂博士で次の語を修飾する。
三七 シマは水面に臨んだ土地。はなれ島には限らない。
三八 磯の突端のどこでも。
三九 お持ちになつているでしよう。モタセ、持ツの敬語の命令形。ラ、助動詞の未然形。メ、助動詞ムの已然形で、上の係助詞コソを受けて結ぶ。
四〇 汝をおいては。
四一 織物のトバリのふわふわした下で。
四二 あたたかい寢具のやわらかい下で。
四三 楮の衾のざわざわする下で。
四四 叩いて抱きあい。
四五 めしあがれ。奉るの敬語の命令形。
四六 酒盃をとりかわして約束して。
四七 首に手をかけて。
四八 以上の歌の名稱で、以下この種の名稱が多く出る。これは歌曲として傳えられたのでその歌曲としての名である。この八千矛の神の贈答の歌曲は舞を伴なつていたらしい。
二 以上二神、五七頁 [#「五七頁」は「天照らす大御神と大國主の神」の「國讓り」]に神話がある。
三 光りかがやく姫の義。美しい姫。
四 奈良縣南葛城郡葛城村にある神社の神。
五 系統不明。
六 五七頁 [#「五七頁」は「天照らす大御神と大國主の神」の「國讓り」]に神話がある。その條參照。
七 鳥耳の神、鳥甘の神とする傳えもある。
八 誤りがあつて、もと何の神の女の何とあつたらしいが不明。
九 水の神。
二 波の高みに乘つて。
三 カガミはガガイモ科の蔓草。ガガイモ。その果實は莢でありわれると白い毛のある果實が飛ぶ。それをもとにした神話。
四 蛾の皮をそつくり剥いで。
五 ひきがえる。谷潛りの義。
六 かがし。こわれた男の義。
七 海外の國。三三頁 [#「三三頁」は「天照らす大神と須佐の男の命」の「天の岩戸」]脚註參照。
八 かがしに同じ。
二 大和の國の東方の青い山の上に祭れ。
三 奈良縣磯城郡三輪山の
二 これも穀物のみのりの神。
三 滋賀縣滋賀郡坂本の日枝神社。
四 京都市右京區にある松尾神社。
五 以上二神、家の敷地の神。祈年祭の祝詞に見える。
うながせる 玉の
御統に あな玉はや 三二。
み
二 たいへん騷いでいる。アリナリは古い語法。ラ行變格動詞の終止形にナリが接續している。
三 この神が加わるのは思想的な意味からである。
四 日本國。葦原の中心である國。
五 暴威を振う亂暴な土地の神。
六 誓約の條に出現した神。出雲氏の祖先神で、出雲氏の方ではよく活躍したという。古事記日本書紀は中臣氏系統の傳來が主になつているのでわるくいう。
七 天の土地の神靈。
八 天から來た若い男。傳説上の人物として後世の物語にも出る。
九 鹿の靈威のついている弓。
一〇 大きな羽をつけた矢。
一一 キギシの鳥名はその鳴聲によつていう。よつて逆にその名を鳴く女の意にいう。
一二 神聖な桂樹。野鳥である雉子などが門口の樹に來て鳴くのを氣にして何かのしるしだろうとする。
一三 實相を探る女。巫女で鳥の鳴聲などを判斷する。
一四 前に出た弓矢。ハジ弓はハジの木の弓。カク矢は鹿兒矢で鹿の靈威のついている矢。
一五 タカミムスビの神の神靈の宿る所についていうのだろう。
一六 曲れで、災難あれの意になる。
一七
一八 ひたすらの使、行つたきりの使。
一九 風と共に。
二〇 天における天若日子の妻子。
二一 葬式は別に家を作つて行う風習である。
二二 食物を入れた器を持つて行く者。
二三 ホウキで穢を拂う意である。
二四 食物を作る人。
二五 臼でつく女。
二六 葬式の時に連日連夜歌舞してけがれを拂う風習である。
二七 友だちだから。
二八 岐阜縣長良川の上流。
二九 ヤは間投の助詞。
三〇 若い機おり姫。機おりは女子の技藝として尊ばれていた。
三一 頸にかけている緒に貫いた玉。
三二 大きな珠。ハヤは感動を示す。
三三 谷を二つ同時に渡る。ミは美稱。
三四 歌曲の名。
二 鹿の神靈。
三 二四頁 [#「二四頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「黄泉の國」]參照。
四 二二頁 [#「二二頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「神々の生成」]參照。
五 島根縣出雲市附近の海岸。伊那佐の小濱とする傳えもある。日本書紀に
六 波の高みに劒先を上にして立てて。
七 言語に現れる神靈。大事を決するのに神意を伺い、その神意が言語によつて現れたことをこの神の言として傳える。八重は榮える意に冠する。
八 鳥を狩すること。
九 神意を述べ終つて、海を渡つて來た乘物を傾けて、逆手を打つて青い樹枝の垣に隱れた。逆手を打つは、手を下方に向けて打つことで呪術を行う時にする。青柴垣は神靈の座所。神靈が託宣をしてもとの神座に歸つたのである。
一〇 長野縣諏訪郡諏訪神社上社の祭神。この神に關することは日本書紀に無い。插入説話である。
一一 千人で引くような巨岩。
一二 手のつかみ合いをするのである。
一三 立つている氷のように感ずる。
一四 長野縣の諏訪湖。
一五 天皇がその位におつきになる尊い宮殿のように。神が宮殿造營を請求するのは託宣の定型の一である。
一六 枕詞。
一七 多くある物のすみに隱れておりましよう。
一八 指導者。
一九 島根縣出雲市の海岸。
二〇 宮殿。出雲大社のこと。その鎭座縁起。
二一 料理人。
二二 尊い御食事。
二三 海底の土を清淨としそれを取つて祭具を作る。
二四 多數の平たい皿。
二五 海藻の堅い部分を臼と杵とにして摩擦して火を作つて。
二六 富み榮える新築の家の煤のように長く垂れるほどに火をたき。
二七 楮の長い繩を延ばして。
二八 口の大きく、尾ひれの大きい鱸。
二九 魚のたわむ形容。さき竹のは枕詞。
三〇 尊い御馳走。
二 相對する神に顏で勝つ神だ。
三 五つの部族。トモノヲは人々の團體。この五神以下多くは皆天の岩戸の神話に出て、兩者の密接な關係にあることを示す。
四 岩戸の神話で天照らす大神を招いだ。
五 岩戸の神話における岩屋戸の神格。
六 天皇の御前にあつて政治をせよ。智惠思慮の神靈だからこのようにいう。
七 伊勢神宮の内宮。サククシロは、口のわれた腕輪の意で枕詞。
八 伊勢神宮の外宮。トユウケの神は豐受の神とも書き穀物の神。この神が從つて下つたともなく出たのは突然であるが豐葦原の水穗の神靈だから出したのである。外宮の鎭座は、雄略天皇の時代の事と傳える。
九 この二つの別名は、御門祭の祝詞に見える名で、門戸の神靈として尊んでいる。
一〇 天から御座を離れ雲をおし分け威勢よく道を別けて。
一一 天の階段から下に浮渚があつてそれにお立ちになつたと解されている。古語を語り傳えたもの。
一二 鹿兒島縣の霧島山の一峰、宮崎縣西臼杵郡など傳説地がある。思想的には大嘗祭の稻穗の上に下つたことである。
一三 堅固な靫。矢を入れて背負う。
一四 柄の頭がコブになつている大刀。實は石器だろう。
一五 外國に向つて笠紗の御前へ筋が通つて。カササの御前は、鹿兒島縣川邊郡の岬。高千穗の嶽の所在をその方面にありとする傳えから來たのであろう。
二 三重縣壹志郡。
