「詩・歌・曲・謡・咏・唱・誦・念・腔・賦・文・詞・辞・諺・節・楽・韻・律・調」の中国新華字典におけるつかいわけ
1、目的と資料範囲
詩歌・音楽・音声まわりでとりあげた題記の用語を適切につかいわけるために、中国語を重視してこれら用語をまとめておきつかいわけの総合判断へつなげる参照資料の1とする 極力『新華字典(以下新華)』*1の注解内において参照関係を閉じたが、不足分は『OXFORD ADVANCED LEARNER’S ENGLISH-CHINESE DICTIONARY(以下OALD)』*2・『現代漢語詞典』*3などで補った 関連する一部用語については他の資料も援用して別項を立て追加の説明と筆者の考察とを付した
2、凡例
●「見出し用語」(異体字)声調番号つきPINYIN:漢字字形は対応日本現在常用字に、詞義は日本語意訳文に翻訳した
●新華[#1-]#2:新華での#1異音字の配列順序番号、#2字義の項番
●=見出し用語[#1-]#2:本文書内の同義詞を=後に示し直上の規範で新華での項番などをさす
●~・…:全角波ダッシュ・3点リーダはともに字数によらない省略記号(後者は特に長文をさす)
●[~]:半角大かっこ内は現在通用の異体字に対する対応日本字をしめす(中国において現在通用の新字形繁体字、非通用字を示すものでない) 半角大かっこは他に{省略可能要素、筆者挿入注記、行列要素、単位、音価}の表示に用いる
●{}:全角中かっこ内は集合の要素、括り(バンドル)
●/~:半角スラッシュ後は筆者意見による同義詞語を表す(EG.日・英語への試訳、やさしく言い換えた説明などの注記)
●解釈、考察:筆者による注解部分を分けて表す
3、とりあげた用語への注解
(1)「詩」SHI1
●歌咏朗誦できる文体の1(新華1) /POETRY
― 歌は唱、咏は念、朗は明瞭、誦は述説をさす 同韻語を詩文(歌詩謡諺と文辞との全体)に分配する韻文が多用される
― 体は作品的体裁(=様式/STYLE)をさし、文体論(=風格学)が学術分野としてのSTYLISTICSに対応する
― 「詩」出処:『尚書 – 虞書 – 舜典篇』(祖本はC.~BCE5TH成書か)「詩言志、歌永言、声依永、律和声、八音克諧、[…]」
― 出処文の解釈:思考・意思・抒情などの心思(これが「志」をさす)を言語化して発話表出し、さらに後述の歌・声・律の特徴をそなえたものが「詩」の定義である*4 永は咏と通じ長い発音により緩急抑揚のついた発話となる唱・念をさす*5 また声・律はここでは抑揚でのピッチ推移を歌のスケール・チューニングにあわせるための5声・12律の音楽用語をさす また和は和諧/HARMONYをさす
― 考察:上の周波数軸での和諧(つまり和声)の感覚作用だけでなく、「声」を音響的な時間軸でのながれの視点でみて「律」を詩歌のリズム的なきまり(EG. 要素の繰り返しパタン)とみれば、発話音の音響推移がつくりだすリズム和諧(EG. 諧調)の感覚作用にもこの引用文の意味を拡張できる
― 音楽用語の注記:5声は宮・商・角・徵・羽の名がついた音程/INTERVAL名を指す(おおくの民謡メロディが依ってめぐるペンタトニックスケール:I・長II・長III・完全V・増VI度の各名に対応するとされる スケール/SCALEは音階(音程の階段)のこと) 12律は音楽を和声的に正しく和諧させるための調律音の組み合わせをさし、笛サイズをきまり(律)とした基本12ピッチ(=音高、平均律でなく純正律の1、絶対音名が6律と6呂とあわせて12ある)に中国古代名がつき更にオクターブ指定の修飾字とあわせてピッチ(絶対音階名)の指定に用いていた
(2)「歌[・~ㄦ]」([謌])GE1
●歌唱できる文辞(文詞とも)(新華1)/LYRICS(歌詞)(=曲2-1)
― 歌とは歌詞のこと
― 辞・文辞・詞は「組織だった文章」のこと 下の「詞」・「辞」条を参照
●音律発声する(新華2)/SING(歌う、=唱1)・SONG(歌)
― 音律発声は12律の単音/NOTE(音・音符とも英語ではNOTE)をもちいて歌唱すること 「音律」は12律や平均律でピッチが定義された周波数軸での音の配列のきまり(律)であり「楽律」とも同義*3
