道てふ物の論
皇大御國 は、 掛 まくも 可畏 き 神御祖 天照大御神 の、 御生坐 る 大御國 にして、
萬國に 勝 れたる 所由 は、 先 こゝにいちじるし。國という國に、 此 大御神の 大御德 かゞふらぬ國あらめや。
大御神、 大御手 に 天 つ 璽 を 捧持 して、
御代御代に 御 しるしと 傳 はり 來 つる、 三種 の 神寶 は是ぞ。
萬千秋 の 長秋 に、 吾御子 のしろしめさむ國なりと、ことよさし 賜 へりしまにまに、
天津日嗣 高御座 の、天地の 共動 かぬことは、 既 くこゝに定まりつ。
天雲 のむかぶすかぎり、 谷蟇 のさわたるきはみ、 皇御孫 命の 大御食國 とさだまりて、 天下 にはあらぶる神もなく、まつろわぬ人もなく、
いく萬代を 經 とも、 誰 しの 奴 か、 大皇 に 背 き 奉 む。あなかしこ、御代御代の 間 に、たまたまも 上伏惡穢奴 もあれば、神代の 古事 のまにまに、 大御稜威 をかゞやかして、たちまちにうち 滅 し給ふ物ぞ。
千萬御世 の 御末 の御代まで、 天皇命 はしも、大御神の 御子 とましまして、
御世御世の 天皇 は、すなわち天照大御神の御子になも 大座 ます。 故 天 つ神の御子とも、日の御子ともまをせり。
天 つ神の御子を大御心として、
何 わざも、 己命 の御心もてさかしだち賜はずて、たゞ神代の 古事 のまにまに、おこなひたまひ 治 め賜ひて、 疑 ひおもほす事しあるをりは、 御卜事 もて、 天 神の御心を 問 して物し給ふ。
神代も今もへだてなく、
たゞ 天津日嗣 の 然 ましますのみならず、 臣連八十伴緒 にいたるまで、 氏 かばねを 重 みして 子孫 の 八十續 、その 家々 の 職業 をうけつがひつゝ、 祖神 たちに 異 ならず、 只一世 の如くにして、神代のまゝに 奉仕 れり。
神 ながら 安國 と、 平 けく 所知看 しける大御國になもありければ、
書紀の 難波長柄朝廷御巻 に、 惟神者 、 謂隨神道亦自有神道 也とあるを、よく思ふべし。 神 道に 隨 ふとは、 天 下 治 め賜ふ 御 しわざは、たゞ神代より 有 こしまにまに物し賜ひて、いさゝかもさかしらを 加 へ給ふことなきをいふ。さてしか神代のまにまに、 大 らかに 所知看 せば、おのづから神の道はたらひて、 他 にもとむべきことなきを、 自有神道 とはいふなりけり。かれ 現御神 と 大八洲國 しろしめすと申すも、 其 御世々々の天皇の 御政 、やがて神の 御政 なる意なり。萬葉集の哥などに、 神隨云々 とあるも、同じこゝろぞ、 神國 と 韓人 の申せりしも、 諾 にぞ 有 ける。
古 の 大御世 には、 道 といふ 言擧 もさらになかりき。
故古語 に、あしはらの 水穗 の國は、 神 ながら 言擧 せぬ國といへり。
其 はたゞ物にゆく道こそ 有 けれ。
美知 とは、古事記に 味御路 と書る如く、 山路野路 などの 路 に、 御 てふ言を 添 たるにて、たゞ物にゆく路ぞ。これをおきては、 上 代に、道といふものはなかりしぞかし。
物のことわりあるべきすべ、 萬 の 敎 へごとをしも、 何 の道くれの道といふことは、 異國 のさだなり。
異國 は、天照大御神の御國にあらざるが故に、 定 まれる 主 なくして、 狹蠅 なす神ところを得て、あらぶるによりて、人心あしく、ならはしみだりがはしくして、國をし 取 つれば、賤しき 奴 も、たちまちに君ともなれば、 上 とある人は、下なる人に 奪 はれじとかまへ、下なるは、 上 のひまをうかゞひて、うばゝむとはかりて、かたみに 仇 みつゝ、 古 より國 治 まりがたくなも 有 ける。 其 が中に、 威力 あり 智 り深くて、人をなつけ、人の國を 奪 ひ取て、又人にうばはるまじき 事量 をよくして、しばし國をよく治めて、後の 法 ともなしたる人を、もろこしには聖人とぞ云なる。