三 不明。月日貝だともいう。
四 海底につく神靈。
五 大小の魚。
六 志摩の國から奉る海産のたてまつり物。
二 多數の机上に乘せる物。
三 戸の無い大きな家屋。分娩のために特に家を作りその中に入つて周圍を塗り塞ぐ。
四 出産後にその産屋を燒く風習のあるのを、このように表現している。
五 火の衰える意の名。
六 火の靜まる意の名。
二 獸類と鳥類。
三 海のサチの宿つている釣針。
四 海水の神靈。諸國の海岸にうち寄せるので物知りだとする。
五 日子穗穗出見の命。
六 すきまの無い籠の船。實際的には竹の類で編んで樹脂を塗つて作つた船であり、思想的には神の乘物である。
七 魚のうろこのように作つた宮殿。瓦ぶきの家で大陸の建築が想像されている。
八 井の傍の樹木に神が降るのは、信仰にもとづくきまつた型である。
九 美しい椀。
一〇 水を汲んだ椀に樹上にいた神の靈がついたのである。
一一 海獸アシカの皮の敷物を八重にかさねて。
一二 織つたままの絹の敷物八重をかさねて。
一三 この種の説話に出るきまつた年數。浦島も龍宮に三年いたという。
一四 のどにささつた骨があつて。
一五 鉤をわるく言つてサチを離れさせるのである。ぼんやり鉤、すさみ鉤、貧乏鉤、愁苦の鉤。
一六 手をうしろにしてあげなさい。呪術の意味である。
一七 毎年土地を選定して耕作するので、水の多い年には高田を作るに利あり、水の無い年はその反對である。
一八 海は潮が滿ち干するので、海の神は水のさしひきをつかさどるとし、それはその力を有する玉を持つているからと考えた。動詞乾るは古くは上二段活で、連體形はフル。
一九 人間の世界。上方にあると考えた。
二〇 人が左右に手をひろげた長さのワニ。ワニは三九頁 [#「三九頁」は「大國主の神」の「菟と鰐」]參照。
二一 紐のついている小刀。
二二 鋤を持つている神。サヒは鋤であり武器でもある。
二三 隼人が亂舞をして宮廷に仕えることの起原説明。隼人舞はその種族の獨自の舞であるのを溺れるさまのまねとして説明した。
白玉の 君が
貴くありけり。 (歌謠番號八)
我が
世の
二 この種の説話の要素の一である女子の命ずる禁止であり、男子がその禁を破ることによつて別離になる。イザナミの命の黄泉訪問の神話にもこれがあつた。
三 大きなワニになつて這いまわつた。
四 白玉のような君の容儀。下のシは強意の助詞。
五 説明による枕詞。
二 大和の國の磐余の地においでになつた御方の意。
三 亡き母豐玉毘賣の國。
二 大分縣宇佐。
三 柱が一本浮き上つた宮殿。
四 福岡縣遠賀郡遠賀川の河口の地。
五 廣島縣安藝郡。
六 岡山縣兒島郡。
二 潮のさしひきの早い海峽。豐後水道。岡山縣を出て難波に向うのに豐後水道を通つたとするは地理上不合理であるが、元來この一節は別に遊離していたものが插入されたので、このような形になつた。日本書紀では日向から出て直に速吸の門にかかつている。
二 枕詞。
三 大阪府中河内郡、生駒山の西麓。
四 生駒山の東登美にいた豪族の主長。
五 大阪府泉南郡の海岸。
六 和歌山縣、紀の川の河口。
七 和歌山縣海草郡。
二 荒ぶる神が熊になつて現れたのでその毒氣を受けたとする。
三 病み疲れたまい。
四 神武天皇のこと。天つ神の御子として降下したとする。
五 惱んで居られるらしい。
六 奈良縣山邊郡の石上神宮。フツは劒の威力。物を斬る音という。
七 大きな烏。頭八つの烏とするは誤。ヤタは寸法。ヤアタの鏡のヤアタに同じ。この烏は鴨の建角身の命という豪傑だという。
八 大和の國内での吉野川の下流。
九 竹で編んで河に漬けて魚を取る漁法。
一〇 後部に垂れたもののある服裝の人。
一一 一三三頁 [#「一三三頁」は「應神天皇」の「國主歌」]に説話がある。
一二 奈良縣宇陀郡。大和の國の東部。
いすくはし 一〇
こきしひゑね 一四。
こきだひゑね 一七 (歌謠番號一〇)
人
人多に 入り居りとも、
みつみつし 二二 久米の子が、
撃ちてしやまむ。
みつみつし 久米の子らが、
頭椎い 石椎いもち
今撃たば
そねが
撃ちてしやまむ。 (歌謠番號一二)
垣
口ひひく 二七
撃ちてしやまむ。 (歌謠番號一三)
撃ちてしやまむ。 (歌謠番號一四)
戰へば
島つ鳥 三六
今
二 所在不明。
三 二人稱の賤稱。
四 同前。既出。
五 大刀のつかをしかと握つて。
六 矛を向け矢をつがえて。
七 所在不明。
八 高い築造物。
九 ヤは間投の助詞。
一〇 枕詞。語義不明。
一一 朝鮮語に鷹をクチという。鯨とする説もある。この句まで譬喩。
一二 コナミは前に娶つた妻。古い妻である。
一三 ソバノ木、カナメモチ。
一四 語義不明の句。原文、「許紀志斐惠泥。」紀はキの乙類であるから、コキは動詞
一五 妻のある上に更に娶つた妻。
一六 ヒサカキ。
一七 語義不明の句。原文「許紀陀斐惠泥。」紀はキの乙類であるから、コキダは、許多の意のコキダクと同語では無いらしい。
一八 いばるのだ。靈異記に犬が威壓するのにイノゴフと訓している。イゴノフゾとする説は誤り。
一九 奈良縣磯城郡、泊瀬溪谷の入口。
二〇 穴居していた先住民。
二一 待ちうなる。
二二 敍述による枕詞。威勢のよい。
二三 既出の頭椎の大刀に同じ。イは語勢の助詞。イシツツイも同じ。石器である。
二四 くさいニラが一本。
二五 その根もとと芽とを一つにして。
二六 シヨウガは藥用植物で外來種であるからここはサンショウだろうという。
二七 口がひりひりする。
二八 枕詞。國つ神が大風を起して退去したからいうと傳える。
二九 這いまわつている。
三〇 ラセン形の貝殼の貝。肉は食料にする。
三一 磯城の地に居た豪族。
三二 枕詞。楯を並べて射るとイの音に續く。
三三 奈良縣宇陀郡伊那佐村。
三四 樹の間から行き見守つて。
三五 わたしは飢え疲れた。
三六 枕詞。
三七 前出の阿多の鵜養たち。鵜に助けに來いというのは魚を持つて來いの意である。
三八 系統不明。舊事本紀にはオシホミミの命の子とする。
三九 天から持つて來た寶物。
四〇 奈良縣畝傍山の東南の地。
誰をしまかむ 五。 (歌謠番號一六)
わが二人寢し。 (歌謠番號二〇)
二 赤く塗つた矢。
三 立ち走り騷いだ。
四 香具山の附近。
五 マカムは纏かむで、手に卷こう。妻としよう。
六 わずかに。
七 目じりに入墨をして目を鋭く見せようとした。
八 語義不明。千人に勝れる人の義という。
九 直接に逢おうとして。
一〇 三輪山から出る川。
一一 きたない小舍に。
一二 菅で編んだ敷物をさつぱりと敷いて。
一三 綏靖天皇。
畝火山 木の葉さやぎぬ。
風吹かむとす。 (歌謠番號二一)
夕されば 風吹かむとぞ
木の葉さやげる。 (歌謠番號二二)
二 武器を持つて。
三 潔齋をして無事を祈る人。祭をおこなう人。
四 古事記の撰者太の安麻呂の系統。
二 奈良縣高市郡。神武天皇陵の北にある。
二 奈良縣北葛城郡。
三 兵庫縣三原郡。
四 この二女王は、孝靈天皇の妃。
五 畝火山の南のくぼみにある。