― 「歌」出処:『古謡諺 – 凡例』「歌者、詠言之謂」、『説文解字』「歌、詠也」、『漢書 – 芸文誌』「詠其声、謂是歌」
― 出処文の解釈:歌とは言葉を音律発声する行為、また人が歌う音響現象(=音声)のこと OALDも参照し「歌」の詞義に文辞が歌唱されている現象としての「歌/SONG」を追加
(3)「曲[・~子・~ㄦ]」QU1(新華2-3「曲」QU3のみ異音字になる)
●歌唱できる文辞(新華2-1) /LYRICS
●歌の楽調(新華2-2) /MELODY OF SINGING(歌唱のメロディ)
― 解釈:「楽調」とは楽器音高にあわせた楽曲の調子をさし「メロディ」と同義とみなす 「楽調」は歌曲・楽曲・戯曲の全体雰囲気とも解釈しうるが、常用の例*3からも採譜できる水準の音符推移としてのメロディをさすとした 「旋律」・「調」条も参照
●詩体としての韻文形式の1で元代以降に特に流行(新華2-3) /YUAN DYNASTY ORIENTED POETRY STYLE
― 劇伴歌唱を主とした詩歌体裁で句尾の同韻語の規範が時代をうけ大きく変化したもの
(4)「謡」YAO2
●無伴奏で韻文を随口唱出する(新華1) /A CAPPELLA SINGING(アカペラ歌唱)
― 用例:唐時謡、長安謡、民謡、童謡
― 解釈:随口唱出は用例・出処から歌唱と同義とみなす(ここでの唱は要旋律と限定した 下の「唱」条と比較)
― 「謡」出処:『詩経(毛伝)』(C.~BCE2ND)「曲合楽曰歌、徒歌曰謡」、『広韻』・『一切経音義』「謡、独歌也」
― 出処文の解釈:徒歌とは「曲合楽」に対向する無伴奏の個人歌唱をさす(新華には独唱/SOLO SINGINGの要件なし)
― 「謡・うたい」には旋律にのせた唱出をともなわない朗誦をふくむとみることもできる たとえば能楽での抑揚のきいたセリフ部分など
(5)「咏」([詠])YONG3
●声調を抑揚して念ずる、または歌唱する(新華1)/PERFORM INTONED RECITATION, OR SINGING
― 「声調」は発話音の「語気/TONE・NOTE・ATMOSPHERE」をあらわすとし、言語学上TONEと同INTONATIONとの両方の訳語でもあるとしてここでは議論をすすめていく 「声調」・「語調」条を参照
― 念は「念」条による
― 咏と誦にそれぞれ声調と腔調をあてる辞書上のつかいわけがある 「誦」・「腔調」条を参照
●詩詞を叙述する(新華2)/COMPOSE & OUTPUT POETRY(制作し表現する行為)
― 叙述/DESCRIPTIONは随口述説(口述)と書記表出(記述)との表現をあわせてさし、他者への公表/PUBLICIZEや発話/SPEECHは必要条件でない*3
― 用例:詩を咏ずる、咏歌
(6)「唱」CHANG4
●音律発声する(新華1) /SING・SONG
― 音楽としての歌唱をさす 「歌」条を参照
― 第1声で大きく歌唱・朗誦してからの複数他者による「後続歌唱・復誦」を日中とも唱和というが、単に「(抑揚をつけて)話す」との詞義での唱は新華に載らない
― 日本では「複数同時朗誦」をもさしうる唱和は、中国では複数同時歌唱(合唱と斉唱(ハモらない)とをさす)と、複数人で詩歌をよみあうことと、上の後続歌唱・後続復誦との詞義になる*3
(7)「誦」SONG4
●腔調を抑揚して念じる(新華1)/PERFORM ACCENTED RECITATION
― 腔調は新華では語調と同義のあつかい 上の「咏」条と比較して声調を抑揚する咏と腔腸を抑揚する誦とのニュアンス相異をつかんでいく必要がある 「腔」・「語調」条も参照
●記憶読出する(新華2)/SPEAK OUT FROM MEMORY
●述説する(新華3)/SPEAK OUT TO SB (=SOMEBODY)
(8)「念」([唸])NIAN4
●誦読する(新華3)/RECITE
― 聴衆などにむけ、書または記憶内の文辞を読みあげることを主にさす
― 用例:詩文を聴者にむけ念じる、教師が例文を念じ生徒が復誦する、~節を聴衆にむけ唸(うな)る
― 考察:書面物の読みあげ行為に限定されず、引用・詩文・訓辞など固定された文辞を聴者にむけ無書面口述(暗誦)する行為も念といえる 対して、一般会話での発話は念といえない 引伸義として聞き手のない文辞の誦読にも念はよく使われる