たとへば、 亂 れたる世には、 戰 にならふゆゑに、おのづから 吊將 おほくいでくるが如く、國の 風俗 あしくして、治まりがたきを、あながちに治めむとするから、世々にそのすべをさまざま思ひめぐらし、 爲 むならひたるゆゑに、しかかしこき人どももいできつるなりけり。然るをこの聖人といふものは、神のごとよにすぐれて、おのづからに 奇 しき 德 あるものと思ふは、ひがことなり。さて 其 聖人どもの作りかまへて、定めおきつることをなも、道とはいふなる。かゝれば、からくにゝして道といふ物も、 其旨 をきはむれば、たゞ人の國をうばはむがためと、人に 奪 はるまじきかまへとの、 二 にはすぎずなもある。そもそも人の國を 奪 ひ 取 むとはかるには、よろづに心をくだき、身をくるしめつゝ、 善 ことのかぎりをして、 諸人 をなつけたる故に、聖人はまことに 善人 めきて聞え、又そのつくりおきつる道のさまも、うるはしくよろづにたらひて、めでたくは見ゆめれども、まづ 己 からその道に 背 きて、君をほろぼし、國をうばへるものにしあれば、みないつはりにて、まことはよき人にあらず。いともいとも 惡 き人なりけり。もとよりしか 穢惡 き心もて作りて、人をあざむく道なるけにや、 後 人も、うはべこそたふとみしたがひがほにもてなすめれど、まことには一人も 守 りつとむる人なければ、、國のたすけとなることもなく、 其 吊のみひろごりて、つひに世に 行 はるゝことなくて、聖人の道は、たゞいたづらに、人をそしる世々の 儒者 どもの、さへづりぐさとぞなれりける。然るに儒者の、たゞ六經などいふ書をのみとらへて、 彼 國をしも、道 正 しき國ぞと、いひのゝしるは、いたくたがへることなり。かく道といふことを作りて 正 すは、もと道の正しからぬが故のわざなるを、かへりてたけきことに思ひいふこそをこなれ。そも 後 人、 此 道のまゝに行なはゞこそあらめ、さる人は、よゝに一人だに 有 がたきことは、かの國の世々の 史 どもを見てもしるき物をや。さて其道といふ物のさまは、いかなるぞといへば、仁義禮讓孝悌忠信などいふ、こちたき吊どもを、くさぐさ作り 設 て、人をきびしく教へおもむけむとぞすなる。さるは 後 世の法律を、先王の道にそむけりとて、 儒者 はそしれども、先王の道も、 古 の法律なるものをや。また 易 などいふ物をさへ作りて、いともこゝろふかげにいひなして、天地の 理 をきはめつくしたりと思ふよ。これはた世人をなつけ治めむための、たばかり事ぞ。そもそも天地のことわりはしも、すべて神の 御所爲 にして、いともいとも 妙 に 奇 しく、 靈 しきものにしあれば、さらに人のかぎりある 智 りもては、 測 りがたきわざなるを、いかでかよくきわめつくして知ることのあらむ。然るに聖人のいへる言をば、 何 ごともたゞ 理 の 至極 と、 信 たふとみをるこそいと 愚 なれ。かくてその聖人どもの仕業にならひて、 後々 の人どもゝ、よろづのことを、 己 がさとりもておしはかりごとするぞ、 彼 國のくせなる。 大御國 の物學びせむ人、 是 をよく心得をりて、ゆめから人の 説 になまどはされそ。すべて 彼 國は、事 毎 にあまりこまかに心を 着 て、かにかくに 論 ひさだむる故に、なべて人の心さかしだち 惡 くなりて、中々に事をしゝこらかしつゝ、いよいよ國は治まりがたくのみなりゆくめり。されば聖人の道は、國を治めむために作りて、かへりて國を 亂 すたねともなる物ぞ。すべて 何 わざも、 大 らかにして事 足 ぬることは、さてあるこそよけれ。 故 皇國の 古 は、さる 言痛 さ 教 も 何 もなかりしかど、下が下までみだるゝことなく、 天 下は 穩 に治まりて、天津日継いや 遠長 に傳はり 來坐 り。