二 奈良縣高市郡。
三 畝火山の南。
二 奈良縣南葛城郡。
三 同前。
二 奈良縣南葛城郡。
三 同前。
二 奈良縣磯城郡。
三 兵庫縣加古郡。
四 清らかな酒瓶を置いて神を祭り行旅の無事を祈る。
五 播磨の國を道の入口として。
六 後の備前美作備中備後の四國の總稱。
七 奈良縣北葛城郡。
二 奈良縣高市郡。
三 九四頁 [#「九四頁」は「崇神天皇」の「將軍の派遣」]に事蹟がある。
四 一二〇頁 [#「一二〇頁」は「仲哀天皇」の「神功皇后」]以下に事蹟がある。この子孫は勢力を得たので、その子を詳記してあるが、帝紀としては加筆であろう。
五 奈良縣高市郡。
二 奈良市。
三 垂仁天皇。九八頁 [#「九八頁」は「垂仁天皇」の「沙本毘古の叛亂」]にこの皇后の物語がある。
四 滋賀縣野洲郡の三上の神職が祭る。
五 一〇二頁 [#「一〇二頁」は「垂仁天皇」の「本牟智和氣の御子」]に物語がある。
六 以下の諸女王のこと、一〇四頁 [#「一〇四頁」は「垂仁天皇」の「丹波の四女王」]に物語があるが人數などに相違がある。
七 奈良市。
二 奈良縣磯城郡。
三 人を埋めて垣とするもの。
二 神のたたり。
三 馬に乘つて行く使。
四 大阪府中河内郡。日本書紀には茅渟の縣の陶の村としている。これは和泉の國である。
五 神のよりつく人。
六 奈良縣磯城郡の三輪山。
七 多くの平たい皿。既出の語。
八 奈良縣宇陀郡。大和の中央部から見て東方の通路の坂。
九 奉ることによつて祭をする。神に武器を奉つて魔物の入り來るを防ごうとする思想。
一〇 奈良縣北葛城郡二上山の北方を越える坂。大和の中央部から西方の坂。
一一 人間ならざる者の正體を見現すために行う。ヘソヲは絲卷にまいた麻。
一二 絲卷に殘つた麻。
御眞木入日子はや、
おのが
窺はく 知らにと 八、
御眞木入日子はや。 (歌謠番號二三)
二 十二國に同じ。伊勢(志摩を含む)、尾張、參河、遠江、駿河、甲斐、伊豆、相模、武藏、總(上總、下總、安房)、常陸、陸奧の十二國であるという。
三 京都府の北部。
四 腰に裳をつけた少女。裳は女子の腰部にまとう衣服。
五 大和の國から山城の國に越えた所の坂。
六 崇神天皇。
七 後方の戸から人目をはずして。
八 窺うことを知らずにと、ニは打消の助動詞ヌの連用形。
九 神が少女に化して教えた意になる。
一〇 木津川の別名。
一一 大阪府北河内郡淀川の渡り場。
一二 京都府相樂郡。
一三 福島縣の會津。
一四 男子が弓によつて得た物の貢物。獸皮の類をいう。
一五 女子の手藝によつて得た物の貢物。織物、絲の類。
一六 新しい土地を領有した。
一七 大阪市東成區。
一八 奈良縣高市郡。
一九 奈良縣磯城郡。
二 奈良縣磯城郡。
三 沙本毘賣に同じ。開化天皇の皇女。
四 以下の三后妃は、開化天皇の卷に見え、また下に見える。その條參照。
五 大阪府泉南郡。
六 大阪府南河内郡。
七 大阪府泉南郡。
八 奈良縣山邊郡の石上の神宮。
九 人民の集團に縁故のある名をつけて記念とし、またこれを支配する。以下、何部を定めたという記事が多い。
二 奈良市佐保。佐本毘古の王の居所。
三 あぶなくだまされる所だつた。ホトホトニは、ほとんど。
四 稻を積んだ城。俵を積んだのだろう。
五 かすめ取れ。
六 玉作りは、土地を持たないという諺のもとだという。
七 ホが火を意味し、ムチは尊稱、ワケは若い御方の義の名。
八 日を足して成育させる。
九 赤子の湯を使う人。そのおもな役と若い方の役。
一〇 妻が男の衣の紐を結ぶ風習による。ミヅは美稱。生氣のある意。
二 奈良縣磯城郡。
三 同高市郡。
四 アギと言つた。あぶあぶ言つた。
五 新潟縣西蒲原郡、また北魚澤郡 [#「北魚澤郡」はママ]に傳説地がある。ワナミは羂網の義。
六 二〇頁 [#「二〇頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「島々の生成」]參照。
七 出雲大社の祭神。大國主の神。
八 開化天皇の子孫。
九 占いにかなつた。
一〇 神に誓つて神意を窺わしめることは。
一一 奈良縣高市郡。
一二 同郡飛鳥村にある。
一三 葉の廣いりつぱなカシの木。クマはウマに同じ。美稱。
一四 奈良縣の北部の奈良山を越える道。不具者に逢うことを嫌つた。
一五 二上山を越えて行く道。
一六 紀伊の國へ出る道。吉野川の右岸について行く。
一七 迂 してゆく道でよい道。
一八 斐伊の川。
一九 皮つきの木を組んで作つた橋。
二〇 出雲大社の別名。
二一 大國主の神の別名。
二二 お祭する神職の齋場か。
二三 ビロウの木の葉を長く垂れて葺いた宮。
二 京都府相樂郡。
三 同乙訓郡。
二 海外の國。大陸における橘の原産地まで行つたのだろう。
三 その時節でなく熟する香のよい木の實。
四 カゲは蔓のように輪にしたもの。矛は、直線的なもの。どちらも苗木。
五 奈良縣生駒郡。
六 石棺を作る部族。
七 奈良縣生駒郡。
二 奈良縣磯城郡。
三 ヤマトタケルの命。日本書紀に、父の天皇が皇子の誕生に當つて、石臼の上で躍つて喜んだから大碓の命、小碓の命というとある。
四 成務天皇。
五 皇子の曾孫の子だから、天皇の孫の孫の子に當りそれを妃としたというのは時間的に不可能である。ある氏の傳えをそのまま取り入れたものだろう。
六 後世のように皇太子を立てることは無かつたが、有力な后妃の生んだ皇子が次に帝位に昇るべき方として豫想されたのである。ヒツギのミコは、繼嗣の皇子の義。
七 いずれも古代の地方官で世襲である。
八 開化天皇の孫。
九 長く見て居させる。待ちぼうけさせる。
一〇 神奈川縣から千葉縣安房郡に渡る水路。
一一 大和の國の租税收納所。
一二 奈良縣磯城郡。
二 どんなふうになだめ乞うたのか。
三 朝早く。
四 手足。
五 クマソは地名で、クマの地(熊本縣)とソの地(鹿兒島縣)とを合わせ稱する。タケルは勇者の義。物語では兄弟二人となつている。
六 男子少年の風俗。
七 父の妹に當る。
八 新築を祝う酒宴。
九 衣服の襟。
一〇 庭上におりる階段。
一一 今から後。ヨは助詞。ユ、ヨリに同じ。
一二 日本書紀には、日本武の尊と書く。
一三 熟した瓜のように。
一四 海峽の神。
一五 平定しおだやかにして。
二 にせの刀。木刀。
三 枕詞。八雲立つの轉訛。日本書紀にはヤクモタツになつている。
四 柄や鞘に植物の蔓を澤山卷いてある。
五 刀身が無いことだ。アハレは感動を表示している。
燃ゆる火の
問ひし君はも。 (歌謠番號二五)
さ
月立ちにけり。 (歌謠番號二八)
やすみしし
あら玉の 二七 年が
あら玉の 月は
うべなうべな 二八 君待ちがたに 二九、
月立たなむよ 三十。 (歌謠番號二九)
二 ヒイラギの木の柄の長い桙。ヒイラギは葉の縁にトゲがあり魔物に對して威力があるとされる。
三 神が諸事を執り行われる所の意。
四 相模の國に同じ。神奈川縣の一部。
五 暴威を振う神。