(9)「腔(・~ㄦ)」QIANG1
●発話の語調、楽曲の調子(新華2)/TONE&RHYTHM
― 解釈:動物の体空をあらわす腔が、引伸義として「語気」、つまり発話音のトーン・イントネーション・ストレスパタン・なまり(中国語で「口音」とも EG.京腔は北京なまり)や、ひろく音声のもつリズム/RHYTHMや雰囲気/ATMOSPHEREの全体をさす また同様に楽曲のもつリズムや雰囲気をもさす(腔が楽曲のメロディー自身をさすとの義でなく調子のうちリズム部分をあわせるとの使いかた) これら語気・リズム要素を調子と表現して腔=調子との説明にあてている 調子については「調」条も参照
(10)「賦」FU4
●古代文学での文体の1(新華2)
― 漢魏6朝時代に流行した写景叙事をおもな題材にとる韻文無格式の詩歌形式 より散文にちかい文賦としても北宋代以降に再流行する
●念詩するまたは作詩する(新華3)/RECITE OR COMPOSE POETRY
― 用例:詩を賦す
(11)「文」WEN2
●字(新華3)/CHARACTER
●字のならびによる意味のまとまった一篇(新華4)/WRITTEN SENTENCES(文章、=書きつけられた句のあつまり)
― 「文」出処:『経典釈文 – 尚書音義上』(C.~6TH_E)「書者文字、契者刻木」
― 出処文の解釈:書は字をかきつける行為、契は木を刻む行為であり、それまでの結縄(縄を結んで数量・幾何学で記録する行為)による公記録・契約から、文をもちいた記録媒体として書契つまり書面/WRITINGがうまれたとする
― 章や読は区切り/PAUSEの字義をもち、構文上の区切りをもった句/SENTENCEのあつまりによって文字列が句義の配列としての文章になる
― 中国語の「文」は音声言語を文様(パタン)の配列で記録した書記結果/GRAPH・SCRIPTのことをさす 文様・文身のように感覚認知できる視覚パタンが中国語での「文」である
― 「語文」は一般に言語文字の略であり、言語における話す言葉と書く文字の総合をさすことができる 「語」は言語(ことばや話)・言語化(言う・説く)をさし、「文」は書記録(文字)・表面形態(脈理)をさすというのが中国語表現での基本となっているようだ
(12)「詞」CI2
●句/SENTENCE中で自由に独立運用できる最小言語単位(新華1)/WORD(日本語では代わりに語・単語がつかわれるがここでは「語」は言語/LANGUAGEの義でつかう)
― 詞は単純詞(おもに単音詞)と合成詞・縮合詞(以下後2者をまとめて合成詞と称する)からなる*6
●言語、とくに組織的な言語または文章(新華2)/SCRIPT, ADDRESS(=辞4)
― 用例:歌詞・演講詞(講話への原稿文のこと)
●詩体としての韻文形式の1、唐代におこり北宋代以降に流行
― 一種の替え歌から歌詞を抜き出した長短句形式の詩歌 元歌をしめす詞碑と脚韻・声律などの作詞条件をしめす詞譜とをつかう
(13)「辞」CI2
●言語、とくに組織的な言語または文章(新華4)/SCRIPT, ADDRESS
― 用例:訓辞(教え諭し説明する文章のこと)
●古代文学での体裁の1(辞賦とも)(新華5)
(14)「諺語」YAN4
●古来伝承の通俗話からの固定語句(新華1) /PROVERB(ことわざ)
(15)「節」JIE2
●音調の高低緩急でつくられる分節区切りであり、リズム(中国語で節奏・節拍など)を構成する(新華2-7) /SEGMENT(分節)
― 解釈:「音調」は、楽器音または音声におけるメロディ・イントネーション・トーン・ストレスパタン・維持区間の推移をさす 調子と表現されることがおおい 下の「調」条を参照
― 日本では、音の高低軽重緩急でつくられる分節と、その集合的な配列からなる楽曲・口述の全体と、についてまとめて「節(ふし)」ともつかう
(16)「楽」YUE4
●音楽(新華2-1)/MUSIC
4、用語の補助説明