さればかの 異國 の吊にならひていはゞ、 是 ぞ 上 もなき 優 たる 大 き道にして、 實 は道あるが故に道てふ 言 なく、道てふことなけれど、 道 ありしなりけり。そをことごとしくいひあぐると、然らぬとのけぢめを思へ。 言擧 せずとは、あだし國のごと、こちたく 言 たつることなきを云なり。 譬 ば 才 も 何 も、すぐれたる人はいひたてぬを、なまなまのわろものぞ、返りていさゝかの事をも、ことごとしく 言 あげつゝほこるめる如く、 漢國 などは、道ともしきゆゑに、かへりて 道々 しきことをのみ 云 あへるなり。 儒者 はこゝをえしらで、皇國をしも、道なしとかろしむるよ。儒者のえしらぬは、 萬 に 漢 を 尊 き物に思へる心は、なほさも 有 なむを、 此方 の物 知 人さへに、 是 をえさとらずて、かの道てふことある漢國をうらやみて、 強 てこゝにも道ありと、あらぬことゞもをいひつゝ 爭 ふは、たとへば、 猿 どもの人を見て、 毛 なきぞとわらふを、人の 恥 て、おのれも 毛 はある物をといひて、こまかなるをしひて 求出 て見せて、あらそふが如し。 毛 は 無 きが貴きをもしらぬ、 癡人 のしわざにあらずや。
然るをやゝ 降 りて、 書籍 といふ物 渡參來 て、 其 を 學 びよむ事 始 まりて 後 、 其 国のてぶりをならひて、やゝ 萬 のうへにまじへ用ひられるゝ御代になりてぞ、大御國の 古 の 大御 てぶりをば、 取別 て 神道 とはなづけられたりける。そはかの 外國 の 道々 にまがふがゆゑに、 神 といひ、又かの吊を 借 りて、こゝにも 道 とはいふなりけり。
神の道としもいふ 所由 は、下につばらかにとく。
しかありて御代々々を 經 るまゝに、いやますますに、その 漢 国のてぶりをしたひまねぶこと、 盛 にありもてゆきつゝ、つひに天の下 所知看 す 大御政 も、もはら漢様に 爲 はてゝ、
難波の 長柄 宮、 淡海 の大 津 宮のほどに至りて、天の下の 御制度 も、みな 漢 になりき。かくて後は、古の 御 てぶりは、たゞ 神事 にのみ用ひ賜へり。 故 後 代までも、 神事 にのみは、皇のてぶりの、なほのこれることおほきぞかし。
青人草 の心までぞ、 其意 にうつりにける。
天皇尊 の大御心を心とせずして、 己々 がさかしらごころを心とするは、 漢意 の 移 れるなり。
さてこそ 安 けく 平 けく 有來 し御国の、みだりがはしきこといできつゝ、 異國 にやゝ 似 たることも、後にはまじりきにけれ。
いともめでたき 大御國 の道をおきながら、 他國 のさかしく 言痛 き 意行 を、よきことゝして、ならひまねべるから、 直 く 清 かりし心も 行 ひも、みな 穢惡 くまがりゆきて、後つひには、かの 他國 のきびしき道ならずては、治まりがたきが如くなれるぞかし。さる後のありさまを見て、聖人の道ならずては、國は治まりがたき物ぞと思ふめるは、しか治まりがたくなりぬるは、もと聖人の道の 蔽 なることを、えさとらぬなり。 古 の大御代に、其道をからずて、いとよく治まりしを思へ。
そもそも 此 天地 のあひだに、 有 とある事は、 悉 皆に神の御心なる中に、
凡て 此 世 中の事は、春秋のゆきかわり、雨ふり風ふくたぐひ、又國のうへ人のうへの、 吉凶 き 萬 事、みなことごとに神の 御所爲 なり。さて神には、 善 もあり 惡 きも 有 て、 所行 もそれにしたがふなれば、大かた 尋常 のことわりを以ては、 測 りがたきわざなりかし。然るを 世 人、かしこきもおろかなるもおしなべて、 外國 の道々の 説 にのみ 惑 ひはてゝ、 此 意をえしらず、皇國の 學門 する人などは、 古書 を見て、 必 知 べきわざなるを、さる人どもだに、えわきまへ 知 ざるは、いかにぞや。抑 吉凶 き 萬 の事を、あだし國にて、佛の道には因果とし、 漢 の道々には天命といひて、天のなすわざと思へり。これらみなひがことなり。