六 こちらから火をつけて向うへ燒く。野火に逢つた時には手元からも火をつけて先に野を燒いてしまつて難を免れる方法である。
七 燒津とする傳えもある。靜岡縣の燒津町がその傳説地であるが、相武の國の事としているので問題が殘る。
八 浦賀水道から千葉縣に渡ろうとした。
九 日本書紀に穗積氏の女とする。
一〇 波の上に多くの敷物を敷いて。
一一 海上で風波の難にあうのは、その海の神が船中の人または物の類を欲するからで、その神の欲するものを海に入れれば風波がしずまるとする思想がある。そこで姫が皇子に代つて海に入つて風波をしずめたのである。
一二 枕詞。嶺が立つている義だろうとする。嶺は靜岡縣とすれば富士山、神奈川縣とすれば大山である。
一三 所在不明。浦賀市走水に走水神社があつて、倭建の命と弟橘姫とを祭る。
一四 アイヌ族をいう。
一五 山梨縣西山梨郡。
一六 共に茨城縣の地名。
一七 日を並べて。
一八 東方の國の長官。實際上はそのような廣大な土地の國の造を置かない。
一九 信濃の國。今の長野縣。
二〇 長野縣の伊那から岐阜縣の惠那に通ずる山路。木曾路は奈良時代になつて開通された。
二一 四四頁 [#「四四頁」は「大國主の神」の「八千矛の神の歌物語」]脚註參照。
二二 枕詞。語義不明。日のさす方か。
二三 鵠の渡る線の形容か。
二四 クビは、クグヒに同じ。コヒ、コフともいう。白鳥。但し杙の義とする説もある。以上、たわや腕の譬喩。
二五 よわよわとして細い。修飾句。
二六 以上、天皇または皇子をたたえる。光りかがやく太陽のような御子、天下を知ろしめすわが大君。ヤスミシシ、語義不明。
二七 枕詞。みがかない玉の意。ト(磨ぐ)に冠する。月に冠するのは轉用。
二八 ほんとにとうなずく意の語。底本にウベナウベナウベナとする。
二九 カタニは、不能の意の助動詞。萬葉集に多くカテニの形を取り、ここはその原形。
三十 當然そうなるだろうの語意と見られる。この語形は、普通願望の意を表示するに使用されるのに、ここに願望になつていないのは特例とされる。ヨは間投の助詞。
三一 滋賀縣と岐阜縣との堺にある高山。
尾津の埼なる 一つ松、
一つ松 人にありせば、
大刀
一つ松、吾兄を。 (歌謠番號三〇)
たたなづく 青垣 一五、
山
その大刀はや。 (歌謠番號三四)
二 言い立てをして。
三 滋賀縣坂田郡の醒が井はその傳説地。
四 岐阜縣養老郡。
五 空中を飛んで行こうと思つたが。
六 びつこを引く形容。高かつたり低かつたりするさま。
七 三重縣三重郡。
八 三重縣桑名郡。サキは、海上陸上に限らず突出した地形をいう。ここは陸上。
九 じかに對している。
一〇 「あなたよ」という意の語で、歌詞を歌う時のはやしである。日本書紀には、アハレになつている。
一一 三重縣三重郡。
一二 餅米をこねて、ねじまげて作つた餅。
一三 三重縣鈴鹿郡。
一四 もつともすぐれたところ。マは接頭語。ロバは接尾語。日本書紀にマホラマ。
一五 重なり合つている青い垣。山のこと。
一六 枕詞。敷物にしたコモ(草の名)。ヘ(隔)に冠する。
一七 奈良縣生駒郡。
一八 美しい白檮の木の葉を頭髮にさせ。ウズは髮にさす飾。もと魔よけの信仰のためにさすもの。
一九 歌曲としての名。
二〇 愛すべき。愛しきに、助詞ヤシの接續したもの。ハシキヨシ、ハシキヤシともいう。
二一 わが家の方から。
二二 五音七音七音の三句の歌の稱。以上三首、日本書紀に景行天皇の御歌とする。
二三 普通ツルギは兩刃、タチは片刃の武器をいうが、嚴密な區別ではない。
大河原の
海がは いさよふ 八。 (歌謠番號三七)
二 御陵の周圍の田。
三 山の芋科の蔓草の蔓。譬喩で這いまつわる状を描く。
四 大きな白鳥。倭建の命の神靈が化したものとする。
五 小竹の刈つたあと。
六 腰が難澁する。
七 徒歩で行くよ。ナは感動の助詞。
八 ためらう。
九 濱からは行かないで。
一〇 大阪府南河内郡。
二 仲哀天皇。
三 この事、一一一頁 [#「一一一頁」は「景行天皇・成務天皇」の「倭建の命の東征」]に出ている。
四 奈良縣磯城郡。
二 滋賀縣滋賀郡。
三 宮廷の臣中の最高の位置。この後、建内の宿禰の子孫がこれに任ぜられた。
四 諸國の意。
五 クニよりはアガタの方が小さい。
六 奈良縣生駒郡。
二 山口縣豐浦郡。
三 福岡縣糟屋郡香椎町。
四 神功皇后。開化天皇の系統。九〇頁 [#「九〇頁」は「綏靖天皇以後八代」の「開化天皇」]參照。母系の系譜は一三九頁[#「一三九頁」は「應神天皇」の「天の日矛」]にある。
五 獸皮で球形に作り左の手につける。
二 祭の場。
三 ひたすらに一つの方向に進め。
四 葬らない前に祭をおこなう宮殿。
五 穢が出來たので、それを淨めるために、その料として筑紫の一國から品物を取り立てる。その産物などである。
六 穢を生じたのは、種々の罪が犯されたからであるからまずその罪の類を求め出す。屎戸までは、岩戸の物語(三二頁 [#「三二頁」は「天照らす大神と須佐の男の命」の「天の岩戸」])に出た。生剥逆剥は、馬の皮をむく罪。屎戸は、きたないものを清淨なるべき所に散らす罪。上通下通婚以下は、不倫の婚姻行爲。
七 一國をあげての罪穢を拂う行事をして。
八 住吉神社の祭神。二七頁 [#「二七頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「身禊」]參照。
九 木を燒いて作つた灰をヒサゴ(蔓草の實、ユウガオ、ヒョウタンの類)に入れて。これは魔よけのためと解せられる。
一〇 木の葉の皿。これは食物を與える意。
一一 當時朝鮮半島の東部を占めていた國。
一二 朝鮮語で王または貴人をいう。コニキシともコキシともいう。
一三 當時朝鮮半島の南部を占めていた國。
一四 渡海の役所。
一五 神靈の荒い方面。
二 同糸島郡。萬葉集卷の五にこの石を詠んだ歌がある。
三 佐賀縣東松浦郡の玉島川。
二 神に誓つて狩をして、これによつて神意を窺う。ここでは凶兆であつた。
三 山城に同じ。
四 頭上にてつかねた髮。
五 用意の弓弦。
六 京都府と滋賀縣との堺の山。
七 琵琶湖の南方の地。
八 琵琶湖。
九 さああなた。
一〇 カイツブリ。水鳥。敍述による枕詞。
一一 琵琶湖。
一二 水にもぐりましよう。ナは自分の希望を現す助詞。ワは感動の助詞。
二 越前の國の敦賀市。
三 同市氣比神宮の祭神。
四 名をとりかえたしるしの贈り物。
その
歌ひつつ
舞ひつつ
この御酒の 御酒の
あやに うた
二 酒をつかさどる長官。原文「久志能加美」美はミの甲類の字であり、神のミは乙類であるから、酒の神とする説は誤。
三 永久の世界。また海外。スクナビコナは海外へ渡つたという。
四 石のように立つておいでになる。
五 スクナビコナに同じ。
六 祝い言をさまざまにして。
七 盃がかわかないようにつづけてめしあがれ。
八 はやし詞。
九 後世のツヅミの大きいもの。太鼓。
一〇 酒をかもす入れものとして。
一一 酒を作つたからか。疑問の已然條件法。