以下、新華から引用した注解文やそこでつかわれる中国語での関連用語(特に韻・律・調・声調・重音・語調・腔調)の不明瞭部分について、OALD・『現代漢語詞典』などを用いて補助的に説明する さらに追加的に、音声の物理的側面、音楽理論*7との接続を重視した筆者解釈とそれを拡張した考察をつけた 特に学術用語としてのトーン・ストレスパタン・イントネーションについては、日本語での関連用語の整理と再構成を検討するための試定義をまとめた 発話音の語気・リズムまわりの用語系統については時間をかけてすっきりさせていきたい 本項は勉強しながらの都度変更が多く継続資源/CONTINUING RESOURCESのあつかい
(1)「同韻語」
●同韻語・韻文(短詩形式にて)/RHYME OALD参照
― 同韻語はRHYMING-WORDとも またライム/RHYMEを詩⽂内の部分(EG.行・句/LINE、スタンザ・連/STANZA)末へリズミカルに配置したものを脚韻(韻脚とも)・句尾押韻という また句末にないリズミカルなライム・その他発話音の配列には、頭韻や同韻修飾(EG.平仄つき母音による畳韻)、子音による双声(同声修飾)の例がある 同韻語の使用規範は下の「韻律」の1要素である
(2)「節奏・節拍」
●節奏・節拍・韻律・律動・節律/RHYTHM OALD参照
― 様々な言語要素にリズム/RHYTHMがあるとは、つまり現象のつくりだすタイミングや高低・強弱・緩急・欠落の推移が躍動的・拍動的であること また言語要素がリズムのある分節配列をつくりだすこと、時間軸における音のきまり/FORMAT®ULATION・パタン/PATTERN(~模様・定型・繰り返し等をさす)にしたがうことや、その他ひろく言語要素が配列規則性をもつことさす
(3)「韻律」
●韻律/PROSODY 「PROSODYは詩文における発話音のパタンとリズムのパタンまたこれらについての学術分野をさす また、音声学上のPROSODYは個別発話音/INDIVIDUAL SPEECH SOUNDに対立した言語要素部分としてのストレスパタンとイントネーションとをさす」 ここまでOALDの注解に対する逐語訳
― 詞「韻律」は上のOALD訳の後者である発話音の語気言語要素部分(=個別発話音に対立した部分 ここでの語気は処方・話し方に近い)に内在するリズム要素のみを限定してさすPROSODYの定義とは異なる 一般に韻律は、部分的に「個別発話音」をも不可分に含む発話音全体における「音声言語としてのリズム要素(含押韻)」と、また広く言語の書面/WRITING内における構成パタンである「書面語文におけるリズム要素」と、を対象にしており、上の逐語訳の後半部分は「音声学上の韻律」ではなく「音声学上のPROSODY/プロソディ」と対訳した方がよい*8 つまり韻律とプロソディとは詞義がことなり、プロソディは詩学の原義どおり個別発話音のリズムを含むことがなく個別発話音・書面語のつくるリズム要素を表すことができない用語とする
― 中国語の韻律も、詩文の格式/FORMATと音韻/PHONOLOGIC MATTERとの全体をその対象とし、たとえば格律・押韻ルール・平仄ルールをさしている この意味でPROSODYの対訳に中国語としての韻律をあてたOALDは間違いを含むと言える 下の「漢詩学上の韻律」を参照のこと
― 「西洋詩学上・文芸論上の韻律*9」は、詩学 – プロソディ論におけるプロソディ*10をさしていて、ライム要素をふくまず特にセンテンス中の歩格/METERの構造における発話音の語気がつくるリズム要素を考究対象とする 例えば西洋詩に対してリズム構成をつくりだす行内詩脚/FOOT数・注目分節内のストレスパタンの類型と効果の相異/VARIATIONが主たる関心となる
― 「漢詩学上の韻律」は、諧調(時間軸方向の和諧作用 EG.朗誦・咏歌)を構成する音響要素へのきまり(律)として、
(1)詩歌のリズム構成をつくりだす格式(字数・歩数と連構成・句法の類型であり西洋詩での歩格とスタンザの類型に略対応)、
(2)ライム(脚韻法など押韻の規則)、
(3)平仄配列(=声律)と対仗(中国近体詩における句中・句間の平仄配列規則と語法構成をそろえた対句法による首内リズム構成でありこの部分が「詩学 – プロソディ論におけるプロソディ」の意味範囲に略対応)、
などをさす
(4)「旋律」
●旋律/MELODY OALD参照