そが中に 佛 道 説 は、多く世の 學者 の、よく 辨 へつることなれば、今いはず。 漢國 の天命の 説 は、かしこき人もみな 惑 ひて、いまだひがことなることをさとれる人なければ、今これを 論 ひさとさむ。抑天命といふことは、 彼 國にて古に、君を 滅 し國を 奪 ひし聖人の、 己 が罪をのがれむために、かまへ 出 たる 託言 なり。まことには、天地は心ある物にあらざれば、 命 あるべくもあらず、もしまことに天に心あり、 理 もありて、 善人 に國を 與 へて、よく治めしめむとならば、周の代のはてかたにも、 必 又聖人は出ぬべきを、さもあらざりしはいかにぞ、もし周公孔子にして、 既 に道は 備 れる故に、其後は聖人を 出 さずといはむも、又心得ず。かの孔丘が後、 其 道あまねく世に行はれて、國よく治まりたらむにこそさもいはめ。其後しもいよよ 其 道はすたれはてゝ、 徒言 となり、國もますますみだれつる物を、今はたれりとして、聖人をも 出 さず、國の 厄 をもかへりみず、つひに 秦 始皇がごと 荒 ぶる人にしも 與 へて、 人草 を 苦 しめしは、いかなる天のひがこゝろぞ。いといといぶかし。始皇などは、天のあたへしに非る故に、久しくはえたもたず、ともいひ 枉 べけれど、そも 暫 にても、さる 惡人 にあたふべき理あらめやも。又國をしる君のうへに、天命のあらば、下なる 諸人 のうへにも、 善惡 きしるしを見せて、 善 人はながく 福 え、 惡 人は 速 けく 禍 るべき理なるを、さはあらずて、よき人も 凶 く、あしき人も 吉 きたぐひ、 昔 も今も多かるはいかに。もしまことに天のしわざならましかば、さるひがことはあらましや。さて 後 世になりては、やうやく人心さかしきゆゑに、國を奪ひて天命ぞといふをば、 世 人の 諾 なはねば、うはべは 禪 らせて 取 こともあるをば、よからぬことにいふめれど、かの 古 の聖人どもも、 實 は是に 異 ならぬ物をや。 後 世の王の天命ぞといふをば、 信 ぬものゝ、 古 人の天命をば、まことゝ心得をるは、いかなるまどひぞも。 古 は天命ありて、後にはなきこそをかしけれ。或人、舜は堯が國をうばひ、禹も又舜が國を奪へりしなりといへるも、さも有べきことぞ。 後 世の王莽曹操がたぐひも、うはべはゆづりを 受 て 嗣 つれども、 實 は 簒 へるを以て思へば、舜禹などもさぞありけむを、 上 代は 朴 にして、禪れりと 云 なせるを、まことゝ心得て、 國内 の人ども、みなあざむかれにけらし。かの莽操がころは、 世 人さかしくて、あざむかれざりし故に、 惡 きしわざのあらはれけむ。かれらが如くなる 輩 も、 上 代ならなしかば、あはれ聖人と 仰 がれなましものを。
禍津日 神の 御 心のあらびはしも、せむすべなく、いとも 悲 しきわざにぞありける。
世間 に、物あしくそこなひなど、凡て 何事 も、正しき 理 のまゝにはえあらずて、 邪 なることも多かるは、皆 此 神の御心にして、 甚 く 荒 び 坐 時は、天照大御神高 木 大神の大御力にも、 制 みかね賜ふをりもあれば、まして人の力には、いかにともせむすべなし。かの 善 人も 禍 り、 惡 人も 福 ゆるたぐひ、 尋常 の 理 にさかへる事の多かるも、 此 神の 所爲 なるを、外國には、神代の正しき 傳説 なくして、 此 所由 をえしらざるが故に、たゞ天命の説を 立 て、 何事 もみな、 當然理 を以って定めむとするこそ、いとをこなれ。
然 れども、天照大御神 高天原 に 大坐々 て、 大御光 はいさゝかも 曇 りまさず、 此 世を 御照 しましまし、 天津御璽 はた、はふれまさず 傳 はり 坐 て、 事依 し賜ひしまにまに、天の下は 御孫命 の 所知食 て、