一二 大變にたのしい。
一三 歌曲の名。この二首、琴歌譜にもある。
一四 大阪府南河内郡。
一五 奈良縣生駒郡。
二 奈良縣高市郡。
三 景行天皇の皇子。
四 仁徳天皇。
二 天下の政治をおこないたまえ。
三 天皇の位につきたまえ。
國の
二 京都府宇治郡。
三 京都市。今の桂川の平野。
四 枕詞。葉の多い意で、葛に冠する。
五 澤山充實している村邑も見える。ヤニハは、家屋のある平地。
六 國土のすぐれている所も見える。クニノホは、「國のまほろば」の接頭語接尾語の無い形。
百傳ふ 四
しなだゆふ 八
すくすくと
遇はしし
かもがと 一五
かくもがと
うたたけだに 一六 向ひ
い
二 丸邇氏は、奈良の春日に居住して富み榮え、しばしばその女を皇室に納れている。古事記の歌物語の多くが、この氏と關係がある。後に春日氏となつた。柿本氏もこの別れである。丸邇氏の歌物語については、角川源義君にその研究がある。
三 ヤは提示の助詞。蟹は鹿と共に古代食膳の常用とされ親しまれていたので、これらに扮裝して舞い歌われた。その歌は、そのものの立場において、歌うのでこれもその一つをもととしている。
四 枕詞。多くの土地を傳い行く意という。
五 横あるきをして。
六 いずれも所在不明。
七 枕詞。ニホドリノに同じ。
八 枕詞。段になつて撓んでいる意という。
九 うしろ姿は楯のようだ。ロは接尾語。
一〇 椎のみや菱のようだ。諸説がある。
一一 イチヒの木の立つ井のある。
一二 上の方の土。
一三 枕詞。
一四 頭にあたる。
一五 かようにありたいと。現に今あるようにと。次のかくもがとも同じ。
一六 語義不明。ウタタ(轉)を含むとすれば、その副詞形で、轉じて、今は變わつての意になる。
香ぐはし
三栗の 中つ枝の
ほつもり 四 赤ら孃子を、
いざささば 五
吾が心しぞ いやをこにして 今ぞ悔しき。 (歌謠番號四五)
爭はず 寢しくをしぞも 一三、
二 廣い葉に酒を盛つた。
三 さあ皆の者。子どもは目下の者をいう。
四 語義不明。秀つ守りで、高く守つている意か。目立つてよい意に赤ら孃子を修飾するのだろう。日本書紀にはフホゴモリとある。
五 さあなされたら。ササは、動詞爲の敬語の未然形だろう。動詞
六 敍述による枕詞。
七 大阪市東成區。
八 その池の水をたたえるヰのクヒをうつてあるのが。
九 ニは打消の助動詞ヌの連用形。
一〇 のびていること。ケは時の助動詞キの古い活用形だろうとされる。以上譬喩で、太子の思いがなされていたことをえがく。
一一 遠い土地の。
一二 コハダは日向の國の地名だろう。
一三 寢たことを。上のシは時の助動詞。クはコトの意の助詞。ヲシゾモ、助詞。
佩かせる大刀、
冬木の すからが
横臼に
うまらに 聞こしもちをせ 一〇。
まろが
二 應神天皇の皇子樣。
三 劒の刃先が威力を現している。
四 冬の木の枯れている木の下の。この二句、種々の説がある。
五 劒の清明であるのをたたえた語。
六 白檮の生えているところ。
七 たけの低い臼。その臼で材料をついて酒をかもす。
八 太鼓のような聲を出して。
九 手ぶり物まねなどして。
一〇 うまそうに召しあがれ。ヲセは、食すの命令形。
一一 われらが父よ。
事
二 奈良縣高市郡。既出。別傳か、修理か。
三 不明瞭で諸説がある。
四 奈良縣北葛城郡。
五 百濟の第十三代の近肖古王。
六 キシは尊稱。下同じ。日本書紀に
七 廣く行われている周興嗣次韵の千字文はまだ出來ていなかつた。
八 工人である朝鮮の鍛冶人。
九 大陸風の織物工の西素という人。
一〇 浮かれ立つて。
一一 事の無い愉快な酒。クシは酒。
一二 二上山を越える道。
棹取りに
いきらむと 一〇 心は
い取らむと 心は
いらなけく 一三 そこに思ひ
いきらずぞ
二 あげて張つた幕。天幕。
三 ビナンカズラ。
四 流れながら歌つたというのは、山守部のともがらの演出だからである。現在の昔話に、猿聟入りの話があり、聟の猿が川に落ちて流れながら歌うことがある。
五 枕詞。威力をふるう。ここは宇治川が急流なのでいう。
六 自分のなかまに來てくれ。
七 所在不明。
八 枕詞。つよい人。地名のウヂが、元來威力を意味する語なのであろう。
九 梓弓と檀弓。アヅサはアカメガシハ。マユミはヤマニシキギ。共に弓材になる樹。
一〇 イ切ルで、イは接頭語。切ろうと。
一一 弓の下の方。
一二 弓の上の方。
一三 心のいらいらする形容。
一四 海人だからか、自分の物ゆえに泣く。魚が腐り易いからだという。
二 卵生説話の一。その玉が孃子に化したとする。この點からいえば神婚説話であつて、外來の形を傳えていると見られるのが注意される。
三 大阪市東成區。
四 兵庫縣の北部。
五 垂仁天皇の御代に常世の國に行つて橘を持つて來た人。一〇四頁 [#「一〇四頁」は「垂仁天皇」の「時じくの香の木の實」]參照。
六 神功皇后。
七 珠を緒に貫いたもの二つ。
八 以上四種のヒレは、風や波を起しまたしずめる力のあるもの。浪振るは浪を起す。浪切るは浪をしずめる。風も同樣。ヒレについては四二頁 [#「四二頁」は「大國主の神」の「根の堅州國」]脚註參照。
九 二種の鏡は、海上の平安を守る鏡。オキツは海上遠く、ヘツは海邊。
一〇 兵庫縣出石郡の出石神社。
二 イヅシは地名、前項參照。
三 シタビは、赤く色づくこと。「秋山の下べる妹」(萬葉集)。秋の美を名とした男。春山の霞壯夫と對立する。
四 上下の衣服をぬいで讓り。
五 身長と同じ高さの瓶に酒をかもして。
六 賭事。ウレは、ウラナフ(占う)、ウラ(心)などのウラ、ウレタシ(心痛し)のウレと同語。ヅクは、カケヅク(賭づく)などのヅクで、それに就く意。占いごとで、成るか成らぬかを賭けたのである。
七 藤の蔓。
八 沓の中にはくもの。クツシタ。
九 藤の花が男子に化して婚姻した形になり神婚説話になる。
一〇 われわれの世界では、よく神の行爲に習うべきである。
一一 現實の人間にならつてか、負けたのに賭の物をよこさない。人間の世界は不信で、そのまねをしている。
一二 一節の長さの竹。ヨは竹の節と節との中間をいう。
一三 多くの目のあるあらい籠。
一四 海水の滿干を現すために鹽にまぜる。
一五 その子をして呪い言をさせて。
一六 呪咀の置物。
二 母の妹。
三 繼體天皇は、この王の子孫である。
四 應神天皇の皇子。
五 前に出ない。系統不明。
六 大阪府南河内郡。
二 大阪市東區。今の大阪城の邊。
三 建内の宿禰の子。
二 大阪府北河内郡。
三 大阪府南河内郡。
四 大阪市東成區。前に造つたことが出ている。改修か。
五 淀川の水を通じるために掘つたもので、今の天滿川である。
六 大阪市東成區。
七 大阪市住吉區。
八 食物を作ることが少いので烟が立たない。
九 ミツキはたてまつり物。エダチは勞役。
一〇 水を流す樋。
一一 ヒジリは、知識者の意から貴人をいうようになつたが、漢字の聖にこの語をあて、天皇の世をこのようにいうのは、漢文の影響を受けている。
くろざや 三の まさづこ 四