― 旋はとどまらずめぐること 十二律をめぐって進行する音符/NOTEの高低推移がメロディ/MELODYをさす「旋律」である 『辞海』では「曲調」とも同義で使われるとある メロディが「曲調」だけでなく更に「音調」とも表せられるかについては良い判断基準がなくできないとしておく 「調子」は問題なくメロディをさす
― メロディをさしうる旋律・調子・曲調それぞれのニュアンスは各辞書にてあいまいで、たとえば芸術的メロディ・素朴なメロディおよびその雰囲気・楽曲全体の雰囲気とにそれぞれ対応させているようだ
(5)「調」
●調(・~子)/ADJUST・ADAPT OALD参照
― 「調」は周波数軸・時間軸ともに変化の微調適合/FINE ADJUSTMENT FOR FITTINGをさしている(EG.調子はずれ、調子をそろえる、歩調をあわせる) また引伸義として、区間全体の雰囲気・態度・気分をさす(EG.六段の調べ、口調、哀調、体調)
― 関連して、調律は楽器のピッチを正しく調整しておくチューニングのこと また調性/KEY(=TONALITY)は曲篇/PIECEがスケール内の音符により特定の雰囲気をもつこと これらは、スケールからうまれる主音/TONICや和音/CHORD群などの音楽要素から長調/MAJOR MODE KEY・短調/MINOR MODE KEYなどの全体雰囲気をもった調性がうまれるとの理論による
― 発話音から「調」をのぞいた言語要素部分が「声韻(声母と韻母の組)」であるとの記法簡便化上の特例(発話音が声・韻・調からなり互いに独立とみなす1次近似のこと)をみとめれば、この「声韻」は上のOALD所載の「個別発話音」に対応する しかし実際の解析ではこのような独立要素と扱えない場合がおおく、詞「声韻」についても当然に「発話音のひびき」として調子を含むとあつかわれることが多い
― 中国語での声調・腔調・語調・句調・口調は、発話文中の対象分節の長さによらずそれぞれを適用でき、各ニュアンスは用例によりあいまいである たとえば声調は声門によるメロディアス(旋律類似的に認知される)な発話音の推移特徴をさし、腔調は横隔膜によるリズミカル(韻律的)な発話音の偏差特徴をさし、語調(=句調・口調とみなす)は全体雰囲気(EG.陳述・祈使・感嘆・疑問・反問など句義弁別、句修飾としてあたえる雰囲気、その他に発話時の態度表示・情動修飾・なまりなど)とその流れをさすとおよそ使いわけているようだ
― 新華でつかわれる「音調」は、OALDには直接のらないが「調子」と同義として通用している語であり、音高(ピッチ)・声調・腔調・語調・諧調・その他の発話リズム構成要素との、すべてまたは部分を都度さしうる 本論ではこの通用する「音調」=「調子」の全体を包含するものを「語気」としてわざわざ言い換えているとみていいのだろう 下の「声調」・「腔調」条に強く関連するので留意する
(6)「声調」
●声調/TONE (IN PHONETICS) OALD参照
― 中国語の「声調」の英訳はOALD所載語に限られない たとえばTONEのみでなく欧米言語学入門書にあるSTRESS PATTERN・INTONATIONの義に対しても中国語では「声調」の使用が常見される 日本ではこれを「音調」・「調子」と表現することもおおい
― 詞「TONE」は「語気」が原義にちかい*11 この「気」は形がなく活力をもって流れるものをさす*31 トーン/TONE・トーンパタン/WORD LEVEL TONE CONTOUR・トーンパタン分類/~ASSIGNMENTのすべてを(言語学上)トーン/TONEとまとめることが学述的に通用している
― 詞「トーン」は一般用語としては態度・声色・音色・中間調などの義をさすが、詞や詞組を含む分節における言語要素のうち注目詞(中心詞/HEAD)の対立詞彙の弁別につかわれる語気変調操作をさす「(言語学上)トーン/(LEXICAL)TONE」(*12-14)として、その主基本周波数の高低の変調を語気の量の代表として表現することがおおい