異國 は、本より主の定まれるがなければ、たゞ 人 もたちまち王になり、王もたちまちたゞ人にもなり、 亡 びうせもする、 古 よりの 風俗 なり。さて國を 取 むと 謀 りて、えとらざる 者 をば、賊といひて 賤 しめにくみ、 取 得たる者をば、聖人といひて 尊 み 仰 ぐめり。さればいはゆる聖人も、たゞ賊の 爲 とげたる者にぞ 有 ける。 掛 けまくも 可畏 きや 吾天皇尊 はしも、 然 るいやしき國々の王どもと、 等 なみには坐まさず。 此 御國を 生成 たまへる。 神祖 命の、 御 みづから 授 賜へる 皇統 にましまして、天地の 始 より、大御 食國 と定まりたる 天 下にして、大御神の 大命 にも、天皇 惡 く 坐 まさば、 莫 まつろひそとは 詔 たまわずあれば、 善 く 坐 むも 惡 く 坐 むも、 側 よりうかゞひはかり奉ることあたはず。天地のあるきはみ、月日の 照 す 限 は、いく萬代を 經 ても、 動 き 坐 ぬ大君に 坐 り、 故 古語 にも、 當代 の天皇をしも、神と申して、 實 に神にし 坐 ませば、 善惡 き 御 うへの 論 ひをすてゝ、ひたぶるに 畏 み 敬 ひ 奉仕 ぞ、まことの道には 有 ける。然るを中ごろの世のみだれに、 此 道に 背 きて、 畏 くも 大朝廷 に 射向 ひて、 天皇尊 をなやまし奉れりし、北 條 義時奉時、又足 利 尊氏などが如きは、あなかしこ、天 照 大御神の 大御蔭 をもおもひはからざる、 穢惡 き 賊奴 どもなりけるに、 禍津日 神の心はあやしき物にて、 世 人のなびき從ひて、 子孫 の末まで、しばらく 榮 え 居 しことよ。抑 此 世を御照し 坐 ます天津 日 神をば、 必 たふとみ奉るべきことをしれども、天皇を 必畏 こみ奉るべきことをば、しらぬ 奴 もよにありけるは、 漢藉意 にまどひて、 彼 國のみだりなる 風俗 を、かしこきことにおもひて、正しき皇國の道をえしらず、今世を照しまします天津 日 神、 即 天照大御神にましますことを 信 ず、今の天皇、すなわち天照大御神の御子に 坐 ますことを 忘 れたるにこそ。
天津日嗣 の 高御座 は、
天皇の 御統 を 日嗣 と申すは、 日 神の御心を御心として、 其御業 を 嗣坐 が故なり。又その 御坐 を高御坐と申すは、唯に高き由のみにあらず、 日 神の御座なるが故なり。日には、 高照 とも 高日 とも 日高 とも申す 古語 のあるを思へ。さて 日 神の御坐を、 次々 に 受 傳へ坐て、 其 御坐に 大坐 ます天皇命にませば、 日 神に 等 く 坐 こと 決 し。かゝれば、天津 日 神のおほみうつくしみを 蒙 らむ者は、 誰 しか天皇命には、 可畏 み 敬 び 尊 みて、 奉仕 らざらむ。
あめつちのむた、ときはにかきはに 動 く世なきぞ、 此 道の 靈 く 奇 く、 異國 の 萬 の道にすぐれて、 正 しき 高 き 貴 き 徴 なりける。
漢國などは、道はなきが故に、もとよりみだりなるが、世々にますます亂れて、 終 には 傍 の 國 人に、國はことごとくうばはれはてぬ、 其 は夷狄といひて 卑 めつゝ、人のごともおもへらざりしものなれども、いきほひつよくして、うばひ 取 つれば、せむすべなく天子といひて、 仰 ぎ 居 るなるは、いともいともあさましきありさまならずや。かくても 儒者 はなほよき國とやおもふらむ。王のみならず、おほかた 貴 きいやしき 統 さだまらず、周といひし代までは、封建の 制 とかいひて、 此別 ありしがごとくなれど、それも王の 統 かはれば、下までも共にかはりつれば、まことは 別 なし。秦よりこなたは、いよゝ 此 道たゝず、みだりにして、 賤 き 奴 の 女 も、君の 寵 のまにまに、 忽 に 后 の位にのぼり、王の 女 をも、すぢなき 男 にあはせて、 恥 ともおもへらず。又 昨日 まで 山賊 なりし者も、 今日 はにはかに、國の政とる 高官 にもにもなり 登 るたぐひ、凡て 貴賤 き品さだまらず、 鳥獸 のありさまに 異 ならずなもありける。