國へ下らす。 (歌謠番號五三)
出で立ちて わが國見れば、
粟島 七
吉備人と 共にし摘めば、
雲
往くは誰が夫。 (歌謠番號五七)
二 小船が連なつている。
三 語義不明。枕詞だろう。
四 黒日賣の本名であろう。
五 枕詞。海の照り輝く意。
六 ※ [#「土へん+竒」、144-脚注-6]から。
七 阿波の方面から見た四國。
八 所在不明。一九頁 [#「一九頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「島々の生成」]脚註參照。
九 所在不明。アヂマサは、檳榔樹。
一〇 同前。
一一 山の料地。
一二 お吸物。
一三 雲が離れるように退いていても。「大和べに風吹きあげて雲ばなれ
一四 地下水のように下を流れて。
川のぼり 吾がのぼれば、
河の
葉廣 ゆつ
大君ろかも。 (歌謠番號五八)
宮上り 吾がのぼれば、
あをによし 一一 那良を過ぎ、
いしけいしけ
大猪子が 腹にある 二一、
肝向ふ 二二 心をだにか
相
根白の
物申す
涙ぐましも。 (歌謠番號六三)
さわさわに 二八
うち渡す 三〇 やがは
二 御角柏とも書く。葉先が三つになつている樹葉。これに食物を盛る。ウコギ科の常緑喬木、カクレミノ。
三 岡山縣兒島郡から出た壯丁。
四 物の出し入れを扱う女。
五 御承知にならないからか。疑問の已然條件法。
六 淀川をさかのぼつて。
七 枕詞。語義不明。次々に嶺が現れる意かという。
八 シャクナゲ科の常緑喬木。シャシャンボ。
九 神聖な椿。神靈の存在を感じている。
一〇 淀川から上り、木津川を上つて奈良山の山口に來た。
一一 枕詞。語義不明。
一二 枕詞。山の姿の形容か。
一三 大和の國の平野の東方。山手の地。ヤマトの名は、もとこの邊の稱から起つた。
一四 わたしの見たい國は。その國は、奈良や倭を過ぎて行く葛城の地であるの意。
一五 葛城の高地にある宮。皇后の父君、葛城の襲津彦、母君葛城の高額姫、共にこの地に住まれた。
一六 京都府綴喜郡にいる朝鮮の人。
一七 追いつけよ、鳥山よ。
一八 追いついて遇いましよう。
一九 ミモロは、神座をいい、ひいて神社のある所をいふ。ここは葛城の三諸。
二〇 原の名。オホヰコは猪のこと。
二一 上の大猪子が原から引き出している。肝は腹にあるので次の句を修飾する。
二二 枕詞。腹の中には肝が向いあい、そこに心があるとした。
二三 打つて掘り出した大根。
二四 ケは、時の助動詞キの古い活用形で未然形。
二五 雨が降つて急に出る水。
二六 美裝で、雄略天皇の卷にも見える。アヲズリは、青い染料をすりつけて染めること。
二七 蠶である。蠶のはじめは三五頁 [#「三五頁」は「須佐の男の命」の「穀物の種」]の神話に見えているが、それは神話のことで、大陸や朝鮮との交通によつて養蠶がおこなわれるようになつたのである。
二八 さわぎ立てる形容。
二九 語法上問題がある。セは敬語の助動詞スの已然形とすれば、動詞言うの未然形に接續するはずであるのに、イヘセとなつているのは、言うが下二段活か。とにかく已然條件法であろう。
三〇 見渡したところの。
三一 茂つた木の枝のように。人々をつれて來入ることの形容。
三二 歌曲の名。志都歌があつて、それに附隨して歌い返す歌の意であろう。
子持たず 立ちか荒れなむ。
あたら
あたら
高行くや 速總別、
岩かきかねて 一一
妹と登れば 嶮しくもあらず。 (歌謠番號七一)
二 嫉妬づよく、もてあましている。
三 思うようになされない。
四 織らす機に同じ。お織りになつている機おり物。
五 ロは接尾語。
六 敍述による枕詞。
七 御おすいの材料。オスヒは既出。
八 高行くの譬喩。
九 奈良縣磯城郡の東方の山。
一〇 敍述による枕詞。階段を立てる意で倉を修飾する。
一一 岩に手をかけ得ないで。「霰ふる
一二 奈良縣宇陀郡。
一三 美しい腕輪。
一四 諸家の女たちが宮廷に出た。
一五 御酒を盛つた御綱栢。
一六 ハヤブサワケと女鳥の王。
そらみつ 五
雁
まこそに 七 問ひたまへ。
そらみつ 日本の國に
雁は子産らし。 (歌謠番號七四)
二 枕詞。語義不明。
三 宮廷に仕える臣下。建内の宿禰のこと。
四 世の中に長くいる人。
五 枕詞。ニギハヤヒの命が天から降下する時に、大和の國を空中から見たことからはじまるとする傳えがある。
六 もつともなことに。シは強意の助詞。
七 マは眞實。
八 歌曲の名。
掻き彈くや 三
振れ立つ
二 大阪府中河内郡。信貴山。
三 ヤは間投の助詞。
四 大阪灣口の由良海峽。(紀淡海峽)。
五 海中の石、暗礁。
六 海水に浸つている木のように。
七 音のさやかであること。
八 大阪府泉南郡。この御陵は、天皇生前に工事をした。その時に鹿の耳の中からモズが飛び出したから地名とするという。
寢むと知りせば。 (歌謠番號七六)
かぎろひの 一〇 燃ゆる家
道問へば
二 奈良縣磯城郡。
三 一六八頁 [#「一六八頁」は「安康天皇」の「市の邊の押齒の王」]・一八二頁[#「一八二頁」は「清寧天皇・顯宗天皇・仁賢天皇」の「志自牟の新室樂」]・一八五頁[#「一八五頁」は「清寧天皇・顯宗天皇・仁賢天皇」の「顯宗天皇」]に物語がある。
四 大嘗祭をなすつて。
五 浮かれて。
六 大阪府南河内郡。
七 コモを編んで風の防ぎとする屏風。
八 持つて來たろうに。假設の語法。
九 大阪府南河内郡から大和に越える坂。
一〇 譬喩による枕詞。カギロヒは陽炎。
一一 奈良縣北葛城郡の
一二 まつすぐにとは言わないで。
一三 奈良縣山邊郡の石上の神宮。
一四 反正天皇。
一五 九州南方の住民。勇敢なので召し出して宮廷の護衞としている。
一六 その本身を。
一七 顏をかくすような大きな椀。
一八 大和の飛鳥に對していう。
一九 隼人を殺して穢を生じたので、それを拂う行事をして。
二〇 石上の神宮。天皇の御座所。
二一 奈良縣高市郡の飛鳥。
二二 物の出納をつかさどる役。
二三 領地。
二 大阪府南河内郡。
三 珠を緒にさしたようだ。
二 金が姓、武が名。波鎭漢紀は、位置階級の稱。
三 ウヂは家の稱號、カバネは家の階級であつて朝廷から賜わるものである。家系を尊重した當時にあつては、これを社會組織の根本とした。しかるに長い間には、自然に誤るものもあり、故意に僞るものも出た。
四 飛鳥の地で、マガツヒの神を祭つてある所。この神の威力により僞れる者に禍を與えようとする。マガツヒの神は二七頁 [#「二七頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「身禊」]參照。
五 湯を涌かしてその中の物を探らせる鍋。
六 多くの人々。
七 大阪府南河内郡。
山
下
下泣きに 吾が泣く妻を 六、
たしだしに 一〇
人は
うるはしと 一二 さ
刈
さ寢しさ寢てば。 (歌謠番號八一)
かな
雨立ち
落ちにきと 宮人とよむ 二一。
里人もゆめ 二二。 (歌謠番號八三)
いた泣かば 人知りぬべし。