― また、句を構成する詞よりおおきい言語分節(EG.短語、フレーズ、クローズ)に対して発話音に重畳的に係る語気の音素/PHONEME*15(EG.ピッチ・強度・維持区間など物理指標の付加的な調節による分節全体の語気変調による対立句義弁別要素 グローバルトーンとも言えるだろう)は、その注目分節におけるイントネーションに属させることが一般的である また詞・句内の発話音ピッチ推移を主にしてトーンつまり詞彙弁別には寄与しないが対象文化圏において一定の規範を守るべきとあつかわれる系統パタン/SYSTEMATIC PATTERNがある 日本語においてこの現象は上記トーン機能とあわせまとめた言語現象として広くピッチアクセント規範とよばれる
― 学術的にトーン言語でないと分類される言語について多くの議論では、トーン機能を無視してもストレスパタンとイントネーションのみで詞義対立・リズムの議論ができると扱っている(このときのストレスパタンは実験解析すれば実際にはピッチ推移がリズムを強く支配しているとわかる) この意味からもトーンとストレスパタンは同一分節内にて重複して独立に抽出される性質のものとみなせる
― トーン言語たとえば中国語の詩歌においても、例えば、上声と去声では声調の弁別要素が下降するピッチ推移の重ストレス位置が後半か前半かの違いであってストレスパタンの調整に大きく依存することがわかる また詩学的には歩格/METERが西洋史同様に定義されリズムとしての詩脚を数えられる(*16-17)ことからも、トーンとストレスパタンは同一分節内にて重複して独立に抽出される性質のものである
― 物理指標であるピッチ推移は心理指標であるトーンに主として対応し、物理指標である音波強度推移は心理指標であるストレスパタンに主として対応する、と1次近似的にあつかわれることがあまりに多いが、物理的に解析すれば、ピッチ・スペクトラム構造・音声音波の強度(音圧パワ値)/INTENSITY・調音による個別発話音・維持区間の各々の推移を総合したものに対する、心理指標としての高低軽重緩急についての様々な要素のうちの詞彙弁別機能とリズムを形成する2要素であり、個々人の認知のクセにおおきく依存はしているが、共通の約束におよそしたがって共同運用されている性質(文化的コード)のものであるとわかる
― このように、発話文中のピッチ推移のみから、対立詞彙弁別要素としての詞内トーンパタン分類を正しく機械推測することは、時系列ピッチ周波数値とトーンとの1対1対応がとれない場合が多く、一般に困難な課題である(*18-21) 同じく心理指標であるストレスパタンの分析も「重みづけ」に対する認知の定義と心理学的測定について困難な課題であり、発話文中の音波強度推移のみではほとんど議論ができない
― ここでのトーン・ストレスパタン・イントネーションの試定義を、「言語学上トーンは、詞や詞組を含む分節において加声修飾/PHONATION的な語気(ピッチ・インテンシティ・デュレーションの意図的な変調が基本操作となる 一般的には「音調」と表現される事が多い)による注目詞(中心詞/HEAD)の対立詞彙の弁別につかわれる言語要素として抽出される時間的パタンをさす」、「言語学上ストレスパタンは、詞・フレーズ・句などを表す様々な分節において重みづけ・きわだたせの組合せパタンによりリズムを構成する言語要素として抽出される時間的パタンをさす これは上のトーンとは独立である」とした また、「言語学上イントネーションは、注目分節における語気分配の全体を一義的には指し、上に試定義したトーン・ストレスパタンをふくみうるものをさす」とした またアクセントはアクセント規範と言いかえて社会的要求・忖度に対してのみ用い、一般の語気分配については上の定義よりイントネーションと呼ぶことになる(現在の慣用用語法と部分的に異なってくる)
― 単純詞・合成詞の基本状態におけるストレスパタンには、都度の発話音系統においてある水準での規範があり、これを逸脱すると詞彙種は不変であるが正音・訛音を分けることが一般的である(上記「腔」の指すものにも対応) このため多くの辞書には詞に対する発音記号に第1・第2ストレスなどの語気表示がストレスパタンの表記法として組み込まれている ただし日本語ではピッチアクセント規範の現象(広く単にピッチアクセントとも)がこれを代替しているためストレスパタンによる規範がなくこれが典型からずれたり無パタン(平坦雰囲気)となっても顕著な訛りは感じられない 特定の言語におけるピッチアクセント規範からストレスパタンアクセント規範への歴史的遷移は仮説ではあるが生理的な原因が指摘されている*22