そも 此 道は、いかなる道ぞと 尋 ぬるに、天地のおのづからなる道にもあらず、
是 をよく 辨別 て、かの 漢國 の老荘などが 見 と、ひとつにな思ひまがへそ。
人の作れる道にもあらず、 此 道はしも、 可畏 きや 高御産巣日神 の 御霊 によりて、
世 中にあらゆる事も物も、 皆悉 に 此 大神にみたまより成れり。
神祖伊邪那岐 大神 伊邪那美 大神の始めたひて、
よのなかにあらゆる事も物も、 此 二 柱 大神よりはじまれり。
天照大御神の 受 たまひたもちたまひ、伝へ賜ふ道なり。 故是以 神の道とは申すぞかし。
神道と申す吊は、書紀の石村池邊宮の御卷に、始めて見えたり。されど其は只、神をいつき祭りたまふことをさして云るなり。さて難波長柄宮の御卷に、惟神者謂隨神道亦自有神道也とあるぞ、まさしく皇國の道を廣くさしていへる始めなりける。さて其由は、上に引ていへるが如くなれば、其道といひて、ことなる行ひのあるにあらず、さればたゞ神をいつき祭りたまふことをいはむも、いひもてゆけば一むねにあたれり。然るを、からぶみに、聖人設神道、といふ言あるを取て、此方にも吊づけたりなどいふめるは、ことのこゝろしらぬみだり言なり。其故は、まづ神とさすもの、此と彼と始めより同じからず、かの國にしては、いはゆる天地陰陽の、上測く靈きをさしていふめれば、たゞ空き理のみにして、たとかに其物あるにあらず。さて皇國の神は、今の現に御字天皇の皇祖に坐て、さらにかの空き理をいふ類にはあらず。さればかの漢籍なる神道は、上測くあやしき道といふこゝろ、皇國の神道は、皇祖神の、始め賜ひたもち賜ふ道といふことにて、其意いたく異なるをや。
さて其道の意は、 古事 記をはじめ、もろもろの古書どもをよく味ひみれば、今もいとよくしらるゝを、世々のものしりびとゞもの心も、みな禍津日神にまじこりて、たゞからぶみにのみ惑ひて、思ひとおもひいひといふことは、みな仏と漢との意にして、まことの道のこゝろをば、えさとらずなもある。
古は道といふ言云擧げなかりし故に、古書どもに、つゆばかりも道々しき意も語もみえず。故舊人親王を始め奉て、世々の識者ども、道の意をえとらへす、たゞかの道々しきことこちたく云る、から書の説のみ、心の底にしみ着て、其を天地のおのづからなる理と思居る故に、すがるとは思はねども、おのづからそれにまつはれて、彼方へのみ流れゆくめり。されば 異國 の道を、道の羽翼となるべき物と思ふも、即其心のかしこへ奪はれつるなりけり。大かた漢國の説は、かの陰陽乾坤などをはじめ、諸皆、もと聖人どもの己が智をもて、おしはかりに作りかまへたる物なれば、うち聞には、ことわり深げにきこゆめれども、彼が垣内を離れて、外よりよく見れば、何ばかりのこともなく、中には淺はかなることゞもなりかし。されと昔も今も世人の、此垣内に迷入て、得出離れぬこそくちをしけれ。 大御國 の説は、神代より傳へ來しまゝにして、いさゝかも人のさかしらを加へざる故に、うはべはたゞ淺々と聞ゆれども、實にはそこひもなく、人の智の得測度ぬ、深き妙なる理のこもれるを、其意をえしらぬは、かの漢國書の垣内にまよひ居る故なり。此をいではなれざらむほどは、たとひ百年千年の力をつくして、物學ぶとも、道のためには、何の 益 もなきいたづらわざならむかし。但し古書は、みな漢文にうつして書たれば、彼國のことも、一わたりは知りてあるべく、文字のことなどしらむためには、漢籍をも、いとまあらば學びつへし。皇國魂の定まりて、たゞよはぬうへにては、害はなきものぞ。
故おのが身々に受行ふべき神道の教などいひて、くさぐさものすなるも、みなかの道々のをしへごとをうらやみて、近き世にかまへ出たるわたくしごとなり。
