紫式部公園の紫式部人形
『源氏物語を古書の影印本で読んでみる』『白氏文集巻子本(鎌倉時代)の「華原磬」』『長恨歌と長恨歌伝』のつづき
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越前市は、10C末に父の転勤で十数か月滞在した紫式部にちなんだあれこれに力をいれている いろいろあるなか紫式部公園に隣接する資料室には越前和紙材料をもちいて装束を再現した紫式部人形がいて御簾のすきまからのぞくとその存在感がすごい 魂魄来入夢のいきおい
紫式部公園からは日野山がきれいに遠望できる 日野山は{越前富士、日野嶽、日永嶽(ひながたけ)、御嶽(おだけ)、小健山(をだけやま)}とも呼ばれていた 式部は若くして父についてきたここ越前国府あたりから、この眺めを微妙な遠距離恋愛の景物としてしばらく歌によみこんでいたようだ :
日野の杉・をしほ山・白嶺・松・雪・かへる山
→過ぎ・惜し・知らね(古今978-980)・待つ・行き・帰る
参照
清水好子『紫式部』(岩波新書1973)
(変更 2025-10-05)






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