(7)「語調」
●語調/INTONATION OALD参照
― 上と同じく、中国語としての「語調」の英語訳はOALD所載詞INTONATIONに限られない たとえばSTRESS PATTERN・TONEも語調の対訳になりうる
― ここでの言語学上イントネーション/INTONATIONは、上の試定義による
(8)「腔調」
●口音・腔調/ACCENT OALD参照
― 上と同じく、中国語の腔調の英語訳はOALD所載詞ACCENTに限られない たとえばSTRESS PATTERN・TONE・INTONATIONなども腔調の対訳になりうる
― 英語「ACCENT」はOALDの注解において詞義の項順に、1地域的階級的な音声なまり、2強調部分/EMPHASIS PART、3ストレスパタン、4ダイアクリティカルマーク、をさす
― 中国語「口音」は正しい普通話発音を評価して「なまり・発音ずれがない/没有口音」などとつかわれる
― 日本語「アクセント」は、英語ACCENTから発生し詞義も同じとみなせる つまり1の「なまり」から(不適切に)引伸された標準発音へのアクセント規範(そう話さないとおかしく聞こえるような判断基準を設定した集合体)と2-3のストレスパタンにおける重ストレス部位(主ストレス・副次ストレス等)とを同時に指すことになる この通用詞から引伸した用語「言語学上アクセント」については、言語のアクセント規範現象としてさまざまに考究されてきた(*10,14,23-27)
― ここではこのアクセント規範を日本語における特殊な言語規範現象である「ピッチアクセント規範」として上記試定義したストレスパタンに対する「ストレスパタンアクセント規範」とは独立にあつかった つまり日本語にはストレスパタンアクセント規範がなく、リズムを構成するストレスパタンは指定するようなアクセント規範をもたずに自由に表現されているものとした
― 広く様々な言語現象またその他の言語要素について、物理指標・心理指標とも解析・表現の解像度をあげたり別視点の抽出をさらに導入する試みによって(*28-30)、新たなパラメータ解析やそれによる発話音系統把握・書記符号合理化・言語的参照関係・訓詁・祖型再構などの改善につながることを今後も期待する
5、コメント
80年代後半の第2次AIブームのころ、名大板倉研(音声工学)では博士後期課程の李さんがニューラルネットで中国語の声調認識を研究しており、筆者はそのコードをもらって「スペクトログラム実部入力による主ピッチ抽出とピッチ有無判断」に学部生としてとりくんだ経緯がある 未解決の積み残し課題として、主ピッチ推移の抽出処理と、インテンシティ推移(含デュレーション情報)の抽出処理と、四声弁別の前処理としての内的なトーン推移心理モデルの模擬処理と、そのトーン推移をフレーズや文脈考慮文の中でどう分節して各部分を四声にアサインするかの内的な弁別処理と、これらの処理をどのように機械で模擬実現していくかとの課題について、発話音リズムなどを誘発する内的な音響対応ストレスパタン心理モデルの模擬処理へ向けた機序解明の課題ともあわせて、あらためてみなおしていく必要がある
参照
1中国社会科学院『新华字典(双色本)』(12ED、商务印书馆2020)
2商務印書館&英オクスフォード大『OXFORD ADVANCED LEARNER’S ENGLISH-CHINESE DICTIONARY』(7ED-3RD、2009)
3中国社会科学院『现代汉语词典』(7ED、商务印书馆2016 古い版のフル注解に逐一の英語訳が追加添付されたYuan他編『The Contemporary Chinese Dictionary』Foreign Language Teaching and Research Press2005版もある)
4荻野『「詩言志」論の研究』(早大博論2011、リンク内にPDF2MB: https://ci.nii.ac.jp/naid/500000558846)
5『古謡諺』(中華書局1958)
6『实用现代汉语语法(増订本)』(商务印书馆2001)
7Kostka, S. et al.. Tonal Harmony. 5th ed., McGrawHill, 2004.