ことごとしく祕説など云て、人えりして密に傳ふる類など、皆後世に僞造れることぞ。凡てよきことは、いかにもいかにも世に廣まるこそよけれ。ひめかくして、あまねく人に知せず、己が私物にせむとするは、いとこゝろぎたなきわざなりかし。
あなかしこ、 天皇 の天下しろしめす道を、下が下として、己がわたくしの物とせむことよ。
下なる者は、かにもかくにもたゞ上のおもめくに從ひ居るこそ、道にはかなへれ。たとへ神の道の行ひの、別にあらむにても、其を教へ學びて、別に行ひたらむは、上にしたががはぬ私事ならずや。
人はみな、産巣日神の御靈によりて、生れつるまにまに、身にあるべきかぎりの行は、おのづから知りてよく爲る物にしあれば、
世中に生としいける物、鳥蟲に至るまでも、己が身のほどほどに、必あるべきかぎりのわざは、産巣日神のみたまに頼て、おのづからよく知てなすものなる中にも、人は殊にすぐれたる物とうまれつれば、又しか勝れたるほどにかなひて、知べきかぎりはしり、すべきかぎりはする物なるに、いかでか其上をなほ強ることのあらむ。教によらずては、えしらずえせぬものとはいはざなれば、あるべき限は、教をからざれども、おのづからよく知てなすことなるに、かの聖人の道は、もと治まりがたき國を、いひてをさめむとして作れる物にて、人の必有べき限りを過て、なほきびしく教へたてむとせる強事なれば、まことの道にはかなはず。故口には人みなことごとしく言ながら、まことに然行ふ人は、世々にいと有がたきを、天理のまゝなる道と思ふは、いたくたがへり。又其道にそむける心を、人欲といひてにくむも、こゝろえず。そもそもその人欲といふ物はいづくよりいかなる故にていできつるぞ、それも然るべき理にてこそは、出來たるべければ、人欲も即天理ならずや。又百世を經ても、同姓どち婚することゆるさずといふ制など、かの國にしても上代より然るにはあらず、周の代のさだめなり。かくきびしく定めたる故は、國の俗あしくして、親子同母兄弟などの間にも、みだりなる事のみ常多くて、別なく治まりがたかりし故なれば、かゝる制のきびしきは、かへりて國の恥なるをや。すべて何の上にも、法の嚴きは、犯すものもの多きがゆゑぞかし。さて其制は制と立しかども、まことの道にあらず、人の情にかなはぬことなる故に、したがふ人いといとまれなり。後々はさらにもいはず、はやく周の代のほどにすら、諸侯といふきはの者も、これを破れるが多ければ、ましてつぎつぎはしられたり。姉妹などにさへ 姦 けし例もある物をや。然るを 儒者 どもの、昔よりかく世人の守りあへぬことをば忘れて、いたづらなるさだめのみをとらへて、たけきことにいひ思ひ、又皇國をしひて賤しめむとして、ともすれば、古兄弟まぐはひせしことをいひ出て、鳥獸のふるまひぞとそしるを、此方の物知人たちも、是をばこころよからず、御國のあかぬことに思ひて、かにかくにいひまぎらはしつゝ、いまださだかに斷り説ることもなきは、かの聖人のさかしらを、かならず當然理と思ひなづみて、なほ彼にへつらふ心あるがゆゑなり。もしへつらふこゝろしなくば、彼と同じからぬは、なにごとかあらむ。抑皇國の古は、たゞ同母兄弟をのみ嫌ひて、異母の兄弟など御合坐しことは、 天皇 を始め奉て、おほかたのよのつねにして、今京になりてのこなたまでも、すべて忌ことなかりき。但し貴き賤きへだては、うるはしく有て、おのづからみだりならざりけり。これぞこの神祖の定め賜へる、正しき眞の道なりける。然るを後世には、かのから國のさだめを、いささかばかり守るげにて、異母なるをも兄弟と云て、婚せぬことになも定まりぬる。されば今世にして、其を犯さむこさ惡からめ、古は古の定まりにしあれば、 異國 の制を規として、論ふべきことにあらず。
いにしへの大御代には、しもがしもまで、たゞ 天皇 の大御心を心として、
天皇 の所思看御心のまにまに奉任て、己が私心はつゆなかりき。
ひたぶるに大命をかしこみゐやひまつろひて、おほみうつくしみの御蔭にかくろひて、おのもおのも祖神を斎祭つゝ、