下泣きに泣く。 (歌謠番號八四)
したたにも 二八 倚り
輕孃子ども。 (歌謠番號八五)
言をこそ 疊と言はめ。
吾が妻はゆめ 三四。 (歌謠番號八七)
山たづの 四一
待つには待たじ。 (ここに山たづといへるは、今の造木なり) (歌謠番號八九)
さ
思ひ妻あはれ。
梓弓 五一 立てり立てりも、
後も取り見る 五二 思ひ妻あはれ。 (歌謠番號九〇)
ま杙には ま玉を掛け 五四、
ま玉なす
鏡なす
ありと いはばこそよ、
家にも行かめ。國をも
二 異母の兄弟の婚姻はさしつかえないが、同母の場合は不倫とされる。
三 枕詞。語義不明。
四 地下に木で水の流れる道を作つて。以上譬喩による序。
五 人に知らせないでひそかに問いよる妻。
六 心の中でわが泣いている妻。
七 この夜。今過ぎて行く夜。
八 歌曲の名。しり上げ歌の意という。
九 以上、譬喩による序。ヤは感動の助詞。
一〇 たしかに、しかと。
一一 あの子は別れてもしかたがない。
一二 愛する人と。
一三 枕詞。
一四 歌曲の名。夷振は五六頁 [#「五六頁」は「天照らす大御神と大國主の神」の「天若日子」]に出た。
一五 安康天皇。
一六 物部氏。大前と小前との二人である。
一七 胴に同じ。矢の柄。但し異説がある。
一八 堅固な門。
一九 舞い躍つて。
二〇 袴を結ぶ紐につけた鈴。
二一 宮廷の人が立ちさわぐ。
二二 里の人もさわぐな。宮人がさわいでいるが、そんなに騷ぎを大きくするな。
二三 歌曲の名。
二四 天皇である皇子樣。
二五 枕詞。天飛ぶ雁の意に、カルの音に冠する。
二六 所在不明。
二七 鳩のように。
二八 したたかに。しつかりと。
二九 倚り寢て行き去れ。
三〇 愛媛縣の松山市の 泉地。道後 泉。
三一 歌曲の名。歌詞によつて名づける。
三二 その船の餘地で。
三三 わたしの座所をそのままにしておけ。タタミは敷物。人の去つた跡を動かすと、その人が歸つて來ないとする思想がある。
三四 わたしの妻に手をつけるな。
三五 歌曲の名。
三六 輕の大郎女。
三七 敍述による枕詞。
三八 所在不明。
三九 夜があけてからいらつしやい。
四〇 時久しくなつた。
四一 枕詞。次に説明があるが、それでもあきらかでない。ヤマタヅは、樹名今のニワトコで、葉が對生しているから、ムカヘに冠するという。「君が行きけ長くなりぬ山たづね迎へか行かむ待ちにか待たむ」(萬葉集)。
四二 ヲは間投の助詞。
四三 枕詞。山につつまれている處の意。
四四 奈良縣磯城郡。
四五 ヲは高い土地。
四六 サは接頭語。大尾と共にあちこちの高みのところに。以上、次の句の序。
四七 語義不明。上の大尾にと同語を繰り返してオヨソの意を現すか、または別の副詞か。
四八 あなたの妻ときめた。動詞定むが四段活になつている。
四九 枕詞。槻の木の弓。
五〇 伏しても。ころがる意の動詞コユが再活して、伏しまろぶ意にコヤルと言つている。
五一 枕詞。
五二 後も近く見る。
五三 清淨の杙。祭を行うために杙をうつ。
五四 以上序で、次の玉と鏡の二つの枕詞を引き出す。川中に柱を立てて玉や鏡を懸けるのは、これによつて神を招いて穢を拂うのである。「こもりくの泊瀬の川の、上つ瀬に齋杙をうち、下つ瀬にま杙をうち、齋杙には鏡をかけ、ま杙にはま玉をかけ、ま玉なすわが念ふ妹も、鏡なすわが念ふ妹も、ありと言はばこそ、國にも家にも行かめ、誰が故か行かむ」(萬葉集)。
五五 歌曲の名。
二 奈良縣山邊郡。
三 雄略天皇。
四 仁徳天皇の皇子。
五 禮儀を現す贈物。
六 大きい木で作つた縵。玉は美稱。カヅラは、植物を輪にして頭上にのせる。二五頁 [#「二五頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「黄泉の國」]參照。この縵、日本書紀に別名として、立縵、
七 わしの妹が、同じ仲間の使い女になろうか。ならないの意。
八 刀の柄をしかとにぎつて。
九 允恭天皇の皇女で安康天皇の同母妹に當るから、何か誤傳があるのだろうという。日本書紀には
一〇 九二頁 [#「九二頁」は「崇神天皇」の「美和の大物主」]脚註參照。
一一 先の夫大日下の王の子。
一二 わるい心。自分を憎む心。
一三 日本書紀に葛城の圓の大臣。オホミは大臣で尊稱。
一四 奈良縣生駒郡。
一五 奈良縣高市郡。
一六 ツブラオホミに同じ。オミはオホミの約言。
一七 ツブラオミの女カラヒメ。
一八 前にお尋ねになつた女はさしあげます。
一九 註にあるように葛城の五村の倉庫。
二〇 臣や連が。共に朝廷の臣下。
二 滋賀縣愛知郡。
三 履中天皇の皇子。
四 變つたものをいう皇子だから注意しなさい。
五 馬上で進んで並んで。
六 馬の食物を入れる箱。
七 土と共に埋めた。
八 後の仁賢天皇と顯宗天皇。
九 京都府相樂郡。
一〇 豚を飼う者。
一一 淀川。
一二 兵庫縣の南部。
一三 兵庫縣
一四 馬や牛を飼う者として使われた。なおこの物語は一八二頁 [#「一八二頁」は「清寧天皇・顯宗天皇・仁賢天皇」の「志自牟の新室樂」]に續く。
二 奈良縣磯城郡。
三 中國南方の人。
四 奈良縣高市郡。
立ち
本には いくみ
いくみ竹 いくみは寢ず 一二、
たしみ竹 たしには
後もくみ寢む その思妻、あはれ。 (歌謠番號九二)
二 生駒山のくらがり峠を越える道。大和から直線的に越えるので直越という。
三 屋根の上に堅魚のような形の木を載せて作つた家。大きな屋根の家。カツヲは、堅魚木の意。屋根の頂上に何本も横に載せて、葺草を押える材。
四 敬意を表するための贈物。
五 妻を求むる贈物。
六 今立つている山、生駒山。
七 枕詞。既出。
八 奈良縣生駒郡の山。既出。
九 あちこちの。
一〇 茂つた竹。
一一 しつかりした竹。
一二 密接しては寢ず。
一三 しかとは共に寢ず。
若くへに 九
老いにけるかも。 (歌謠番號九四)
神の宮人。 (歌謠番號九五)
ともしきろかも。 (歌謠番號九六)
二 心がはれないのに堪えない。
三 多くの進物。
四 神社の嚴然たる白檮の木の下。
五 憚るべきである。
六 白檮原に住む孃子。引田部の赤猪子を、その住所によつていう。
七 三輪山近くの地名。
八 若い栗の木の原。
九 若い時代に。
一〇 赤い染料ですりつけて染めた衣服の袖。
一一 ヤは感動の助詞。神社で作る垣。
一二 作り殘して。作ることが出來ないで。
一三 誰にたよりましようか。この歌、琴歌譜に載せ、垂仁天皇がお妃と共に三輪山にお登りになつた時の歌とする別傳を載せている。
一四 大和川が作つている江。
一五 以上譬喩。
一六 歌曲の名。
彈く琴に する
やすみしし
その虻を
かくのごと 名に負はむと、
そらみつ
二 永久にありたい。常世は永久の世界。
三 吉野山中にある。藤原の宮時代の吉野の宮の所在地。
四 吉野山中の一峰だろうが、所在不明。
五 天皇の御前。
六 白い織物の衣服の袖を著用している。
七 腕の肉の高いところ。
遊ばしし 二 猪の、
わが 逃げ登りし、
あり