8吉田他『音楽リズムと音声リズムの共通性についての基礎検討』(名古屋文理大学紀要2012、リンク内にPDF1MB: https://www.jstage.jst.go.jp/article/nbukiyou/12/0/12_KJ00008385999/_article/-char/ja)
9高山『音節構造と字余り論』(九大国文学会2003)
10Turco, L.. The book of forms ― A handbook of poetics. Third ed., univ. press of New England, 2000.
11McCawley, D.L.『The concept of tone: definition and classification』(UIllinoi Thesis, 1972)
12Akmajian, A.(アリゾナ大)他『Linguistics』(5 ed., MIT Press. 2001)
13McCawley, J.D.『What is a tone language?』(Academic Press1978)
14Hyman『How (not) to do phonological typology: the case of pitch-accent』(Language Sciences2009)
15トゥルベツコイ『音韻論の原理』(岩波1980、原著1958)
16Fuller, M.A.. An introduction to literary Chinese. revised ed., Harvard U. Asia center, 2004.
17吴丈蜀『读诗常识』(上海古籍出版社1981)
18荘『標準中国語の単音節語の四声の音響的特徴』(音響学会1975、リンク先にPDF2MBあり: https://www.jstage.jst.go.jp/article/jasj/31/6/31_KJ00001454105/_article/-char/ja/)
19梶茂樹『世界の声調言語・アクセント言語』(音声言語2001、リンク先にPDF3MBあり: https://www.jstage.jst.go.jp/article/onseikenkyu/5/1/5_KJ00007631047/_article/-char/ja/)
20Michaud, D.. Tonegenesis. Linguistics, 2020. (ACCESSED 2023-09-22: https://oxfordre.com/linguistics/display/10.1093/acrefore/9780199384655.001.0001/acrefore-9780199384655-e-748, PDF2MB AT: https://shs.hal.science/halshs-02519305)
21Pierrehumbert, J.B. et al.. Japanese tone structure. MIT Press, 1988.
22シュービゲル『新版 音声学入門』(大修館1977、P.133)
23日本放送協会『日本語 発音アクセント辞典 – 解説』(日本放送出版協会1966)
24McCawley, J.D.『The accentual system of standard Japanese』(MIT Thesis, 1965)
25木部暢子P(鹿児大)『日本語学大辞典 – 「アクセント」条』(東京堂2018、P7-11)
26深澤俊昭『日本語のアクセント観―その抽象度―』 (神奈川大語学研究1981)
27Kubozono, H. et al.『Prosody and Prosodic Interfaces』(Oxford Academic Press2022)
28松浦友久『リズムの美学―日中詩歌論』(明治書院1991)
29Hausen, M. et al.『Music and speech prosody: a common rhythm』(Frontiers in Psychology2013)
30Kando, S. et al.. Textless Dependency Parsing by Labeled Sequence Prediction. (arXiv2024、リンク先にPDF600kBあり:arXiv:2407.10118)
31坂出祥伸P(関西大)『「気」と養生』(人文書院1993)
(変更 2024-12-16)
///