天皇 の、大御皇祖神の御前を拜祭坐がごとく、臣聯八十伴緒、天下の百姓に至るまで、各祖神を祭るは常にて、又 天皇 の、朝廷のため天下のために、天神國神諸をも祭坐が如く、下なる人どもゝ、事にふれては、福を求むと、善神にこひねぎ、禍をのがれむと、惡神をも和め祭り、又偶々身に罪穢もあれば、祓清むるなど、みな人の情にして、かならず有べきわざなり。然るを、心だにまことの道にかなひなば、など云めるすぢは、佛の教へ儒の見にこそ、さる事もあらめ、神の道には、甚くそむけり。又 異國 には、神を祭るにも、たゞ理を先にしてさまざま議論あり。淫祀など云て、いましむる事もある、みなさかしらなり。凡て神は、佛などいふなる物の趣とは異にして、善神のみにはあらず、惡きも有て、心も所行も、然ある物なれば、惡きわざする人も福え、善事する人も、禍る事ある、よのつねなり。されば神は、理の富上をもて、思ひはかるべきものにあらず、たゞ其の御怒を畏みて、ひたぶるにいつきまつるべきなり。されば祭るにも、其のこゝろばへ有て、如何にも其神の歡喜び坐べきわざをなも爲べき。そはまづ萬を齊忌清まはりて、穢惡あらせず、堪たる限美好物多に獻り、或は琴ひき笛ふき歌?ひなど、おもしろきわざをして祭る、此れみな神代の例にして、古のみちなり。然るをたゞ心の至り至らぬをのみいひて、獻る物にもなすわざにもかゝはらぬは、漢意のひがこと成り。扨て又神を祭るには、何わざよりも先火を重く忌清むべきこと、神代書の黄泉段を見て知べし。是は神事のみにもあらず、大かた常にもつゝしむべく、かならずみだりにすまじきわざなり。若し火穢るゝときは、禍津日神ところをえて、荒び坐ゆゑに、世中に萬の禍事はおこるぞかし、かゝれば世のため民のためにも、なべて天下に、火の穢は忌まほしきわざなり。今の代には、唯神事のをり、又神の坐地などにこそ、かづかづも此忌は物すめれ。なべては然る事さらなきは、火の穢れなどいふをば、愚なる事ゝとおもふ、なまさかしらなる漢意のひろごれるなり。かくて神御典を釋誨ゆる世々の識者たちすら、たゞ漢意の理をのみ、うるさきまで物して、此忌の説をしも、なほざりにすめるは、如何にぞや。
ほどほどにあるべきかぎりのわざをして、穏しく楽く世をわたらふほかなかりしかば、
かくあるほかに、何の教ごとをかもまたむ。抑みどり兒に物教へ、又諸匠の物造るすべ、其外よろづの伎藝などを教ふることは、上代にも有けむを、かの儒佛などの教事も、いひもてゆけば、これらと異なることなきに似たれども、よく辨ふれば、おなじからざることぞかし。
今はた其道といひて、別に教を受けて、おこなふべきわざはありなむや。
然らば神の道は、からくにの老荘が意にひとしかきかと、或人の疑ひ問へるに、答けらく、かの老老荘がともは 儒者 のさかしらをうるさみて、自然なるをたふとめば、おのづから似たることもあり。されどかれらも、大御神の御國ならぬ、惡國に生れて、たゞ代々の聖人の説をのみ聞なれたるものなれば、自然なりと思ふも、なほ聖人の意おのづからなるにこそあれ。よろづの事は、神の御心より出て、その御所爲なることをしも、えしらねば、大旨の甚くたがへる物をや。
もししひて求むとならば、きたなきからぶみごゝろを祓ひきよめて、清々しき御国ごゝろもて、古典どもをよく学びてよ。然せば、受行べき道なきことは、おのづから知てむ。其をしるぞ、すなはち神の道をうけおこなふにはありける。かゝれば如此まで論ふも、道の意にはあらねども、禍津日神のみしわざ、見つゝ黙止えあらず、神直毘神大直毘神の御霊たばりて、このまがをもて直さむとぞよ。
上の件、すべて己が私のこゝろもていふにあらず。ことごとに古典に、よるところあることにしあれば、よく見む人は疑はじ。
かくいふは、明和の八年といふとしの、かみな月の九日の日、伊勢国飯高郡の御民、平阿曽美宣長、かしこみかしこみもしるす。