雑文

本居宣長による真心の定義

“ 「うごく心とは、うれしともかなしとも思ふは、心のうごくなり。何事にても、楽しき事にても、憂(うれ)はしき事にてもある時は、その事に触れて、感動するぞ、まことの真心(まごころ)といふ物なりける。」つまり、真心(まごころ)とは、「事に触れて動く心」と定義されているのです”
―海彦『本居宣長研究ノート「大和心とは」第七回「「真心(まごころ)」とは」の巻 改定稿』(https://gamp.ameblo.jp/jkkwf703/entry-12052532445.html

「まごころ」とは 経験/experienceに対する思考/cogitation・直観/intuition・感覚/sensationにもとづいて身(含こころ)が「動く能力/motorAbility」だと定義するならば{思考力、直観力、感覚認知力、運動能力}を高めることがまごころ(-の能力・品質)を高めることになってくる(力≙相互作用)

ここでは「こころ」は身に含まれる(CF.「消極的唯物論」)ものだと前提している

また、まごころを「高める」積極的な目的は{快楽、幸福感}の有利な獲得にあるのではなく、穏やかで楽しい日々の生活を「よりよく」過ごすことにあるのだろう

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