二 射とめたの敬語法。
三 そこにある岡の。
四 ヲは山の稜線。
五 天皇の行列と同樣に。
六 わしは凶事も一言、吉事も一言で、きめてしまう神の、葛城の一言主の神だ。この神の一言で、吉凶が定まるとする思想。これは託宣に現れる神であるが、この時に現實に出たとするのである。
七 現實のお姿があろうとは思いませんでした。ウツシは現實にある意の形容詞。オミは相手の敬稱。この語、原文「宇都志意美」。從來、現し御身の義とされたが、美はミの甲類の音で、身の音と違う。
八 山のはしに集まつて。
九 天皇の皇居である。
朝日の 日
夕日の 日
竹の根の
ま
百
中つ枝は
中つ枝に 落ち觸らばへ 一二、
中つ枝の 枝の末葉は
あり
浮きし
こしも あやにかしこし。
高光る 日の御子。
事の 語りごとも こをば 一七。 (歌謠番號一〇一)
そが葉の 廣りいまし、
その花の 照りいます
高光る 日の御子に、
事の 語りごとも こをば。 (歌謠番號一〇二)
今日もかも
高光る 日の宮人。
事の 語りごとも こをば。 (歌謠番號一〇三)
秀 取り 堅く取らせ。
秀 取らす子。 (歌謠番號一〇四)
夕戸には い倚り
板にもが。
二 金屬の鋤もたくさんほしい。
三 枝のしげつた槻の木。
四 伊勢の國の三重の地から出た采女。ウネメは、地方の豪族の女子を召し出して宮廷に奉仕させる。後に法制化される。
五 景行天皇の皇居。長谷の朝倉の宮とは、離れている。この歌は歌曲の歌で、その物語を雄略天皇の事として取り上げたものだろう。
六 根の張つている宮。
七 枕詞。たくさんの土。
八 杵でつき堅めた宮。
九 新穀で祭をする家屋。
一〇 枝が茂つて充實している。
一一 東方をせおつている。
一二 續いて觸れている。
一三 枕詞。そこにある衣の三重と修飾する。
一四 ミヅは生氣のある。美しい盃。
一五 浮いた脂のように落ち漂つて。ナヅサヒは、水を分ける。
一六 水がごろごろして。この數句、天地の初發の神話に見える句で、その神話の傳え手との關係を思わせるものがある。
一七 四五頁 [#「四五頁」は「大國主の神」の「八千矛の神の歌物語」]參照。
一八 皇后。
一九 高いところ。
二〇 市の高み。
二一 奉るの敬語の命令形。
二二 譬喩による枕詞。鶉は頭から胸にかけて白い斑があるので、領布をかけるに冠する。
二三 四二頁 [#「四二頁」は「大國主の神」の「根の堅州國」]參照。
二四 譬喩。セキレイ。
二五 譬喩による枕詞。
二六 酒宴をするらしい。
二七 歌曲の名。
二八 枕詞。オミ(大きい水、海)に冠する。
二九 たけの高い酒瓶をお取りになる。
三〇 歌曲の名。酒盃の歌の意。
三一 朝の御座。
三二 よりかかる机、脇息。
三三 はやし詞。
三四 歌曲の名。
三五 大阪府南河内郡。
二 奈良縣磯城郡。
三 奈良縣南葛城郡。
二 朝廷に仕える部族。古くは武士には限らない。
三 大刀の柄に赤い畫をかき。
四 赤い織物を切つて。
五 竹の末をおし伏せるように。勢いのよい形容。
六 絃の多い琴をひくように。さかんにの形容。
七 履中天皇。
八 われらはその子孫である。
臣の子の 八重の柴垣
入り立たずあり。 (歌謠番號一〇八)
遊び來る
妻立てり見ゆ。 (歌謠番號一〇九)
鮪衝く鮪 一〇。 (歌謠番號一一一)
二 あちらの出ている所。
三 大工が下手だから。
四 心がゆるいので。
五 海水の瀬にうちかかる波を見れば。ナヲリは、波がよせてくずれるもの。
六 多くの小間で結んで、結び らしてあるが。
七 枕詞。大きい魚よ。
八 シビは、マグロの大きいもの。ここは志毘の臣をいう。モリで突くから、シビツクという。
九 志毘があるので、姫が心中戀しく思われるだろう。
一〇 その鮪を突く、鮪を。この歌、宣長は、別の時の王子の歌といい、橘守部は、志毘の臣の歌だという。
一一 歌をかけ合つて夜を明かして。
一二 オケの命に同じ。仁賢天皇。元來、この兄弟は、オホ(大)、ヲ(小)を冠する御名になつているので、オケのオも大の意である。
一三 あなたが名を顯さなかつたとしたら。
百傳ふ 八
置目
明日よりは み山
見えずかもあらむ。 (歌謠番號一一三)
二 大阪府南河内郡。
三 先が三つに別れた大きい齒であつた。
四 一六八頁 [#「一六八頁」は「安康天皇」の「市の邊の押齒の王」]に出た佐佐紀の山の君の祖。
五 見ておいたお婆さん。
六 大形の鈴。
七 淺茅の原や谷を過ぎて。さまざまの地形を通つて。
八 方々傳つて。
九 置目と呼びかける語法。モヤは感動の助詞。この句、日本書紀に「置目もよ」。
一〇 所在不明。
一一 雄略天皇。
一二 既に崩ぜられたのでかくいう。
一三 また考えれば。
一四 雄略天皇と押齒の王とは仁徳天皇の孫で從兄弟であり、仁賢顯宗の兩天皇からは、雄略天皇は、父のいとこに當る。
一五 奈良縣北葛城郡。
二 奈良縣山邊郡。
二 奈良縣磯城郡。
三 奈良縣北葛城郡。
四 應神天皇。
五 オホホドの王の系統であるが、古事記日本書紀にはその系譜は記されない。ただ釋日本紀に引いた上宮記という今日亡んだ書にだけその系譜が見える。應神天皇―若野毛二俣の王―意富富杼の王―宇非の王―彦大人の王―袁本杼の王。
二 奈良縣磯城郡。
三 次に茨田の郎女以下、底本に「次田郎女次田郎女次白坂沽日子郎女次野郎女亦名長目比賣、二柱」とあり、古事記傳に「次茨田郎女次馬來田郎女三柱、又娶茨田連小望之女關比賣生御子茨田大郎女次白坂活日子郎女次小野郎女亦名長目比賣三柱」とする。
四 福岡縣久留米市の附近に居た豪族。
五 大阪府三島郡。
二 奈良縣高市郡。
三 大阪府南河内郡。
二 奈良縣高市郡。
三 欽明天皇。この天皇の記事にも御陵の事がない。
二 宣化天皇。
二 奈良縣磯城郡。
三 舒明天皇。この即位の事は、古事記の記事中もつとも新しい事實である。
四 大阪府南河内郡。
二 奈良縣磯城郡。
三 聖徳太子。
四 奈良縣磯城郡。
二 奈良縣磯城郡。
三 同前。
二 奈良縣高市郡。
三 奈良縣宇陀郡。
四 大阪府南河内郡。
底本:「古事記」角川文庫、角川書店
1956(昭和31)年5月20日初版発行
1965(昭和40)年9月20日20版発行
底本の親本:「眞福寺本」
※底本は校注が脚註の形で配置されています。このファイルでは校註者が追加した標題ごとに、書き下し文、校注の順序で編成しました。その際、校注は二字下げとしました。
※〔〕は底本の親本にはないもので、校註者が補った箇所を表します。
※頁数を引用している箇所には校註者が追加した標題を注記しました。
※底本は書き下し文のみ歴史的かなづかいで、その他は新かなづかいです。なお拗音・促音は小書きではありません。
入力:川山隆
校正:しだひろし
2013年5月21日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、 青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。